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言えなかったことと「信頼」

「気が長い」「我慢強い」「やわらかい感じ」「おっとりしてる」「献身的」「穏やか」

普段のわたしはこう言われることが多い。
しかし、昔の本性は違うかったと思う。
だからこそ、そのような態度を取ってきたのだろう。

スポーツを本気でしてる時って本性が出ると私は思っている。

私はけっこう感情的だ。

今ではだいぶ大人になったけど、部活してた当時の私はひどかったと思う。

思い通りにいかないと嫌。
すぐキレる。やる気なくす。雑なプレイをしだす。怒られる。無視する。
ワンマンプレー。
顔が怖い。喜ばない。
ぶつかられると「痛ってぇな」と言う。

果てしなく幼稚だった。

正直そんな自分が嫌で仕方なかった。

本当は途中で交代して気持ちを落ち着かせて立て直したかった。
「ベンチに下げてください」と言うかずっと迷っていた。
なんて贅沢な要求なんだ。
でも言えなかった。

わたしは「いい人」になりたかった。
その方が素敵でかっこよくて、みんなにも好かれて、成果も出せると思ってたから。

だから、そんな自分の「嫌な部分」が顕在化してしまうバスケをしてる時は自己嫌悪がすごかった。

自分は試合の中で弱い自分を乗り越えないといけない、じゃないと諦めたことになるんじゃないか。と思っていた。
くそまじめだった。

結局良かったのか良くなかったのかはわからない。
言わなかったことだから。

あんな態度で試合してても顧問は私をベンチには下げなかった。
それは、そうせざるを得なかったのかもしれない。
けれど、どこかで私のことを信頼してくれていたのかもしれないと今なら思う。
いつも試合の重要な場面をわたしに託してくれていた。

顧問とはケンカもしたけど、今思えば信頼もしてくれていたんだなと思う。

なんか色々と後悔が出てくる。
でも過去は変わらん。

これから自分はどういう形で生きていくのがいいのだろう。
この経験になにかヒントがあるような気がする。

その信頼はどこから生まれたのだろう。

成果に対して努力する姿勢、勝負所での強さ、勝ちへのこだわり、自分で考えて動く力、そういうところを全部見ていたのかもしれない。

顧問に努力を褒められた時は嬉しかったなあ。

最近は見失っていたけど、それが本来の自分の良さだったのかもしれない。
強みは「信頼されること」

人に振り回されたくないから、と自分のことばかり考えるようになっていたけれど、やっぱりコアにあるのは「信頼」なんだと思う。

信頼される人でありたい、そう思いながら生きていた。
そして信頼することを覚えた。
ただ単にいろんな人にいい顔するんじゃなくて、共に目指したいところがある人と信頼し合うこと。
それがこれからのわたしのあり方なのかな。

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