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ガチで世界平和の為に戦ってた、僕の伯母さん

伯母さんとの一番古い記憶は、僕が幼稚園の頃、乳がんの抗がん剤治療で抜けた髪の毛を丸刈りにして「隆太〜!!おばちゃんだよ!!!」とカツラを勢いよく外してきた伯母さんだ。
今考えると、乳がんを発症して、女性としてもとても傷ついただろうに、よくそんな冗談を言えたな、と思う。
後から、僕がその丸刈り頭をみて、動じずにただ笑って頭を触り「じょりじょり〜」とだけ言ったのがとても嬉しかった、と何度も言われた。
人は気づかないうちに人を救っているものなんだな、と最近思う。

伯母さんは、部屋が汚かった。
洋書や和書、関係なしにいつも沢山の本を買っていて、それが山のように積まれていた。哲学や政治の本が多かった。
伯母さんは、近くに住んでいて、うちに来る時、玄関で「Hello!!」とめちゃめちゃ発音よく叫んできた。たまにうるさかった。
海外で買った香水の匂いが、いつもきつかった。
いまでも海外の空港で香水の匂いを嗅ぐと、たまに伯母さんのことを思い出す。

伯母さんの仕事は、外交官だった。
外交官として、南米に研修で派遣になり、ウクレレを街中で弾きまわって歌っていたらしい。
伯母さんが亡くなって数年後、僕が大学に入ってから会った、彼女の友人からは「まさかあんなに気取らず、誰とでも別け隔てなく接する外交官がいるとは思わなかった。」という話を聞いた。
小さい頃、南米時代の友達が伯母さんの家にきて、みんなでバーベキューをやった。
自分の親父の二倍くらい太い腕の外国人のお兄さんが、めちゃくちゃ硬いステーキをきってくれたり、目が青い、鼻の高いおばさんが僕のほっぺにキスしてきたり。
最初は、なんかみんな力強くて、顔の迫力があって怖かったけど、気づいたら海外、外の世界に興味のある自分がいた。
伯母さんは、普通のベッドタウンの庭先でラテン民謡を爆音で流しながら、通りすがりの人に「お肉食べます〜!?」と声をかけていた。

伯母さんは、ハチャメチャにパワフルだった。
いつも、自分の信念を貫き通すために進んでいた。
抗がん剤治療で抜けて短くなった髪の毛と、いつも着てるタートルネックも相まって、ロック・リーみたいだった。
周りに元気のない人がいたら、駆け寄っていって(人によってはうるさすぎる)応援歌を熱唱するような人だった。(Queenの「We are the Champion」とか。)

周りの人も、少しその熱苦しさ、お節介に疲れるときもありながら、彼女のパワー、底なしのポジティブに助けられていたようだった。
伯母さんは、本気で世界平和を達成するにはどうすればいいか考えていて、その為に身の回りで何ができるかを考え、いつも行動していた。

「交渉を乗り越える為には、香水つけて化粧して札束ほっぺたに叩きつけなきゃいけない時もあるのよ。」


ある日、難しい交渉があったことを、伯母さんの弟、つまり僕の父親に話していた。
テレビで見ていた世界平和を訴える人と、伯母さんの言うことは少し違った。
外交官という、世界平和の達成に近そうな仕事でも、その道のりは険しそうだった。
世界平和の為には、対話が必要、というのを耳にタコができるくらい聞いた。そして、普段からいろいろな人と対話を試みていた。

そんな伯母さんなので、僕の言うことにも、徹底的に向き合ってきた。
何をやるにも、「その背景のあなたの思想はなに?」と聞いてくる感じがあった。
その感じが、昔はめちゃくちゃ疲れた。別に全部をそんなに考えて言ってないし!ほっとけよ!!と言いたくなる時があった。
多分、そうやって離れていった人も結構いたんだろうな、と、自分の経験と重ね合わせて思う。

「海外行くのもいいよ。でも、糸の切れたタコになっちゃダメだよ。あなたが日本人であることは、結局は変えられない。言葉だけ使えるペラペラの人にはならないで。」


僕が、高校生で留学をして、帰ってきて、日本のなんとも言えない閉塞感や息苦しさに疲れて、海外の大学へ行きたいといった時、伯母さんはこう言って僕を諭した。
その時の僕は、「いちいちうるせーな。好きにやらせろよ!」と思っていた。
否定をしないこと、価値観を押し付けないことの重要性が持ち上げられる昨今だが、それでも大切な人に価値観を押し付けるという愛はある、と今は思う。

「私の周り、エリート気取って自分の出世と金のことしか考えてないちっさい奴しかいない。隆太はもっと大きく生きてね。」

年収や職場の格やSNSのフォロワー数にあまり関心がないのは、この人のおかげであり、この人のせいであると思う。
いまの僕は、大きく生きるためにはまず楽しく生きることが必要だ、という自分の思想を構築している段階だ。

伯母さんには、子供がいなかった。世界平和を真面目に達成するために戦っていたので、結婚する暇なんてなかったのだと思う。

「私は幸せ。隆太がおばあさんになっても隣を腕組んで歩いてくれるからね!」


その時の僕は、なんか恥ずかしいなぁ、と思ったけど、まあいっか、と思った。
結局、おばあさんになる前に伯母さんは亡くなった。

伯母さんが亡くなる本当に少し前、一通のメールをもらった。
メールはどこかに行ってしまったので、詳しい内容はもう思い出せないが、
僕の覚えている内容は、

・伯母さんは、今自分がいる場所で、世界に何をできるかを考えていること、そして、自分にはまだできることがたくさんあるということ
・これからは、思想と哲学が大事になる時代が来るから、ぼくにはそれをしっかり持って欲しい、本をたくさん読んで欲しいということ

この二点だった。
自分が死にそうなのに、よく人のことなんて気を配ってられるな、と当時は少し怖い気持ちすら湧いた。

伯母さんは、乳がんを一回、白血病を複数回発症して、確か4回目で亡くなった。
亡くなる少し前、僕は「大学が忙しい」という言い訳をして、伯母さんのお見舞いへ行かなくなっていた。
多分、あんなにパワフルだったのに弱っていく伯母さんを見るのが怖かったし、なんて声をかけていいか分からなかった。

ただ、伯母さんの危篤を聞いて、「行かなければ」という気持ちが不思議と湧いた。
僕は、病院で、最後の瞬間まで、もう生きてるか死んでるか分からん、呼吸器で生かされてるおばさんの目を見ていた。
もう何も話すことはできなかったけど、最後まで、自分の信念のために戦いつづけた、ファイターの目がそこにはあった。

おばさんは、勝った。
僕も、僕の戦いを戦おうと思う。

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