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プロキオン

高校のOB展なんてもう何年も出してなかったのですが、昨年亡くなった高校の恩師と作品を並べられるのはこれが最後の機会かもしれないということもあって5年ぶりぐらいに出します。
創作のモチベーションが低い状態から展示に挑むとどうなるかというと、技法的なこととか展示空間との折り合いとかメッセージ性とかいろいろ考えるのがめんどくさいので、どうしても内向きのテーマで、極端な話自分ひとりにしかわからないような力の抜けた私的な作品ができあがったりしてそれはそれでよいです。

10年ほど前に犬がナメクジの駆除剤を誤飲して死にかけたとき、授業サボって美術室でめそめそしていた僕に先生は「うちの猫もこないだ死んだんや、まあそういうもんや」となぐさめてくれました(傷口に塩ともいう)。なぜかあれが僕の中で先生との一番の思い出です。
その前か後か定かでないのですが、県の大会に出すために油絵でその犬を描きました。犬の名前はあんちゃんですが、絵のタイトルをいぬっころの「ころ」にしたので、先生は犬の名前をころだと思っていたはずです(無理からぬことです)。僕が高校の頃描いた絵はだいたい何かの賞をもらってて、「ころ」も例に漏れずプロキオン賞というのをもらいました。これは技術賞のことで、ほかにも敢闘賞のベガ、人気投票のオリオンなどの賞があったのですが、プロキオンはこいぬ座の一等星で「犬(シリウス)に先立つもの」の意があるとのことで、犬の絵には相応しかったと思います。
賞のことはさておき、当時いろいろ油絵を描きましたが、今も実家に飾ってあるのは「ころ」だけです。あの絵は本当にいい絵です。テーマがどうとか独創性とかではなく、「うちの犬を描こう」と、ただそれだけの絵です。

高校の頃の、あの美術室の時間に連なる作品、となると、なんとも芸のないことですが、「ころ」を今の自分のフォーマットで再制作することがまず浮かびました。あの頃はF30号キャンバスでしたが、今の僕には白いキャンバスに向き合えるほどの純粋性はないので、余っていた小さい木片に、木工用の色つきニスで影を重ねるように、記憶をたよりに描きました。厚みのある木片は額に入れられないので、細い針金で吊るすことで額の代わりにしました。

先生も犬もいなくなってしまいましたが、油絵具の甘い匂いを詰め襟に染み込ませたあの時間はたしかに今とつながっているはずで、それはキャンバス上の仮想平面でとらえるより、もう少し厚みのある時間の塊の、ある切り口としてとらえたほうがよいと、絵画をいまいち信じられない28歳の僕はそんなことを考えてそのようにしました。

お店の準備やら何やらであまりお金がありません。おもしろかったら、何卒ご支援くださると幸いです。