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№777 相手をバカにしたほうがえらいという風潮

あなたは毎日の生活のなかで、
このような人を見かけたことがないですか?

朝の通勤ラッシュ時、
満員電車で少し肩を押されただけで舌打ちをしている人。

ご近所同士で挨拶しようとすると、
スタスタと歩いていってしまう人。

スーパーで小さな子どもが泣き出しただけで、
眉をひそめる人。

飲食店のスタッフが少し雑談をしているだけで、
クレームをつける人。

電車がちょっとでも遅延すると、
駅員に詰め寄ってめっちゃ怒鳴る人。

朝出社したときに、同僚に挨拶もせず、
仏頂面でデスクに向かう人。

挙げていくときりがありませんね。

どれも、おそらく心当たりのある光景ではないでしょうか。

しかもこうした行動をとっている人には、
地位も分別もありそうな方もかなりいらっしゃいます。

もしかしたら、あなた自身もこれらの行動をとってしまい、
後悔したこともあるかもしれません。

あるいは自分がそうした行動をとっていることに気づかずに、
周囲から「あの人って不機嫌だなー!」と敬遠されている可能性もあります。

機嫌というのは、
人の表情や態度に表れる快、不快の状態です。

つまり不機嫌とは、
不快な気分を表情や態度に表しているさまをいう言葉です。

不機嫌にもそれなりに「役割」はあります。

というのも、感情は情報伝達のための速やかな手段でもあるからです。

たとえばですけど、
取引先で交渉に不利になる情報を部下が明かしそうになったときに、
「君!」とムッとした顔をするのも方便としての不機嫌です。

取り返しのつかない状況を未然に防ぐために、
やむなく情報伝達としての不機嫌を活用することは、必ずしも悪いことではなかったりするのです。

しかしここで言いたいのは、
現代人の不機嫌の大半は、
こうした情報伝達のためではないということです。

現代を生きる人の多くがかかえているのは、
行き場のない「慢性的な不機嫌」です。

情報伝達の差し迫った必要性があるわけでもなく、不快であることを伝えても事態は何も解決しないのに、
無意味な不機嫌を世の中に撒き散らしている人があまりにも多い気がしています。

電車の中で舌打ちしたからといって満員電車が解消されるでしょうか?

インターネットで書き散らした罵倒が、
社会を良くしたことがあったでしょうか?

誰も「舌打ちや罵倒をしたら事態が良くなる」と思っているわけではないのに、
表に不機嫌が渗み出てしまっている。

現代人は四六時中、誰かの不機嫌な言動にさらされ、ちょっとずつ精神を消耗しています。

そして自らも、
知らず知らずのうちに不機嫌に侵食されてしまっているのです。

まずは自分の不機嫌に自覚的になってみてください。

性別や年齢にかかわらず、
上機嫌に見える方はたくさんいます。

例えば、「40歳を過ぎたら、普通にしていても不機嫌そうに見える。上機嫌くらいでちょうどいい」と自覚するだけでも変化が起きます。

「いつでも上機嫌」と聞いたとき、
あなたはどんな印象を抱くでしょうか?

お調子者で何も考えていない不用意な人なのではないかと考える人も多いかと思います。  

逆に「いつも不機嫌」というと、
しかつめらしい顔をして難しいことを考えている、つまり「頭がいい人」と考えるのではないでしょうか?

知的な人間はやたらとニコニコと愛想よくふるまわない、
作家や学者というのは陰キャで不機嫌なものだという風潮が根強く存在しています。

もしかしたら「不機嫌臭」を醸し出している中高年男性が多いのにも、
無意識に「不機嫌=頭がよくて威厳がある」と思っていることが影響しているかもしれません。

まず正しておきたい誤解が、
知性と機嫌は決して結びついてはいないということです。

上機嫌と頭がいい状態は両立します。

機嫌というのは、理性や知性とは相反する分野のように思われがちですが、
気分をコントロールすることは立派な知的能力の一つです。

仏頂面をしている人、他人に辛辣なことを言う人のほうが、よく物を考えているように思えるかもしれません。

ところが実際は、前向きに生産性のあることを考えている人の頭やからだは柔軟に動いています。

表情もやわらかですし、ポジティブな空気を発するものなのです。

不機嫌がクセになると、頭も身体も動きにくくなります。

気分をコントロールすることはこころの運動能力を維持し、仕事や人間関係のパフォーマンスを上げる知的技術です。

上機嫌への一歩として、まずは「上機嫌=バカ」「不機嫌=知的」という構図を捨てること。

一緒に知的で上機嫌になるわざを身につけましょう。

現代には慢性的な不機嫌がはびこっています。

慢性的に不機嫌であることの一番の弊害が、 
自分が不機嫌であるかどうかがそもそもわからなくなるということ。

つねに調子の良くない状態が続いているために、
自分にとってポジティブな心身がどういうものだったかわからなくなっているのです。

不機嫌から上機嫌にいたるには、
まず自分の不機嫌の芽が出てきたなという瞬間をとらえ、
それを芽の時点で摘むよう努めることが必要になります。

これはまさに、自己を客観視する訓練です。

義務教育のなかでボクたちは
「登場人物の気持ちを考えなさい!!」
「作者の気持ちを考えなさい!」ということを繰り返し訓練させられます。

同級生と喧嘩をしたり、
何かひどいことを言ってしまったときには、
「相手の気持ちを考えなさい」と怒られたりもしたでしょう。

しかし、ボクからしてみれば、
まずはもっと「自分の気持ちを考える」ことを学ぶべきなのです。

自分の気持ちがわからないままで、
どうして他人の気持ちを思いやれるでしょうか?

自分について深く知り、
細かい状態をモニタリングできて初めて落ち着いて客観的に行動することができ、
相手の気持ちを思いやることができるようになります。

自分自身のパターンを把握しておくと、
次に「不機嫌の芽」が出てきたときに
「ああ、これはちょっと不機嫌がきているな」と冷静に感じることができるようになります。

そして、とりあえずその場から離れたり、
不機嫌の芽が頭をもたげるきっかけになった人と距離を取ったり、
いったんその問題から間をおいたり、
という対応を行うことができます。

時間的あるいは空間的な距離をちょっとでも取ることは、
不機嫌の芽へのもっとも簡単な対処法なのです。

「不機嫌がきているな」と思ったら、
トイレに行くだけでも、人は落ち着くものです。

実際に用を足してもいいですし、
手や顔を洗うだけでもかまいません。

元の場所に戻るときには
「あ、自分の中の不機嫌の芽は摘まれたな」と実感できるはずです。 


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