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小学2年生の日に

この絵は小学6年生の時に描いたものです。日本の戦闘機が他国の戦闘機を撃ち落とす場面を空想して描いたものです。

孫が小学2年生なんですが、ちょうどその歳の時に私の父が支那事変(今で言う日中戦争)に出征しました。でも、私はまだ幼かったので事の重大さが良くわからず、近くの多摩川で遊んでばかりいました。今考えると、非常識に感じますが、今の子供が戦いごっこをするのと同じ感覚で、よく戦争ごっこをして遊びました。

とは言っても、父のことが心配で、父の代わりに厳しい労働を強いられた母が不憫でならず、早く働いて家族を助けたいという思いで、幼いながらに早く働かなくてはと焦りを抱いていました。

当時のことを語る時、なかなか伝え苦しいというのがあります。何故かというと、一つは戦争というのがあまりにも複雑なもので善か悪かというような簡単に話せるようなものではないことがあります。浅はかな知識で語ってはいけないような気がするのです。でも、戦争体験者が亡くなっていく中で、せめて家族にだけでも当時を語る必要性を感じるこのごろです。(小生、85歳、今頃になって遅いか・・・)

もう一つは、日本人の性格と言うか、あまり過去の苦労を人に話すのは思いはばかれるというのがあります。人それぞれ苦悩して人生を歩んでいます。外から見れば大小あれど、悩みというものは尽きないものですから。

でも、これだけは声を大にして言いたい。

戦争に行った人の中に、善人も入れば悪人もいました。それは今の我々と同じです。その中に、家族や国の未来を真剣に思っていた人物がいたんです。大勢をみれば様々な意見がありますが、自分の親が戦争に行って戦ったということは誇りにしていいと思うし、感謝しなくてはならない。

その想いをそう易々と絶やしてはならない。

長生きして、大きくなった孫たちに話そうと思います。曾おじいちゃんたちがいたから、今があるんだよ。そのことを自分の子供にも伝えて欲しいんだよって。