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死る旅とは人々の優しさに触れ、感謝の念を積み上げた道標である

新著「死る旅」出版記念記者会見は、重々しい空気の中始まった。

事故物件住みます芸人、松原タニシ氏がメインMCを務めるネット配信番組「松原タニシのおちゅーんlive!」(以下おちゅーん)内で、番組視聴者が記者となり、タニシ氏に質問を投稿する企画であった。

番組序盤、氏の口からは度々、反省の弁が述べられた。

出版記念会見のはずがまるで謝罪会見のようで、そこに芸人松原タニシの姿はなく、作家松原タニシが節目がちに、時折前を見据えて当時の状況を淡々と語っていた。


おちゅーんでは、タニシ氏が原稿の締め切りギリギリの際に配信される、押しも押されもせぬ人気企画がある。

その名も「松原タニシのカンヅメ」

原稿が書き上がるまでスタジオから帰ることが許されず、執筆風景は元より、食事、睡眠といった全ての状況がリアルタイムで配信される。

過去2作、恐い旅(※①)と恐い間取り2(※②)はこのタニシカンヅメで何とか形作られてきた経緯がある。
(※①松原タニシのカンヅメ 2019/4/6〜4/9…+α配信
※②松原タニシのカンヅメ2020 2020/3/28〜4/4配信)

序盤での逃亡シーンは最早、タニシカンヅメの風物詩といって過言ではないだろう。


死る旅の冒頭、読み進めていた筆者は思わず「逃げてる…」と独りごちた。
処女作にしてベストセラー、映画も大ヒットの代表作「恐い間取り」
この執筆中においても氏は逃げていたのだ。

行き着いた先は高原ビールと山盛り海鮮丼。
さぞかし美味かろうと思いきや、やはり頭の中は未だ書き上げられていない原稿で埋め尽くされていたのだろう。

4月のこの地域といえば、真鯛に金目鯛、シラスに桜エビが旬なのだが、氏が食したという海鮮丼はサーモン、イクラ、カンパチ、マグロ、ホタテ、海苔、わさび…と至ってシンプルだ。

いかなリーズナブルな海鮮丼といえどそこは海の街の矜持、旬の魚のどれかを口にしているはずなのだが、覚えている様子がない。 

書き上げなければならない罪悪感を払拭すべく一心不乱に掻き込み、高原ビールで流し込んだのだろうか。
看板を目指して食べに行ったとのこと、観光気分で舌鼓を打っていた可能性もなきにしもあらずだが、この逃亡劇が後の大ベストセラーに繋がるとしたら、山盛り海鮮丼と高原ビールは当時のタニシ氏にとって必要なものだったのかもしれない。

「心ここにあらず」
この状態は我々視聴者も幾度となく目撃している。

おちゅーんではメインMCの立場であるにも関わらず、冒頭の告知を最後に口を開くことなく、ラジオ関西にてパーソナリティを務める「松原タニシの生きる」では「自分が何を言ってるか分からない」と、松竹芸能の後輩芸人であり共演の兵頭裕氏(元カブレラ)を困惑させている。

執筆中といえど、芸人としての仕事は容赦なくやってくる。
多忙を極め一時心を亡くしていたのか、脱稿後は周囲から「タニシさんが戻ってきて良かった」との言葉を掛けられたという。


本作は「怖くなくなってしまっている」
という旅の行程であるが、いわゆる心霊スポットに赴き歴史的観点からその土地や携わる人物、祭事や風習を非常に丁寧に掘り下げている。
表面的には点であるはずの歴史上の人物が、線で結ばれるという発見にまで至っている。

オカルトは元より歴史探訪記としての色合いも濃く、この綿密な文章がアパホテルでのセルフカンヅメの成果であると思うと、非常に感慨深い。
普段のタニシ氏からは窺い知ることのできない、抒情的な表現が随所に織り交ぜられていて心に訴えるかけるものがある。
こういった多情多感な文章が、読者を死る旅に誘う力を秘めているのだろう。



また、現地では様々な人々との交流を図ったという。

7/9 おちゅーんにて配信された
【松原タニシ最新刊本日発売記念】
『死る旅』に登場する"あのスポット"から生中継!内でタニシ氏は、
「いい人ばっかりでしょ?死る旅に出てくる人、全員いい人ですからね」
と、顔をほころばせながら言った。
初めて出会った人、元々周りにいた人、こういった人々の暖かさを知り、改めて感謝することを知る旅だったようにも思える。

執筆中の自らを「醜い自分」と吐露する。

人間性を無くした醜い自分がこうした人たちを傷つけることこそ、彼が本当に怖いものなのではないだろうか。


5年後に全てを失うかもしれないと告げられた。

そのラストイヤーが2021年、つまり今年である。
次回作の構想について訊ねられたタニシ氏は
「もし書かせて頂く機会があるのなら、今はまだ空っぽの状態ですが、来年生きていたら書かせて頂きたいです」と述べ、この記者会見は幕を閉じた。


未だ収まる気配を見せない感染症により行動は制限され、また多忙の身ゆえ、これまでのように全国を飛び回りネタを収集することは容易ではないだろう。
しかし、そんな状況だからこそ生み出される作品に、我々は期待せざるを得ない。
まだまだ旅の終わりを見せないで欲しいと願ってやまないのは、一ファンの心情である。

(でんでん)

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