明日世界が終わるなら

明日、世界が終るとしても
今日、私はりんごの木を植えるだろう
マルティン・ルター?

ルターの名言といわれているが、ルターが本当に言ったのかどうかは、議論が続いているところで、出典はいまだに発見されていない。ルターが言ったかどうかは置いておいて、今日は、純粋にこの言葉について考えてみる。

一般的には、何が起ころうとも、自分としてやるだけのことはやるということで、不屈の精神の表現ということになるだろうが、それは、キリスト教的な来世があるという前提ではないだろうか。
本当に明日、この世だけでなく、あの世もなにもかも全ての世界が終ってしまうのであれば、りんごの木を植えることが正解だろうか?明後日にはもう誰もあなたの不屈の精神を認識することがない世界で。

最後の晩餐には何を食べますか?

最後の時は誰と会いますか?

最後の時はどのように過ごしますか?

また、明日世界が終わらなくても、いつか世界は終わる。地球が寿命を迎えるまで人類がいたとしても、いつかこの世界は終わる。

この宇宙もいつかは終わる。

あなたが今日活動していることの意義は何ですか?



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