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【その他】我思う,ゆえに我なし

ロシアW杯のニッポン代表のGL初戦まで,あと一週間となりました.その相手は前回大会で木っ端微塵にボコられたコロンビア.あの試合の失点シーンで常に顔を出していたうっち〜こと内田篤人や,試合終了間際にGKとの1vs1を決められなかった我らが柿谷曜一朗はどんな心境なのでしょうか.怪我の影響もあって召集されなかった齋藤学や清武弘嗣なども交えて慰め飲みでもやりたいところです.(笑)

そんなところでタイトルの説明から.フランスの哲学者であるデカルトの有名な言葉「我思う,ゆえに我あり」から生まれた造語で,みうらじゅん師範代の言う”自分なくし”を文章にしたものです.なぜこのタイミングでこのタイトルなのか.それは私が先週末に京都の妙心寺で3日間禅修行を受け,坐禅や和尚さんの説法から実体験を通じて”自分なくし”の本質を見抜けた気がしたからです.何事もわかった気になるのが最もよくないことですので,現時点で私がおもふ”自分なくし”の方法をまとめたいと思います.

まずは"自分なくし"の方法から.キーワードは「諦める」.私は高校入学あたりからこの「諦める」作業を果敢に行ってきました.サッカー部のエースになるのを「諦める」点取り屋になるのを「諦める」ボールを触るのを「諦める」医者になるのを「諦める」と,高校時代はいろんなこと諦めて結果的にたくさんの”自分なくし”をしました.この「諦める」という言葉はネガティブに捉えられがちだと思いますが,仏教用語では「明らかにする,真相をはっきりする」という意味なんだそう.これだけ諦めてきた私だからこそ,今後自分が実現したいこと,そして社会に必要とされる場所を明らかにできたのではないかとつくづく思います.”自分”がありすぎると視野も思考も固くなってしまう気がしてなりません.したがって,”自分なくし”の方法は「諦める」こと.

最後に.全力で努力したにも関わらず結果にコミットできなかったときだけ「諦める」ことができます.その結果のハードルには個人差があると思うけれど.意外と世の中には自分の価値を示すことができる場所ってたくさんある気がする〜.

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