【貴重情報満載】柴嵜正一に関する情報提供まとめ(8月25日更新)

中村橋派出所警官殺害事件の犯人とされる確定死刑囚柴嵜正一について、私Dennisに寄せられた情報の数々をまとめた記事です。
当時報道されていない裁判の様子、柴嵜と事件直前に親しかった方のお話など、大変貴重で、ここでしか読めない情報が満載です。
柴嵜正一の隠されていた新たな一面を山ほど見られる記事となっております。是非ご覧ください。
また、記事の最後に改めてご案内がありますが、情報提供は随時募集しています。皆様のご協力をお待ちしております。

更新履歴(※随時更新していく予定なので、ちょくちょく見ていただけると嬉しいです)
2023年8月25日 「哲学への興味と宗教嫌悪」「事件一週間前に探しに来ていた」を新規に作成。「別人のような顔つきをした瞬間」と「証拠品が捨てられた公園について」に新たな情報を追加。
2023年8月9日 新規に「現在の想い」の項を要望により追加。「家族との関係」の項に書き忘れていた事を加筆。


情報提供者:天城さん

Twitterアカウント→https://twitter.com/2011AMAGI
天城さんはバイクの限定解除のために、柴嵜と同じ府中の試験場に通っていた方。家の方向が同じだったので何度か一緒にバイクで走ったことがあるそうです。

性別は男性、年齢は柴嵜より3つ歳上。しかし年齢はお互い知らず(年上だと気を遣うので敢えてお互い年齢の話はしなかった)20歳だったことは逮捕後に知ったとのこと。

会っていた期間は1989年4月末~5月初頭か半ばまでで、自分が先に限定解除に合格したため、事件発生後に顔は合わせていない。会った回数は数回ほど。

柴嵜とのファーストコンタクト

試験場で柴嵜の方から「今日試験初めてですか?」と声をかけられたのが最初の出会い。
住んでいる方角やバイク歴など様々なことを訊かれ、自分の方が答えるという感じだった。

フレンドリーな受験者で、友達が居ないとか孤独だとかそういう事柄から一番遠い人物に見えた。

柴嵜のことは「シバ」と本人の了承を得て呼んでいた。ただし実際に言う機会があったのは数回ほど。

天城さんとの柴嵜

人懐っこくて寂しがり屋な人物だという印象。

大型バイクを買う金がないと話したときは、中古で安いのを探してやるからと言われたり、自分が知らない作家についての話も偉ぶらずに親切丁寧に教えてくれた。
その時の本の話はニーチェやレイモンド・チャンドラーの話だった。(※2023年8月23日追加)
優しくて良い奴だという印象が強くある。話し方も穏やかだった。

喋っているときは普通に笑うこともあり、逮捕時の顔は非常に疲れているように見えた。
柴嵜から自分に妹がいるという話を聞いた時、「嫁さんにくれ。お前良い顔だから、妹もきっと美人だ」と軽口を叩くと、「今度訊いてみるから、今度写真撮らない?」と話してくれて、本当に普通の良い奴、と思った。

Wikipediaを読むと、あのように回りくどい喋り方をされたことはないなぁと思う。理屈っぽくなく、飄々と自分の考えを言う人だった。

試験場では「食わないとバイク重くて引き起こせないから」と昼食にパンだったかおにぎりを1個とか食べていた。
「俺出すから食堂行こうぜ?」と誘っても「昔からそんなに食べたいと思わないから。(一人で)行ってきなよ」と、金が勿体ないからとか、人から施しを受けたくないといった感じではなく、ごく自然な感じで断られた。

大手バイク店の主催しているオーストラリアツーリングや、北海道にツーリングに一緒に行こうと誘われたことがある。

このとき、お金がないので無理だと断ると「貸そうか?」と言われたのをよく覚えている。長野くらいなら行けると自分が言うと「長野もいいけど北海道走りたくない?」と返された。しかし、北海道に自走で行くのかフェリーで行くのか尋ねると、柴嵜はよく知らない様子だった。

Dennis「(アメリカに行きたいと話してて、英会話の本も買ってたくらいだから)柴嵜には海外や遠くに行くことに憧れがあったんですか?」
「せっかく試験場にいるんだから国際免許の話きかない?」と提案しても「具体的に行くまで話が決まってる訳じゃないからいい」と断ったので、国際免許やビザについてはあまり知らないかもしれない。

HONDAの大型バイクも所持しており、とにかく金持ちだなぁという印象があった。修学旅行に海外に行く高校に通っていたボンボンではないかと最初は思っていた。
(筆者註……ナナハンのバイクを買っていたという報道が存在し、天城さんの「HONDAのCB750かCB900」というリプから、柴嵜の買っていた大型バイクはHONDA「DREAM CB750FOUR」?)

試験後に用事があるから付き合ってくれと頼み、自分の実家に来たことがあった。その時、自分の母親が「シッカリした良い男の子。こんな息子が良かった」と言った時、柴嵜は「そんな事有りませんよ 良い息子さんです」と微笑みながら言っていた。

人怖じする様子は皆無で、自分の友達の溜まり場に一度連れて行った時も、特に慌てる様子もなく落ち着いていた。
しかし「用事がある」と言ってすぐに帰ってしまった。
その場に女性もいたので、自分としては男ばっかりの自衛隊にいたから照れたな、と思った。

哲学への興味と宗教嫌悪

哲学的な話題に興味があったようで、何のために生きるか、何をするか、とか、何のために生まれたのか、とか、そういう話を柴嵜の方からされた。

当時はオウム真理教に入信する若者も多かったことから、自分としては変な宗教に興味を持たなければいいなと危惧していた。
柴嵜自身は、人々が広くうっすらと抱えているような忌避感とは違い、何か特定の嫌な思い出があって宗教を嫌っている様子だった。僅かに、彼の親族が某宗教の信者だという話もしていた気がする。
(筆者註……実際のやり取りだとガッツリ名前出てるのですが、一応伏せました。仏教系、とだけ言っておきます)

しかしそのように宗教を嫌っている人でも、新興宗教に入ってしまったという話も聞いていたので、柴嵜がそのような哲学的な話をしようとすると、敢えて「オウムチックでやばい」と言って会話を打ち切り、深くは聞かないようにしていた。

当時はきな臭い世相だったので、そういう話をしてくるあたり、柴嵜は空気が読めない、もしくは読まない人なのだと思った。
(※2023年8月25日 この項を新規に作成)

「家庭なんて向かない」

恋愛については特に拒否感も興味もないようだった。
お金持ちの一族の女性に今のうち近づこう、良いじゃん逆玉、と言うと柴嵜はそれに対して怒り、結婚については「俺には家庭なんて向かないし無理だよ」と話していた。

別人のような顔つきをした瞬間

自分が「金がないから買えない、行けない」ということを言うと、柴嵜は動きが止まって、何か考えるような顔をする。
その顔は、「どうしたらコイツが高給を取れるか」と考えているように見えた。実際には、金を稼ぐために、こうした方がいいなどの具体的な話をされることはなかったが。
この時、冗談で「ガス欠か?エンストしたんか?帰ってこい」と笑いながら言うと、柴嵜に少し怒った表情を感じ取ったので、それ以降はそういう会話を控えた。人一倍真面目でナイーブだと思った。

他にも、酒乱だった父を中学生の時に首を絞めて殺そうとした、という話をしたときも、同じように動きを止めることがあり、こういう時の柴嵜の顔つきは別人のように見えた。

「シバさぁ、頭良さそうなのに時々止まるよね。遅くまで本読んだりしてたん?疲れてる?」と訊くと、「小さい頃から他の事(マンガの続きや無関係なこと)を考えたりすることがあるんだ」と答えていた。

上告趣意書の「(おそらく精神鑑定の担当医との)面接が終わった途端に無表情になる」は、こういう時と似たような顔かもしれない。どういう表情なのか想像できる(※2023年8月25日追加)

堅実で真面目な青年

金金と守銭奴な風ではなかったが、無駄なことに金を浪費しない堅実な人だった。

金がかかるからと喫煙家ではなかった。また、柴嵜のように限定解除のためにわざわざ教習所に通って教習を受ける人というのも珍しかった。

自分が「何でそんな金持ってるの?」と訊くと、柴嵜は「そんなに金持ってる訳じゃ無いけど色々やってるんだ」と答えていた。その色々が何なのかは不明。

「(自分が)どっかから金が降ってくるとか実は大金持ちの隠し子って事は無いもんかね?」と話すと、「金が有り余ってるのも大変みたいよ?」と笑っていた事もあった。

オーストラリアや北海道のツーリングについて、ローンを組めば?と提案された事はなかった。
当時は自分の友人たちの周りでもローンを組んだという会話がよくあったにも関わらず。
自分が欲しい新車の話をすると、「100万ちょっとしそうだよね。100万かぁ」と言うだけで、ローンを組む事を訊いたり提案・アドバイスしてくる事はなかった。

当時の20歳そこそこでは100万円というまとまった預金を持っている者は珍しく、「使っても銀行から借りればいいや」という風潮もあった中で、柴嵜は堅実で真面目な青年だと思った。

「仕事や将来持つであろう家庭等も自分で判断して行かないと。他人や親兄妹の意見を聞きすぎると後で責任転嫁する事も有るだろうから考えないとね。失敗を恐れていたら先に進めない、 難しいけと良く考えないと」と話していた。

試験場での様子

試験場での柴嵜は非常に饒舌で、「今の走り参考になったよね」「この人(天城さん)今日風邪気味らしいから試験順番早くこないかな」と他の受験者にもよく話しかけていた。
しかし、今で言う、空気が読めず、周囲に引かれている、という感じで、他の受験者たちを戸惑わせていた。

柴嵜は「2人前 ふたりまえの人が出したウィンカーの位置だと合格で、今走った人はその位置より1~2mウィンカーを出す位置が遅かった。だから2人前の人の走りを参考にした方が良い」と、例えるなら野球部のキャプテンが部員にアドバイスをするように、周囲に話しかけていた。

他の受験者達は(確かにその通りだけど、何?この人は?)と困惑している様子で、自分も恥ずかしくて遠くから眺めていた。
Dennis「独り言を大きな声で言っている訳ではなく?」
独り言とは印象が違う。気の良い世話焼きのお兄ちゃん、といった感じが一番強い。

自分含む受験者たちが「どのタイミングでウィンカーを出して、どの辺で進路変更をかければいいのか?」という話をしていた時、柴嵜は試験官である警察官の所へ行き、色々話を聞いてくれたことがあった。
多くの受験者は、下手に目立ってコイツは道交法を理解していないと思われたら落とされる、と思っていたのだが、柴嵜は「解らないこと訊いてきただけだよ。試験官教えてくれたよ」と、試験官だからと物怖じしたり、目をつけられるかもと考えていない様子だった。
この時、警察官とも笑いながら話していたのを見ている。

出過ぎる、目立つ、自分だけは試験官に聞いて知っている、ということは全く無く、他の受験者にとって有益な情報を共有してくれたことは間違いなく、柴嵜も楽しそうにしていた姿が印象に残っている。

デジタル的な思考と行動

当時は、頭の中でシミュレーションをし、リスクや問題が無いかを考えた上で動くアナログ的に動くタイプと、対応を考え即行動に移るデジタル的なタイプの2つのタイプに人は分けられていた感がある。

柴嵜はそういう意味ではデジタル的なタイプだったと思う。
良い言い方をすればクール(ドライ)で要点だけを考え、最良と思う行動や発言をする。その結果は余り気にしない又は行動した後考える。
上手く言えないが、そんな印象の青年だった。

とはいえ、あの犯行と普段の柴嵜が結びついたことはない。彼をまさか犯人だとは思わず、逮捕されてからしばらくは騙されて共犯に入れられたのではないか、冤罪なのではないかと思った。
今はそうは思わないが、30年以上釈然としない。

バイクの謎

柴嵜は試験場へは中型のバイクを乗って来ていた。車種は失念したが高年式の綺麗なバイクだった。
府中の試験場は駅から遠く、足がないのであれば他の試験場へ通うはずなので、自然と彼の持ち物だと思っていた。

(筆者註……これは次のnoteで詳しく書こうと思いますが、当時の報道には、大型バイクを60万円で買ったというものがあるだけで、中型バイクまで買っていた・乗っていたという記録は全くありません。
天城さん曰く、60万円で中古の大型バイクに加えて中型バイクを買うというのは不可能であり、この60万円というのはやはり大型バイクだけの出費だと思う、とのこと。
ということで、「借り物ではないか?」という風に天城さんとの話し合いで結論づけましたが、他人から借りるというのはハードルが高いなど、依然としてこの中型バイクが一体どういうことなのかは不可解な点が多く不明です。情報をお待ちしております)

また、柴嵜のように、免許を取って間もない(限定解除もしていない)、中型にも慣れていないのに大型バイクをいきなり買うのは、普通のバイク乗りならおすすめしない。店も止めなかったのか。

柴嵜の大型バイクの乗り方も、特別上手くも下手でもないが、ぎこちない様子だった。
そのような状態で限定解除して大型バイクに乗っても、それは当時のバイク乗りからは素人のくせに、と小馬鹿にされる行為。

教習所に通って限定解除しようとするのは少数派であり、にも関わらず乗れもしない大型バイクを購入してしまうなど、堅実性と大胆さのアンバランスさを感じる。

さらに、この大型バイクは柴嵜自身も、預けているバイクは買い替えるかも、やはり古いバイクではなく新しいバイクを、と話しており、これと言って欲しいバイクを決めている様子でもなかった。

自衛隊について

柴嵜は自分が自衛官だと言うことを自身から打ち明けてきた。
当時は自衛隊だと言うと眉をひそめる人も多かったので、変わってるのか自分をしっかりと持った人なのだなぁと思った。
「自衛隊は衣食住つくから、民間より金が貯めやすい」と柴嵜は話していた。

自分の兄が空自なので、「64(64式自動小銃)って重いらしいね」と話すと、柴嵜は嬉しそうにしていた。

しかし、自衛隊の立場に対してはどこか他人事で、古巣なのに興味ないんだなと思った。
戦車にもあまり興味がなく、F15などの戦闘機の話題を振っても関心を示さず、ミリタリーや銃にも興味がなさそうだった。モデルガンについても「色々な種類があることは知っているけれど」と言うだけだった。

射撃についても「狙ったら真っ直ぐ飛ぶ物でもなく、空気の流れや湿度等で微妙に変わる事があるんだよね」程度のことを話しただけ。

「特殊工作隊とか志願しなかったの?」(数年前に公開した野生の証明という作品の架空の部隊だが)と質問すると「そこまでは…ね」と、言い、柴嵜は映画の話を知らないか、呆れられたかと思った。

家族との関係

自分が父親が嫌いだと話すと、柴嵜も賭け事をする父親が嫌いだと話した。
妹のことは可愛いと言っていた。母親についてはどんな印象か何か話していた記憶は無い。養父とのことは逮捕後に知った。

父母が離婚しているという話はしていなかったが、親に対し、”ハリネズミのジレンマ”のように近づきすぎると傷つけあってしまうが、他人として絶縁してしまうのは忍びない、といった感じか。(※2023年8月9日 書き忘れていたので加筆)

母親とは、「大学へ進学してほしかったのにしなかったこと」「公務員になったのに僅か一任期で除隊したこと」「除隊後にもしっかりした会社に就職しないこと」「除隊後にバイクや限定解除の大金を使うことに干渉されたこと」で、いつも言い争いが起きる、という旨のことを柴嵜は話していた。

言い争いというのがどの程度かは不明。大学へ進学しなかったことは、高校生の時から。それ以外のことは直接会っての言い争いではなさそうだった。
(筆者註……電話?)

妹がいるという話をした時、「俺は長男なのでいずれは母親の老後を見ないといけない。妹はおそらくどこかに嫁ぐだろうから良いけど。今は母親も元気だから焦ることもないけどね」と話していた。

家族とベタベタはした印象は受けなかったが、責任感のあるしっかり者だと好感を持った。

この母親の老後についての話は、5月9日以前の会話。
(筆者註……5月9日とはちょうど事件一週間前に、母親の家に二年ぶりに訪ねて会った日。ここで柴嵜は「今後一緒に住む気持ちのないことを察せられるやりとり」をしてアパートに帰った)

違和感

柴嵜から自分の部屋へ来ないかと何回か誘われたことがあった。

断っても何故かその後も何回か誘ってくるので、普段は同じことを繰り返し言うこともなく、物事に執着するイメージもなかったため、少し不気味に思った。

部屋に行くことを断ると、柴嵜はバイク雑誌やカタログ取っていて、見積もり等が有るからと、来てして欲しいと言っていた。言い方は悪いが物で釣ろうとしているように見えた。過去にいじめや無視にあったことがあるのではないかと思った。

バイクは道交法に則った走りで、「決められたルールだから黄色信号で止まる。敢えてそれを破る必要性がないから。緊急時や必要であれば守らないと思うけど」と話していた。
ごく普通な反応だと思ったが、すぐに「(今でいう)キレることはないだろうけど、本気で怒ったらシャレにならない怒り方をしそう」と思った。

部屋への誘いも1度受けたら次断ったら怒りそう。
他の友達と遊んでも嫉妬したりはしないだろうけど何かありそう。
真面目な奴だから刺すかもな。
理由は解らないけど。
怒ったら止められないだろうな。
喧嘩では済まない。下手すれば殺し合いまで行くかも。

口調が荒いとか暴力的態度と言った事はなく、これといった理由はないが、何となく彼を見ていてそう感じた事はあった。

証拠品が捨てられた公園について

武蔵関公園に大昔に殺人事件があり、凶器が遺棄されたことを話していたので、逮捕され柴嵜がその公園にナイフや靴を捨てたと知ったときは、自分の話を覚えていたのか?と思った。

僅かながら、柴嵜を試験場の帰りにその公園へ案内した記憶もある。おそらく自分からではなく柴嵜に頼まれて。(※2023年8月25日追加)
今もなお公園に遺棄したのは、自分へのメッセージだったのではと思うときがある。

事件一週間前に探しに来ていた

この情報は天城さんのご友人→天城さん→Dennis(私)、という経緯で教えていただいたものです。
事件前、柴嵜は車に乗って、以前天城さんに案内された友達のたまり場に「天城さんは来ていませんか?」と探しに来たことがある。
「来てない」って言ったら「何処にいるとかわかります?」と訊かれたが、所在不明なことが多いから「知らない」と言った。

あまり自分(天城さん自身)は覚えてないが、限定解除に合格したのかと思い「750で来た?」とその友人に尋ねたが、「イヤ車で来た」とのこと。

(筆者註……「車で来た」「事件前だった」ということで、レンタカーを借りて母親宅を訪ねた5月9日の出来事の可能性が高いです。100%ではないですが…)

(※2023年8月25日 この項を新規に作成)

柴嵜の語る不思議な体験

時々部屋の様子が(勝手に)変わっていることがある、と話すことがあった。
「誰かに侵入されたって事ではなくて、自分がやってるんだと思うけど」と、怖がるでもなく、不思議そうに話していた。

「勉強のし過ぎ。一度病院で見てもらった方が良いよ。精神科に行くのはアメリカじゃ当たり前だから恥ずかしいことじゃないよ」と伝えたところ「余り酷いようならね」と返される。

「部屋にお化けでもいるんじゃね?わかった、怖いから来いって言うんだな?(笑)」と言うと、「お化けなんて怖くないけど、よくわからないことが稀にある」と柴嵜は言い、それ以降はそんな話はなかった。

犯行時の格好について

犯行時の服装 資料を基としたCG画像 提供:模擬人生

あまりにも格好が普段と違い、イメージとかけ離れていると感じた。
試験場ではチェックシャツにジーンズ姿が多かった。髪型は逮捕時のものが若干伸びたようなものだった。

バイクに乗る際の服装について話したことはあるが、話題は横転を考慮して作られたツーリング用のジャケットのことや、革のツナギは寒くて歩きにくい、などの機能的なことであり、ファッションの話ではない。

普段とは別の人物になるための「戦闘服」だと思った。目撃されることを考慮してというのは、柴嵜が考えていたとしてもそれは主目的ではないと思えて仕方ない。やはり「勝負服」として着ていると思う。

このようなファッションをしているなら、彼の顔も果たして素だったのだろうか?化粧品をつけていたなどはなかったのか疑問に思う。
(筆者註……実際にはそういう記録はないです。でも確かにここまで変えておいて顔に何もしてないかは気になりますね)

真っ赤な靴下は「一世風靡セピア」の影響ではないか。
一世風靡セピアといえば、リーダーの小木茂光さんの、冷たいエリート役を演じる際の無表情で相手を見つめる仕草が、柴嵜と似ていると思う。

その他

酒を今度一緒に飲みに行こうと誘うと、「あまり良い酔い方をしないのでやめておく」と断られた。

一人称は「俺」、試験官の警察官には「僕」、ごく稀に「自分」だった。

購入していた大型バイクは、名義変更がまだなので知り合いのバイク店(?)の前オーナー(?)に預かって貰っていると話していた。

柴嵜が合宿免許で知り合ったという男性が当時の練馬にいたかもしれない。
その人の家に泊まりに行ったとか行かなかったとか。その人と今度一緒に遊ぼうと誘われたことがある。

アルバイト先がコーヒー豆を取り扱う所だとは自分に話していなかった。特に仕事に不満もプライドもない様子で、色々なことを頼まれて色々している、と話していた。
「なんでも屋」というとプライドを傷つけると思い、「フリーで仕事を受けているのね」と言った。
この時、バイクで物を運ぶこともある、と言っていたと思う。

エンタメには特になにも言及してなかった。時事にも興味ない様子。
当時の報道を見ていると、まるで別人のことが書かれているように感じる。

「シバ」と「彼」

もし事件がなかったと仮定しても、シバと会うか考えた時、正直半々だと思う。
礼儀正しいシバと内包するシバの中の何かに対する不安と恐怖に近いものがあった。
限定解除に合格し、シバと会わなくなった時、寂しい思いとどこかホッとした自分がいた。
彼は二重(多重)人格的だと思う。
「シバ」とは違う「彼」がいて、家で二時間眠り、現場まで行って被害者の背後に立ったのが「彼」
ここで躊躇したのが「シバ」
警官が振り向き抵抗。事の重大性と怖さから「彼」が出現しメッタ刺しにしたのではないか。二人目の警官も同じ流れ。

私に内在する影として

どこへ問い合わせればいいのかわからなかったのと、センセーショナルな報道をする当時のメディアに疑問があったので、当時は話す気が起きなかった。公園の件から、そのうち警察などから話を聞かれるだろうと思っていたが、そういうことはなかった。雑誌や新聞の取材を受けた事もない。
30年以上ずっとモヤモヤとしている。
将来ハッキリとした事は解明されないと思うが、シバが私の人生に現れてから何時も影のように内在している。
それは怖いとか、もしかしたら自分も刺されていたのかもと言ったことではなく、謎として。

現在の想い

犯行時に心神衰弱・喪失等はしていないと思う。犯行直前に会っていた身として、おかしな様子は感じなかった。
状況証拠や供述に矛盾は無いし、個人的に死刑判決は妥当だと思う。

シバの犯行は許されるものではなく、刑を受けるべきだという考えは変わらないが、一時的な事であってもシバとは良好な関係を持っていたし、彼自体はとても良い奴だったと思う。
事実なのか曖昧だが、道端で泣いている子供を見つけると、シバはバイクを止めてあやしていた記憶がある。
シバは自身の人生を全うした、自己完結したのではないかと(Dennisと話していて)思った。

情報提供者:葛城明彦さん

Twitterアカウント→https://twitter.com/12143415
事件当時、実家が現場の近所にあり、裁判で柴嵜を見たことがある方です。
実際にお会いし、中村橋~富士見台の柴嵜の逃走ルートなども教えていただきました。
ノンフィクションライターとしてご活躍なさっており、この事件について書いた記事が去年発売された『昭和の不思議』に掲載されております。
私も資料提供としてお手伝いさせていただきました。ぜひ皆さんお買い求めください。
(※アフィリエイト、ステルスマーケティング、PR案件ではございません)

逃走ルートについて

逃走ルートは現在はもう再現は不可能。

しかし柴嵜が血を洗い流したクリーニング店はまだ残っている。水道は「気持ち悪いから」と事件後すぐに撤去されてしまったが。
(筆者註……一応風評被害とかあるといけないので店名はここでは書きません)

自分ですら知らない道を通っていたので、これは土地勘のある者の犯行だなと思った。
Dennis「偶然、必死に逃げていたらこういうルートになったというのは考えられないんですか?」
あり得ないと思う。絶対に土地勘があった。多分散歩などをして把握していたんだと思う。

当時の新聞で報じられているルート 出典:日本経済新聞1989年6月9日

至近距離で派出所を見る柴嵜

傍聴で聞いたこと。

柴嵜はレンタカーを降りた後、以下の図の水色の点でマークした所に立って、派出所を見て機会を窺っていた。

写真は現在のグーグルマップより。画像左下の赤いマークのついている所が現場の交番です

(筆者註……航空写真だと伝わりづらいかもしれませんが、かなり至近距離です。バレるのではないかと思うような位置)

裁判での様子

事件から翌年以降の裁判を傍聴。確かな時期は覚えていないが少なくとも翌年とのこと。

傍聴には自分以外に何人かの男性が来ていて、女性は来ていなかった。
柴嵜は、逮捕時と似たような服装をしていて、胸板が厚く、明らかに素人でない体つきをしていた。

この時の柴嵜の様子は明らかに不気味で、かなりおかしな感じがした。
能面のような無表情で、抑揚のない喋り方をしていて凄く印象的だった。
(筆者註…このことは上で貼った記事にも詳しく書かれていますのでそちらもぜひお買い求めください)

情報提供のお願い

私自身は
・柴嵜正一とは全くの赤の他人で面識は一切ない
・ただ資料を集めたり、調べているだけ
なので、公開していること、されていること以外はほぼ全く知らない状態です。

些細なことでも全く構いません。真偽が不明なものについてもこちらで検証いたしますので遠慮なく教えてください。
柴嵜と喋った、会ったことがある、人づてに知っていることがある等……何らかの情報をお持ちの方はぜひ、私のTwitterアカウント(https://twitter.com/SSAO31524894)にDMをください。
ただ、返信がだいぶ遅れてしまうことがあるので、その時はごめんなさい。

寄せられた情報はなるべく公開させていたいだきたいと思っていますが、「これは秘密にしてほしい」「自分の素性は隠して欲しい」ということがあれば公開しないこともお約束します。

TwitterのDMはハードルが高く感じたり、アカウントを持っていないという方は、こちらの質問箱をDM代わりにお使いください。

また、それ以外の情報提供、質問、その他メッセージなども受け付けておりますので、お気軽に送ってください。よろしくお願いいたします。

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