EDUTRIP in タイ 2018 Report #1
15日、日本を全員で出発。
香港でのトランジットを経て、バンコクへ到着しました。
マレットファンのクミさん、ムアイさん、ギップさんとホテルで合流。
さっそくタイ料理屋さんへ。タイではビールに氷を入れて飲みます。すべてがおいしい。そして安い…!
落ち着いたところでぐるりと自己紹介を。EDUTRIPに参加したきっかけや「日本以外の教育を知って、視野を広げたい」「マイノリティの教育環境を学んで、日本での人権教育の実践につなげたい」など、それぞれの旅の目的が語られました。
翌日、16日は早起きしてバンコク郊外のマハーチャイ地区へ出発。ここは、タイのエビはほとんどここから、というぐらいエビの養殖が盛んで、その仕事にミャンマーからの移民の人々が多く従事しています。
まずは、ここで移民労働者の包括的な支援を行なっているLPN(Labor Rights Promotion Network)へ。代表のソンポンさんにごあいさつをし、ここから、LPNが関わっている学校や学習センターを回ります。
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最初に訪ねたのは、公立のワットガンプラースクール。幼稚園〜中3までが通い、児童数・608人のうち、半数が移民の子どもたち。
移民の子どもの受け入れをはじめて20年。当初は制度がなかったがLPNの申し出で、貸し教室からスタート。その後県の方針として学校として正式に受け入れることに。現在、タイでは合法・非合法・国籍の有無を問わず、移民の子どもたちの学費はタイ政府によって保障されています。
ただし、小学校1年生に入るには、タイ語で読み書きができることという条件があります。だからこの学校では、進級準備クラスとして、タイ語を教えている。他にも国歌斉唱や目上の人には合掌してあいさつする…といったマナーも条件になっているのだとか。
この「進級準備クラス」には公費は付かず、また年度当初にいなかった子にはその年は制服などの支援がつかないため、予算が足りないところは、LPNが近隣企業と提携して支援プロジェクトをつくり、保障しているという状況です。
保護者の仕事が安定しないために、突然いなくなってしまったり、その後追跡できない家族もいるのだとか…。
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次に、お寺の敷地を間借りして開かれている、ミャンマーの少数民族・モーン族の子どもたちのための学習センターへ。
移民の人たちの中には、タイに定住する人もいますが、ミャンマーに帰るつもりで出稼ぎにやってくる人や、どうするか決まっていない人たちいます。そのため、子どもたちの中にも、タイの学校に通う子もいれば、ミャンマー語でミャンマーのカリキュラムで学習する学校(学習センター)に通う子もいます。
しかし、ミャンマーのカリキュラムの学校でも、少数民族の言葉や文化の学びは保障されません。そこで、モーン族のための学習センターとして、できたのがこの場所でした。
タイ国籍のモーン族ルーツの人が創始者となり、モーン族のためのお寺が場所を提供し、手弁当で開かれているところに、たくさんの子どもたち(120人ほど)が集まって勉強していました。
「移民というマイノリティの中でも、少数民族はさらにマイノリティなんだね…」「民間で手弁当とはいえ、この場所が成り立ってるってすごい」と言った声が参加者から聞こえてきました。
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その後、もう一つ公立学校を訪れ、さらにミャンマー人コミュニティの地域リーダーの女性のお話を聞かせていただいて、LPN事務所へ戻ります。そして、改めてソンポンさんのお話を伺います。
“今から8年ほど前、国際的にもタイ国内的にも「反児童労働キャンペーン」が盛んだった。それで大きな活動ができた部分もある。タイの公立学校が移民の子どもたちを受け入れるようになったのは革新的なこと。それを促進するキャンペーンもやっている。そのための欧米や日本からの支援ももらっている。”
“教育支援が必要なのは、「放っておくと強制労働の対象になってしまう」「虐待を受ける可能性が高くなる」「人身売買の対象になる」といったことを防ぐため。そして教育を受けることで、雇用の対象になることができる。”
“両親移民でタイで生まれた子は出生証明書が出るが、ミャンマーで生まれて後でやってきた子どもは強制送還の対象になる。子どもだけ強制送還されてしまうことも。学校に入っている証明ができれば強制送還を免れる。もし親が非合法の労働者だったとしても、学校は警察に通報したりはしない。学習権優先。”
“タイ人の持っている価値観を変えていかないといけない。自分たちより下に見ている。でも必要としているのはタイ人。一緒に働いている仲間で、その権利の保障は国と雇用主の義務なんだと思ってもらわねば。”
“教育保障によって親は単純労働で来ているが、子どもたちは通訳やマネジメントなどの仕事もできるかもしれない。それによって貧困の連鎖を止める。そろそろ少数派ではあるが大学に進学した子たちが卒業する。ロールモデルになってほしい。”
“10年前の子どもたちは、夢を聞けば「エビを売りたい。お金がもらえるから。」と言っていた。サッカー選手、服飾デザイナー、先生、バレーボールの選手、通訳(タイーミャンマーの)、医療機器の開発者になりたい…という子たちがいる。以前は、将来がイメージしにくかったけれど、学校に行くようになり、将来の計画ができるようになった。論理的に考えるようになった。”
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振り返りでは、日本の外国ルーツに子どもたちや、参加者の皆さんが普段関わっている子どもたちの状況にも触れながら、議論が進んでいきました。
(2018/8/16)