映画を観た記録67 2024年3月17日    ジャン・リュック・ゴダール『女と男のいる舗道』

Amazon Prime Videoでジャン・リュック・ゴダール『女と男のいる舗道』を観る。

ビリヤード台があるカフェでのアンナ・カリーナ演じるナナのダンス・シーンが僕は好きですね。どうやって撮影したのか、とても気になります。

ナナが街頭に立っている画面を真正面から写した画面は自然光を活かした画面で写真のようにも見える。とてもきれいな画面です。

ナナが身長を測るとき、指を二つ折りにして、数える姿がかわいらしい。目をぱちくりして、かわいいのです。

ナナは娼婦なのですが、ベッドシーンはなく、矢継ぎ早に客をとっていく姿を上半身、顔を抱き合っている画面で示される。

カフェで哲学者ブリス・バランとナナは対話するのです。哲学者と登場人物が対話するというアイデアがなぜ生まれるのか、とても不思議です。物語を追っていく映画ではなく、物語を追いつつ、切り刻むような手法がそうさせるのでしょうか。

モノクロの画面はどのシーンも美しく、撮影監督・ラウール・クタールの才能が遺憾なく発揮されている。

ゴダールは、本作品でも後期の作品のような音のブツ切りを試しています。街頭で政治的テロの銃の乱射音のつかい方に後期ゴダールにつながるような手法が見受けられます。

原題は『VIvre sa Vie』。直訳すると「自分の人生を生きる。」ナナはとても自分の人生を生きているようには見えないのです。しかし、自分の人生を生きていたのでしょう。その証拠にナナは「責任」を数回口にするシーンがあります。彼女は自分の人生は自分の責任であることは理解していたからです。

「自分の人生を生きる。」という意味がわかれば、本作品の構成も納得できると思えます。断章をつなぎ合わせる、パスカルの幸福論のような趣を表現しているのではないかと僕は感じるのです。

ナナが『裁かるるジャンヌ』を観て、涙が流れるシーンも美しいです。『裁かるるジャンヌ』と本作品が繋がっているかのように見える見せ方に知的なものを感じます。

本作品は、内省的なゴダール映画ではないでしょうか。

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