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黄身か卵白か。丁か半か。

世の中の多くの人が「好き」と思うものと、自分の「好き」が違うと、子どもの頃は、それを堂々と言いづらい空気があったな~と思う。

思い出すのが卵。

小学生の頃、給食を食べる「班」(班ってあったよね?給食の時もその班ごとに食べるのがルールで)で、ひとり、いじられキャラの男子が、「こいつ、卵白の方が好きなんだって!普通、みんな黄身だよな!」とボスキャラ男子から笑われているのを見て、「ほぉ。世の中はみんな、黄身好きなのか。黄身好きと言っておけば間違いないのだな?」と、ホントは卵白好きだった私は、自分の「好き」をこっそり封印した思い出が。



オトナになってから、もう、自分の「好き」を誰の目も気にすることがなくオープンにできるようになって、ほんと良かったと思う。
(オトナになれて本当に良かった。特に中学生くらいまでは、窮屈に感じることがたくさんあった。狭い教室でみんなと同じことを粛々とさせられて、先生の好き嫌いに翻弄されて、ホントは好きな卵白も他人の目を気にして告白できない。まるで、「ブロイラーの鶏」のような気分だったワ。それが自由闊達な校風である高校に入ると、だいぶ、私の中の「鎖国」が「開港」していった記憶が)

先日も姉チコさんと卵の話になったら、「卵白が好きなんだよね」と姉。
「あら!私も同じ~。でも、卵白が好きって言いずらい雰囲気なかった?」なんて話で盛り上がって。

自分が好きと思うこと、
自分が価値を見出すもの。
そこにこそ、その人の「アイデンティティ」がある、ということ。


世の中の多くの人が価値を見出すものの中に、自分の「好き」や「価値」を見出せなくても、まったく気にすることない。

むしろ、そんなオンリーワンを爆発させるのだ!
そんなことを胸を張って堂々と言えるような先生なら、尊敬できそう。

「黄味か卵白」か、なんて書いてたら、「丁か半か」が浮かんでしまったワ。

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「丁と張らんせ もし半でたら わしを売らんせ 吉原へ」

なんて粋な都々逸。時代錯誤と笑われそうですが、こんな心意気で生きてます♪



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