新人訓練②「ワークショップ:現れて去る」(烏山)

この夏、ひとりでできるもんサークルでは、講師の方をお招きした2つの新人育成企画(ワークショップ)が開催されました。
私が参加できたのは、アーティストのうらあやかさんによる「ワークショップ:現れて去る」DAY1・DAY2です。

DAY1:私が・その場にいる を見出すために

1日目にやったことは2つ。
・部屋から一人ずつ出ていき、また戻ってくる
・色々な立ち方を試してみる

どちらも、自分が「その場にいる」ということを身体的な感覚として掴むためのレッスンとして捉えました。

まず、「部屋から一人ずつ出ていき、また戻ってくる」について。
ワークショップを行った部屋は早稲田の学生会館にあり、部屋の外ではミュージカルサークルか何かがずっと小道具を製作していました。その輪の中に、部屋から出て一人で立つというのは、なかなか気まずいものでした。
私が特に気になったのは視線です。逆に、目さえ合わなければ、見知らぬ人の中にポツンと立っているのも案外平気でした。そんなとき、自分はどこか外国にいるような気分になりました。会話はほぼ聞き取れないので周りで何が起こっているのか分からず、その状況に関与することもなく、彼らも彼らで私を気にかけない。
ふと、人の存在感は、相手の視線や反応があってこそのものなのかもしれないと感じました。

次に、「色々な立ち方を試してみる」について。
色々な立ち方として指定されたのは、プレーンに立つ・責任をもって立つ・責任を放棄して立つ・責任と放棄をミックスして立つ、でした。それぞれの立ち方を自分で解釈し、順番に試します。
先のワークで私は「その場にいる」ということと他者の視線を結びつけて考えたので、今回も他者との関係を立ち方の解釈において重視しました。
例えば、「責任をもって立つ」というのは、人に見られているのを意識することだと定義しました。そのため、人と目を合わせ、姿勢良く見えるように背中と腹に力を入れました。「責任を放棄して立つ」は、その逆です。目を合わせず、どう見られるか気にせず、自分にとって楽な姿勢をとりました。
難しいのは「プレーン」です。他者を意識するのでも無視するのでもなく、「ただいる」という状態。
普段の生活においても、他者に対する自己呈示やセルフハンディキャッピングは比較的容易だと思います。一方、自分自身で「ただいる」ことを実感し、そこに自足するのは結構難しいです。今度トイレに入ったときにでも、考えてみようかな…。

DAY2:自己と社会との関係

2日目にやったことも2つ。
・「相手の言っていることがわかる」「自分の言っていることが伝わっている」という経験についてのディスカッション
・街に出て、人の会話を聞いてくる

1日目から発展して、2日目は自分と社会の関係に注目するワークでした。

まず、「ディスカッション」について。
会話をするとき、私たちはごく自然に相槌を打ったり、頷いたりします。
しかし、このワークを通して、「わかる」という感覚は、人によって異なることが分かりました。そんな曖昧な状態でもコミュニケーションが取れてしまうなんて、人間は適当な生き物だなぁと感じました。
ところで、私は時間をおいてやっと相手の言っていたことや読んだ本の内容が「わかる」ということがあります。
自分の言葉に対して相手が笑ってくれたら「わかってくれた」と思うかもしれない。相手の気迫に流されてわかったような気になるかもしれない。でも、そういう、その場における刹那的な反応は、本当に「わかる」こととは違うような気もします。
どこかで言われたこと、見たことが蓄積されて一定量に達したとき、「わかったかも!」という感覚が降ってくる。それが自分にとっての「わかる」なのかもしれません。
だからすぐにはわからなくても、今はできるだけ良い蓄積をしたいと思いました。

次に、「街に出て、人の会話を聞いてくる」について。
私はサイゼリアに行って、2人組のご婦人の会話をこっそり聞いてきました。
2人はおそらく姉妹か従姉妹だと思われ、相続関係の話をしていました。別に重い話ではなく、手続きが面倒だとか、世間話程度のものでした。
面白かったのは、帰り際、どちらか一方が帰ろうとするとつい会話が盛り上がり、なかなか帰る雰囲気になれないというせめぎ合いが見られたことです。
部屋に戻ったあとは、互いに聞いてきた話を共有しました。何気ない会話でも切り取って集めてくると、不思議と面白いと気付かされました。
本来、このワークショップは5日間の構成になっています。3日目以降は2日に聞いてきた会話をもとに演劇?(ゲーム?実験?)のようなものを作るそうです。
私は、就活の関係で2日目までしか参加できませんでしたが、Discordに流れてくる写真を見る限り楽しそうでした。いいなー!

さいごに

ひとりでできるもんサークルの活動が始まって、はや4ヶ月。
正直何をするサークルなのか分からないまま、「でも誘ってくれて嬉しいな〜」という気持ちで、なんだか心地よいこの場所に居座り続けてきました。

4月から7月にかけて、私たちは隔週の定例会に参加し、そこで各々の〈企画〉を共有してきました。
〈企画〉は「毎日朝ごはんを自炊する」から「講師を呼んでワークショップを開く」まで、何でもあり。
ただし、他者の〈企画〉の批評はなし。やる意味や原体験についても過度に突っ込まない。ただ相手の〈企画〉自体を受けとめ、その進捗を互いに見守り合う…。
そんな場を目指していたのが、定例会だったのではないかと思います。

しかし、〈企画〉に制約がないぶん、各々が持ち寄る〈企画〉がただのタスク管理になる傾向があると感じました。(特に、私自身の企画がそうです。)
例えば、「就活生なので来週までにES完成させてきます!」といったことを〈企画〉としてしまう。それは本当にこのサークルでやるべきことなのか…。じゃあ、このサークルでやるべき〈企画〉とは…?

今回参加した夏の新人訓練は、以上のようなモヤモヤについて考えるヒントになったと思います。
私個人についていえば、どういうものが〈企画〉になり得るのかサンプルが足りず、これまで具体的なイメージできずにいました。
夏の新人訓練で試したような小さな実験を、秋以降は自分でもやってみたいと思います。

自分の身体+誰かの身体を使って、何になるか分からないようなことを自由に試してみる…。
そんな機会を持てるのは、非常に贅沢な経験です。
それを活かせるような活動を、これからはもっと考えていきます。


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