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半端ない目ヂカラ。

「テレビデオ」ってもはや死語よね。覚えている人、いる?
テレビ+ビデオが一体になった「ブラウン管」テレビ。昭和の遺物で、地デジになって以降、テレビ機能を失い、ビデオテープを再生するだけに成り下がってしまった。
うちのテレビデオは未だ現役なのだ。

見逃した映画作品は以前ならDVDで観たり、今ならネットで観たり。だけど、作品のエネルギーをもろに感じられるのは、映画館のフィルム>ビデオテープ>DVDと聞いてから、ビデオテープを大事に保存している。

以前、若かりし頃の勝新太郎の映画「人斬り」をビデオテープで観たのだけど、なんていうのか、画面から飛び出してきそうな迫力が勝新からみなぎっていて、おったまげたのを覚えている。ちなみにこの作品、幕末時代に実在した土佐藩士の岡田以蔵を描いた時代劇。「人斬り以蔵」と呼ばれた彼の半生を、勝新太郎が実にダイナミックに熱演しているのだけど、かの三島由紀夫もこの作品で「人斬り」を演じる俳優として共演している貴重な作品。

劇中、勝新の全身という全身から放出される、ものすごいエネルギー。一人の人間が持っているエネルギー量は、個人差がものすごくあって、たくさん持ってる人、少ない人、千差万別と聞く。一緒にいると、なぜか気分が良くなったり、不思議と近づきたくなる人って、身近にいませんか? そういう人って、往々にして持ってるエネルギー量が他者よりずば抜けているんだって。

で、先日見た、「三島由紀夫vs東大全共闘」。
劇中の三島の目ヂカラが終始、ものすごくて、キラキラ、というかギラギラ。かと言って、いやらしさは全くなくて、どこまでも純粋に知的欲求を追い求めているような、無邪気な瞳。50年前のフィルムなのに、ちっとも色褪せてなくて、彼は生きる「エネルギーの塊」のよう。

「現代にはこんな目ヂカラある人っていないよね」と思いつつ、ネットでザ・ドリフターズの「8時だョ!全員集合」を見ていたら(すみません。いつの時代ですか?というツッコミはナシの方向でお願いします)、若かりし頃の加藤茶(カトちゃん)が、まさにあふれんばかりの目ヂカラ。「いたよ!見つけたよ!三島と同じ目だよ!」と胸の中で、ひとりポンと膝を打ったのでした(おかしい表現ですまん)。

ところで、人が「ひと」に惹かれる・・・って実はものすご~く深いことだと思う。若い頃は単純に顔の好みだったり、きっかけは表面的なことでも、年齢を重ねると、もはや、顔は何かのきっかけに過ぎず、興味の対象はもっと、もっとその人の深い内面レベル、心の「奥深い湖」に行き着く。

その人は、どんな時に心の湖がさわさわ、ザワつくのだろう? 自分ならこんな風に言うだろうことを、その人なら、どんな風に表現するだろう? 相手の言葉が自分を突き動かしたり、相手の考えが自分に刺さる。

自分の魂の奥底をぐわしぐわしと揺さぶられるような「共鳴」というのか、「同志」というのか、はたまた、心の「相棒」、生きる上での「共犯者」とでもいうのか。

そんなたった一人に巡り合えたら、この宇宙に生まれてきた価値もあるってなもんよ。

もし、自分がこの世に生まれなかったら、自分はどこにいたのだろう? どこか宇宙の真っ暗闇の片隅で、生命を吹き込まれる前の「一塵のチリ」として、永久に誰にも見つかることなく、孤独に、どこかをさまよっていたのかな、と考えては怖くて眠れなくなった子どもの頃を思い出したのでした。

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