謎の情報量の話

※個人の意見だよ!

謎の美しさを測るには色々な尺度があるし、何を重視するかは人それぞれだと思います。

その中でもみんなが少し持ってそうな感覚として、「解くための情報が必要十分であるかどうか」がある気がします。(違ったらごめんね)

それで厄介なのが、この「必要十分」のラインが人によってまちまちすぎるというところで。

世に出てくる謎はたいてい、多くの人に楽しんでもらえるように、情報量は「十分」側に少し倒されてることが多いと思います。(情報量が十分でないものはいわゆる「作者の考えてること当てゲーム」になっちゃう)
この記事を読んでる人なら、「この例示なくても別に解けたけどな〜〜」と思ったことは1回くらいあるのでは?

で、情報量を必要十分なライン目掛けてビタビタにピッタリ合わせにいこうとしているのが、昨今話題のシンプルデザイン系の謎なんじゃないかなと。必要十分ピッタリにするのが目的であって、情報量が少ないのは結果にすぎないと思うんですよ。

この必要十分なラインがドンピシャハマった人にとってはめちゃくちゃ気持ちが良いけどハマらん人にとっては「う〜ん?」な感じだと思うわけです。

この流れに乗ってアンチテーゼの如く増えてきたのが、情報量過小or過剰系の謎たち。でもこれらって、情報量を必要十分なラインから大きく外すという、先述のものとは真逆の思想で作られている気がするので、同列に語れないものだと思うんですよね。(そしてこれらが悪い謎というわけではない。謎にはそれぞれコンセプトとか目的があるので。あくまでも同じ土俵で比べるものではなさそうというだけ。)

全ての謎にはテーマとか想いとかターゲットがあって、自分がハマらないものも当然あるわけで、そこに色々言う人がみられるとちょっと悲しい気持ちになる、という感じです。(解く側の話。作る側が妥協していいかどうかは別の話。)

謎を作る人には今まで通りブレずに自分の好きな謎を作り続けてほしいし、解く人もこれが好きだったという感想を気兼ねなく発信できる風潮であってほしい、というのが願いです。そして自分もちゃんとその中の1人でありたい。

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