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あの人が会社を辞めた理由

「○○さん、雇用延長しないらしい。」
「家が遠くて通うのが疲れたと本人は言ってるけど担当装置の開発外れたことが原因なんじゃないか」

と、パソコンに向かってるおれの近くでえらい人が喋ってる。
定年を過ぎてから再雇用される形で働き続けている人を今の会社に入ってから何人かみた。
みんなそれぞれいい意味でも悪い意味でものびのびやってるなという印象で、そういう人は可能な限り働くものと思われていて、自身の希望で契約を延長しないというのは珍しいらしい。

その人は長年一人で担当してきた装置があった。それはいろんな所で使われていて、メインの部品が製造されなくなったこともあり、再度設計しなおす必要があった。
その人が数年かけて再設計した装置の品質は悪く、とてもそのまま出せる状況じゃなかった。

仕事の仕方にも問題がありさすがにまずいからと、その人は担当から外れて他のメンバーで再度設計をしなおすことになった。

長年担当をし続けて、数年かけてつくったものが否定され、担当まで外される。

そういうことがあったから辞めてしまったと周りの人は想像して、おれもそうなんだろうなと思っていた。

そんなおり「居るのはつらいよ」を読んで、きっかけはたしかにそこにあったとおもうけど、辞めた理由は違うのかもしれない。そう言う発見があった。

開発は「する」ことがたくさんある。するといっても、考えること、決めること、種類はたくさんあり毎日時間に追われるような日々がほとんどだったりする。

開発から外れたその人は工場で製品を量産していた。そこにも同じく「する」こと自体はたくさんある。けど、そこでは手が動いているけれど脳の負荷が少ない作業も多い。身体的には「する」ことだけど、思考としては「してない」時間も多くてそのときは「いる」にかわる。

手を動かしながら脳の負荷が下がったとき、つまり「する」から「いる」にかわったとき、その人は何を考えていたんだろう。
開発を外され、なんとなくまわりで自分のカバーをするために多くの人があーだこーだ言っている空気を感じ、時には文句も聞こえてたんだと思う。
その人が開発を離れて辞めるまでの一年間、自分では想像できないけれど、職場に「いる」ことは相当しんどいものになったんじゃないか。

「居るのはつらいよ」を読む前であれば、点での苦しみしかみえていなかったけど、「いる」ことの苦しみは想像できてなかった。

おれがその人に「いる」ことに対するケアできてれば違ったのかな、なんてことは全然思えないくらい、引き継いだ製品には苦しめられているけれど、終わりがこんな形なのは少し悲しいなという気持ちを感じてしまう。

おわり。

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