映画を観た記録75 2024年3月31日    小林正樹『東京裁判』

Amazon Prime Videoで小林正樹『東京裁判』を観る。

大作約4時間半。

膨大な貴重なニュース映像資料を編集して作り上げられた現代史のドキュメンタリー映画の最高傑作と言える。

本作品を観て、やはり、東京裁判は茶番だったのか、私は強く新たに確認した。キーナン検事とマッカーサーの当初の目的が天皇ヒロヒトの免責であり、そのための東条証言を引き出したのである。しかし、東条は、日本国民は誰一人として天皇に逆らえないという「失言」をしてしまう。そのため、天皇を被告とまではいかないが証人として法廷に出すべきだという判事のウイリアム・ウェッブはその言葉を離さなかった。しかし、結局は、天皇ヒロヒトは訴追にならなかった。私が東京裁判は茶番であるというのは天皇ヒロヒトが免責されたことが茶番だと言っているのである。ウエッブ判事は、少数意見として、ウェッブ判事自身の意見として、たとえ、周りが天皇に進言したとしても立憲君主国の君主責任がある、と述べているのである。私はウェッブ判事の意見に同意する。注目のパル判事の意見は、日本人が都合よくとるので、私は評価はしていない。パル判事は、裁判そのものが、当初から侵略であると決めつけて進行していたことに対し、抗議の意味で大日本帝国の被告どもを無罪と述べたにすぎず、実際は、彼らは正当ではない、有罪とパル判決ノートは書き記しているのである。

判決を宣告する被告たち一人ひとりの映像も記録されているのが観られる。

ほかに、BC級戦犯の名も知らない旧日本兵の絞首刑シーンまで映像として残っており、それも観られる。

徳田球一と志賀義男の牢獄にいる映像まである。

戦中、戦後の貴重な映像が大量につなぎ合わせられ、一大モニュメントである。

本作は、貴重な現代史の史料として、公教育機関で時間をかけてもいいから見せるべきだ。

それにしても、ローガン検事が述べた言葉に私達日本人の弱さが表現されているとわかる。「被告たちはナチスのように犯罪を磨きあげたのではなく、その意味ではナチスとは違うタイプである、だからこそ、刑を厳罰にしなければならない。」と。

この発言こそ、日本人の本質である。

我々は、ある状態を確信を抱き、主体的に操作するのではなく、周りにずるずるとひきこまれ、知らぬ間に悪に染まっているのだ。

その意味でいえば、近衛文麿も木戸孝一もそうなのだ。

そして、天皇ヒロヒトがその最大の人物である。

音楽は武満徹。

編集は浦岡敬一。

記録映像の最高傑作である。

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