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心のブレーキを緩める物語~私の尊敬する人、父に関して~

はじめに

初めまして!Definer Inc.で代表をしています。

阪本 健太郎と申します。

 掲題にある通り、私の父に関してです。ちなみに、私は四人兄弟の末っ子でして、幼少期には離婚をしているため離婚をした後も、定期的に父に会っていた、ぐらいの距離感です。

父の印象

 偉大な男、という言葉がよく似合う人でした。アニメや漫画で例えると、少年ジャンプで連載されている、「僕のヒーローアカデミア」の「オールマイト」と「All For One」を足して2で割ったような、あるいは「コードギアス 叛逆のルルーシュ」の主人公ルルーシュの父親、「シャルル・ジ・ブリタニア」のような人でした。

 とてつもなく優秀で、圧倒的な実績を持った人間が持つ尊大さ、気高さ、そして危うさを体現したような人でした。

 しかし、私にとっては一人の父親として、やはり大切な人でした。

何を話しても、具体的かつ示唆に富み、そして中身のある話を欠かさなかった父。どんな時も誇り高く、気高く、格好良かった父。それでも、どうしても肯定できないところを持っていた、危うい父。


父上は、私が生きてきた中で最も賢く、偉大で、それでいて、危うい人でした。

父の仕事

 父は、米国の主要投資銀行の要職で長年働いていた人です。名前は控えますが、ティアワン、の主要投資銀行のどれか、をイメージしていただければ。本当に私が幼い頃、深夜に帰ってきて、そして早朝に出ていく、という光景をぼんやりと覚えています。軽く仕事内容を伺った範囲だと、大企業の資産を数百億単位で運用して、ファイナンシャル的なリターンを生み出すと同時に、大企業の資産を防衛するというお仕事だったそうです。

 当時の推定年収は、数億は下らない世界だったと聞いています。ですが、その金額の重みは、良くも悪くも人生を大きく変えていたと思います。

 ワークワイフバランスなどはほとんど無かったでしょうし、彼自身、「本当は弁護士になりたかった」と家族に漏らしていたそうです。投資銀行で資産運用を行うという金銭的なインパクト以上に、「自分がどうなりたいか?」を追求することは無かった人生だったのだと思います。

 それは、私が人生において気をつけていることの一つです。父は、「どうあるべきか?」という会話が目立つ人でした。そして、とても窮屈な価値観で生きている人でした。(自分で自分の首を絞めている感じの)

 しかし、私は「自分が、どう生きたいか?」に焦点を当てています。なぜなら、優秀な人ほど、論理的、客観的で、他者の視点で、「お利口さん」になりがちで、心に従った意思決定が難しくなると感じているからです。

 重要なときは、常に、「どうあるべきか?どう生きたいか?」のバランスを取るようにしています。そして、何よりお金に惑わされないように、常に「自分が望む仕事、家族と、納豆ご飯と味噌汁、で私は幸せに生きられる」と言い聞かせています。


 フリーランスエンジニアとして、月200万円ぐらい稼いでいた時も、生活は一切変えず、質素倹約して、「社会に価値を提供する」という信念を乱したことは一度もありません。これからも、それを見失うことはありません。むしろ、仕事が忙しくて1日 一食を少し食べる、ぐらいの生活がここ数年は続いています。(いつかは、食事しなくても生きれるように光合成をできるかもしれませんね。笑)


父の生き様

 父は、大阪の中流階級に生まれました。(祖母と祖父の話は別の記事で。)大学は京大の経済学部を卒業し、日本の企業に入社した後、会社の社内留学制度で、アメリカのChicago BoothのMBAに行ったそうです。

 Chicago Booth(Chicago大学のMBA)は、Business Schoolとして世界でNo.1の評価を複数の雑誌から受けています。1980年代前後、当時は、まだまだ北米に食い込んでいるアジア人はほとんど居なかったでしょうし、まだまだ差別が根強いアメリカだったと思います。(もちろん、今でも人種差別が根強い国家であることは認識しています。)

 最初の学期で、彼は赤点ばかりだったと母が笑っていました。全くもって、Nativeでも読めないぐらいの大量の論文や本を渡され、歯が立たないぐらいのレベルだったと。そこから、死に物狂いで勉強してガリガリになるまで勉強していたそうです。そうしたら、、、

 なんと、途中から全て最高評価 (A+なのか、Sなのかは知りません。)でグレードを取ったそうです。実質的に、主席というやつだと思います。つまり、事実上、父はその時、世界の頂点に立ったという事です。


そうしたら、、、


 突然、北米の主要投資銀行から呼び出され、面接を軽くして、その場でオファーをもらったらしいです。日本企業の留学費用や、滞在費用も全て投資銀行が負担するという条件だったそうです。そして、そのオファーを受けたことが、良くも悪くも人生の転機だったと聞いています。

 間違いなく、ファイナンシャルリターンは、投資銀行で出世した方が良いです。ですが、私は幸福につながったと言い切れない部分があると感じています。

 そもそも、日系企業は将来的な幹部になってほしいから、留学費用を出しているわけです。「それに対する恩義はないんか?」「偉そうな事ばっか、いつも言ってるくせに、生き方で仁義を通してないじゃないか?」と私は感じていました。

 母からは、「日系企業の先輩たちが、散髪いくか、ゴルフ行くか迷ってるのを見て、お父さんはそれが嫌だったのよ。美味しいものも食べたいし、子供もたくさん欲しかったし、犬も飼いたかった。それを、北米は認めてくれると感じたのだと思う。」と聞いています。おそらく、もし投資銀行に行かなかったら、四人兄弟の末っ子である私は、生まれていなかったかもしれません。

 この物語は、とても強い示唆を私に与えてくれています。差別が激しかった世界でも、日本の片田舎から生まれた男が世界の頂点に立ち、そして金銭的に大成功したNew Yorkerになるまでの物語。人間としての可能性と、歪んでいく器の景色。

 私にとって、父は希望と絶望の象徴でした。正に、オールマイトであり、All For Oneでした。

さいごに

父の物語は、私に人間の可能性と、資本主義に飲まれる危険性を強く教えてくれます。

片田舎からでも、差別があっても世界の頂点には立てるのだと。その上で、自分が生きたい道を探さなければならないと。

読んでくれた方に向けて

ここまで、読んでくれた方は何かしら価値観を共有できるのかな?と思いますので、ぜひまずはカジュアルに話しましょう。

採用採用せず、フラットに楽しみながら。

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