左下り観音
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晴れ。
やらなければならない仕事が溜まっているため気持ちは悶々としている。しかし少ない休日を無駄にしたくはない。車を走らせる。今日は車を走らせないと気が済まないくらいの気持ちのいい快晴だ。
今日の目的地は会津美里町にある左下り観音堂。
左下り観音堂とは会津三十三観音21番札所となっている。観音堂は江戸時代の懸造りで、山の中腹にある岩を切り開き構築した三層閣のお堂である。自宅から1時間半ほど時間をかけ、到着した。観音堂へは山道を登っていかなければならず、その山道の入り口にはきれいな桜が咲いていた。
写真の看板にもあるとおり、参道の入り口から左下り観音堂までは約600メートルの山道を登っていかなければならない。それなりに勾配のある山道であった。お堂の近くには駐車場があり、そこまで車でも行けたのだが、自分は歩いて向かうことにした。歩く途中の道のりにも桜が咲いており、せっかくなのでそれを見ながら歩きたいと思ったからである。
お堂に行くまでの途中に母子地蔵があり、その隣には「うがい清水のアカマツ」(?)と書かれた札が建っていた。アカマツがどの木を指しているのかはよくわからず、周りにあるすべての木を指しているのか? と思われる。
「うがい清水のアカマツ」を通り過ぎると幅の狭い石段があった。それを上りきり、参道をやや登ると観音堂が現れた。立派な懸造りのお堂である。
そもそも懸造りとは何なのかというと、山や崖にもたれていたり、谷や川の上に突き出た状態で建てられた建物のこと。有名なものでは鳥取の「三佛寺投入堂」などがあげられるが、正直よくこのような場所に建てたなあと、左下り観音堂を見て思う。
お堂の大きさに圧倒されつつ、その裏側にある断崖絶壁の迫力も凄い。お堂内部への入口には扁額がかかっており、そこから回廊へと歩を進める。そこから会津盆地と磐梯山の風景が見渡せた。
入口に向かって左手側の暗い回廊の奥には洞窟があった。洞窟の奥に見えるのは無頸(くびなし)観音だ。今回、左下り観音で一番見たかったものはこの秘仏である。
ここで無頸観音についての説明をしたい。
延長年間(923〜929年)頃、越後の追手から逃れてきた者が、この観音堂に身を潜め助かるよう観音に祈ったが、やがて捕まってしまい岩の上で首を切り落とされた。その後追手は首を持ち帰り主人の前に差し出すが、それはその者の首ではなく観音の石頸であった。首を切り落とされた観音は、その後「無頸(くびなし)観音」と言われ、秘仏とし今もなおこの洞窟に安置されているとのこと。
無頸観音に関する逸話が本当かどうか定かではないが、昔の人はなぜそのような話を後世にまで伝えようとしたのだろうか。日本全国に散らばる不思議な話が本当にあった出来事なのかどうかは別として、当時の人々は何か大切なメッセージを若い世代へ残そうとしてきたのではないだろうか。
何かに対し「祈る」という行為がどれほど役に立つのかわからないが、当時観音様へ必死で祈った名もなき者のように、生きるためにはその時祈るしかなかった。つまり祈るという行為そのものが必然であったのではないか。追手に殺された者を初め、人々がより良く生きていくために、当時は「祈る」しかない状況が多々あったのかもしれない。
現代では祈りの行為に必然性がなくなりつつある気もするが、「より良く生きたい」と願う祈りに似た願望は、令和を生きる私たちの心の中にもある。
※おまけ
左下り観音へ向かう前に会津坂下町にある板下ドライブインへ寄り道した。が、休日であったため大混雑。また、暴走族のようにバイクを爆音で鳴らす連中も大勢店の前でたむろしており、中で食事をとれる状況ではなく、食堂の隣にあった売店で桜肉を購入することにした。
桜肉の味は全くクセがなく、魚の刺身を食べているような感覚であっさりしている。美味。そして新鮮な桜肉は生きているように赤い。
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