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つづけ宇宙のボンクラに「フラッシュ・ゴードン(1980)」

「マイティ・ソー バトルロイヤル」を観た者の脳内には、「移民の歌」の残響が鳴り続ける。それが世のさだめだ。

デンデデデデッデ
デンデデデデッデ
デンデデデデッデデンデデ
アアアーーーーーーア!
アアアーーーーーーア!

 無論おれも例外ではなかった。映画が面白かったので、しばらくニューロン内でヘビロテして余韻を味わった。そうするうち、かすかに別の曲が重なっていることに気づき、おれは耳を澄ませた。するとどうだ。

デンデンデンデン
デンデンデンデン
デンデンデンデン
デンデンデンデン
フラッシュ!(デーン)アアーーーッ!

 それは「フラッシュのテーマ」だった。あの輝かしきマーベル・シネマティック・ユニバースに、“あの”「フラッシュ・ゴードン」のミームが混入していたのだ。


あの頃おれはわかっちゃいなかった

 むかし地上波TVでフラッシュを初めて観たキッズ時代のおれは、「あの最高なスターウォーズに比べるとケバケバしくて古臭くてエロくて安っぽいし、そもそも全然リアルじゃないな。音楽はかっこいいけど」ぐらいにしか思わなかった。全然わかってない感想だ。あのぶっ飛んだビジュアルの旨味を味わう眼力がなかったのだ。

 いま見るとセットや衣装の凝りようが凄い。安っぽいどころではない。皇帝宮殿のシーンなど、贅沢ギラギラ大空間に贅沢ギラギラ衣装の登場人物がひしめく絵面が目に楽しく、飽きが来ない。そこで行われたのがアメフトだとしてもだ。
 全然リアルじゃないSFXやクラシックすぎるメカデザイン、やたらスパイシーな女性キャラにしても、かつての連続活劇映画やコミック版の再現を狙った結果であり、統一されたアトモスフィアが心地良い。

 思えば、アバンタイトルで異星皇帝が操る天変地異マシンに「EARTHQUAKE」だの「HOT HAIL」だの英語で書いてある時点で、「このくらいのリアリティラインで行きますよ」とはっきり宣言されていたのだ。過激なまでに低いラインだ。1930年代の作品をほぼそのまま80年代に復活させたのだから、まあ当然の結果と言える。
 そのラインをくぐり抜けて映画の世界に飛び込むには、相応の度量もしくはボンクラ感受性が必要で、当時のおれには正直無理だった。フラッシュゴードンエピソード9とかが公開されてないところを見ると、世の人々の相当数にも無理だったのだろう。

 その後もおれはいろんな宇宙SF映画を摂取し、いろんな味を確かめていった。スターウォーズみたいな味のやつ、スターウォーズとは違うけど旨いやつ、あんまり味のしないやつ、一口食うのもためらうほど怖いやつ、小粒だけど舌にピリッとくるやつ……そしてある日、再び地上波に乗ったフラッシュを何気なく口にして、咀嚼し、思わず呟いた。「旨味が……ある……」と。

 かくしておれはフラッシュを愛するようになった。だが真実はさらなる先にあり、そこに辿り着くにはなおしばらくの歳月を要した。


クイーンがボンクラを神話にする

 おれは大人になってIMDbやWikipediaといった文明の利器を手に入れ、この映画の脚本家がTVショウ版「バットマン」を手掛けていると知った。

デデデデデデデデ
デデデデデデデデ
バットマーン!

 のアレだ。コミックの低解像度をそのまま実写に落とし込むやり口だ。

 なるほど確かに本作の解像度も低い。主人公フラッシュは相当気合の入ったボンクラで、基本的に状況に流されてわちゃわちゃするだけだ。だが知らぬ間に物事がなんかうまく転がり、最終的に宇宙の救世主にまで登りつめてしまう。

 その過程で彼に降りかかる困難は、だいたい難易度EASYだ。底無し沼は浅く、毒虫には刺されない。燃える空中都市にひとり取り残されても、偶然置いてあった一人乗りロケットサイクルを偶然発見するので問題ない。
 たまにHARD案件に出くわせば、誰かが勝手にサポートしてくれる。男も女もフラッシュに関わるとだいたい惚れてしまうので(あろうことか悪の皇帝にまで惚れられる)救いの手には事欠かない。

 皇帝との最終決戦などEASY案件の最たるものだ。ヒロイン以下その場の全員が余裕で逃げおおせたフラッシュのゆるゆるカミカゼアタックを、ご丁寧に皇帝だけが真正面から喰らってくれる。THANKS FLASH(ありがとうフラッシュ)……。

「まあいいじゃんマンガなんだし難しいこと言わずにスカッとしようぜ」的アトモスフィアが全編を覆っている。無論それはそれでストレスフリーな楽しさはあるのだが、大人が子供のコミックごっこに付き合っているようなもので、ひとつ間違えれば映画全体がお遊びめいた半笑いに毒されかねない。

 それを中和してお釣りが来るのが、クイーンのサントラだ。

 かようにボンクラな主人公フラッシュを、フレディとその仲間たちだけは100%本気で英雄扱いする。人並みの勇気しか持たないただの男、だが決して挫けない純粋な男こそが、宇宙の救世主たり得るのだと。
 100%本気の楽曲が鳴り響くたびに画面はドーピングめいて引き締まり、なんとなくの勝利が約束された半笑いの戦いに、わけのわからぬ祝祭感をもたらす。特に語るべき自我を持たない空虚な主人公はクイーンの後ろ盾を得て、人々のアンタイセイパワーを吸い寄せる台風の目と化す。

 これは聖なるボンクラの神話だ。

 ソーに触発されて廉価版DVDを買い、人生何度目かのフラッシュを摂取している最中、おれは突然その真実に気付いた。
 なるほどそうなれば話は違う。件のゆるゆるクライマックスも、皇帝があそこで倒れる方が神話的に正しいからああなったのだ。「海が二つに割れるなんてリアルじゃない」とモーゼに文句を言うような野暮はやめて、ボンクラなりに難易度EASYをクリアした英雄を讃えるべきだったのだ。THANKS FLASH(ありがとうフラッシュ)!

 そして……エンディングを迎えたおれにフレディが歌いかけた。「次の英雄はおまえだ」と。真実を知ったおれには、ようやくその意味がわかった。フラッシュがボンクラなら観ているおれもボンクラだ。そしておれだけが、まだ何者にもなっていないのだ。

 おれはたまらず外へ飛び出し、大地を踏みしめ、胸に手を当てて無限の星空を見上げた。ソーのワイティティ監督や、ハッパ中毒の縫いぐるみとそのダチや、縫いぐるみの中のマクファーレン監督や、ひょっとしたらGotGのガン監督も、かつて一度はそうしたはずだと信じて。


せっかくなので姉妹作の話も

 実はフラッシュには腹違いの姉がいる。彼女の名はバーバレラ。共通の父親はディノ・デ・ラウレンティス。かの「コナン・ザ・グレート」を製作した真の男、偉大な映画プロデューサーだ。

【注】青少年のなんかが若干あぶない【意】

 よほど父親の遺伝子が強いのか、この姉弟には共通点が多い。目に楽しい衣装やセット。フェイク感を隠さないSFX。ある意味本編よりクールなオープニング。主人公を含めて女性キャラがスパイシー。ジョークまじりで展開する難易度EASYの冒険……。

 だが、サントラの立ち位置は真逆だ。
 バーバレラは子供の遊びではなく、むしろ子供を寝かしつけた大人が嗜む性的悪ふざけだ。ホットなベイブ(監督の当時のワイフにして4年後のアカデミー女優)が60’s美意識あふれる未来世界を右往左往し、ホットなコスチュームを脱いだり着たり破かれたりする艶笑SF与太話。楽曲はそれを100%悪ふざけのまま肯定し、いい大人の鑑賞者(おれだ)に一種のアリバイを与えてくれる。リビングで家族と観るには、それでも若干の覚悟を要するが。

 いまやそれはSpotifyできる。

  ミームを同じくするボンクラ姉弟を正反対のアトモスフィアで成立させる、ふたつのサウンドトラック。主役名連呼系テーマソングの聞き比べだけでも楽しいので、ぜひご一聴を。

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