不撓不屈の魂「柴田大知とマイネルホウオウ」-ウマ娘化されていない名馬列伝-NHKマイル特集[投げ銭式]
お疲れ様です。De:Lです。
今週は3歳世代のマイル戦線最高峰G1”NHKマイルカップ”
注目メンバーとしては、
キズナ産駒の新しい星バスラットレオン
欧州歴代最強マイラーの血を引くグレナディアガーズ
弥生賞の好走再び、ドイツ牝系の傑物シュネルマイスター
重賞勝ちとレジェンドを携え、連勝へホウオウアマゾン
若き3歳世代の最速マイラーを決める戦い!楽しみです!
1.騎手という概念
ウマ娘と本来の競馬のもっとも大きな点はなんでしょうか?
私は騎手の存在だと思っています。
ウマ娘は”別世界の馬の意思を受け継いだウマ娘が自我を持って走る”物語ですから、当然、騎手は登場しません。
しかし、本来の競馬では騎手という人間は大きな要素の一つです。
騎手
・・・競馬制度は国家・地域によって異なり、それぞれに独自の競馬文化と歴史を有し、開催運営や人材育成のシステムが築かれている。その中において「騎手」という意味の言葉が、競馬の競走への参加に必要な資格ないし公的なライセンスとしての資格称号を指すこともある。
基本的には免許制でして、JRA(中央競馬)とNAR(地方競馬)で免許が違う上に、実はこの免許”国家資格”なんですw
調教師と騎手は同時にできなかったり、海外からの騎手に対する短期免許精度があったりと、意外と複雑にかつ厳密に定義されている、この騎手という職業。
そんな騎手に纏わる感動秘話をご紹介したいと思います。
2.柴田大知という男
皆さん、コントレイル知ってます?(唐突w)
2020年に無敗で3冠をとった稀代の名馬の一頭です。
じゃぁ、この写真で、コントレイルに乗っている人をご存じですか?
福永祐一ジョッキーです。
父福永洋一は”天才”と呼ばれ、自身がデビューしたときには、”福永洋一の息子”というイメージが専らでした。
今でこそ父の名前が出てこないほどに優秀なジョッキーになられましたが。
なんでこの人の話をしたかというと、今回お話しする”柴田大知ジョッキー”とこの福永ジョッキーは同期なんですよね。
この二人が競馬学校を卒業したのは1996年なのですが、この1996年(競馬学校としては12期)卒業生はのちに”花の12期生”と呼ばれるほど、話題に富んでいました。
・天才の父をもつ福永(代表馬コントレイル)
・ドラゴン和田(代表馬テイエムオペラオー)
・柴田兄弟(大知と未崎の双子)
・初の女性騎手細江純子(他2名の女性騎手)
などなど
そんな同級生たちと共に、競馬の世界へ入っていった柴田大知。
最初は双子騎手、おまけにふたご座ということで、話題になります。本人はこれを嫌っていたそうですw
しかし、デビュー二連勝で勢いに乗る福永ジョッキーとはうってかわって、マイペースで勝ち鞍を伸ばし、デビュー年で27勝。競馬記者クラブ賞を受賞します。
その後、2年目には重賞を勝利し、12期の中でも上位の評価を得るようになったわけですが、
このとき、大知ジョッキーは大きな転機を迎えます。
2.転機と奈落
2年目に大知ジョッキーは、ある女性新聞記者と出会います。
惹かれ合い、結婚に至りますが、
その結婚を当時の所属厩舎の調教師であった栗田博憲氏に反対されます。
しかしそれを押し切り、当人たちは結婚。
これを境に、栗田調教師と険悪な中になり、厩舎を追い出されてしまいます。
(今でこそこんなことあったら、叩かれるのは栗田さん側でしょうけど、当時からすると師匠ともいえる人の反対を押し切ったことは弟子としてあり得ないと言われていたそうです。)
厩舎を追い出されてしまったため、フリーとなって騎手人生を送ることとなりますが、
デビュー2年目の若造がいきなりフリーになっても、騎乗依頼なんてくるはずありません。。。。。
この1997年から柴田ジョッキーの騎乗回数は大きく減っていくことになります。
同期の福永ジョッキーは父のイメージを拭うほどの活躍を見せ、和田ジョッキーはテイエムオペラオーと共に世紀末覇王へ。
輝かしい同期とは違って、どん底の日々を過ごす大知ジョッキー。
2003年には終に勝利数は一桁台へ。その後、8年間もの間一桁勝利を続けることとなります。
危機感を覚えた大知ジョッキーは2005年に、障害競走にも挑戦します。
障害競走
・・・平地競走とは違い、レース中に障害物を飛越する競争。
そこでもなかなか芽は出ず、2010年になるまで、OP競走すら勝てませんでした。
OP競走
・・・格付けでいうG3の一つ下。リステッド競争を含む出走条件に賞金獲得条件がない競争。重賞とは異なる。
そんな中、2008年に一筋の光が差します。
3.第一の出会い”ミルファーム”
周りから、”調教師への転向”を勧められるなど、いよいよ騎手人生に陰りが見えてきましたが、
それでもめげずに競走馬に乗り続けます。
そんな努力家の彼を競馬の女神は見放しませんでした。
そんな中、ある一頭の競走馬と出会います。名をダイイチミラクルと言います。
父にトウカイテイオーを持つ葦毛の馬でした。
決して優秀な馬ではなく、実際大知ジョッキーもこの馬での勝利経験はありません。
しかし、将来的に障害競走も視野に入れていた馬主のミルファームは障害経験のある大知ジョッキーに騎乗依頼を出し、2着と好走します。
勝利はできなかったものの、この2着を陣営は評価して、ミルファームの代表も大知ジョッキーを賞賛します。
この機会に、当時のミルファームの代表の出身牧場であったビックレットファームにも大知ジョッキーの名が知れ渡ります。
このビックレッドファームは日本でも大きな牧場で、天皇賞春を勝ったマイネルキッツの生産元でもあります。
4.第二の出会い”マイネル軍団”
そのビックレッドファームに深く関わりのあった岡田繁幸氏にも大知ジョッキーのことが知れます。
岡田繁幸
・・・実業家。クラブであるラフィアンターフマンクラブを運営していた人物(現在は長男が代表)。そのサラブレッドクラブに所属する競争馬には牡馬は”マイネル”、牝馬は”マイネ”を冠名として持つ。またビックレッドファームは妻が、ノルマンディー系の牧場やクラブを実の弟が運営している。
岡田氏とのつながりができた大知ジョッキーはこの時期からマイネル軍団こと、ラフィアンターフマンクラブの競走馬たちに騎乗する機会が増えます。
2011年には、マイネルネオスで障害G1(中山グランドジャンプ)を勝利し、自身初のG1勝ちを手にします。
もちろん、騎手としては平地G1を勝つことが第一の目標ではありますが、「騎手を辞めなくてよかったです」とインタビューで語った姿は今でも目頭を熱くします。。。
障害G1を取ったことで、大知ジョッキーに追い風が吹き始めます。
2006年には49回にまで落ちこんだ騎乗回数も、2011年には493回と自己最多を更新。
2012年には勝利数41と2011年の二倍以上の勝利をおさめます。
5.第三の出会い”マイネルホウオウ”
マイネル軍団と関係を深めた大知ジョッキーは2012年に運命の競走馬と出会います。
それがマイネルホウオウです。
現在では東京競馬場の誘導馬を担当しています。
世代でいうと、キズナやエピファネイアといった現在種牡馬として活躍する馬が多い2015年世代です。
マイネルホウオウは、数あるマイネル軍団の中でも名馬と言え、その素質は2歳のときから大知ジョッキーも認めていました。
騎乗機会をもらうために、育成中や放牧中のマイネル軍団の馬に騎乗していた大知ジョッキーも育成中のマイネルホウオウにであったときは優秀な馬であることに気づいていたようです。
こちらはマイネルホウオウの血統表。
父スズカフェニックスはあのサイレンススズカでおなじみの永井啓弍オーナーの持ち馬でした。
サンデーサイレンスの血を引き、母系にはアメリカ系のスプリントからマイル系のフレンチデピュティ。今でこそ王道血統ですが、当時はその先駆けといっていい血統でした。
デビュー戦を大知ジョッキーと勝利し、その後他のジョッキーも呼ばれますが、重賞では大知ジョッキーが使われ、陣営も大知ジョッキーを信頼している様子でした。
しかし、前評判通りとはいかず、勝てないレースが続きます。3歳になってからとなると、
1600mー1800mほどを主戦場としていましたが、マイル三戦目となるジュニアカップ(メジロライアンの育成目標にはいってますね)で大知ジョッキーと勝利。
その後スプリングSで11番人気ながら3着に入り、皐月賞の優先出走権を手にします。
しかし、陣営は2000mは長いと判断し、目標をNHKマイルに定めます。
その前走として選んだのがニュージーランドトロフィー。スプリングSの評価を受け、4番人気に推されます。
ただ7着に大敗。
やはり、スプリングSはフロックだと判断されます。
そして迎えたNHKマイル。
人気は10番人気。
ただ、元々騎乗機会すらなかった大知ジョッキーとしてはまたとない平地G1を取るチャンスを逃したくないという強い思いでこの一戦に臨みます。
決して力のある馬ではなかったかもしれません。
決して優秀な騎手ではなかったかもしれません。
でもそんなコンビは最後まで諦めず、ゴールを目指し、大外をまくります。
上位人気が総崩れの絶好のチャンスを逃さない執念を見せた大知ジョッキーに、遂に競馬の女神が微笑みます。
G1NHKマイルをマイネルホウオウと掴みます。
勝利後のこのガッツポーズ。長く勝てない時期を乗り越え、最後まであきらめない。そんな馬と人の執念が平地G1という最高の栄誉を手繰り寄せました。
この涙のインタビューは忘れ得ません。
6.諦めない気持ち
不撓不屈
・・・苦しいことがあっても、困難に苛まれても、強き心を持ち、決してあきらめないこと。
この柴田大知ジョッキーとマイネルホウオウはまさに不撓不屈の魂を我々に見せてくれました。
確かに長い人生、たくさんの困難に襲われることでしょう。
だけれど、諦めず、めげず、自分を信じ、その信じた道を直向きに突き進む。
そんな精神があなたにスポットライトを当てるんだと教えてくれました。
素晴らしい名馬と、素晴らしいジョッキーに、改めて拍手を送ります。
ありがとうございました。
普段は以下のような記事を書いています。
ご一読、ありがとうございました。
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