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真夏のホラー。たとえば毛恐怖症。猫のお毛毛は不思議と大丈夫な高橋秀子の場合。

お風呂に入って湯舟で身体をう~んと伸ばすと、ほわほわ~と綿毛のごとく湯に浮かぶ、白く淡い粉雪のような毛、毛、毛。

猫とたくさん遊んだ日は湯舟にたくさん浮かぶ。
そう、これは猫のお毛毛なのだ。

これがもし人間の毛だったりすると、
リビングの床に1本落ちているだけでも、
お風呂にぷかぷか漂っているのも、
洗髪後、排水溝に抜けた毛がたまっているのを見るのも、
身震いするほどゾッとするのだけど、
猫の毛はまったく気にならない。

人間の毛、恐怖症は昔から。
たとえばそれが頭や身体に生えている時は大丈夫なのに、
身体から抜け落ちた途端、悪寒が走る。

しかし、この自分だけが持っている「毛」への苦手感、嫌悪感。
気にならない人にとっては、まったく気にならないようだ。
多くの人にとっては、いつも当たり前にそこに存在する「空気」のように、あるいは、駅のホームでいつか客に買われることをじっと待つ自動販売機の缶コーヒー(微糖)のごとく、その存在がまったく気にされていないことも承知している。

20代の頃、桜新町(良い町だ)に住む友人の家にちょくちょく遊びに行くと、行く度にフローリングの床に髪の毛がぽろぽろ落ちていて、それが視界に入る度に背筋が凍った。ホラー映画「キャリー」で画面いっぱいに血しぶきが飛び散った時のような悪寒を感じた。
(もちろん、そんな恐怖に凍り付いた素振りは微塵も見せず、つとめて冷静なふりをしながら、限りなく無表情にティッシュでその「毛」たちをくるんでゴミ箱に捨てた)

「毛」と「私」。
自分にここまで恐怖心を抱かせる「毛」について考える。
これだけ自分の中で嫌悪感があるというのは、たとえば自分の前世とかかわりがあるのではないか、と勘ぐってしまうほど。

はるか遠い遠い昔、とある国の暴君だった時代があったと仮定しよう。
年貢を納めない領民たちをかたっぱしから吊るし上げて、その罰として、女であろうと子どもであろうと、その髪の毛を根こそぎ抜きまくった、そんな拷問を課した時代が自分にはあったのではなかろうか? それ以来、つるっぱげにされた領民たちの亡霊たちにさいなまされ、その「毛」の呪いが現世の私を未だに苦しめるのだ、とか。
たとえばそんな妄想。

連日のような猛暑続きだけど、うだるような暑さも一瞬で吹き飛び、
一瞬で背筋が凍るような、そんな心理的恐怖。

そんな存在、あなたにとって、ありまして?

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