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フランス絵本の世界@東京都庭園美術館

ボンジュール!私です!ヴォンボ元帥ですよ!

今回また新しいマガジンを作りました。なんていうか、私このマガジンの機能をカテゴリ設定みたいなノリで使ってるので本当にボッコボコ増やしてます。すいません。

で、このマガジンは「映画・ゲーム・フォロワーからの贈り物以外の諸々のレビューや記録」の記事が突っ込まれる予定です。おそらく博物館や美術館の企画展のまとめが多くなるんじゃないかなと思います。感想というよりは学んだことのまとめにしたいです。(私のメモ兼ねてるので)

さて、一発目の記事は東京都庭園美術館企画展「鹿島茂コレクション フランス絵本の世界」です!(公式サイトはこちら
フランス文学者の鹿島茂先生が長年蒐集してきたフランスの絵本を一気に公開しますよ~という企画展。ちなみに開催期間は今日(6/12)までなのでこの記事読んで行ってもやってないから注意してな!ガハハ!

最終日かつ、「建物公開 旧朝香宮邸物語」という企画展と同時開催ということで結構人がいました。
以下、企画展で知ったことと、補足として自分で調べたことのまとめです。

☆19世紀のフランス絵本

1、「子ども向け」の誕生
ヨーロッパでは長らくこどもは「不完全な大人」として認識されており、「こども」という概念が誕生したのは18世紀になってからだった。特にルソーが『エミール』で「無理やり大人扱いしないでその年齢に合った教育をするべきじゃない?」的なことを言った影響は大きく、フランス国内ではこども向けの教育を模索するようになった。
いち早く行動に出たのはフランス国内の出版社で、こども向けの雑誌の刊行を始めた。中でも『Journal des Enfants(ジュルナル・デ・ザンファン)』は子どもの身近な生活風景や動物を題材にした寓話を収録し人気を博した。それもそのはず、この雑誌に寄稿していた作家は『レ・ミゼラブル』のヴィクトル・ユゴーや『巌窟王』のアレクサンドル・デュマなど現役バリバリの作家であった。『Journal des Enfants』は1832~1836年の刊行なので、ユゴーは既に『ノートルダム・ド・パリ』を、デュマは戯曲『アンリ三世とその宮廷』を発表したあとになる。それほど「子ども向け」というジャンルはフランスで注目されていたということだろう。

2、天才編集者エッツェル
「子ども向け」ジャンルが興隆し始めた頃、エッツェルという若い編集者が『動物たちの私生活・公生活情景』という動物を主役にした寓話集の雑誌を刊行した。この雑誌は大ヒットとなったが、注目すべきはその編集過程にある。
エッツェルはまず「動物を主役にした寓話シリーズをやりたい」というコンセプトを作家たちに伝え、「こんなんどう?」と作家たちが持ってきた草案を挿絵画家J.J.グランヴィルに伝えた。グランヴィルはそのふわっとしたメモから想像を膨らませて挿絵を完成させ、エッツェルに渡す。エッツェルはその挿絵を持って草案を出した作家たちに見せる。そして「じゃあこの挿絵を元に完成させて!」と言う。つまり、コンセプト(編集者)→草案(作家)→具体化(画家)→小説化(作家)という工程で作っていったのだ。
そういうわけで話のバラエティに富んだ『動物たちの私生活・公生活情景』は大ヒットになったわけだが、これも実は挿絵画家グランヴィルは先の『Journal des Enfants』の挿絵も担当していた実力者で、作家陣も『ゴリオ爺さん』のバルザック、男装して社交界デビューしたジョルジュ・サンドなど今となってはすさまじいメンバーとなっている。

ちなみにエッツェルはユゴーの親友であり、ユゴーの友達と言えばデュマやバルザック、バルザックは処刑人シャルル=アンリ・サンソンとも仲が良かったという話なので、そのへんの時代の社交界のメンツと考えればわかりやすい。

3.リリちゃんシリーズ
エッツェルは編集者だけでなく作家の才能もあった。作家のときはP.Jスタールというハンドルネームを用いており、その名で書いた傑作シリーズがリリちゃんシリーズである。
リリちゃんは亡くなったエッツェルの娘をモデルとしたブルジョア階級のかわいらしい女の子で、彼女が主役のほのぼの日常もの、といった感じの作品である。これは雑誌ではなく児童書であり、このリリちゃんを以てシリーズ児童書というものが確立したと言っても過言ではない。さらに、リリちゃん第一作目が出版された1862年の4年後、1866年には『リリちゃんの文法』『リリちゃんの算数』といったタイアップ教材まで作られている。エッツェルはこの教材には関わってないが、挿絵は同じ画家を使っているのでおそらくちゃんと公式のタイアップだと思われる。(企画展では説明がなかった)

これはリリちゃんシリーズの挿絵を担当していたロレンツ・フルリックの絵本『昔むかし、あるところに、1人の羊飼いの少女がおりました』。撮影可の展示物の中で一番萌えたねこれ。

これもフルリックの絵本。写真が下手すぎて全然わかんないけどやたら怖い。なんか話の内容も怖そうだった。夜中変な声に呼ばれて~みたいな…(ピンとが合ってないからあらすじポップが読めねぇ)

☆その後のフランス絵本

1.マンガっぽさの台頭
19世紀末には視覚的なインパクトが注目されるようになった。つまり話より絵である。そんな流れの中で出てきたのがモーリス・ブテ・ド・モンヴェル。海外コミックファンにとってはバンド・デ・シネの先駆者というイメージが強いかもしれない。モンヴェルの絵は遠近感・背景の書き込み・デッサンなどを必要に応じて廃し、見やすくて生き生きしたデフォルメという画風をフランスに送り込んだ。この新しいデフォルメは浮世絵(ジャポニズム)に影響を受けて完成したものだという。

ちょうどその頃、フランスはフランス革命を経て自然科学が発達し、人々が神、あるいは神への信仰というものに疑問を持つようになっていた。革命指導者ロベスピエールが教会を激しく弾圧するようになると、カトリック教会はますます立場をなくしていった。そこで、カトリックが“正しい”ことを強調するため、フランスの歴史の中で敬虔なカトリック信者で大いなる功績を上げた者をPRするようになった。この流れでいの一番に駆り出されたのが15世紀の英雄にして聖女、ジャンヌ・ダルクである。

当時の風潮に反して敬虔なカトリック信者だったモンヴェルはずばり『ジャンヌ・ダルク』というタイトルでジャンヌの生涯を描いた。残念ながら撮影は不可だったが、これが構図からなにからすごいかっこいい。特にオルレアン包囲網のシーンが兵士がドワーーッてなってるんだけどほんとすごかったね(語彙消滅)。
フランス語だからなに書いてるかさっぱりだったけどざっと読んだ(読めてない)感じ戦友のラ・イルなどにも触れられていた気がする。ジルドレ?知らない子ですね…

2.動物アニメ爆誕
20世紀になるともはや写実的なイラストは姿を消し、デフォルメイラストが主流となっていた。『ジュデオン』などで知られるパンジャマン・ラビエは動物を主役としたコメディ漫画を発表し、のちのウォルト・ディズニーや『タンタンの冒険』にも影響を与えた。ラビエはカートゥーンの先駆者エミール・コールとタッグを組んでアニメーションにも挑戦している。が、このへんはなんか好みじゃなかったのでよく見てなかった。なんかほんとディズニーって感じだった。(雑)あとそのあと『ぞうのババール』も登場してもう動物流行りって感じ。よく見てなかった。っていうかもう閉館時間になりそうでめっちゃ急いでた。

☆まとめ

ミュージアムショップに『海底二万里』の当時の挿絵ポストカードがあったから秒で買った。(何の話)

おわり


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