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島と私

世の中になんだか馴染めないということはもうどうしょうもなくて、つらいとかどうだとかという判断抜きに一生そうなんだろうなと思う。何年か前に淡路島で会った絵描きのおじいさんも、世の中に居場所が見つけられず早70年、とか言っていた気がする(ディテールは忘れた)。

今はまだある意味でマシだが、5年ぐらい前のサラリーマンなりたての頃は特になんだか周りとのギャップが辛くていろいろな想像で逃避していた。そのひとつが架空の故郷であるところのチャントシテナイ島という島だった。チャントシテナイ島は本土から年10cmの速度で遠ざかっていて、チャントシテル人々はその存在を知るよしもない。予防接種を受けていない野良犬や野良猫が多く、潮風であらゆるものが錆つき、それでも何となしに生きて死ねる島。僕はチャントシテナイ人の中に放り込まれたチャントシテナイ人なので永遠に生きづらい。でも海の向こうには故郷があるし、たまに同郷出身者に出会うこともある。

あるいは、僕たちは人間社会に身をやつした変化狸である、と思うことでどっこい生きてる。この手の妄想、皆さんもたくさんお持ちのことと思うので今度教えてください。

狸は置いておいて、そのチャントシテナイ島妄想最盛期のスケッチブックを開くと、手のひらの上や頭の上に島が飛んでる絵とか、島影と人影を組み合わせたスケッチがたくさん出てきた。年に一回ぐらいなんだかんだで訪れる瀬戸内海の島々の景観と現実逃避のための想像の島が混然となり、自分の中である種のイメージの類型を形成したのだと思う。

島モチーフを具体的な形にする機会はその後長らく訪れなかったが、昨年、自分の想像力のキワキワを攻めた朗読シリーズ(未確認電波帯)を制作公開したとき、必然的に島も題材のひとつになった。(ちなみに僕はもともと島だけでなく景観とか地形とかにフェティシズムを感じる性分なので、ダムの底の村の話とか、琵琶湖の話とか、タワー建築の話なんかも各所で書いたりしている。)

そして、昨年末にイベント出店のために急遽手作りの本を作ることになり、朗読のストーリーと絡めて小さな島を作って売ることにした。ようやっと島が形になり、僕自身は島売り人という新たな肩書きを得ることとなった。悪くない。

島を必要としている人たちは世の中にたくさんいるはずなので、まだまだ大量に作るつもりだ。コンセプト上、同じものを2個作れないのが辛いところだが。あとは、数年前の島スケッチをもとに絵とオブジェの個展も開きたいと思っている。

妄想の島が人々の間に伝播し、皆それぞれの島を持ち、島民になれば、チャントシテナイ島民の僕も少しは生きやすくなるかもしれない。知らんけど。


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