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『選挙の嘘』に惑わされてはならぬ

「シルバー民主主義」とは、少子高齢化が進む先進国などで、高齢者が有権者の多数派となり、政治への影響力が増すとされる現象。日本の場合、1950年には全有権者のうち若者世代(20~30代)の割合は50%を超えたが、2015年には30%弱まで低下。逆に、高齢世代(60歳以上)の割合は14%から40%に上昇。2050年には、有権者の半分以上が高齢世代になると予想されている。

「シルバー民主主義」は悪者なのか 若者だっていつかは年を取る

選挙投票は、歳相応に投票するようになるだけ

シルバー民主主義なる概念を、選挙の投票率と連動させ、高齢者しか選挙に行かない、マニフェストが年金等を含め高齢者向けになっている等という煽りがあるが、嘘だ。
そもそも選挙権は、高齢者になっていきなり渡された物ではない。成人になったら、日本国籍を有する者には与えられる『権利』だ。
若者が投票しないから投票率を上げたい、そうすれば政権交代も等という詭弁も良く耳にする。

便宜的に、高齢者を60歳代とする。
上記表によると、令和3年の、直近の衆議院選挙の60歳代の投票率は、72.04%。
ではその60代が30代だった、平成2年の衆議院投票率は、果たしていくつだったのか。
75.97%。現在と大差がない。実際、70%台で、ずっと推移しているのがわかる。
つまり、高齢者が選挙に行くのではなく、選挙権を得てから、継続しているだけなのだ。
同じ投票率の推移では、20歳代が少ない時代でも、歳を経るに連れて、投票率は大きくなる。学校を卒業して働き始め、給料を得て結婚し家庭を持ってと、人生の年輪を重ねながら、投票率も上がる。若者の選挙離れ等、当然の話。その年齢では選挙や政治に興味がないのだ。
日本史の知識を知らずに修学旅行で京都に叩き込まれても、中学生からしたら、ただの古い寺ばかりでしかない。皆、類似の話は経験しているだろう。実際、筆者もそうだった。平家物語等を知り勉強した上で京都を訪れると、まったく印象が変わる。
社会人になって、生きる事の酸いも甘いも経験し、その上で誰に投票するのかを考える。これはある意味、健全だと言えるに違いない。数字は嘘を付かない。若者が高齢者になるにつれ、投票率が上がる。何らおかしな点はない。

選挙に行かないのは、委任と同じ

選挙をボイコットしようとか、投票棄権が意思表示だと聞く場合がある。色々な信念に基づいて訴えているのだろうが、選挙に行かないのは、選挙結果を委任するのと同じ。
投票のくじ引き決着の多さを知っていれば、ボイコット等と、言える筈がない。ひとりでも多く有権者の支持を得たら、議員になれるのだから。

投票数が、同数で、それが最後のひとりとなったら、くじ引き決着。
田舎の村会議員選挙ではない。普通に政令指定都市の議員選挙でも珍しくないレベルで起きている。
一票でも多く得れたなら、当選。
一票の価値は、確実にある。万の中に埋まったとしても、自分の一票が入っていると言えるだけでも違う。
筆者は選挙権を得てから、どんな選挙でも棄権をした事がない。与えられた権利は、履行してこそ価値があると思っている。そもそも、投票する行為と、投票の結果は、同じではないのだから。

若い方々が投票に行かないと、政権交代できないという論理

一番の大嘘だ。
90年代と10年代に、大きな政権交代が、選挙の結果で示されている。
その90年代の投票をした若い方々が、今は高齢者なのだ。少なくても、二度は、保守勢力では駄目だと示した。今の高齢者投票者は、政権交代を二回、させているのだ。
結果、変わっても大差なかったので、元に戻っただけ。映画『仁義なき戦い/代理戦争』の有名な台詞と同じだ。
「知らん仏より知っとる鬼の方がマシじゃけの(元は「知らぬ仏より馴染みの鬼」)」
有権者は蒙昧ではない。マニフェストが詐欺罪に問われないなら、責任のない空手形と同じだと、もう知っている。

選挙に勝る民意は、なし

数字は嘘を付かないが、世論調査はあくまでも参考とするべき。いくら今の世論はこうだと示しても、そこに恣意的な情報操作がないとは言えないし、選挙を超える民意としての道具で世論調査が使われると、選挙の意味がなくなる。
それに、報道では簡単に『世論調査』と表現するが、果たしてそれは、正しいのか。

内閣府が実施する世論調査と、報道機関が行う世論調査は、まったくの別物だ。
選挙で民意を示す前の代用というスタンスなのかもしれないが、それはあくまでも判断材料のひとつであって、その調査に何等かの力や権力は、ない。逆に世論調査が選挙結果よりも優先するならば、選挙は不用になる。それは民主主義とは言えまい。
しっかり自分の一票を自分の意志として示す。それが、選挙。

(終)

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