第五巻 第三章 元禄文化

〇家綱・綱吉・家宣・家継の肖像
N「文治政策を進めた、四代将軍家綱から七代将軍家継にかけての時代は、町人たちが力を伸ばした時代でもあった。この時期に花開いた文化を、年号を取って『元禄文化』と呼ぶ」

〇嵐の海を行く菱垣廻船
その舳先に仁王立ちの河村瑞賢(中年)。
N「河村瑞賢は東廻り航路・西廻り航路を開拓し」

〇東廻り航路・西廻り航路
N「物流ルートの開拓によって、商業が盛んになる基礎を作った」

〇明暦の大火
燃える江戸の町。
N「明暦三(一六五七)年の明暦の大火をはじめとして、江戸はおよそ十年おきに大火に見舞われる」

〇焼け跡の江戸
次々と材木が運び込まれ、再建がはじまる。それを指揮している紀伊国屋文左衛門(中年)。
N「それはたびたびの復興需要を呼び、大商人が生まれるきっかけとなった」

〇淀屋辰五郎の屋敷
淀屋辰五郎(中年)が大勢の客をもてなしている。客たちの前には豪勢な膳が置かれているが、しかし全員の目は天井に釘付けである。何と、天井がガラスになっていて、その上に金魚が泳いでいるのである。
辰五郎「いやあ、こう暑いと、こうでもしないと涼がとれませんでな。ははは……」
N「豪商の中には、贅沢を楽しむ者も少なくなかったが」

〇役人にしょっ引かれる辰五郎
N「度を越すと幕府に目をつけられ、取り締まられることもあった」

〇平泉・中尊寺
松尾芭蕉(中年)と河合曾良(芭蕉の弟子、中年)が中尊寺を眺めている。
芭蕉「『夏草や 兵どもが 夢の跡』」
深くうなずく曾良。
N「松尾芭蕉は俳諧の芸術性を高め、地(じ)発句(ほっく)と呼ばれる歌を数多く詠んだ。これらは明治時代の正岡子規により『俳句』として再構築される」

〇大坂・曾根崎村・露天神の森
はつ(女郎・美女)と徳兵衛(平野屋手代・青年)の心中死体。互いの手を帯で結んで倒れている。遺体は、互いの胸に刺し傷こそあるが、その表情は安らかである。
奉行所の役人が、野次馬を追い払っている。その野次馬の中に、近松門左衛門(五十一歳)の姿。
野次馬「醤油屋の手代と、堂島新地の女郎だってよ」
野次馬「お店に婿入りさせてもらえるって話だったのに、女郎に義理立てして心中か……」
野次馬たちのつぶやきを、鋭い目で書き取る門左衛門。

〇道頓堀・竹本座
大きくはなく薄暗い小屋に、男女の客がひしめきあっている。
舞台の上では、徳兵衛とはつの人形が、手を取り合って死出の道行きをしている。
舞台袖からすすり泣く観客たちを見て、得意げな顔になる門左衛門。
N「大坂では近松門左衛門が、実際の心中事件を元に『曽根崎心中』『心中天の網島』などの人形浄瑠璃の脚本を書き、心中ブームを起こした。浄瑠璃を真似て実際に心中する男女が大勢出るに至り、幕府は心中ものの上演を禁じ、心中ではなく『相対死』と呼び、心中に失敗した男女を厳罰に処した」

〇江戸・市村座
大きくはなく薄暗い小屋に、男女の客がひしめきあっている。
舞台の真ん中では、初代市川團(いちかわだん)十郎(じゅうろう)(二十五歳)が、派手な隈取りと衣装で、ポーズを決めている。
※『金平六条通』坂田金平役
観客「成田屋!」
見惚れている観客たち。
N「江戸では歌舞伎が流行し、初代・市川團十郎が荒事芸を完成させた」

〇菱川師宣の工房
菱川師宣(中年)が、数人の弟子たちと共に、いままさに『見返り美人図』を完成させようとしている。
N「絵画の世界では菱川師宣や」

〇屋敷の中
尾形光琳の『八橋図』の屏風を前に、文化人たちがうなっている。
N「尾形光琳が活躍した」

〇水戸城の一室
徳川光圀(中年)が朱舜水(明国の学者、初老)からラーメンを饗されている。
光圀「(麺をすすりながら)このような豊かな食文化を誇った明国が、北狄(満州族)に滅ぼされるとは、これも天命というものか……」
朱舜水「いたしかたございません。今や天命は、この日本にあると申せましょう」
光圀「何と!?」
朱舜水「北狄の国である清国は、中華とは呼べませぬ。今や万世一系の天皇をいただく日本こそが中華です」
光圀「日本こそが中華……」
朱舜水「南蛮や夷狄(ヨーロッパ人)に対して国を鎖したのは、まったくもって正しいご決断でありました……」
N「滅亡した明国の学者・朱舜水から強い影響を受け、光圀は日本の歴史をまとめた『大日本史』の編纂に取り組む。完成は何と、明治になってからであった」

〇正装の光圀(老年)
N「やがて光圀の思想を元に、異国は野蛮な国であり、神国日本は彼らと交際すべきではないとする『攘夷』、日本を中華、天皇を皇帝とみなし、幕府は大政を委任されているに過ぎないとする『尊皇』の思想が生まれ、幕末の水戸学へとつながっていく」

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