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スカイ・ハイ

世間の目が冷たいのが、ウチの会社の定番。正確にはウチの“親会社”。
サラリーマンには上々の待遇と、国をも動かす(?)とされる謎の政治力。
芸能人との交友や、政財界のボンボンのコネ入社。
24時間働くアグレッシブ、裏返すとブラックなイメージの実態は、そのほとんどが下請けの苦行によって成り立っている。

その子会社ともなると、プライドと劣等感がブレンドされる。似たような環境に育ち、学校も同じだった者が、片や一流・片や二流の人生を約束された何とも言えない闇に包まれている。

田舎から、勉強もせずにアルバイトで入社した自分には、ハナから性に合わない。とはいえ、華やかな芸能の世界や、海外ロケに連れていかれるうちにその旨味に我を忘れ、入社20年を超えた。

そんな自分も50ともなると、人生の意義を考える。折しも自粛で景況悪化が約束された社会。リモートで露わになった「仕事してる人・してない人」の境界線の上で、自分がどこにいるかは当の本人が最もよく知っている。

世界規模のスポーツの祭典をやるとかやらないとか、やらない場合に元締めに近いウチの会社(の親会社)のダメージは想像に難くない。若く将来のある社員は競合会社に我先にと避難。テクノロジーに乗り遅れた中高年は、誰もが怯えながら、ダメージの軽減と家族の幸せを縋るように願う。

「家族や住宅ローンとかあったら大変だろうなぁ」とか、独り者の自分には他人事。会社がヤバけりゃバイトでもすればいい。自分の暮らしくらい何とかなろう。そうでなくても大企業のチマチマした人間関係にいい加減やんなってたところ。

そんなこんなで思い切って会社を辞め、漁師の見習として海に移り住む。
漁協の連中は、思考の深度が高くなく、感情がダイレクトに伝わってくる。都会から来た元サラリーマンへのもてなしは、「ひ弱な男に何ができる」ってこれまた劣等感とプライドの入り混じった心情。この辺は現代に生きる人間のトレンド。

親方は一回り年下の地元出身の漁師の家系。若いころに上京してアパレルの仕事についたそうだが、都会と反りが合わないのと、親父さんの体調悪化で地元に戻ってきた。
東京の話題はしたくなかったが、良かったこともその反対も彼との共通言語として使ううちに、心の壁が放たれ、距離は縮まった。

船にはインドネシアからの技能実習生のナナンもいる。あどけなさの残るクリクリっとした目と笑みが印象的な、人懐っこい若者。日本語は少し学んできたようだが、コミュニケーションは身振り手振り。真面目に取り組む姿勢には、日本では得られないハングリーさが垣間見れた。

朝2時に船に網を積み、エンジンにガソリンを入れ、灯火を照らし、親方を待つナナンと俺。
明日から3月。とはいえ、海辺の深夜はヒートテックでも痺れる。
出航のテーマ曲は、親方が好きなレスラーの入場曲「スカイハイ」。魚は音に敏感なので、出向の際のほんの数分のアドレナリン爆発用だ。

船団と共に沖に出ると漁が始まる。ほとんど使い物にならない俺とナナン。テレビで見た大間のマグロ漁師のように、勝負師の形相の親方。
途中、足を滑らせ、真冬の海に投げ出される俺をナナンが救出してくれた。

午前中に漁を終えて漁港に戻る。水揚げはまぁまぁ。俺もナナンもなんの力にもなれていないことが面目ない。港の市場では、漁師の嫁たちが手際よく魚をおろし、セリに出す。

数か月もたつと仕事にも慣れ、肩の力が抜けたころ、ナナンが給料で買ったスマホで仕切りに連絡をとっている。ちらっと見ると、さっと隠す。

翌朝、ナナンは起きてこなかった。
いつも二人でこなす仕事を、一人でやるのは50の体にはきつい。あとで聞くと、彼は買ったばかりのスマホで同じく技能実習生として都会で働く仲間の割のいい仕事の話を聞いて出て行った。希望があるならやってみりゃいいじゃないか。一瞬の人生を。

1年が過ぎて、仕事にも漁師町での暮らしにも慣れ、肌も海の日差しと照り返し、潮風にさらされてそれっぽくなってきた。

スポーツの祭典は総合的な判断から中止となり、アスリートには辛い記憶となったが、ビジネスとしては青臭いことを言ってられない事態に陥った。
損切りのタイミングを誤った元我が社の同僚たちは、補償もままならない現実に失望し、家計の柱と頼りにされていた家族からはあっさりと縁を切られ、思考停止に陥った。

俺はと言うと、自分の将来も、この国の未来についてもまぁまぁまぁ。
とりあえず自分の食い扶持と、明るく過ごすための仲間との馬鹿話で埋める。

空高く見上げると、飛行機雲が一筋、青空に白い線をひいていた。

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