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わが街の伝統産業   岡山市

第61回 岡山県岡山市 〜明治天皇が絶賛した『吉備団子』は桃太郎が鬼退治に持参したフルーツ王国の岡山土産

 岡山県岡山市。県南部の中央に位置しており人口は約71万人。雨が少なく「晴れの国」とも言われ、言わずと知れたフルーツ王国の街。中でも桃から生まれた桃太郎ということから『吉備団子』が名物土産として有名となっています。

 その『吉備団子』の歴史は長い。江戸時代末期、廣榮堂の創業者・武田浅次郎が吉備津神社の境内の茶店に提供したのが始まりとされています。餅米、水あめ、上白糖、きびが主な原料で、岡山ではきびが豊作だったことから団子を作り、吉備の国名にちなんで『吉備団子』と名付けられたと言われています。

 1885年(明治18年)には、明治天皇が岡山に行幸され、浅次郎が『吉備団子』を明治天皇に献上し、その際、天皇から「日本一のきびだんご」とのお言葉賜ったとの記録が残っています。

 さらには、1894年(明治27年)に勃発した日清戦争。本営が広島に置かれ、兵隊さんが戦地に赴く際、浅次郎は宇品港に出向き、「日本一の吉備団子」ののぼりを立て、「鬼ヶ島を成敗した桃太郎の皆様、凱旋祝いに故郷へのお土産は岡山駅で売っている吉備団子」と宣伝したようです。『吉備団子』が桃太郎が鬼退治に持参したお菓子として知られるようになった所以がここにあります。これを機に『吉備団子』が岡山を代表する名物となって、全国にその名を知られるようになったのです。

 その後、『吉備団子』は太平洋戦争時は作ることができないまま終戦。昭和30年代にようやく、『吉備団子』の生産が再開され、1966年(昭和41年)にオートメーション方式での生産が可能な工場を建設して量産化。1972年(昭和47年)に山陽新幹線の新大阪~岡山間が開通。売り上げが220%増加し、新幹線景気に沸いたようです。

 1988年(昭和63年)には瀬戸大橋が開通して四国と結ばれ、多くの観光客を集め、ますます『吉備団子』が飛ぶように売れ、きびの風味と素朴な甘さが評判となり。岡山土産の定番とされています。今では黒糖やきなこ、フルーツやチョコなど多くの種類が作られているようです。

 岡山市には岡山城があり、別名「烏城」(うじょう)と言われ、その異名に名を冠した『烏城彫』という伝統工芸品があります。全工程が手作業とされ、漆を何度も丹念に塗り重ねて仕上げられた90年以上の伝統を持つ漆器です。そして、岡山藩時代に池田綱政公によって作られた日本三名園の一つに挙げられる「後楽園」があります。その後楽園から見える岡山城は烏のように見え雄大です。

  提供:伝統産業ドットコム
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