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キャンプにおける意味のイノベーション②

ども、デロです。


そして、翌朝目覚めると、なんと、雪だった。



幕内のWAQ 2WAYフォールディングコットから見た景色は、キレイでキンと冷えて、何というか、こういう事をさらりと言うたちではないのだけれど、


素晴らしい朝だったw


年齢を重ねるごとにキャンプの素晴らしさは朝だな、という思いを強くしている。

ただ年々一歩づつじじぃになっているだけかも知れないけれど

↑全く想定していなかったので、朝からギョッとした


ここは、兵庫の山奥なのだ。

↑晴れなら、雲海を眺める予定だったのだが...



膀胱に並々ならぬ尿意を感じながら、自然の摂理とは、常に偉大だな、とありきたりに考える

何というか、こんな事を決して言うたちではないのだけれど、


テントがまるで洋菓子のように見えたw



人は何故雪の中でキャンプするのか。これはまさに作り手が意識すべき、意味のイノベーションではないか、と考える


↓ベルガンティ教授のこの記事に深い共感を覚える


例えば、 

キャンプをするためのテントをモノとしてイメージするのではなく、テントで寛ぎ、キャンプを深く楽しんでいる人をイメージする。

更に、

テントの張りやすさを目指す考え方ではなく、テントを張るお父さんの時間を少しでも子供との遊びに充てるにはどうすればよいか、を考える。テントを企画しながら、人の時間にフォーカスする。

モノのアップデートではなく、全ての主語を人に置く。人にとっての新たな価値を徹底的に考える。

それがデザイン思考であり、作り手は、そのようなウォンツを生み出す事でしか、本質的には生き残れないはずだ。

デザイナーは問題を解決する人ではなく、常に新たな問題を発見する人であるべきだ。


最近はソロの度にこの何の変哲もない、ポーレックスでガリガリしているけれど、ザッセンハウスのようなピカピカなものに憧れたりもする。


しかし、一方で、まぁ、変わらず心地よく飲めているから、それでよいか、とも思う。


そして、およそ9年間も愛用しているこの何の変哲もないポーレックスは、僕にとっては、今となっては大きな意味を持っている事に気付かされる。


それは、当時夫婦多忙の中、ささやかな道具で始めたファミキャンの時間軸と、深く繋がっている。


その意味を価値化するとき、新たなイノベーションは生まれないだろうか、と考える。



トランギアメスティンでの調理は、出来上がるまでの待ち時間が、何とも良い

そのようにゆったりした事を思う時間は、僕はキャンプでしか味わえない

舞茸かき揚げそばは、偶然の雪の中、圧倒的に旨い。

このような一連の事象の持つ意味を具現化し、価値に置き換える事のできる人を我々はデザイナーと呼ぶ

デザインは感覚やセンスだけでなく、深い思考だと考える。

では、センスとは何か。よく言われるように、それはもう紛れもなく、知識の事を指す。

決して第六感などではなく、深く思考と結びついている。


ご当地の岩津ねぎをぶっ込み、最高!

雪見そばは、至福だったな〜

最近、キャンプの朝はそばばっか食ってるけど

色んな意味で確実にじじぃ化していることにも気付かされる。


雪のせいか、異様に静かで、最高にゆっくり落ち着いた朝。

キャンプで食すりんごが美味いこともまた、新たな気付き。


あぁ、最高のおキャンプだったなぁ。


ありがとう、世界。

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