頭の中で喋っているのか文字を読んでいるのか

大学の哲学の授業の中で、日々、心の中、頭の中で思っていることは、喋っているのか、本を読むみたいに心で浮かんだことを頭で読んでいるのかという命題があった。

最初、聞いた時は、喋っているに決まっているではないかと思ったが、自分の思いを観察した時に、ちょっと待てよ、喋っているとしたら、思考はお喋りのスピードを超えられないではないかと思った。

そういう意味では読んでいるのか?

お腹すいた

という思いは、喋っているといえば喋っている。文字を読んでいるといえば読んでいる。

ただ、会議での説明や質疑応答では、頭の中で喋っていない。喋っていたら、発する言葉に追いつかない。

あんまり、いい例ではないが、何かの案件で、自分に非がある時、相手から責められている場面で、言い訳する時、これ言ったらまずい、こう言おうと、選択肢が瞬間に3つぐらい思いつく場面では、頭の中で喋っていたら追いつかない。
文字では無く、場面というか起承転結というか、3つの場面が頭の中に平行して現れる。そして、自分がこれがいいという発言を選択する。この時は絶対喋っていない。

逆にパソコンに向かって文章を打っている時、この時はほとんど頭の中で喋っている。

そう、ここまで演繹すれば分かるが、
「考えるな、感じろ」というのであれば、頭で喋ってはいけない。お喋りを封じれば感じることができる。それはお喋りの速度を光速で超える。

また、チラッとだけ書くが、頭で喋っているのは自分なのか、他人なのかはよくよく選別したほうがいい。

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