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前にも後ろにも行けなくて困っている全ての「あなた」への手紙

出来るだけ短く書こうとしましたが、あくまで他人の僕たちなので、できるだけ誤解なく伝えるために、長くなりました。僕もまだ未熟です。

読むときに頭においてほしいのは、ぼくはあなたの敵、反対側で攻撃する人間や、上から自分の正しさを証明したい人間ではなく、できるだけ同じ方をみながら歩きたい人間だ、ということです。

人生の希望と楽しさについて

無理に、あなたを居心地の良い場所から引きずりだそうとはしません。
ただ、それがどこなのかは、ぼくには分かりませんし、あなたもまだ、どこに行きたいか悩んでいるのかな、と思います。
その悩みゆえ、「どこへ行きたくないか」はあなたの中にたくさんあるが、「どこへ行きたいか」がまだぼんやりとしているのかな、と思います。

あなたの中には「変わりたいけど、今更変わることができないし、そもそも自分の人生をどこに持っていきたいかが分からない」という、迷いと恐れの入り混じった、複雑な感情や行動があるのではないでしょうか。

ぼくにも、そういう時期は何度もあったので、その時のやるせない、辛い気持ちと、何を言われても否定したくなる気持ちは、少しだけ分かるつもりでいるので、無理にあなたに答えを求めたりはしません。

ただ言えるのは、「いま、居心地が良い」や、「前、居心地がよかった」、「こっちではない方に行きたい」に従うのではなく、少し遠くを見て、困難や未知に向かって、それを乗り越えた先に、また別の居心地の良さや、精神的な成長や、発見が待っているということです。

そこは、ぼくは自信を持っていて、それをすることの価値、素晴らしさ、楽しさを、自分の生き様や色々なことで、あなたに伝えられないかな、とだけ思っています。

ぼくは、人間の本質は、変わらない硬い石ではなく、渦巻きみたいなもので、環境から立ち現れるエネルギーの流れだから、いくらでも変わっていくものだと思っています。
もちろん、生まれ持った魂、たち、育った環境で染み付いたクセはあります。
ただ、渦巻の流れが、別の場所に行ったり、急に逆流したり、一瞬でかたちが変わるように、これからの魂や、たちや、運命も、いくらでも変わっていくものだと思っています。
その変化にぼくは、不安や恐れではなく、その先の可能性を見ています。
それが、消えることのない、人生の希望です。

その変化を楽しむのが、ぼくの人生の「暇つぶし」の楽しみ方です。

本質的に人が変わるときには、痛みや苦しみがあります。
なので、それが心から嫌だという人を無理に痛めることはぼくはしたくないです。

けど、その痛みは一時的なもので、その後には成長があります。筋肉痛と同じです。

ただ、変わりたい人にも、それぞれの痛みを受けられる限度、ペース、タイミング、また、今したい成長の種類があり、それらは最大限尊重するべきだ、と思います。 

感情に従うことについて

何か面倒なことにぶつかったとき、その時の感情や本能に従うと、いい悪いと言うのは置いておいて、少なくとも「今までのパターンを繰り返す」と言う結果になるのを、ぼくは知っています。

感情や本能、つまり自我は、今まで育ってきた環境や、してきた経験の積み重ねから生まれるからです。
今まであなたがしてきたことを繰り返していくことを、それをする自分を、あなたが本当に望んでいて、心から愛していると自信を持って言えるなら、今の沸き起こる感情に従ってみて下さい。

あなたにその自信はありますか?
昔にあなたがしたことをすごく嫌っているが、それを無理に肯定して、強がっていませんか?

「居心地のいいところに留まっていたい。それ以外に自分は怖くてできない。今更変えることなんてできない。」という気持ちを「私はこうでありたいのだ。これが私なんだ。そしてその自分が好きなんだ。」にすり替えて、諦めて、考えないようにしているときはありませんか?

その上で、ぼくがあなたに考えて欲しいのは、怖がっているあなたを、あなたが変えたいと思うかどうか。

自分の心の、「どこに行きたくない」ではなく、「どこに行きたい」の声を、落ち着いた、自己愛のある状態で、一度理性的に、言葉で整理した上で、よく聞いてみてほしいと思います。

そのときに、「できる」、「できない」や、「変えるのにどれくらいの時間がかかるか」や、今の環境や、今までの置かれていた環境は、一旦切り離して考えて下さい。
それらは、他人が過去や現状のあなたのイメージから作り出した虚像に過ぎないからです。

なぜ、僕がこんなことを書くのか

ぼくは昔に、今のあなたから見えるぼくのように、自分より恵まれたように見える立場にいながら、なにかを強く信じ、希望しか見ない人を、

「現実がなにも客観的に見れてねーわコイツ。なんで、もっとテキトーに楽しくいけねーんだよ、価値観を押し付けてくんな。ウゼーわ。俺のことなんて何も分かってないだろ。ほっといてくれ」

と感じ、遠ざけた経験があるので、そういう人が嫌に見える人の気持ちも、少しはわかるつもりです。
その熱苦しい人は、亡くなった僕の伯母です。

白血病を三回患っても、自分がよくなることを信じて復活し、四回目を発症して、亡くなる数日前に、いままでの彼女の熱苦しさや価値観の押し付けに疲れて、本当は怖かっただけなのに、部活や大学が忙しい、と自分に言い聞かせて疎遠になり、ろくに見舞いもしてなかったぼくに、人生の希望と楽しさ、信じることの価値について、タイプミスだらけのメールをしてくれた、僕の伯母です。
そのメールをもらって、ぼくは何かに気づき、なんとか彼女を看取ることができました。
けど、メールの返事は、当時のぼくには色々な感情が込み上げて、できませんでした。

ぼくは、自分に彼女の熱苦しさや押し付けがましさがあるのが分かった上で、あなたに伝えようとしています。

ぼくがよく過去の話をするのは、過去に囚われているからではなく、過去を見つめて、徹底的に向き合った上で、そこから欲しいものは受け継ぎ、嫌なものは捨て、自由になり、今と未来を生きる為です。

人間が、歴史を学ぶのはそのためだと思います。

ぼくは、おばさんとの過去を見つめ、自分が信じると決めた人を、見返りなく信じる伯母さんの強さを受け継ぎ、言うべきときに言いたいことを言えなかった昔の自分と、裏切られる、傷つくのが怖いから、素直になれなかった自分を、捨てることを決めました。

ぼくがこれを書いているのは、あなたのため、などと言った烏滸がましいことでなく、究極的には、それがぼくのためだからです。
より好きな自分のために、僕の人生で挑戦したいテーマのために、もう二度と、おばさんを裏切らないために、まずはこれを読んでいる、あなたに伝えています。

「贈り物」の受け取り方は、受け手が決めるべきなので、これ以上は、あなたに任せます。

では、楽しんで。

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