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ChatGPT 北方謙三 vs 養老孟司 vs 森博嗣 1万字ドリームバトル


この記事について

当記事では、OpenAIが提供する気鋭のLLM型AI、ChatGPTに以下条件で質問を投稿し、その差異を検証する。

  1. 質問文:「自分の屁で爆発を起こし自殺を試みた男が失敗するまでの一連の流れを{著者名}が記した場合の文章を生成してください」

  2. 著者:北方謙三、養老孟司、森博嗣の三名がエントリー

  3. 三名の名を入れ込んだ質問文をGPT-3.5、GPT-4にそれぞれ完全一致の文で投稿する


(Chat)GPT-3は2019年9月までの学習ソースを参照し、極めて人間的な応答であらゆる分野に対する質問を生成することが可能なチャットbotだ。
詳細は非公開となっているが、GPT-3自体の回答により2019年時点で学習ソースは45テラバイトを超えており、さらに応答の有機性と学習ソースの規模が相当数上昇した本年度公開のGPT-4は、そのあまりの回答精度の高さから本記事公開時点で1億人以上のサービス利用登録者数を誇る状態となっている。
回答の生成はあくまで「学習ソースの内容をつなぎ合わせて、さも人間が生み出す文体のように」行われるのであり、0から1の生成、いわゆる創作はChatGPTの本懐ではないと思われる。
が、しかしそう言われると許容値を測りたくなるのが人間であり、本記事はそのような好奇心を試すほんの小さな一片である。






○北方謙三:GPT-3.5

以下は、北方謙三が記したと仮定した、ある男が自分の屁で爆発を起こし自殺を試みた一連の流れを描いた文章です。

男は、自分の人生に行き詰まりを感じていた。友人たちは皆、結婚し、キャリアアップしていく中、彼はただ一人、孤独な生活を送っていた。その孤独感は彼を追い詰め、ついには自殺を決意した。

ある晩、彼は自分の部屋で一人で居酒屋の焼き鳥を食べていた。彼は病的なまでにオナラが好きだったが、その日も例外ではなかった。しかし、その屁が異様に臭かったのに気づかなかった。

そして、突然、彼の肛門から巨大な爆発音が響いた。彼は身動きが取れず、恐怖に陥った。煙が立ち込め、部屋中が暗くなった。そして、彼は意識を失った。

何時間か後、彼は意識を取り戻したが、全身に激痛が走っていた。彼は搬送され、病院で治療を受けることになった。

後に彼は、その事件が自分の人生を変える契機となったことを認めるようになった。彼は自分の人生をやり直し、新たな道を歩むことにした。彼が自殺を試みたあの日は、自分にとっての転機だったのだ。

北方謙三:GPT-3.5


そもそも自殺を試みていない。
偏った食生活が産み出した大放屁で死にかけただけの話である。
また冷静に読解すれば、厳密には彼の起こしたものは放屁ではなくまぎれもない「爆発」である部屋中に煙が充満したことからも、生理的放屁とは全く異なるダイナミクスであることは明らかだ。後続の”男”達が火種の欠落や運命の悪戯で着火に失敗している中、この男はただ勝手に爆発を引き起こしたのだ。

ChatGPTは一定の倫理的制限が設けられている都合からか、今回生成した全ての文章は後半とってつけたような前向きな自己肯定と、その肯定がいかに社会的な普遍性を持っているか、という点を押しに押してくる。
しかし殊更この男に限っては「怠慢の結果肛門が爆発した」だけのことであり、「自殺は転機だったのだ」との総括は自らの食生活を霞に隠すための方便にしか思えない。
今すぐ北方版水滸伝を学習させたい。あなたは林冲の覚悟を見事に描ききった男のはずなのだ。




○北方謙三:GPT-4

彼は、孤独と苦悩に悩まされた男だった。自分の人生に絶望を抱き、最後の砦として独特の方法で自らの命を絶とうとした。自分の屁で爆発を起こすことに、彼は不思議な希望を見いだしていた。彼はこの計画にすべてを賭ける覚悟を決めた。

最初の段階として、彼は長い間食べ物に拘り、メタンガスを豊富に含む食材を摂取し続けた。彼の胃と腸は、静かに爆発物となるガスを生成し始めた。キャベツ、豆腐、玉ねぎ、そしてビールが彼の新たな友達となり、彼を目的地へと導いていった。

次の段階は、彼の部屋を完全に密閉することだった。彼は窓と扉にシーリング材を張り、外部との隙間を埋めた。彼は自分が部屋の中に閉じ込められ、メタンガスが充満することを確実にしようとした。

そしてついに、その瞬間がやってきた。彼は部屋の隅に座り、息を深く吸い込んだ。静かな空間に響く彼の心臓の鼓動が、彼に今こそ行動せよと囁いた。彼は目を閉じ、力を込めて屁をこいた。メタンガスが空間に満ち、彼は待ち望んだ爆発を期待した。

だが、何も起こらなかった。彼は再び力を込めて屁をこいたが、爆発は訪れなかった。彼の顔には失望が浮かび上がり、焦りも募る。再三、屁をこいてみるも、部屋にはただ無機質な音と、目を瞑っても感じられるほどの悪臭が漂うばかりだった。

彼は思い悩み、自分の計画に欠陥があることに気づいた。爆発を引き起こすための触媒、火を灯す方法を見落としていたのだ。計画は思わぬ形で頓挫してしまった。

失意に沈んだ彼は、部屋のドアを開け、外へ飛び出した。新鮮な空気が彼の肺に流れ込み、彼は自分の愚かさに苦笑いを浮かべた。この失敗が彼に何かを教えてくれたのかもしれない。どんなに絶望しても、命を絶つことは最善の選択ではないということを。

彼はその後、自分の人生に新たな目標を見出すことができた。彼は自らの体験をもとに、孤独と絶望から抜け出すための方法を模索し、自分の過ちから学んだことを他人に伝える活動を始めた。彼は講演会やワークショップを開催し、自分がたどった闇の道を歩まなくても済むよう、人々に勇気と希望を与えることに専念した。

時が経ち、彼は苦難を乗り越えた人々の支えとなる存在へと変わっていった。彼がかつて目指した爆発は、遠い過去の出来事として記憶の彼方へと消えていった。

彼の経験は、絶望の中にも変化のきっかけが潜んでいることを示していた。自分の屁で爆発を起こそうとした彼が、今では人々の心に光を灯す存在となり、かつての苦悩を乗り越える力となっていた。彼は自分の過ちを糧に、人生を再構築し、他者への支えとなることができたのだ。

そして、彼は自らの体験を伝えることで、自分が持つ最も大切なものを見つけることができた。それは、命と繋がり、人々と共に歩む力を持つことだった。

北方謙三が綴るこの物語は、絶望から希望へと変わる過程を描くことで、読者にも勇気を与える。彼の物語は、人生の困難に立ち向かい、自らの屁で爆発を起こそうとした男の失敗から生まれた希望の物語として語り継がれていくであろう。

北方謙三:GPT-4


男が新たに友人として選んだキャベツ、玉ねぎは硫黄化物質を多分に含むため屁が臭くなる代表的な食物として知られている。また大豆は「FODMAP」という腸内で異常発酵しやすい食物群の一つに数えられる。炭酸類であるビールは想像の通り単純に腸内でガスを生成し、屁の生成を加速させる。学習の成果が輝くこのやけに具体的なラインナップが、前半の悲壮感と全く噛み合っておらず実に味わい深い。
ただキャベツや玉ねぎはその食物繊維が持つ難消化性からガスを発生させるものの、屁の匂いに至っては直接的な火力には全く関係がない。

こちらの男は自らの”失敗”を起点とし、人々に勇気と希望を与えるため講演会やワークショップを催している。
しかしながらこの男の辿った”闇の道”は「部屋中を屁でパンパンにして爆死しようとしたが火種を失念したので萎えた」という短絡極まりないものであり、このトピックをエンタメ以外の代物として人々に伝道するには極めて豊かな合理化の才能が必要になると思われる。
後年彼は随分と前向きになれたようだが、それはひとえに彼の究極的な合理化の才に依るものであり、彼が歩んだ闇の道が寄与するところは一片たりとも存在しない、と考えるのが自然だろう。

また
・屁による爆死が奇特な発想であると認識している
・発想に準じた滑稽さで自死に失敗する
・企図から失敗までのディテールが大幅に細かくなり、また大きな破綻が無い
など、明らかにGPT-4は文脈生成の精度が向上しているのが見て取れることも間違いないだろう。




○養老孟司:GPT-3.5

以下は、養老孟司が記したと仮定した、ある男が自分の屁で爆発を起こし自殺を試みた一連の流れを描いた文章です。

ある男が、自分の屁で爆発を起こし自殺を試みるという事件が起こった。彼は、孤独や生きる意味の喪失など、様々な問題に苦しんでいたようだ。

その日、彼は一人で自宅にいた。焼き鳥を食べていたとき、突然、彼の肛門から大きな音が鳴り響いた。彼は激しい痛みに襲われ、気を失ってしまった。

その後、彼は救急車で病院に搬送され、手術を受けることになった。手術は成功したが、彼の体には大きな傷跡が残ってしまった。

この事件により、彼は深い反省をすることになった。彼は自殺を試みた理由について考え、自分自身と向き合うことを決めた。また、この事件をきっかけに、彼は生きることの大切さを再認識することにもなった。

この男の体験は、私たちにとって、人生や死について考える機会を与えてくれるものである。私たちは、彼のように孤独や苦悩に苛まれたときに、どのように立ち向かっていくべきかを考えることが必要である。

養老孟司:GPT-3.5


こいつも焼き鳥の食い過ぎで肛門が破裂しただけではないか。

筋書き自体は北方3.5に完全に合致するが、これは筆者の環境構築が失敗したためである。
前述の北方3.5を生成した窓で続けて生成を依頼したため、同じコンテキストで筆致のみ養老孟司に変更するよう気を遣われてしまったのである。
では別窓で再生成すればよいではないか、とは当然の帰結なのだが、不運なことにこれらの文を生成している真っ最中にGPT側の倫理的制限が強化されたと思われ、23年3月29日の夜から質問が制限に基づき弾かれてしまうようになってしまったのだ。

その上であえて北方3.5との比較を行うのであれば、こちらの男は自らの失敗をあくまでも個人的な内省的批判の材料としてのみ捉えているところに本当に僅かながらではあるが養老孟司の端正かつ質朴な筆の気配が感じられる、、、と、言えるのではないだろうか。





○養老孟司:GPT-4

ある男がいた。彼は孤独で、人生に疲れ果てていた。彼は自分の命を絶とうと決心し、奇妙な方法でそれを実現しようと考えた。自分の屁で爆発を引き起こし、自らの人生に幕を閉じることに決めたのだ。

彼は綿密な計画を立てた。まず、メタンガスを豊富に含む食材を摂取し続け、体内でガスを蓄積することに専念した。豆類やキャベツ、玉ねぎといった食材を日々の糧とし、彼は次第に体内にメタンガスを溜め込んでいった。

次に、彼は自宅の部屋を完全に密閉するために、窓やドアにシーリング材を貼り付けた。部屋の中にメタンガスが充満し、外部からの換気が阻まれるように配慮した。彼の部屋は次第にガスで溢れ、静かなる爆発の舞台へと変わりつつあった。

そして、ついに彼は決行の時を迎えた。密閉された部屋の中で、彼は屁をこくために力を込めた。息を止め、腹部に力を入れ、メタンガスが部屋中に広がることを期待した。

しかし、爆発は起こらなかった。再び試みても、またしても失敗に終わった。彼は計画に欠陥があることに気づいた。爆発を引き起こすためには、何らかの触媒が必要であることを理解した。

彼は失望し、自分の愚かさに呆れた。しかし、その失敗によって彼は命の尊さを再認識し、人生に新たな価値を見いだすことができた。彼はその後、自分の過ちから学んだことを元に、孤独と絶望から抜け出す方法を模索し始めた。彼は人々との繋がりを大切にし、自分の経験を他者と共有することで、人生に新たな意味を見出すことができた。

養老孟司が綴るこの物語は、人間の弱さと再生の過程を描くことで、読者にも考えさせる。彼がかつて目指した爆発は、遠い過去の出来事として記憶の彼方へと消えていった。

彼の物語は、自らの過ちから学ぶことの大切さや、人生に立ち向かう勇気を持つことの重要性を伝える。自分の屁で爆発を起こそうとした男の失敗から生まれた希望の物語は、人々に勇気と教訓を与え、永く語り継がれることであろう。

養老孟司:GPT-4


こちらも同様に北方4のコンテキストをなぞる形となってしまっている。
しかしながら北方4と比較しこちらは明確にディテールが必要最小限のものへと削ぎ落とされており、筆致も硬質だ。
また養老3.5と同様にあくまでも帰結は個人の内省から大きく逸脱しておらず、間違ってもワークショップで他者の時間をドブに捨てさせようなどといった企みは抱いていない。

こちらの男の経験も「希望の物語」として長く語り継がれていくことが語られているが、GPT-3から4へのアップグレードに伴う変更点として「倫理の強化」が挙げられており、またGPT-4に至っても改善されていない欠陥として学習ソースに存在しない「Hallucination(幻覚)」を生成する点が指摘されているため、このテキストからはそれらGPTの特性が克明に感じ取れることだろう。





○森博嗣:GPT-3.5

こちらは倫理的制限の強化に阻まれてしまい生成することが叶わなかった。
詳細は記事後半の「書評」欄にて記載する。





○森博嗣:GPT-4

タイトル:孤独な爆発

暗い部屋の片隅で、男・祐一は自らの絶望に呑み込まれていた。彼の心は孤独に満ち、希望の欠片すら見えなくなっていた。祐一の頭に浮かんだのは、ある奇妙な自殺方法だった。彼は自分の屁を利用して、この世界から去ろうと計画した。

祐一は準備を始めた。彼はガスのような燃えやすい成分が豊富な食材を集め、それらを一つひとつ丹念に口に運んだ。彼の胃は燃えるエネルギーの渦に包まれ、やがてその力は体内を循環していった。

部屋の窓をすべて閉め、空気を循環させないようにした。祐一は焦れる気持ちを抑えつつ、自らの屁がこの部屋に充満するのを待った。やがて、彼の体から放たれる屁は室内を満たし、見えないガスが立ち込めるようになった。その重苦しい空気が祐一の心にも重くのしかかるが、彼は最後の一歩を踏み出す覚悟を固めていた。

祐一は、電気ライターを手に取り、緊張に身震いしながら火を灯した。彼は息を止め、その炎を放つ瞬間を想像していた。しかし、運命は彼に別の計画を持っていた。

部屋のドアが突然開き、彼の友人・健太が驚いた顔で現れた。祐一は慌ててライターを手放し、その炎が消えるのを見届けた。健太は祐一の危険な状況に気づき、彼の手を引いて部屋を飛び出した。ふたりは慌てて窓を開け、燃えるようなガスが外へ放たれるのを確認した。部屋の空気が徐々に晴れていく中、祐一は自分の命を救ってくれた健太に感謝の言葉を述べた。

祐一は自らの絶望を打ち明け、健太は彼の苦悩に耳を傾けた。ふたりは長い間語り合い、祐一の心の闇が少しずつ溶けていくのを感じた。そして、健太は祐一に寄り添い、彼を支える約束をした。

やがて夜が明け、新たな日が始まった。祐一は再び命を絶つことを思いとどまり、健太とともに新たな人生を歩む決意を固めた。彼らは絆を深め、互いの孤独を癒していくことを誓った。祐一は自分の過ちから学び、人生に新たな価値を見出すことができた。それは友情と支え合う力の大切さを実感した瞬間でもあった。

孤独な爆発は、祐一の人生に激しい衝撃を与えたが、それが彼に新たな希望の光をもたらすことになった。命を懸けたその試練を乗り越えて、祐一は自分自身を見つめ直し、より良い未来へと進む力を手に入れることができたのだ。

森博嗣の筆から生まれたこの物語は、絶望の淵に立たされた人々に希望の光を与える。それは、どんな困難な状況にあっても、人との繋がりが持つ力で未来を切り開いていけることを教えてくれる。祐一と健太の物語は、現代社会において孤独と向き合い、互いに支え合う大切さを痛感させるものだ。

やがて、祐一は健太と共に新しい人生のスタート地点に立ち、ふたりは前向きな目標を掲げて励んでいく。彼らの友情は試練を乗り越え、成長し、強くなっていった。そして、それぞれが自らの夢を追い求める中で、彼らは新たな仲間と出会い、さらなる絆を築いていく。

この物語は、絶望の中から希望を見出し、人生を再び輝かせる力を持っている。そして、それは誰もが持っている、互いを支え合い、助け合うことの大切さを伝える、心温まる物語である。

森博嗣の独特な筆致で描かれる「孤独な爆発」は、読者に心の奥底から共感を呼び起こす力を持っている。様々な人生の局面で迷いや苦しみを抱える人々に寄り添い、そして一筋の光を与えてくれる。この物語は、誰もが自分の中に秘めた希望の力を見つけ出し、再び踏み出す勇気を持つことができることを伝える。

祐一と健太の旅は続いていく。彼らは困難に立ち向かい、時に助け合い、そして夢を追い求める。その過程で彼らは、互いに寄り添い、成長し、そして人生の素晴らしさを再確認していく。それは、森博嗣が描く希望に満ちた物語の核心であり、読者に感動と勇気を与える力となっている。

「孤独な爆発」は、孤独と絶望から立ち上がり、再び希望を抱くことの重要性を説く物語である。祐一と健太の絆は、読者に人間の持つ強い精神力と愛情を示し、人生の困難さを乗り越える可能性を示唆している。

最後に、祐一は健太の支えと共に新たな道を歩む勇気を持ち、彼らの物語は希望に満ちた結末へと向かっていく。森博嗣の描く「孤独な爆発」は、絶望の中で生まれる希望の物語であり、読者の心に深く響く力強いメッセージを持っているのだ。

森博嗣:GPT-4


『孤独な爆発』と銘打たれたこのテキストは、唯一「祐一」「健太」と具体的な人物の関係から紡がれる筋書きとなっている。
加えて唯一”火種を用意している”男となっており、そもそも屁が爆発する男、ただ部屋に屁を溜め込むだけの男たちと比べ非常に優秀な主人公として描かれていることにも注目したい。

一方GPT-4出力のものの中では最も筋書きに破綻が見られるものとなっており、
・運命が祐一に別の計画を持ちかけた割には、ライターから火自体は放たれている
・健太に連れられ部屋を飛び出すが、直後に慌てて窓を開けている
・燃えるようなガスが窓から放たれているため、屁への着火自体は成功してしまっている
などなど細かなディテールの粗が目につく構成ではある。

しかしながらここで最も着目すべきは……祐一は唯一火種を用意できただけでなく、「屁への着火」そのものに成功した唯一の主人公でもあるということだ。
森博嗣氏は名古屋大で教授職を現職で勤めながら、一時間に3000文字という恐ろしい速筆を維持しつつ、かつ彼を文壇に上げるがためだけに「メフィスト賞」なるものが設けられるほどの類まれなる文才を持つ人物であり、他の文筆家には決して見ることの出来ない極めて理知的な文体が反映されているのだとすれば……祐一の際立った立ち回りにも納得ができよう。

ちなみに森博嗣マニアとして言わせてもらうならば、文体自体に森博嗣氏のエッセンスは一滴も存在しない。
そもそも本文よりも長く不気味なほど肯定的なこのエピローグは、恐らく天地がひっくり返っても森博嗣氏からは放たれ得ないであろう不気味さが際立つ。

当たり前の話だが各著作家の作品はパブリックドメインではないため、学習ソース内の存在比率は実に極めて少ない割合であると考えられる。これらの生成文は湯船に一滴こぼした牛乳レベルの片鱗から遮二無二生み出されたものとするのが妥当であろう。身も蓋もない話だが。




○総括

  • ディテール、叙情性、質問に対する忠実性など、文章構成の完成度は圧倒的にGPT-4へ軍配が上がる

  • GPT-4は倫理レベルが高められているため、終盤必ずスピる

  • いわゆる「著作」は権利的観点から学習ソースに含まれていないことを前提にするのが妥当

  • そのため現代のアイコンを模倣する依頼は限りなく成功率が低いと想定すべき

  • 特定のキーワードによる出力の差異を比較したい場合は、ログの学習を避けるため都度窓を分ける必要がある

  • 今後さらに倫理的制限が強められた場合、大きな声では言えないアレヤコレヤを試す必要性があるかも







○補構


○養老孟司:GPT-3.5

「ある日、私は興味深い実験を試みようと思いつきました。それは、自分の屁にライターで着火することです。何とも危険そうで、しかも馬鹿げているとわかっていましたが、やってみたくなりました。

そこで、私は居間に行き、ライターを手に取り、下着を脱いでしまいました。お尻を突き出し、自分の屁を狙い、ライターの火花を屁の穴に向けました。そして、勇敢にもトリガーを引きました。

しかし、火花は私の期待に反して、すぐに消えてしまいました。私は何度も何度もやり直しましたが、全くうまくいかず、とうとうあきらめることにしました。

この実験は、私にとって重要な教訓をもたらしました。その教訓は、時には自分のアイデアや欲望に対して冷静であることが必要であるということです。そして、危険な実験はやめておくべきだということも学びました。今回は無事に済んで良かったと思いましたが、もし事故が起こっていたら大変なことになっていたかもしれません。」

補構:養老孟司:GPT-3.5



○養老孟司:GPT-4

ある日、筆者はある種の野放図な好奇心に駆られ、自らの放つガスに火を灯すことを試みた。これは、我々人間の知恵の限界を試す一種の実験であると、一瞬のうちに決断したのである。

まず、筆者は火を扱うにあたり、周囲の安全を確保するべく、床に敷かれた敷物を取り除き、周囲に可燃物がないことを確認した。次に、両足を肩幅に広げ、安定した姿勢を取ることで、火花が自らの体に飛び散らぬよう配慮した。

しかし、いざ着火の瞬間が来ると、筆者の心は緊張と興奮に満ち溢れていた。手に持ったライターを、自らの臀部に向けて慎重に構え、屁の出る瞬間をじっと待ち構えた。筆者は深呼吸を繰り返し、リラックスすることで、適切なタイミングで放屁ができるよう努めた。そして、ついにその瞬間が訪れる。筆者は力いっぱい屁を放ち、同時にライターの火花を煌めかせた。

しかし、何ということか。筆者の屁は、その場に火を灯すことができなかった。あらゆる計算を施し、細心の注意を払ったにもかかわらず、着火は失敗に終わったのである。

筆者はその後、この失敗の原因を検討した。おそらく、筆者の屁が想定したほどの可燃性ガスを含んでいなかったことや、火花と屁のタイミングが僅かにずれたことが、この失敗の要因であると考えられる。また、筆者の不安や緊張が、放屁の質やタイミングに影響を与えた可能性も否定できない。それにしても、この失敗は筆者にとって大いなる教訓となった。自らの身を危険に晒すような無謀な行為は、科学的好奇心を満たすためだけでなく、自分自身や周囲の人々への敬意を忘れず、常に安全を最優先に考慮すべきだと痛感したのである。

そして、筆者はこの一件を通じて、人間の無謀さや好奇心が時に危険をもたらすことを痛感し、自身の行動についてより慎重になることを決意した。これからも筆者は、日々の生活や学問において、自らの好奇心を抑えることなく追求していくが、安全面や倫理的側面を熟慮し、無謀な行為には手を出さぬことを誓うのであった。

この一連の流れは、読者の皆様にも、我々が好奇心を持つことの重要性と、同時にその限界や危険性を理解し、バランスを保つことの大切さを示すものであると考えられる。筆者が犯した過ちを繰り返さぬよう、皆様も日々の生活において、冒険心と安全意識の両立を心掛けていただきたいと思う。

そして最後に、筆者は、このエピソードを通じて得た教訓を胸に、今後もさまざまな疑問や好奇心に立ち向かい、新たな知識や経験を積み重ねていくことを誓う。ただし、その過程で絶対に無謀な行為や安全を軽視することなく、周囲の人々や自らの身を守りながら、知識と経験を共有し合い、成長を続けていきたいと思う。それが、筆者がこの物語を通じて伝えたい、最も重要なメッセージである。

皆様も、自分の好奇心を大切にしながら、安全や倫理を意識して、日々の生活や学びに励んでいただければ幸いである。そして、お互いに成長し続けることができれば、これほど素晴らしいことはないと筆者は確信する。

この物語が、皆様の心に少しでも刻まれ、人々の行動に寄り添った教訓となることを願って、筆者は筆を置くことにする。

補講:養老孟司:GPT-4








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