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№776 ボクは異常なのか?正常なのか?の境界線

あなたは、自分のことを精神的に正常だと思いますか?

ちなみにボクは、
この質問に即座にイエスとは答えられません。

自分にも、他人から見ればおかしい考え方や、
違和感のある感じ方などが普通にあると思っているからです。

異常の定義って、めっちゃ難しいと思います。

好意的に見れば個性ととらえることもできる訳ですが、
たとえば「思慮が足りない」は、
「頭でっかちではなく、行動力があるよね!」
と言い換えることもできないわけではないです。

周囲から見て、
このような解釈の修正ができれば、
異常という言葉を使うのは言いすぎでしょう。

しかし、100人いればほぼ全員が「これはおかしい」と判断するような、
明らかに「異常」と判断せざるをえない場合があります。

重度のうつ病では「自分は貧困にあえいでいる」という、貧困妄想に陥ったりします。

潤沢な資産や貯金が事実あっても、
しかも通帳残高を見せつけても、
「わたしは破産する!」
「そんな書類は捏造だ!」と頑固に妄想を信じ込み、
自分の考えを訂正しようとしません。

これは、正常の領域を逸脱した異常と判断せざるをえない例です。

さらに正常・異常の評価を難しくしているのは、
0か100かの二択ではないことです。

正常と異常との中間領域ともいえるような状態は意外に少なくないのですが、
天気予報の降水確率のように異常度40%などと、
もはや数値化できるものでもないのです。  

過酷な環境は、正常だった人を異常に変え、
かつ異常とは何かという判断基準に動揺を与えるのです。

その例として、
ナチスの強制収容所から奇跡的な生還を果たしたユダヤ人の精神科医、
ヴィクトール・E・フランクルは、
名著『夜と霧』の中で、次のように述べています。

「異常な状況では異常な反応を示すのが正常なのだ。精神医学者の立場からも、人間は正常であるほど、たとえば精神病院に入れられるといった異常な状況に置かれると異常な反応を示すことは、充分に予測できる」

このような過酷な環境ならずとも、
異常と正常とを区別する判断力は哲学的な思索へとボクたちを導いてくれます。

他人によって外部から見られる自分と、
自分から見た自分とのギャップも、
正常・異常を考える際は必ず生じる問題です。

自分ではおかしいと思っていても、
他人から見ればいたってまともという場合もあれば、逆もあります。

そして社会的に問題になるのは後者、
すなわち自分では正常と思っていても、
他人から見れば異常という場合です。

もっとも闇が深いのは、
この「自分で気がついていない」部分です。

「お前はすぐに感情的になる」と言われてムッとするならば、
多少は自覚があるということなのかもしれません。

しかし他人から指摘されて、
まったくピンとこない、
あるいはムッとする域を超えて、
反省なく拒絶し激怒するようであれば、
異常の範囲に入ると考えるべきなのでしょうか?


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