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おかん。
昨年、10月頃よりスタンドエフエムを始め音楽配信をやっております。
歌うたいの端くれとして、オリジナル曲を収録していまして。
おかげさまで、フォロワーの方も200人を超えてきました。
今夜配信した曲は、「母への手紙」
この曲の作詞は、地元の先輩であるジャズギタリストの嶋尾竜二さん。
ぼくは、作曲をさせていただきました。
歌詞の内容は、
亡くなった母親の歳を追い越していく自分が、足の悪かったか弱い母親を天国で背負って旅をする。
と言った手紙の内容で、なんとも泣けるストーリーに仕上がっている。
そこで、ふと自分の母親のことを考えてみたのですが、似ても似つかぬその容姿に愕然としてしまいました。
おかんの四股名はなんだ。
今でも、思うのです。
おかんには、本当は四股名があるんじゃないかと。
幼少期から、テレビで曙を見るたびに「おかん?」と連想していました。
体型がカブると言いますか・・・
足は細く、球体のように膨れがった腹部を支えるにはあまりに無理があるのでは?
そんな「Ms.アンバランス」な母親でして。
「歌詞に出てくる親御さんは、きっとスマートな方だったんだろうな」と歌いながら思っていました。
ある種、切ない気持ちが演出できたようにも思います。
おかんは実は、結婚する前は元女子相撲取りで、父親はおかんのファンで?などと頭を過ぎる日がありました。
となると、部屋はどこだったのか?まさか、高砂部屋一門なのか?
待てよ、おかんにも四股名はあったのか?
奈千子山?いや、奈千ボノ?もしくは、奈千子(本名)のままか?
未だ、真相はベールに包まれたままだ。
おかんの出産話。
今でも時々おかんは、僕ら兄弟を産んだ日のことを話すときがある。
「聞いてもいないのに」だ。
確かに、出産は女性の人生にとって一大事で、忘れることはできない瞬間なのはわかる。
しかし、ぼくも弟ももういい歳だ。
40を過ぎたおじさんだ。
そろそろやめて欲しいが、そうは言えないまま40年間も母親の出産の話を毎年、年末に聞く羽目になるのだ。
おかんは、そんな神聖な話の時も必ず言うことがある。
「弟は難産だった。あんたは口から産んだ」
このセリフを吐いた後は、いつも一人で高笑いをしているのである。
その姿を僕たち兄弟は、鉄仮面のような表情で見つめている。
それもそのはず、この儀式はかれこれ40年も続いているのだから。
しかも、「なぜ、ぼくを口から産んだというのか」の丁寧なエピソードも忘れることはない。
あんたは、いつもおべんちゃらを言っては近所のおばさんたちを喜ばせていたわ。小さい頃から、とにかくおしゃべりで。
当時、母さんには喧嘩していた近所のおばさんがいたの。
ある日、あんたはその人までも喜ばせて、しまいには私らの仲を取り持ってまでくれたわ。
知らんがな。
だいたい、その根拠なきエピソードで、ぼくを口から産んだという40年物のビンテージギャグに、誰も笑っていないことに気付いてくれ。
頼む。おかん・・・
おかんの入院
そんなおかんが、5年ほど前に病に倒れた。
いつも元気が取り柄で、もっと言えば元気しか取り柄がない母親が40度の高熱で意識は朦朧としていたのです。
母は父と二人で実家に暮らしているのですが、その日慌てた父が、ぼくに電話をしてきました。
「おかーさんが高熱で動けないんだ」
車で病院へ連れていくよう父に指示をしたのですが、「一人では無理だ」
と。「では救急車を呼んで」と指示するも「おかーさんは救急車だけは乗らないと言っている」という。
なんともわがままなお方だ。
今考えてみれば、救急隊員に担がれることが嫌だったんだろう。
それもそのはず、父より一回りデカイからだ。
とは言えこのまま放っておくと、父は無理をして母を担ぎ上げ
まるで、平成3年の11月場所の曙VS舞の海の状態になるのではないか!と思い足早に実家に向かいました。
![曙](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/70560116/picture_pc_6697ca8c08ab0d43311f6e063e9ff1ba.jpeg?width=1200)
父と二人掛かりで「女版曙」を担ぎ、なんとか無事病院へ搬送することができました。
何やら尿道からばい菌が入り、もう少し遅ければ他の臓器へ転移していたらしく、危険な状態だったようで。
病院で即入院を余儀なくされ、なんとか一命を取り留めました。
考えてみれば、あのK-1選手のアンディーフグだって病気には勝てなっかったし、この世に不死身な人なんていない。
巷では、「横綱」の名をほしいままにしてきた母ですが、初めて土俵際に追い込まれた母を見て、「歳をとったな」と思わされた瞬間でした。
まとめ
「他人のまわしで相撲をとるな」と母はよく言っていました。
確かに自分のまわしで相撲をとってきたであろう母ですので、その体格からは説得力しかありませんでした。
今では減量はしたものの、土俵に上がり続ける母を尊敬しています。
そろそろ、引退してもいいのでは?と兄弟共々話していますが、断髪式をする様子も未だなく、30年以上も油にまみれてうどん屋に勤めています。
どっちがうどんなのか?と目を凝らすときもありますが。
引退して、年金で父とセカンドライフをゆっくり過ごして欲しいなと切に願います。
今夜のスタエフ配信は、そんな母を思う収録になりました。
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