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浪人、再考。浪人、最高!PartⅧ


(前回までのあらすじ)河合塾の早稲田特別文型コースで一年の浪人生活を送ったdekoneko。冬が来て、二度目の本番シーズンがやってきた。今度こそ、失敗は許されない。一方、仲間うちで一番の秀才だったヨタロウ。本、映画、物事の考え方など、私の知的欲求をおおいに刺激した、自分にとって特別な存在。何故か彼だけがこの「本番」を乗り越えられなかった。


「小さな成功体験」の積み重ねが本人の「自信」につながるうえで大切なように、「失敗体験」「敗北」も、重要ではないかしら? と思う。

結論から言うと、私も第一志望であった早稲田大学は「不合格」だった。「受験」って賭け事じゃないけれど、本番にならないと結末が分からない、「丁か半か」の世界だ。

もちろん、日頃からの努力、積み重ねは前提のうえで、受験当日には、何か別の「魔のチカラ」、目に見えない「精神力」のようなものも左右するのかもしれない。

ずっと、早稲田に入るためだけの勉強をしてきた私が、最終的に入ったのは、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」で知られる福沢諭吉の創設した学校だった。

なんじゃ、そんな面白くもないオチかよ、と言われそうだけど、こればかりは、「縁がなかった」としか思えない(正しくは「実力が足りなかった」、だけだけど、せめて、ちょっとだけカッコつけさせてくれ)。

そう考えると「縁」って何でしょうね?

この受験で、ある意味、私は二度「敗北」したのだ。
そして、この経験から私は学んだ。
「一生懸命努力して何かを強く願えば、必ず夢は叶う」なんてことは、歌の歌詞の世界であって、現実は必ずしもそうではないことを。

でも、逆に、自分の願いとは裏腹に、人生は「ままならない」ことを知ったことで、運命とか宿命、ってあるな、と気付き始めたのもこの頃だ。


そして、それからしばらくして、ヨタロウの決意を聞いた。
それは「アメリカに留学する」という決断だった。

まさか、留学するとは。


「あぁ、でも、そうか。冷静に考えたら、その道がベストなんだろうな。二浪するなんて精神的に辛過ぎるもの。彼だったら日本じゃなくても、色々なことを吸収して、ひと廻りもふた廻りも、きっともっと素敵に変身するだろうな」。私の左脳は、必死になって冷静に状況を理解しようとした。


でも、どんなに左脳が頑張っても、私の感情をつかさどる「右脳」の方がはるかに正直だった。

ヨタロウのその決意を聞いた次の瞬間、突然、涙が溢れた。
予備校の廊下で、仲間たちがいる前なのにも関わらず、涙が止まらなくなってしまった。自分でもなんでこんなに泣いているのか、不思議だった。

泣く、って何だろう?

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