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ハイセイコー知らずにウマ娘やってるってマ?-ウマ娘化されていない名馬列伝-皐月賞特集 競馬EP.6[投げ銭式]

お疲れ様です。De:Lです。

今週は皐月賞ということで、以下のようなメンバーが出走予定です。

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さて、先週は桜花賞ということで、ソダシが勝ちましたね。

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無敗で桜花賞を勝ち、クラシックG1で史上初めて勝利した白毛馬となりました。

白毛の一族というのは本当に奇跡に近い存在でして、ここではあまりメインで話すわけにもいかないので、Youtubeの力を借りたいと思います。

では本題いきましょう!

ハイセイコー知らないウマ娘ファンおるってマ?

と煽り倒したタイトルにしてしまったことはマジで申し訳ないんですが、心情としては割とガチで、競馬に出会ったのに、ハイセイコー知らないのはもったいなさすぎる。

ということで、皐月賞特集でハイセイコーともう一頭、桜花賞特集と同様に2頭紹介しようと思います。

1.ヴィクトワールピサ

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頑張ってウマ娘との共通点を探そうと思ったのですが、無理でした()

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1.1.日本史上初

この馬はもちろん皐月賞を勝ってはいるんですが、皐月賞馬として知っている人は少ないと思います。

このヴィクトワールピサは日本馬で初めてドバイWCを勝った馬です。

ドバイWCって?

もちろんウマ娘にも搭載されていないレースです。それもそのはずで名前の通り、海外(ドバイ)のレースだからです。

世界にもたくさんの有名レースがあり、国外の馬でも出走できる”国際重賞競走”に当てはまるレースがあります。

正式名称はドバイワールドカップと言いまして、現在はダート2000mのダート界最高のレースの一つです。

ヴィクトワールピサが勝った時はAW2000mのレースでした。皐月賞という中山芝2000mを勝った同馬がもしダート時代のドバイWCを勝っていたらそりゃ半端ない馬でしたね。。。。

(悔しいことですが、海外にはダートも芝も超一流のエルコンドルパサーやオグリキャップも涙目のすごい馬がいます。。。。)

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1.2.ネオユニヴァースの最高傑作

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ネオユニヴァースも実は皐月賞を勝っており、ヴィクトワールピサとの父子制覇を達成。そのうえ、日本ダービーも勝って二冠を達成。極めつけはロジユニヴァースで日本ダービーの父子制覇を達成した優秀は馬です。

年代でいうと、ゼンノロブロイやスティルインラヴと同年代です。

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スティルインラヴは2代目の牝馬三冠馬です。知ってる人もいるかな?

1.3.Mデムーロとの関係

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この活かしたイタリア人ご存じですか?

ウマ娘にはない競馬の要素として最も大きい部分はジョッキーの存在ですよね。

このイタリア出身のジョッキーはミルコ・デムーロ騎手。

日本で活躍する外国人ジョッキーは短期免許の方も含めるとたくさんの方がいますが、このデムーロジョッキーはイタリア人ジョッキーとして初めて日本ダービーで勝利したジョッキーです。

このデムーロはネオユニヴァースにとても縁のある騎手で、そのネオユニヴァースで2003年に皐月賞と日本ダービーを勝利。

”まるでナカタ(イタリアで活躍した日本人歴代最高クラスのサッカー選手)になった気分だ”

と語ったのは有名な話。

その子供であるヴィクトワールピサには3歳秋から騎乗。

10年の有馬記念(このとき負かした馬が”父からもらった不屈の心ブエナビスタ”です)とドバイWCを勝ちます。

日本馬としてももちろん初勝利ですし、その上、日本の通年免許を持った騎手として初めてドバイWCを勝ったのもこのデムーロジョッキーです。

1.4.不遇の種牡馬時代

もちろん、皐月賞と有馬記念、なんといってもドバイWCを勝った日本馬を種牡馬にしないわけにはいきません。

引退後、社台スタリオンステーションで種牡馬となり、初年度種付け350万円(シンジケート総額12億年)で、破格の設定で種牡馬になります。この時期にはディープインパクトがまだゴリゴリの現役種牡馬だったので、そこまで話題になりませんでしたが、正直破格です

2年度産駒でジュエラー(桜花賞馬)を排出しますが、ぱっとしない成績なのは否めませんでした。ちなみに、このジュエラーで桜花賞を勝ったジョッキーはミルコデムーロ騎手です。なんともネオユニヴァースの一族に縁のある方ですw

そんななか、2020年にトルコで種牡馬入りすることが発表され、現在はなんとトルコにいますw

トルコの競走馬生産は日本に比べればまだまだですが、立派な種牡馬として活躍してほしいもんです涙

2.ハイセイコー

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ウマ娘ファンならハイセイコー知ってますよね(圧)?

というのはうそでw

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2.1.第一次競馬ブーム

初代葦毛の怪物オグリキャップは知ってますよね?

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アニメでは食べてばかりの彼(彼女)ですが、現役時はそれはそれは大人気で、今白毛のソダシが人気急上昇中ですが、全く比にならないほどの大人気ぶりでした。

1990年前後の起こったそのブームは武豊とオグリキャップというアイドルの登場によって始まりました。毎日のように新聞には競馬の話が載っており、週末は老若男女問わず競馬場に向かい、サラブレッドを応援する時代でした。(今じゃ考えられないですよね)

これが”第二次”競馬ブームです。

第二次、つまり、第一次が存在します。

この第一次競馬ブームを巻き起こした本人が”ハイセイコー”という馬です。

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彼のデビューは1972年に大井競馬場(地方競馬)でした。奇しくもオグリと同じく地方競馬出身の成り上がり(シンデレラ)の馬です。

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生まれた時から雄大な馬体を持ち、同年の子供たちと一緒に走っても常に先頭を走る子だったそうです。血統面でも当時の流行最先端といった配合で、

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サンインローというイギリスの”世紀最高のステイヤー”と称されるほどの名馬のクロスを持つことでスタミナ豊富、母側もネアルコの直仔ということで、優れたスピードを持っていました。スタミナの伝え手として、ハイペリオンは現在の各馬の血統表でもたまに見ますよね。

そんな彼は地方でデビューしたわけですが、まぁ”無双も無双”。結局一度として負けることなく中央へ移ります。

幾度となく大井競馬場のコースレコードやレースレコードを更新し、大井での全6戦で2着につけた馬身の合計は56馬身。(一レースにつき9馬身以上2着を話しているわけですから、ほぼ大差勝ちのようなものですw)

2.2.中央への挑戦

人は下剋上物語が大好きです。

ハイセイコーの中央競馬挑戦は多くの人の注目を集めました。

中央に移ってからの初戦は弥生賞。初めての芝のレースな上、2000mというハイセイコーにとっては長距離になり、不安の声もありました。

勝ったはものの、苦しい勝利となり、陣営が期待した勝ち方をしてはくれませんでした。

タイムも早くなく、勝ちっぷりも平凡、しかし勝つ。

このイメージが当時の最強場シンザンに近いことで話題になります。

そんな清濁併せ吞んだ印象とともに、ハイセイコーはクラシック路線へ挑戦します。

もちろん地方出身馬で勝てば史上初。当日は重馬場となり、芝コースの重馬場をこなせるかは不安視されたものの、皐月賞を勝利

さらには当時まだ2000m戦であったNHK杯を勝ち、2冠によりいよいよ神格化されてきたハイセイコーは人気絶頂に達します。

そして迎えた日本ダービー。

ハイセイコーは3着に敗れます。単勝支持率は当時の最高。しかしレコードタイムで敗れます。

このときの1着がこれからハイセイコーのライバルとなるタケホープです。

このときの有名な名言に

”勝者はいつか敗れるが、その日が早すぎた。”

というのがあります。まさにその通りですね。。。

2.3.好敵手

主人公にはライバルが必要です。

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オグリキャップとタマモクロスがそうだったように、ハイセイコーにもタケホープというライバルがいました。

地方から中央へ。

怪物が弱さを知る。

強い。

それだけで応援されるはずありません。

ライバルとの激戦。

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それがハイセイコー人気を高めました。

日本ダービーという3歳の競走馬にとって最高の舞台で、怪物に土を付けたにも関わらず、タケホープはまだまだハイセイコーのライバルとは言われていませんでした。実際、次戦の京都新聞杯ではハイセイコー2着でタケホープは8着と惨敗。

しかし、クラシック3冠目の菊花賞で、競馬史に残るマッチレースをこの2頭が見せます。

ハイセイコーが1番人気。タケホープは6番人気。このレースでタケホープに乗ったのが、武豊のお父さん、”ターフの魔術師”武邦彦でした。

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第二次競馬ブームを作った武豊ですが、第一次競馬ブームの一役を担っていたのが、その父邦彦とは、競馬とは本当に”ブラッドスポーツ”です。。。

レースは第四コーナーから直線に入って2頭が抜けだして他の馬を引きちぎるとゴールまで並んだままたたき合いとなります。

現代の写真判定システムなど当時はなく、長い長い判定を経て、タケホープが優勝します。

ハイセイコーはこの上ない人気を誇っていたにも関わらず、タケホープのこの勝利で、2冠に輝き、年度代表馬になります。

その後も全部で9回の直接対決を経て、最後の有馬記念では、

タケホープが1番人気、京都大賞典でハイセイコーを倒したタニノチカラ、ハイセイコーは3番人気でした。

結果は距離に適正のあったタニノチカラが5馬身差で圧勝しますが、ファンはそんなことどうでもよくて

2,3着争いで上がってきたタケホープとハイセイコーに注目していましたw

すごい話ですよねw1着がどうでもいいなんてw

当時如何にこの2頭が人気だったかよくわかるエピソードですよねw

2.4.ハイセイコーの功績

ハイセイコーは、幼い頃は怪物として注目され、地方から中央へやってきたわけではありますが、

成績自体はぱっとせず、多くの名馬に比べると一枚落ちる実力であったことは間違いありません。

それでもなおハイセイコーがJRA顕彰馬に選出されたのは、

”競馬の大衆化に大きく貢献したから”

それまでの競馬はギャンブルとして面が強く意識され、現在の”ブラッドスポーツ”としての崇高なスポーツとしての印象からは遠く離れたものでした。

そんな中、ハイセイコーが競馬を日の本へ連れ出してくれたわけです。

今日の競馬があるのはこのアイドルホースのおかげかもしれません。

まとめ

ウマ娘にもたくさんの名馬がいますが、他にもたくさんいるんです!

そんな名馬への登竜門、最も速い馬が勝つレース”皐月賞”

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ぜひ、見届けましょう!!!

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普段はサッカー観戦記なども書いてます。


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