表現は、何をどこまで?

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初めてのnote

読むことはあっても、noteにアウトプットすることは考えていませんでした。

というのも、ブログらしいブログはここ数年書いていなくて。
なぜというと、書きたいことが書けなかったからです。

子供の頃から日記めいたものは書き続けていたので、書くことへの抵抗はほとんどなく、目に見えない世界にも意識を向けて、自身や日常に対峙していると、いろいろな気づきが起こるので、そういったことを書き溜めることも習慣になっていました。

今でいうところのスピリチュアルと呼ばれるものに関わり始め、早28年、スピリチャル系のセミナーを講師として活動し始め18年。当初は気づくことが感動の連続だったので、とてもおもしろく。気づいたことは何でも書いていました。なんでも自由に書けてたなと思います。

書けなくなった

ところが、学びが進んでいくうちに、ある領域の話はシェアできないものが出てきたりしました。そんな中でも、自ら気づいたことではあっても、これは書いていいのか、書いちゃいけないんじゃないか、でもここまでなら大丈夫?とか・・・・・・・

もう~~~!!!めんどうくさくなって!!
なんだかね、かしこまったことしか書けなくなってしまいました。

先日もVLOG始めたばかりですが、これもどこまでアウトプットが出来るのかなとか考えていたら・・またまた悩み始めてしまい。。

「頭の中にあるものを筆に乗せる」ことが、私の書き方だったので、考え始めてしまうと、何を書きたかったのかがわからなくなってしまうのです。

自己顕示欲を満たすために書くことは、とても疲れることだし、考えつくしての表現も苦手なのです。

何というか、自分の内側にいろいろな世界(多次元?)への接点があり、その接点を越えて覗いた世界のことがおもしろいのです。子供の頃は、そんな風に、別世界(別次元?)の中に頭をつっこんで見える不思議世界を詩にしたためていました。

さすがに今となっては、不思議世界ばかりではなく、とても現実世界を生きることが出来ているのですが、いずれにしても、自分の内側にある熱量を吐き出すように表現しないと、身動きが全く取れなくなってくるのだとようやくわかりました(苦笑)

アウトプットって何だ?

インプットされた内容が仮にシェアに制限があったとしても、いったん自分の中に入って、「わたし」というブラックボックスからアウトプットされるときには、それは「自分らしさ」と言うべきものですよね。

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もちろん、個人情報や著作物などシェアしてはいけないものの判断も配慮もできるので、基本なんでも書いてしまえ!とふっきれました。

自分の表現は他人のものではない!

私は自分のために、自分の表現のために書くのだ。
当たり前すぎる原点にようやく戻れたかしら。

そんなこんな。
今後ともよろしくお願いいたします♪。

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