見出し画像

わが街の伝統産業   山形市

第44回 山形県山形市 〜最上川を整備し城下町の基盤を築いた最上義光氏の時代から400年続く山形鋳物

 人口約24万人の山形市。山形市といえば、やはり「ラーメン」。2023年のラーメン消費量日本一となり、2021年を除き、ここ11年間で10回も日本一となったラーメンの聖地である。

 山形市の人々は、来客の際はラーメンでおもてなしをするのが文化となっている。また、夏の山形市は日本海側の中で最も気温が高く、冷やしラーメンが食されているほどである。

 この山形市の礎を築いたのが、最上義光(よしあき)氏である。最上氏の妹・義姫は、あの東北の覇者・伊達政宗の生母であり、政宗の叔父となる。その最上氏は、最上川を整備して舟運を発達させ、庄内平野を一大穀倉地帯に開発するなど、城下町の基盤を築いた。

 その中でも、山形市を代表する伝統産業である『山形鋳物』を発展させた。鋳物職人の町として知られる「銅町」は町割りの見直しで、鋳物師17人を鍛冶町から隣町に移し「銅町」と命名し、鋳物産業としての基盤をつくった。

 『山形鋳物』の発祥は平安時代後期で約1000年ほど前になるが、金具、仏像、日用品などが作られ、霊峰出羽三山の参拝の際の土産物として人気を博したという。

 最上氏の時代となってからは、先述のとおり銅町において、鉄瓶や青銅花瓶などの置物を代表とする「工芸鋳物」が生産されてきた。

 その後、『山形鋳物』は江戸時代中期には、梵鐘や灯篭などを作る技術が発展し、明治時代に入ると茶の湯釜が生産されるようになった。茶の湯釜のシェアは全国トップクラスで、最上氏の時代から400年にわたり、山形市の鋳物産業は存続してきた。1973年には山形市の西部に「鋳物町」と呼ばれる工業団地が誕生。主に機械鋳造を行っている。

 その『山形鋳物』は、1974年(昭和49年)に国の伝統的工芸品に指定され、現在では機械産業を行う「鋳物町」と工芸産業を行う「銅町」に大別されている。機械産業としては、工作機械や自動車、電機の部品が作られ、鋳物全体の80%を占めている。

 『山形鋳物』は長い歴史が培った技法を活かし、新しいデザインを積極的に取り入れ、現代のライフスタイルに溶け込む製品を数多く発表。伝統とモダン、機能性と芸術性を併せ持つ鋳物の魅力を国内外に広く発信している。

  提供:伝統産業ドットコム

#山形市 #ラーメン #最上義光 #山形鋳物 #最上川

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?