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-ウマ娘化されていない名馬列伝-桜花賞特集 競馬EP.5[投げ銭式]

お疲れ様です。すっかりウマ娘にはまってしまっているDe:Lさんです。

さて、今週末は春のクラシック戦線の開幕を告げる、若き乙女たちの桜舞う戦い”G1桜花賞”ですね!!!

他のG1とはやはりちょっと雰囲気変わってきます。

先週の大阪杯では、3代目無敗三冠馬コントレイル女王を超えた覇王に土をつけた桜花賞レコードの最速牝馬グランアレグリアそして昨年のレースで2頭に敗れリベンジに燃える世代No.2栗毛の重戦車サリオスが激突しましたが、その間を割って、5連勝でG1戦線に4歳で突如現れた遅咲きの怪物レイパパレがタフな馬場を3馬身差の逃げ切りでした。

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非常に見ごたえのあったレースであったことには違いありませんが、グランアレグリアレイパパレ、そして海外で奮闘中で宝塚記念での凱旋を待たれるの春秋グランプリ牝馬クロノジェネシスと史上初の無敗三冠牝馬のデアリングタクトなど、アーモンドアイ引退の後も、1990年代では考えられないほどに、”牝馬の時代”になりました。

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奇しくもジェンダー論が騒がれる人間の世界に皮肉を飛ばすような群雌割拠の様相を呈していますw

さて、そんな牝馬最強時代に来る桜花賞ではどんな馬が勝ってくるのでしょうか。白毛初のG1馬ソダシ、男勝りの暴姫メイケイエール、才女サトノレイナスなど、楽しみなメンバーです!!

今回の記事では、今話題のウマ娘ではまだ登場予定のない、歴代の桜花賞馬から、2頭の牝馬を特集しようと思います。

1.メジロラモーヌ

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”ウマ娘から競馬を知りました”

という方はまず知らないと思ったので、紹介してみますw

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彼女たちにもちろん関係がありますw

1.1.史上初めての三冠牝馬

1986年に”桜花賞”、”優駿牝馬(オークス)”、”エリザベス女王杯”の三レースを優勝し、中央競馬史上初の三冠牝馬となりました。

察しのいいウマ娘ファンの方は気づいてほしいのですが、三冠目が”秋華賞”ではありません。1996年に秋華賞が創設されるまでは、三冠目がエリザベス女王杯だったんですよね。

ちなみに、牝馬三冠を達成している牝馬は

・メジロラモーヌ
・スティルインラヴ
・アパパネ
・ジェンティルドンナ
・アーモンドアイ
・デアリングタクト(無敗)
の6頭が2021年春現在で達成している馬たちです。

1.2.メジロの生まれ

さて話をもどしましょう。

名前を見れば、といいますか、メジロラモーヌはメジロ牧場出身の牝馬です。

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父がモガミ、母メジロヒリュウで父父にリファール(Lyphard)、BMS(母父)にネヴァービートがいます。

この父モガミは、競走馬としてはあまり活躍できませんでしたが、シンボリ牧場(ルドルフ会長の出身)の会長さんと、このメジロ牧場の総帥が共同で所有し、フランスから連れてきた優秀な種牡馬です。

もともとはアニメのマックイーンのように大人しく気品ある性格の女の子で、牝馬の弱かった時代も相まって、なかなか管理してくれる調教師さんが決まらない幼少期を過ごしました。

一方で、メジロ牧場の育成は超一流で、3歳(現在でいう2歳)のころにはひ弱さはなくなり、調教でも好タイムを連発。

3歳末のテレビ東京賞3歳牝馬ステークス(現在のフェアリーステークス)では、マイルを1分34秒9で走破。2着に3馬身をつけて勝利しました。このときのタイムは驚異的で、なんと1分35秒以内に3歳でマイルを走り切った馬は当時マルゼンスキーとメジロラモーヌだけでした。

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1.3.テスコガビーを超えた走り

この当時、最強の牝馬と言われたら、誰もがテスコガビーと言ったことでしょう。

テスコガビーは、牝馬二冠を達成し、牝馬とは思えないほどの雄大な馬体をもち、血統の常識を打ち破って、”強い勝利”を見せていました。当時の日本競馬は欧州の競馬に習い、スタミナを重視した競馬でありましたが、テスコガビーの圧倒的なスピード競馬現代日本競馬の根底にあると言ってもいいでしょう。

そんなテスコガビーと比較された中でメジロラモーヌはクラシック戦線へ進みました。

特筆すべきはオークスで、2400mは牝馬には長丁場であったにも関わらず、そのスタミナも併せ持った血統でもって他を圧倒し、同レースで鞍上を務めた河内ジョッキーは

”テスコガビーを超えたと思う。本当に強い馬やな。”

と語ったことで有名です。

そんな同世代では圧倒的な才能で牝馬三冠を達成。5歳以降も見たいとの声がありましたが、メジロ牧場や馬主から有馬記念で引退が決められており、そのまま有馬記念へ直行。

2番人気に推されますが、直線で狭いスペースを狙ったところ、他の馬と交錯し、そのまま後退。同期のダービー馬に負ける形となりました。

繁殖牝馬時代については、特殊な血統背景から、馬の合う(競走馬だけに)種牡馬が見つからず、シンボリルドルフとの10冠配合で生まれたメジロリベーラも、気性面を克服できず、その上生まれ持った脚部不安から骨折し、1回のみの出走に終わりました。(未勝利)

2.ブエナビスタ

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正直、ウマ娘ファンなら、むしろ知ってるのでは?

皆さんご存じ、スぺちゃんの娘さんです。

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加えて、草野仁さんが一口馬主だったようですw

一口馬主
・・・クラブ馬(特定の個人馬主が所有するのではなく、クラブが仮として所有し、一般人に1口数万円として馬主権利を持たせている馬)

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右がシーザリオ、左がブエナビスタと噂されていますw
シーザリオはアメリカンオークスと日本のオークスを勝利した名牝馬です。スぺちゃんの子供たちはやはり牝馬の方が優秀でしたね。血統表を見ていても、スぺちゃんが母父として出てくるのは、そこが大きいかなと。

2.1.奇跡の血量

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ニジンスキーの3×4をもっていて、これを競走馬生産では”奇跡の血量”と言われています。

奇跡の血量
・・・3代祖先は生物学的に12.5%の血量を伝え、4代祖先は同様に6.25%を伝えるとされており、5代血統表における3列目と4列目に同じ馬がいると、奇跡の血量に当てはまる。一方で、3×5×5でも同様の血量となる。これは血統理論における”インブリード(近親配合)”の理想量とされており、一般に近親配合を進めると濃すぎる血が受け継がれ、生物学的に成長弊害を起こしやすいとされている。逆に言えば、それだけ名馬の血を受け継ぐことができる。この奇跡の血量に該当した馬は、名馬であることが少なくない。(例エルコンドルパサー、オルフェーヴル、デアリングタクト)

この奇跡の血量はただ持ってるだけでなく、どんな名馬の奇跡の血量をもっているかが、重要でして、このニジンスキーという馬はディープインパクトもびっくりな名馬でしてww

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出身はカナダ。調教はアイルランドで行われ、主戦場はイギリスと、欧米を縦横無尽に活躍した名馬です。

実績としては、なんといってもイギリス三冠を達成したことが挙げられます。

イギリス三冠
・・・イギリス2000ギニー(マイル戦、皐月賞に該当)、イギリスダービー(2400m戦、日本ダービーに該当)、イギリスセントトレジャー(3000m戦、菊花賞に該当)のイギリス国内で行われる3歳対象のクラシックレースを同馬が優勝すること

イギリス三冠はセントトレジャーが鬼門で、重たい洋芝である上に3000mですから、一般に菊花賞よりはスタミナ要求値が高いとされています。

このニジンスキーはKGVI&QESを勝利しますが、残念なことに凱旋門賞を勝つことができず、欧州三冠は達成できませんでした。

欧州三冠
・・・イギリスダービー、KGVI&QES、凱旋門賞の2400m戦で欧州で格式が特別に高い3レースを勝つこと

ニジンスキーがイギリス三冠を達成した以降、イギリス三冠馬は登場していません。キャメロットが挑戦しましたが、セントトレジャーで2着に負けてしまいました。ですが、そもそもこのセントトレジャーが時期的に凱旋門賞と近く、優秀な馬が皆凱旋門賞を選択することから、セントトレジャーの格式が少し下降傾向になっているということは背景にあります。

2.2.牝馬の象徴

後述しますが、ブエナビスタは現在の牝馬の時代の先駆けのうちの一頭と言えます。それは、獲得賞金額を2013年まで世界記録として持っていたからです。

2歳のデビュー当時から、奇跡の血量やビワハイジの娘であったことなどが期待を呼び、圧倒的人気でデビューします。残念なことに3着に敗れるのですが、このレースには後のクラシック戦線で牡馬路線を賑わせるアンライバルド、リーチザクラウン、スリーロールスなどがいたことで、伝説の新馬戦とファンの中ではたくさん語られています。

新馬戦から、そうではあったのですが、3歳になった初戦チューリップ賞から、今後のブエナビスタのイメージとなる”圧倒的末脚”が発動します。

新馬戦のときも上がり3F (ゴールまで600mの距離の走破時間)は最速。

桜花賞では、1.2倍の人気に推され、この単勝支持率は18頭だての1987年以降の桜花賞としてはやはり頭一つ抜けている数字です。オークスでも優勝。牝馬2冠を達成します。秋華賞に3冠をかけて向かいますが、ライバルだったレッドディザイアに負けることとなります。

実はこのしれっと書いたオークス優勝も、実はとんでもない勝利で、含水率の高い重馬場であったにも関わらず、大外を一気に駆け上がって全馬を抜き去って勝利していました。先行していたレッドディザイアとも残り200mで3馬身差あったにも関わらず、差し切ったことは当時主戦ジョッキーだった安藤勝己も驚きのレースだった。

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牝馬三冠の最後のレースの秋華賞前、ブエナビスタはその血統背景、底力、期待などもあって、凱旋門賞への挑戦プランもありましたが、洋芝を敷いている札幌競馬場の札幌記念を2着に負けたことから、断念。秋華賞で向かうこととなります。

3歳最後の有馬で横山ジョッキーが先行策をとったものの、ハイペースから前方組が大崩れ。しかし、ブエナビスタだけ後方待機組に食らいつき、スペシャルウィークの根性を受け継いでいることを証明しました。

2.3.不屈の闘魂

ブエナビスタがここまで語り継がれる名馬となったのには大きなわけがあります。

それは負けても不運でも絶対にあきらめない父スペシャルウィーク譲りのド根性精神です。

3歳からあとはG1戦線やドバイSCやWCへの参加など、牝馬としては破格の活躍をすることになりますが、不運が続き、勝ち切れないレースも散見されます。

それでも4歳は海外に国内にと大活躍しますが、迎えた天皇賞秋。

王道ローテで進んだブエナビスタは、とんでもメンバーを圧倒し、2馬身差の勝利。騎乗していたスミヨンジョッキーも、凱旋門賞を制したサルカヴァよりも強いと明言し、その上、世界レーティングも牝馬としては歴代最高のスコアを与えられ、現役最高の牝馬となります。

しかし、次のレースのジャパンカップで1位入選しますが、進路妨害とされ、降着することとなります。

ここからブエナビスタの歯車が狂い始めます。

5歳になった2011年。

3月のドバイWCからスタート。ヴィクトワールピサが制して震災後の日本を沸かせますが、ブエナビスタはAW(人口馬場)の本番レースに対応できず8着と大敗してスタート。

AW
・・・オールウェザーコース。美浦トレセンなどに用意されているウッドチップコースやポリトラックのことを指し、天候や気候に影響を受けない人工的に作られた馬場のこと。ドバイのメイダン競馬場ではこのAWコースが採用されている。

そこから勝ちきれないレースが続き、4歳時から含めて1年以上勝てない時期を過ごします。

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ファンのなかでも、”もう全盛期は過ぎ去ったのではないか?”という意見も散見されていました。

そんな中、4歳時に降着で負けたジャパンカップに出場。

エイシンフラッシュやトーセンジョーダン、ローズキングダム、ドバイWCの勝ち馬ヴィクトワールピサ凱旋門賞馬デインドリームなど、強敵が集まります。

全盛期を過ぎたブエナビスタにその切れ味鋭い末脚は残っておらず、もうだめかと思われたが、先頭へ抜けたトーセンジョーダンに歯を食いしばって食らいつき、ド根性を見せて鼻差でかわして勝利します

この勝利はブエナビスタのそして、スペシャルウィークのド根性を象徴するものでしたね。

このレースでブエナビスタは力を使い切り、その後の有馬記念で当年の三冠馬であるオルフェーブルに世代交代します。

2.4.母ブエナビスタ

現在は7番仔まで出産しており、現在はモーリスとの子供のブエナベントゥーラとロードカナロアとの子供のブエナエルドラード、キングカメハメハとの子供のソシアルクラブタンタラスの4頭が現役として頑張っています。

ブエナエルドラードはまだ出走はしていませんが、ソシアルクラブとタンタラスは直近の3月のレースでともに勝利。

ブエナベントゥーラはクラシック戦線を賑わせる期待の一頭でありましたが、蹄が弱く、なかなかレースに再出走できていません。

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3.名馬を知ろう!

ウマ娘にもたくさん名馬がいますが、やっぱり他にもたくさんいます!

そんな名馬の登竜門である”桜花賞”。ぜひ見届けましょう!

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他にもこんな競馬記事を書いています。

またG1については予想記事を書いています。ぜひ一読ください!

普段はサッカーの記事などいろいろ書いてます。よろしくお願いします!


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