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日本クスクス党 最終話

東西ふたつにわかれた日本。北アフリカからきたクスクスをきっかけに、かつての先進国たる日本が、今や些細なことでトラブルをおこすリテラシーの低い国となる。国と都との責任転嫁の末にまるで“雨の岩戸”に閉じこもった天照大神のように都の女帝は隠れてしまった。人々の同情は女帝に注がれ、反対に農家から身を興し、苦労の末に国のトップとなった小柄な老人に非難の矢が向けられた。

国民の自衛手段である“責任逃れ”。行政が、企業が、同僚が、かつて愛し合った夫婦ですらもまるでババ抜きのように“責任”を回避。それができた者のみが生き残る

かつて美徳とされた“漢気”は、時代遅れのノスタルジーへとなり下がる。

クスクスを食べて北アフリカの能天気さが浸透した日本。それがゆえに下がり続ける国際競争力。気づけば食べ物も、着るものも、住むところさえ不足する。

まずは腹を満たしたい。しかし、勤労意欲がみるみる減った農民はついにクスクスすらも生産しなくなった。これはかつての勤勉さで成長した日本社会が、その成長の手段のひとつとして長けてきた責任転嫁に限界が来た、と他国の経済アナリストは指摘した。

そんな飢えた社会に、かつての“漢気”を旗印に、日本古来の“米”を石原軍団とともに炊き出す「任侠米田組」。彼らの炊き出しトラックには人々が群がり、角刈りやオールバックにサングラスというオールドファッションが、女性をくぎ付けにし、若い世代を中心にブームとなる。そして彼らの“命をも投げ出す漢気”は、責任の擦り付け合いを常とする社会に一石を投じた

不都合な問題が生じたとき、役人は「秘書の責任です」と生贄を差し出して責任を逃れ、タレントはいともたやすく事務所に干され、会社の幹部は「コンプライアンス遵守」をうたい、定年まで大きな問題が降りかからぬよう怯えながら過ごす。庶民は溜まったストレスを烈火のごとくWEBサイトに書き込み、責任者を糾弾する。そのサイクルが「米田組」の生きざまにより徐々に変化する。

「自らが責任を負う」「不都合には己の身を犠牲にする」

そんな過剰な自己犠牲がブームとなった。自ら悪役となることが美徳とされ、“器の大きさ”を競い合う。人気を得るには、痛みを負う覚悟が必要とされる。そんな漢達のもとで、日本は急速に復興し、道徳観も確立する。

あわよくばクスクス食で日本の占領をもくろんでいたクスクス党の計画は頓挫したが、「ま、いっかぁ」と今日も能天気に過ごすのであった。

~終~

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