エチオピア帝国より、イエメン王国の方が古いんじゃね?

アラビア半島の歴史は、よく分からない。
よく分からないのか、分からないこともないけれど、ブッチしているだけなのかも知れない。
まあ、イラク国民、シリア国民、パレスチナ人、ってアラブ人だろ?
と、今では思うが、メソポタミアの人たちは、アラビア半島のあっちの方の人たちは区別していた。
あっちのあっちの方で、古代から栄えたのがイエメンと、対岸のエチオピアである。
エチオピアには、そこそこ川がある。
アラビア半島は大方、砂漠であるが、イエメンは豊潤である。イエメンとサウジアラビアの境目付近には3千m級を含む連峰があり、風に流された雲が当たるので雨が降る。
その歴史は、エチオピアの紀元前900年に対し、イエメンの歴史は紀元前1000年以上遡る。
エチオピアの歴史はシバの女王の息子のメネリク1世から始まるが、シバの女王の国の歴史が、それ以前からある筈である。
シバの女王は、イスラエルの王ソロモンと(ぴ~)した。
王ソロモンは、周 康王11年(BC1011年)の生まれ。(位・穆王6年(BC971年)~穆王46年(BC931年))

(ぴ~)したのは、この頃だろう。
えっ? この頃のテレビドラマ、あるの?

周王姫満(穆王)を主役級にした、男女入れ換わりネタのラブコメのショタもの?

美少年マニアの女料理人が、宮廷兵に一目惚れ。王宮に忍び込み、ひょんなことから大王さまと心が入れ替わり、転校生の君の名は。
知らんがな。

イエメンに戻ろう。
古代イエメンには主要6国があったと云う。

サバア王国。
 英語版Wikipediaだと、紀元前11世紀からある国と、書いてある。
 シバの女王の国、ここやろ?
 エチオピア、勝手にアフリカ大陸の国と云うことにして、自国史の祖とし
 ているやろ?
 と、云う説も、ある。
 日本語版Wikipediaでは、紀元前8世紀末に成立。と書いておきながら、
 紀元前1千年紀にはサバア人の統一だけではなく、周辺の異族政権も傘下
 に収めてさながら帝国とも書いてある。
 アッシリア王ティグラト・ピレセル3世とサルゴン2世とセンナケリブの
 治世下、サバア王国の使者が朝貢に来た記録があると云う。

https://en.wikipedia.org/wiki/Kingdom_of_Hadhramaut

ハドラマウト王国

アウサーン王国

マイン王国

ヒムヤル王国

カタバン王国

タムード。
 紀元前3千年紀頃からあったらしい。
 ここはイエメンではなく、現在のサウジアラビアの紅海北東岸。
 王国ではなく、部族割拠地域。
 アッシリア王サルゴン2世の代に記録があるらしい。
 その地は、後にナバテア王国の版図と重なる。

ナバテア王国
 アラビア文字は、この辺りから成立していったらしい。

ディルムン
 ペルシャ湾側。
 今のバーレーンじゃね?、と比定。

この辺りは、分からないんだか解っているんだか、よく判らない。

タバリーと云う人が、世界創造から延喜15年(915年)までのアラブ世界の歴史を、へろどとしていると云う。
「諸使徒と諸王の歴史」と云う書物である。
余り、まじゃりんこせず、こういう伝がある、こういう伝もある、と併記してある文体だそうだ。日本書紀も、異説を添え書きしている。
この本は、逸本ではない。

ニューヨーク州立大学出版局から、訳本が出版されている。
全39巻。
だが、その内容は、私はネット上から見つけられなかった。
面倒臭いし。
第4巻「古代王国」辺りから前に、書いてあるんじゃね?
第5巻「ササン朝」。
第6巻「メッカのムハンマド」。
この辺りからはイスラムの歴史が綴られる。

現在のサウジアラビアの内陸部は、豪族共和制都市だったらしい。
緑だったのは、原始時代。
考古時代は、既に砂漠。水源がある今の都市辺りに、部族都市が点在していたらしい。
リヤドもメッカも、古くからの都市である。

最後のイエメン王国は、権力聖職者がオスマントルコに反旗を翻したのが始まりである。

イエメン王国。

軍部の支持を得られず、追放される。
共和制。
まあ、北イエメンである。
南イエメンは、イギリス領で、その下に部族政権国があった。昔で云うところの、土侯国。

https://ja.wikipedia.org/wiki/南アラビア連邦

https://ja.wikipedia.org/wiki/南アラビア保護領

なんでイギリス領から、いきなり共産国になったんや?

土侯国の若者が、海外留学で学生運動に染まり、反英運動、民族解放戦線で、突き進んだらしい。
そこは、ほれ、幕末の志士も、藩主と割かし別行動やろ。
土侯の称号は、アミールだったのかスルターンだったのかは知らんけど、
地方君主と別行動で社会党を作って独立したのと違いますやろか。

平成2年(1990年)、統一。

民主政治は、日本みたいに、なあなあの無関心ならば良いが、時として選挙勝者は、選挙敗者の支持者に冷や飯を喰らわせ、冷遇する。
日本だって、町を2分する町長選だと、当選町長派に連なる土建屋が、公共工事を貰えるとか、あるらしい。
今や、アメリカ合衆国も、そうなりそうである。

日本の、とある村。
小林さんと中田さんの、選挙戦。
新村長が選んだ、診療所の赴任医を、反村長派の村民がいたぶって追い出すのが続いている、と云う説がある。

そして、その両派の後ろ盾に、サウジアラビアとイランが付いた。

大統領選びは、選挙から武力に移行した。
そこにアルカイダも割り込み、巴戦。

現在に、続く。
文明国(?)のアメリカだって実力行使するんだから、イエメンだってやるわさ。

古代に戻る。

古代アラビア半島の宗教は、古代アラビア多神教だった、らしい。
メソポタミア神話にも、似ていそうである。
他、自然崇拝系や、後にはユダヤ教もあったらしい。
どうも古代は、ユダヤ教に入信することが、可能であったらしい。今は、新規会員、募集しておりません、らしい。
だから現代イスラエルに居るユダヤ人には、古代ユダヤ人の子孫じゃない人もいるっぽい。

https://fundamentoshebreos.com/teimanim-o-yemenitas/

テイマニム、って読むのか?
アシュケナジムしか罹らない様な病気があったり、天才が矢鱈と多いとか、特殊な民族らしい。
まあ、いろいろ分類はされている。
他、シバの女王は、ソロモン王、かっこい~、賢~い、痺れちゃう~、
(ぴ~)しちゃう、太陽と月の崇拝をやめて、ユダヤ教にするわ、と言っていたらしい。
天体崇拝もあったのか?
多神教の、太陽神と月神の信仰かも知れない。
西暦後は、キリスト教も信仰されたし、エチオピアはキリスト教国となった。
エチオピアは、ムハンマドを助けたことから、キリスト教国であることを安堵され、イスラムから一目置かれているらしい。

まあ、他は多神教である。

アッラー神は、その1神。ユダヤ教、キリスト教の唯一神と習合されたらしい。

舒明天皇2年(AD630年)、メッカ入城。
他の神々の神像は、破却された。
って、ゆ~か、偶像崇拝を否定しているので、全部破却したらしい。


アデンがエデン説とか、聖書に出てくる山、イエメン山岳地帯の山じゃね?、説もあるらしい。


あの辺で火山があるの、イエメンなんや。
他、いろいろ。


イエメン?
アラビア半島の先っちょのしょぼい国?
アラビア半島の百済? (意味不明)
と思われがちだが、実はサウジアラビアとイエメンの人口は、同じくらいである。
共に、3000万人余り。
そこはほれ、イエメンは砂漠じゃないから。











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