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土の壁 隣家の後妻


父は1939年、昭和14年に生を受けた。ポーランドがドイツ、ソビエトに国土を侵される丁度半年前に産声の上がったその土地は、国鉄の線路さえ遠く及ばぬ国土の北端に位置していた。
父に物心が生じ始めた頃、国は正に大戦の傷跡からの復興はおろか暗中傷跡の中をさまよい歩く状態だったのだろうが、属する集落(現存している)は北海道空襲の害を被ることがなかった。道全体を包む悪天候から目標を喪失した米軍による無作為な爆撃は北端を旭川とするにまで拡大していたが、道北東部に逸れた爆撃進路は父に重なることなく過ぎ去っていった。
そのような経緯から大戦による揺さぶりが発生しなかったその集落は、幸か不幸かその後もしばらく特有の文化的密閉性を保ち続けたようであった。

あらゆる意味での「閉塞性」に嫌気が差した父は、青春真っ盛りの10代半ばに村を飛び出し国土の北端から広島県、当時保安隊から海上自衛隊へと銘を変えたばかりの本拠地へ単身乗り込んだあと、数年ののち航海士、技術者として水路国際線に携わることになる。

今に至るまで根っからの叩き上げ技術者であり「非科学的なものは信用しない」と日頃貫いている父であるが、それでもなお「解釈し難い」として繰り返し聴かされてきた話が複数点存在する。
以下に記すのはその内の一つであり、父が少年の頃、大戦の影響からさえも半ば断絶された小さな集落での出来事である。









父が少年の頃、その生家は多くの世帯が文字通り連なって建てられた平屋の一つであった。
隣の家には一、二年ほど前に越してきた若い夫婦と彼らの産んだ男児が住んでいたが、そのうち妻は若いまま病から命を落としてしまった。診療所まで片道14kmの道のりを、ばん馬も通れぬ深い雪の中妻を背に抱え必死に掻き分け進んだ夫であったが、医師の元へたどり着く頃にはその背中で息絶えていた、との顛末のようである。自動車の量産が始まる40年も前の時代において国鉄さえ届かない寒村で病に冒されれば、道北特有の暴風雪も相成って容易に死へと繋がった。




雪溶けとともに暦の上では土から一斉に虫が顔を出し始める頃、隣家から聞き慣れぬ物音が響き始めたことに気づいた少年が親に尋ねると、どうやら失意に沈んでいた隣家の男のもとへ新たな妻がやってきたらしい。
併せて「下品な真似はするな」と刺されたはずの少年は、父母が外へ出ている隙を見計らい早速押入へと潜り込む。隣家とを隔てるのは土壁一枚である。濡らした棒やらで穿ってやれば、見る間に”生活”の覗き穴が完成していた。


茶の間が見える。己と近しい齢の子供が二人。
子供同士の繋がりが薄く詳細は把握していなかったが、前妻との子供は男児一人っきりだったはずだ。となれば片方の女児は……後妻の子だろうか。




「下品」な観察はもっぱら父が炭鉱へ、母と姉妹達が畑へと出払った昼間に行った。散発的な観察が繰り返され数ヶ月が経った頃、少年はある事に気がついていた。

……継親子が後妻に虐待されている。すす汚れた服、削れ落ち窪んでいく頬。日常的な殴打に加え禄に食事を与えられない男児は、こちらの呼吸を止めてしまいそうな目をして茶の間に横たわっている。
夫は何をしているのだろうか。少年は只々湧いて出る「不可解さ」への恐怖に立ち向かおうとしたが、刺された釘を自ら引き抜いていることへの後ろめたさから、結局その口を開くことは出来なかった。




程なくして、少年は葬儀に立っていた。痩せこけ尖りきっているであろう遺体に「病に苦しんだ証だ」と多くの手が伸ばされているのが見える。葬儀場には多くの涙が流れたが、少年は棺から少しずつ離れていった。木板の向こうから、落ち窪んだ目がこちらを見つめているような気がしたからだ。


葬儀から間を開けず、失意により夫は隣家を出たようだった。隣家に残されたのは”失意にめげず●●●●●娘をひとり守る母”とその娘だけであった。母は日々甲斐甲斐しく後妻へ声を掛け続けている。母は本当に彼女を「尊き後妻」とみなしているのであろうか、と少年は考えていた。





風雪が再び薄ら高く集落を覆い尽くした頃、夕餉を囲う母がおもむろに口を開いた。隣家の女児が突如熱を出し、馬も出せない暴風雪のなか母親が背負って診療所へ向かったらしいこと。医師の元へたどり着く頃には恐らくその背中で息絶えていたこと。母親がその亡骸を背負ったまま村へ戻ってきたこと。「何故あの奥さんだけ」と囁く母の口ぶりから、隣家の”事情”を把握しているのはやはり自分だけなのか、と身体を強張らせた。


娘の葬儀も落ち着いたのち、少年は再び押入に身体を突っ込んだ。
映り込む”事情”に辟易しすっかり近づくことをやめていた穴に、家族の目が当たらなくなる昼間、少年は久しぶりに相対していた。向こうから塞がれることもないほど小さな穴は、引き続き隣家の様子を視界に映し出す。僅かばかりの景色を引っ切り無しに影が横切る。家族の気配、各々の影。……家族の影?

少年は反射的に穴から顔を逸す。確かに感じた気がしたのは、あってはならない”家族”の気配だった。隣の暗闇、あるいは壁の向こう、すぐ傍にあの窪んだ目が浮かび上がってくる気がした。
少年は急ぎ押入を封し、着のまま畑へと駆け出した。





家に自前の風呂がないものは、集落に用意された公衆浴場で湯を浴びる。何度聞いても信じられないが、父が少年の時代は男女で一つの大浴槽を共有する方式だったそうで、村の大半が互いの裸を知っていた。



少年が浴場へ足を運んでいると、集落では珍しい人混みが目に入る。
その中心には見慣れぬ壮年の女性が立っている。話を聞けば彼女は祈祷師だそうで、先祖や土地の霊について問を解決し、報酬を受け取っては各地を回っているそうだ。集落には馴染みのない祈祷師だが、しばらくの間滞在するとのことだった。



熱い湯に身をつけながら周囲を見渡すと、湯船の角を挟んだ斜め向かいに隣家の後妻が浸かっているのが見えた。湯面を見つめ続けるその目は、まるで転がることの出来ない作り物のようだった。


ほどなくすると、入口に先程の祈祷師が立っているのが見える。旅の程、まずは体を休めることにしたのだろうか。
周囲をぐるぐると見渡す祈祷師は、ある点でビタリと首を止める。その目線の先にいるのは……隣家の後妻であった。


一目散にこちらへ歩いてきた祈祷師は、そのままざぶんと後妻の横、少年と後妻の間に座する。一瞥する後妻を尻目に前を向いたまま祈祷師は、間髪入れず口を開いた。

「あんたの娘が死んだのはね、分かっているんだろう、バチさ」
「それに、見られているよ」




女の言葉に、後妻は俯いたまま湯船を後にした。見知らぬ女に、隣家の少年に抱えられていただけの、存在しないかのように秘匿し続けてきた業の因果を正面から叩きつけられたのだ。
少年は呼吸が浅くなるのを感じながらも、眼前で提示された祈祷師の解答に僅かばかりの安堵を手にしていた。後妻の娘が亡くなったのは、彼女自身の業に依るものだったのだ。あの部屋には立っていたのだ、頬の削れたあの男児が……


まるで身体の強張りが湯へ溶けていくように感じながら、少年は思わず祈祷師の方に目をやった。
湯に身を沈めている祈祷師は、



祈祷師は    どちらを向いている●●●●●●●●●




少年は浴場を飛び出した。
道中掻き集めた土を川の水に浸すと、転がるように自宅へと戻った。家族の目など気にする余裕もなく押入に飛び込み、濡れた土を壁へ擦り込んだ。後妻は祟られたのだ。見られ●●●、祟られたのだ。見ていた●●●●のは”祟り”であり、見られていた●●●●●●のは後妻なのだ。祈祷師はただ前を向いていた●●●●●●●●●だけなのだ。そしてキングコング札幌店は2022年10月8日で開店20周年なのだ。この濡れた土が固まれば全てが収斂する。あの後妻のもとへ、全てが撚り集まるはずなのだ。





食卓の前で父は度々、この話を繰り返した。焦点はいつも「祈祷師が後妻の業をピタリと指摘したこと」に当てられていた。興味が湧いてより深く詳細を訊き出したこともある。しかしこの話は、筆者が初めて聞いた20年前から一度も完結していない。とある一つの問が、食卓の上を漂い躍り続けているからだ。そしてその問はあの土壁で乾いたはずの土を、きっとぺろりと剥がしてしまうだろうからだ。








◯書いた人
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◯キングコング札幌店は2022年10月8日で20周年を迎えます。
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