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【横濱探訪】山手西洋館のみち

JR石川町駅から、隣接する横濱中華街、山手西洋館の街路、元町の路地を抜けて石川町駅に戻る。
所要時間徒歩2時間(内食事40分)、総距離3.5km。

~サマリ~
(1)経路: 
 石川町駅~中華街~アメリカ山公園~
 ベーリックホール~元町~石川町駅戻り
(2)文化財:
 ①ベーリックホール(市認定歴史的建造物)
 ②エリスマン邸(市認定歴史的建造物)
 ③外交官の家(重要文化財)
(3)グルメ:
    ①食事先(ランチ):
  ・謝甜記(シャテンキ) 中華粥  @中華街
    ②その他気になったお店:
  ・台湾唐揚げ 横濱炸鷄排
  ・喫茶 えのき邸
        ・おでん 石川屋
(4)名産他: ウチキパン

~雑 感~
 
ターミナル駅の横浜駅から根岸線に乗り換え、石川町駅に到着。地域の行政・経済の中心地の関内や開港の地はこの付近なのだから、ターミナル駅もこの辺りで良いのに、といつも思う。改札口を出ると、中華街は目の前だ、早速向かう。

人混み、食べ歩きのまち中華街

 今日の目当ては中華粥。中華の名飯店巡りもいいが、食べ歩きもいい。顔と同じくらいの大きさのある台湾唐揚げ「横濱炸鷄排」、チャーシューメロンパン、ブタまん、小籠包、ごま団子、タピオカ・・・・食べ歩きが楽しい街だ。

 関帝廟を通過、中国の異国情緒を楽しみながらぶらりと散策する。だだし、今日は中華粥狙い、何故だかいつも食べ漏れてしまう。飯店と食べ歩きのエアポケットに入り勝ちなメニューなのだ。初志貫徹、嫌いな行列に珍しく並び、人気店「謝甜記」で念願達成。

 ここまで来るとアメリカ山公園はすぐ傍なのだが、元町通りを横切ってからが大変な急坂。息を切らしながら、やむなく上る。と、きれいな芝生と花畑が広がる公園に到着。大きくはないが洒落た公園を一周すると、眼下にベイブリッジやマリンタワーが望める。後で知ったのだが、ここは、みなとみらい線元町・中華街駅の真上にあり、全国初の立体都市公園だそうだ。うーん、出発点を間違えたか?いやいや、歩くのが目的だから、これでいい。

 公園からそのまま坂を辿ると、山手の洋館通りに入る。まるでヨーロッパの避暑地の街並みだ。

山手の外国人居留地の雰囲気を継承

 山手西洋館の一画に着く。近くにある外交官の家は重要文化財だそうだ。西洋館なんて趣味ではないのだが、その一つ、ベーリックホールに吸い込まれるように立ち寄った。まあ、何であれ、美しいものは美しい。

ベーリックホール

 館内も見学できる。文明開化時代の外国人の横濱での暮らしに思いを馳せる。我々は今、異国情緒に浸れるが、彼らは異国の地で居心地よく幸せに暮らせただろうか。

 隣接する元町公園を抜け、散策も終盤戦、石川町駅に向かいながら考えた。商業が集積した横浜駅、中華街、山手西洋館、今日は行ってないが、洋風近代建築の並ぶ官公庁街の関内、そこから日本大通りで結ばれた横浜港。この狭い地域に、これだけの多様な景観を持つ街の成り立ちって、いったい何なんだろう?

 後で調べたことだが、横濱という港街は、なかなか複雑な生い立ちを抱えている。
・幕末に開国に追い込まれた江戸幕府は、異人とのトラブルを避恐れ、当時の東海道の宿場町でもあり、港町として栄えて物流の要衝であった神奈川宿(現在の横浜駅近く)から横濱村(現在の桜木町・関内付近)に開港地を変更した。

・当時の横濱村は険しい海沿いの地形にある寒村だった。神奈川湊からは陸路は困難で船で回るしかなかったらしい。その代わり、外国船が着けるだけの水深があった。幾つもの一級河川が流れ込み、その土砂で浅くなる東京湾岸では珍しい良港の地形だ。だから、ペリーもここから上陸したのだろう。

・そこで、幕府は旧横濱村村民を現在の元町に移住させた上で、その跡地に当時9万両の巨費を投じて港湾を整備、隣接する関内に外国人居留地を造成し、外国人との接触を制限するため関門を設けた。その関門から居留地までの道が馬車道だ。また、物流拠点の神奈川宿とのアクセスを陸路で確保する為、横浜道を僅か3か月で突貫普請したという。明治維新直前に、とんでもない巨大再開発事業だ。

・こうして港と外人居留地が創設されると、西洋仲介者としての華僑が重宝され、その居留地が隣接して形成された。その後の中華街に発展する。

・一方、条約国の増加とともに居留地の拡大に迫られ、現在の山下町や山手町に新しい居留地が造成された。それが山手の西洋館通りに繋がる。

・関内はややこしい。外国との共同統治地区だからだ。でも、それ故に、日本で初めての西洋式街路の日本大通りを中心にした洋風近代建築が並ぶ街が形成されることになる。日本大通りは、慶応2年(1866年)に発生した大火事をきっかけ日本人町と外国人居住地を隔てる防火通路として、英国人技師H.Rブラントンが手掛けた。以降、貿易・国際金融都市として、また地方行政の官公庁街として関内・桜木町が発展する。

 開港という国家的な大開発事業が起爆点となり、大さん橋、関内、元町、中華街、山手町といった街が連鎖的に生まれ、150年を超えるの時がたち、それらの街が各々の独自の文化を発展させ、多様な街が集まる大都市横濱が成立した。だから、ターミナルとしての横浜駅は神奈川宿にあり、関内・桜木町にはないのだろう。横浜市民は、神奈川県を省略して、横浜市から記入しがちだが、神奈川をはしょっるな、と声が聞こえてきそうだ。神奈川という地名は由緒正しいのだ。

 そんなことに思い巡らしながら、元町に降りて行き、ウチキパンの角に到着。僕はよく知らないが、美味しいパン屋さんだそうで、妻が数個を買い求める。

ウチキパンのパン袋、中身は覚えていない

 メインストリートの元町商店通りを行くのもいいが、ウチキパン角をそのまま左に入り、一本手前の裏通りを歩くのもいい。閑静でひっそりと趣きある店が点在する通りを石川町駅に向かう。この街は今はハマトラに代表される横濱ブランドの発信地となったが、原点は寒村からの移住の地である。大変な苦労があったに違いない。歩き続けると、駅の少し手前で、学生時代におでんを食べに通った石川屋を見かけた。懐かしい。周囲が再開発で変わり行く中、毅然として昔の佇まいを残しているのが、嬉しい。駅に到着。所要時間約2時間・総距離3.5km、距離の割には変化に富む横濱探訪となった。

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