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アラフォーだって輝ける! 美しき不死チート女剣士の無双冒険譚 ~仲良しトリオと呪われた祝福~30~39

30. 脳髄も揺れる生ハム

 昼過ぎにカチャカチャという物音で目が覚めたソリス。セリオンがキッチンで甲斐甲斐しくランチを準備している。

「あ、ごめんなさい……」

 慌ててダイニングテーブルの方へ行くと、何やら巨大な材木みたいなものがデンとテーブルの上に載っている。

「あ、起こしちゃった? ゴメンね」

「いや、もう起きないと……。これ……何?」

「ふふっ。タマゴタケが思ったより高く売れたから、奮発して買ってきちゃった。生ハムの原木だよ」

 セリオンは豚の足を丸々一本塩漬けにした原木を持ち上げ、ナイフで表面から一切れその身を削り取った。

「ほぅら。どうぞ……」

 ソリスに差し出された薄く切られた生ハムは、ピンク色に鮮やかに輝き、ソリスは思わずゴクリと唾をのんだ。

「い、いいの?」

 ソリスは躊躇ちゅうちょした。今まで倹約生活を続けてきたソリスは、生ハムなんて食べたこともなかったのだ。憧れて、でも見ないようにしていた生ハムが今、目の前で煌めいている。ソリスは手が震えた。

「タマゴタケ見つけたのはおねぇちゃんだからね」

 セリオンはニッコリと笑う。

「では、ありがたく……」

 ソリスは生ハムを受け取ると、はじを慎重にパクリとかじった――――。

 刹那、ぶわっと芳醇な旨味が口いっぱいに広がっていく。

 うほぉ……。

 我慢できずにすべてを口にほおばったソリス。旨辛い生ハムの信じられないほどの美味しさが口の中で炸裂し、その味に完全に心を奪われた。

 我慢できずに全部口にほうり込んだソリスは、口の中で爆発するその旨辛い生ハムの桁違いの美味しさに心を奪われた。

 なんという深い旨味、生ハムとはこんなに美味いものだったのか……。ソリスはその味に酔いしれ、恍惚とした表情で思わず宙を見上げた。

 森でキノコを見つけただけでこんな贅沢ができるだなんて、とても信じられない。三十九年間の自分の人生は一体何だったのだろう……? 昨日のミスティックサーモンもそうだったが、ソリスはスローライフの魅力に心を奪われ、深く考え込んでしまった。

 振り返ってみれば、冒険者としての生活は苦労の連続だった。命懸けの戦闘で得た報酬も、税金や家賃を払うと手元にはほんの少ししか残らなかった。もちろん『安全第一』でリスクを減らしていたからという面もあるが、アグレッシブに挑戦していた同期の多くは鬼籍に入ってしまっている。やり方は間違ってないのだ。

 贅沢もできず、カツカツの余裕のない暮らし――――。

 どれだけみじめだったか……。生ハムの旨味を味わえば味わうほど涙が出てきてしまう。フィリアとイヴィットにも食べさせてあげたい。ついそう思ってしまう。

「おねぇちゃん、どうしたの?」

 心配そうにセリオンがソリスの顔をのぞきこむ。

「あ、何でもない、大丈夫よ! あまりに美味しすぎて……ね……」

 ソリスは手の甲で涙をぬぐうと、気丈にランチの支度を手伝い始めた。

        ◇

 二人で手分けして、レタスとトマトを洗って切り、パンをスライスして軽くトーストする。それらの上に生ハムをふんだんにドンと乗せてオープンサンドの出来上がりである。

「できたぞ! 美味しそう!」

「うふふ、とても贅沢だわ」
 
 二人は幸せそうな笑顔を交わし、微笑みあう。

「では! いっただきまーす!!」「いただきまーす!」

 一気にかぶりつく二人――――。

 うほっ!

 ふわぁ……。

 二人はその生ハムと野菜とトーストの奏でるマリアージュに、脳髄が揺さぶられるほどの衝撃を受けた。

 うっまぁ……。

 す、すごい……。

 サクサクとしたトーストに野菜のフレッシュなみずみずしさ、そこに圧倒的な旨味と塩味の生ハムが加わり、まるで芸術品のようなハーモニーが完成していたのだ。

 二人は何も言わず、ただ、もくもくとその食のアートを心行くまま堪能していった。山の幸だけにとどまらず、そこから街の美味しいものにつなげていく味の旅。きっとこれがスローライフの醍醐味というものなのだろう。

 ソリスはスローライフの真髄を垣間見た気がして、大きく息をつき、ゆっくりとハーブティをすすった。

       ◇

「午後は、そのぉ……まきを作りたいんだ」

 お茶を飲みながら、セリオンがクリっとした可愛い碧い目で、伏し目がちにソリスを見た。

「あ、手伝うわよ! こう見えて力には自信があるんだから」

 ソリスは九歳児の細い腕をぐっと誇示する。若化でかなり弱くなってしまったとはいえ、レベル125の補正でまだまだ人類最強レベルなのだ。

「良かった! 助かるよ」

 セリオンはキラキラとした笑顔を見せる。

 食後にさっそく物置小屋へと移動した二人――――。

「えっ!? これで薪を作るの?」

 ソリスは小さな手斧を差し出され、つい声を上げてしまった。

「ごめんね、こんなのしかないんだ……」

「いつもこんなのでやってるの?」

 そう言いながら薪の棚を見ると、そこには刃物ではなく、力でへし折った破片が積まれていた。確かに今まで使っていた薪も不自然な形をしていたが、改めて棚を見るとその異様さはある種狂気に見えた。

「あ、いや、これはちょっと手伝ってもらって……」

 ソリスは丸太をベキベキに切り裂く存在につい鳥肌が立った。一体誰がこんなことを……。レベル125のソリスだってそんなことはできない。だが、セリオンは誰がとは教えてくれなかった。

 ふぅとため息をつくと、ソリスは倉庫を探し回って、古びた剣を見つけた。少しびてしまっているが、しっかりと作られている。ビュンビュンと振り回してみたが、重心もいい感じにソリスに合っていた。これならソリスの剣さばきにも耐えられそうである。

「これにするわ」

 ソリスは砥石といしに水を含ませ、丁寧に研ぎ始めた。本来ならば、長年使い込んだ愛剣を手にしたかったが、筋鬼猿王《バッフガイバブーン》によって粉々に砕かれてしまい、今は手元に何も残っていない。長い年月を共に過ごし、命を託してきたその武骨な大剣を思い出すと、ソリスは深いため息をついた。

31. クリーミーな山の幸

 薪に適したドングリの森まで、二人は手をつなぎながらお花畑を歩く。色とりどりの花に包まれ、かぐわしい芳香が気分を華やかにし、歩いているだけでも楽しくなってくる。なぜここだけこんなに花が咲いているのか不思議だったが、セリオンに聞いても分からない様子だった。

 ドングリの森についたソリスは、あちこちに力任せにへし折られた巨木があるのに唖然とした。きっと薪にするために力任せに折り取ったのだろう。

「とんでもない怪力だ……」

 ソリスはそうつぶやき、首を振る。

 こんなの到底真似はできないが、自分らしく美しい薪を作ってやろうと気を取り直し、一本の立派なクヌギの木に向けて剣を構えた。

 すぅー……、はぁぁぁぁ……。

 呼吸を整え、太い幹に狙いを定める。レベル125の世界最強の女剣士の剣気はすさまじく、刀身は徐々に黄金の光を帯び始めた。

 セイヤーッ!

 目をカッと見開くと、目にも止まらぬ速さで剣を振りぬくソリス。

 鮮烈な光を放ちながら、剣気の輝きが太い幹を斜めに貫いた――――。

 直後、幹は斬り筋に沿ってズズズ……とずれ始める。

 ヨシ!

 ソリスは満足げに目を閉じ、剣をさやにカチっと収めた。

 クヌギの幹は地響きを伴いながら、轟音と共に大地へと崩れ落ち、ソリスはニヤッと笑いながらセリオンに振り向く。

「すごーーい! おねぇちゃん、凄い!」

 セリオンは目を丸くしてパチパチと拍手をしながら駆け寄った。

「ふふーん、めて褒めて!」

 ソリスは上機嫌に腰に手を当て鼻高々にドヤ顔でセリオンを見る。

「うん、すごい! 僕がやるとこんな風にならないからなぁ……」

 セリオンは感心したようにツルツルの切断面をなでた。

       ◇

 枝を刈り、幹を家の裏手まで力任せに引っ張って持ってきた二人は、今度は薪割りに精を出す。

 ソイヤー!

 ソリスは真上から真向まっこう斬りで、丸太に剣を叩きこむ――――。

 パッカーン!

 いい音がして丸太は一刀両断にされて飛び散った。

「うわぁ、すごいすごーい! 僕にもやらせて!」

 セリオンは碧い目をキラキラと輝かせ、ソリスに剣をおねだりする。

「いいけど、気を付けて。力の入れ方間違えると危ないからね」

「やったぁ!」

 ソリスはセリオンに剣を握らせ、握り方やフォームを手取り足取り教えていった。

「下腹部に力を入れて、つかを前にすっと出し、そこから手首のスナップで刀身をくるっと回し、その勢いで真下に斬り降ろす……分かった?」

「えっ? こう……かな?」

「上手上手! じゃあ、ちょっとやってみよう」

 まずはソリスも一緒に剣を握ったまま、丸太に向けてゆっくりと剣を下ろしていく――――。

 カン!

 剣は美しい軌道を描きながら丸太に食い込み、ピシッとひびが入る。

「分かったね? じゃあ、一人でやってみよう!」

「よぉし!」

 セリオンは上段に構えると、じっと丸太を見定める――――。

 そいやぁ!

 碧い目をキラリと輝かせると、刀身を丸太へと打ち込んだ。

 ヴィィン……。

 丸太に当たった剣は鈍い音を立て、セリオンの手からすっぽ抜けてしまった。クルクルと回りながら跳ね返ってくる剣――――。

 わぁっ!

 焦ったセリオンだったが、ソリスは冷静に回る刀身を指先でつまみ、軽やかに受け止めた。

「こらこら、剣を手放しちゃダメよ」

 ソリスはセリオンをたしなめ、サラサラとした金髪を優しくなでる。

「ご、ごめんなさい。僕、向いてないかも……」

 セリオンは口をとがらせ、うつむいた。

「薪割りは私がやるから、割ったのを積んでいってね」

 うん……。

 セリオンは可愛いため息をつくと、残念そうに散らばっている薪に手を伸ばし始める。

 すると、薪に開いた穴から白い何かがうごめいているのを見つけた。

「あっ! カミキリムシの幼虫だ!」

 目を輝かせるセリオン。

「よ、幼虫……?」

 ソリスは思わず後ずさる。ソリスにとって無視は天敵なのだ。

 セリオンは嬉しそうに幼虫を引きずり出すと、グミを食べるようにパクっと口に放り込んだ。

「うほぉ……、美味しぃ……」

 恍惚とした表情で美味しそうに幼虫の旨味を堪能するセリオン。

「え……? 食べ……ちゃったの?」

 ソリスは虫を美味しそうに食べているセリオンを見て、固まった。まさか虫を食べるとは……。 確かに田舎の人は虫を食べるというのを聞いたことがあるが、こんな可愛い子供が美味しそうに食べているのを見ると、複雑な気分になってしまうソリスだった。

「ん? おねぇちゃんも食べる?」

 セリオンは散らばっている薪の中から次の幼虫を見つけると、嬉しそうにつまんでソリスの顔の前に出した。

 ひぃぃぃぃぃ!

 ソリスは全身に鳥肌をたて、慌てて逃げ出した。

「あ、おねぇちゃん、虫がダメなんだっけ……。美味しいのになぁ」

 セリオンはそう言いながらまた幼虫を口の中に放り込む。

 その後もセリオンは幼虫を見つけるたびに美味しそうに食べ、ソリスは後ろを向いて見ないようにしていた。

         ◇

 夕方には全ての丸太が山盛りの薪になり、小屋の裏手に積んで野ざらしにしておいた。こうやってしばらく雨に晒した後、薪の棚に入れて二年ほど乾燥させて出来上がりらしい。

 ソリスはこんもりと積み上げられた薪の山を眺めた。これで一年分にはなっただろう。額の汗をタオルで拭いながら、セリオンの役に立てたことを嬉しく思った。

「おねぇちゃんのおかげでとても助かったよぉ」

「ふふっ、どういたしまして!」

 ソリスは嬉しそうに笑うセリオンの頭をやさしくなで、ニッコリと笑った。

32. 互いの温もり

 それから数カ月、ソリスはスローライフを満喫していた。

 森で獲物を狩り、山菜や薬草を摘み、畑を広げ、屋根の雨漏りを直し、セリオンと朝から晩まで笑い声を響かせながらお花畑での生活を楽しんだ。食事は山の恵みを中心に、湖の幸や街の美味を組み合わせ、毎食が絶品のご馳走となる。その暮らしはまるで天国のようで、もはやここを離れることなど考えられないほど、この地に深く染まっていった。

 最初のうちこそ『輝く生きざまを見せる』という女神との聖約を必死に考えていたソリスだったが、毎日朝から晩まで忙しく、楽しいことや美味しい食事に囲まれた充実した生活の中で、徐々に思い出す機会も減っていった。

 翠蛟仙アクィネルに解呪をお願いして、本来の生き方に戻るべきだと何度も考えたが、セリオンの輝く笑顔を見るたびに、その最高のスローライフを手放し、再び厳しい現実に戻る決心がどうしてもつかなかったのだ。

 その日も、この季節にしか手に入らない幻の薬草を求めて、朝から森の奥深くまで探索し、険しい崖を登って貴重な薬草を手に入れた。セリオンと共に挑戦する日々は、まるで毎日が宝石のように感じてしまう。

 家に戻ってきた頃には、遠くの山に真っ赤な太陽が差し掛かり、辺りはすべて赤に染まっていた――――。

 二人はしばらくウッドデッキで、その色鮮やかな大自然のアートを眺める。

「今日も終わりね……」

「お疲れさまでした」

 セリオンはニッコリとソリスに笑いかけると、ポットのお茶をソリスの前のカップに注ぐ。

「あ、ごめんね。ありがとう……」

 ソリスは山の端に隠れていく真っ赤な太陽を眺めながら、ピンク色の酸味のあるローズヒップを静かにすすった。

 風はぎ、花畑は静寂に包まれ、これからやってくる夜のとばりにみんなが備えているような静かな緊張が感じられる。

 ここに来てから夕日を眺めるのが暮らしの一部となったが、街での生活ではそんな風景を楽しんだ記憶などなかった。街には日没を見られる場所がほとんどなく、高級住宅地の山の手ならまだしも、ソリスが暮らしていたダウンタウンでは夕日を拝むことなど不可能だった。

 それに――――。

 日々の過酷な労働の中で、そんな余裕など全くなかったのだ。陽が沈むまで狩りをしたら、ギルドへの報告、換金、夕飯の支度に道具の整備、全てが終わったころにはもうクタクタで眠ることしかできなかった。

 ローズヒップの甘酸っぱい香りが鼻腔を通り抜ける中、一体何が間違っていたのだろうか? と自問してみるソリスだったが、どこにも間違いを見つけられなかった。逆にそれがソリスの苦悩を深く刻んだ。

 ふぅ……。

 ソリスは重いため息をつくと首を振り、鋭い輝きを放ち始めたよいの明星を見上げた。

「夕飯作ってくるから待ってて」

 セリオンは椅子からピョンと跳びおりる。

「あ! 私も手伝うわ……、よいしょっと……」

 慌てて立ち上がろうとしたソリスだったが、足が床についていない九歳児なのでまごついてしまう。

「いいって、簡単な物すぐ用意するだけだから座ってて」

 セリオンは頑張って降りようとしているソリスを制止する。

「あ……、そう?」

「うん! 待ってて!」

 セリオンのまぶしい笑顔にソリスはニッコリとほほ笑むと、ゆっくりとうなずいた。

       ◇

「はい! できたよー!」

 セリオンがディナーをトレーに乗せてヨロヨロしながらやってくる。

「あぁ! 手伝うわ!」

 トレーを急いで受け取ったソリスの目に飛び込んできたのは、大皿に美しく盛られた生ハムのガレットだった。細切りにしたジャガイモが香ばしく揚げ焼きにされパイ生地のようになり、その上には色とりどりの野菜と生ハム、そしてとろりと溶けるチーズが絶妙なバランスで乗せられていた。

「わぁっ! 美味しそう!」

 ふんわりと立ち上ってくる揚がったポテトの食欲をそそる香りに、思わずソリスは目を輝かせた。

 早速切り分けて食べる二人。

「いっただっきまーす!」「まーす!」

 一口サイズに切ってフォークで運び、口に入れると、カリッとした香ばしい表面とほくほくした中身の絶妙なコントラストが広がり、とろけるチーズが見事に絡み合い、その美味しさに脳髄が震えた。

 さらに、生ハムの辛旨い芳醇な風味が広がってきて、ソリスはその至福の味わいに思わずため息をつく。

 ふわぁ……。

 美味しぃ……。

 二人は労働の心地よい疲労感の中、その魅惑的なディナーを堪能しながらお互いを見つめあった。

「美味しいねぇ……」

「本当に……、幸せだわ……」

 ソリスは次から次へと手が伸びてしまうガレットを心行くまで堪能し、満足しながらも深いため息をついた。

 フィリアやイヴィットにも食べさせてあげたい――――。

 こんな美味しいものを一人で楽しむのは、どうしても後ろめたい気持ちが残る。

『ズルいでゴザルよ! ソリス殿~!』『……、ズルい……』

 今にも二人の声が聞こえてきそうである。

 しかし、生き返らせるには女神に『輝く生きざま』を見せないといけない。ところが、輝く生きざまをどうやって見せたらいいのかがソリスには全く分からなかった。

 この数カ月、自分なりに精一杯生きてきたが、どうも女神の望む『輝く生きざま』とは距離があるように感じてしまう。

 もっとダンジョン奥深く冒険するのを見せる? それは確かに輝きそうではあったが、ソリスには女神が認めて喜んでくれるイメージが湧かなかった。

 茜色から群青色へと美しいグラデーションを描く夜空を見上げ、ソリスはボソッとつぶやいた。

「このままでいいはず……ないわ……」

 どういう生き方がいいかは分からなかったが、自分だけスローライフを楽しんでいる生き方では到底女神を納得させられない。

 ソリスは二人に申し訳なくて胸が押しつぶされそうになり、思わず胸を押さえ、うつむいた。

「フィリアぁ、イヴィットぉ……。ゴメン……。でも、どうしたら……」

 正解の分からなくなったソリスはポトリと涙を落とした。

「お、おねぇちゃん……、どうした……の……?」

 セリオンが心配そうにソリスの顔をのぞきこむ。

「ん……? ご、ごめんなさい。死んだ友達を思い出しちゃって……」

 ソリスは慌てて手の甲で涙をぬぐった。

 セリオンはトコトコとソリスのそばまでやってくると、ギュッとハグをした。

 え……?

 セリオンは何も言わずただ優しくソリスを抱きしめる。

 その優しい温もりに触れた瞬間、ソリスの瞳からまた涙がこぼれた。星が瞬き始める夜空の下で、二人はしばらくの間、互いの温もりを感じ合う。

 人生に迷うソリスにとって、セリオンの優しさは心の奥底に深く染み渡っていった――――。

33. 温もりからの卒業

「そうだ! お友達にメッセージを送ろうよ!」

 セリオンはそう言うと、物置から白く大きな紙袋をたくさん持ってきた。

「え……? 送る……って?」

「これをね、膨らませて、ろうそくを点けるんだ」

 セリオンは紙袋を一つとって膨らませると、下のところに竹ひごで作ったロウソク立てを設置してろうそくを載せた。

「あ、もしかして……、ランタン?」

「そう、ランタンにメッセージを書いて空高く飛ばすんだ。うちでは毎年ご先祖様をとむらうためにやってるんだよ」

「あぁ……、それはやってみたいわ」

 泣きはらして赤い目で、ソリスは静かに笑った。

 ソリスはペンを取ると大きな紙に向き合ったが、書きたいことが多すぎて、なんて書けばいいのかしばらく頭を悩ませる――――。

「一言でいいんだよ」

 見かねてセリオンがアドバイスする。

「そ、そうよね……。ヨシ!」

 ソリスは覚悟を決めるとキュッと口を結び、紙袋に筆を走らせていった。

Philiaフィリアへ、君とのきずなは永遠に輝く。また一緒に笑い合おうね』

Ivittイヴィットへ、君の魂がこの灯りと共に安らかでありますように。美味しい物いっぱい用意しておくよ』

 途中、書きながらポトリと落とした涙で文字がにじんでしまい、ソリスはぼやける視界の中、丁寧にふき取っていく。

 あちこち文字はにじんでしまったが、それもまたメッセージなのかもしれない。ソリスは苦笑しながら紙袋を膨らませ、ロウソクを取り付けた。

 見ればセリオンは、たくさんのランタンに不思議な見たこともない文字を書き込んでいる。

「うわぁ、たくさん作ったわね……」

「いつもは一つなんだけど、今日は派手に行こうかなって……」

 セリオンは無邪気に笑った。

「それは……なんて書いてあるの?」

「ご先祖様の名前だよ。神代文字で書いてあるんだ」

「神代……文字……?」

「むかーしの文字だよ。今じゃもう誰も使ってないけどね。よし! それじゃ飛ばそう!」

 セリオンは次々と紙袋を膨らませ、ろうそく台を付けていった。

 ソリスは古代の文字を操る謎の少年の正体が、つい気になってしまう。こんな可愛い少年はまさか魔物というわけではないだろうが、精霊王より上の存在であるとしたら何なのだろうか? ソリスはセリオンを手伝いながら、ジッとその可愛い顔を見つめる。しかし、それはどう見てもただの幼い少年にしか見えなかった。

「それじゃ、飛ばそう!」

 準備ができるとセリオンは火のいた枝を持ってきて、次々と点火していった。

 ろうそくの明かりがランタンを明るく灯し、家の前に並んだランタン群がお花畑をやさしく照らし出す。

 やがて炎で暖まると、ランタンは一つ二つと徐々に浮かび始める。

 うわぁ……。

 ソリスの書いた二人へのメッセージもゆっくりと浮かび上がってきた。

 徐々に加速しながら夜空を目指すランタンたち――――。

 夕暮れの群青色の空へ向けて今、想いのこもった光の群れが飛び立っていく。

 無数のランタンが夜空へと舞い上がる光景は、まるで星々が地上から天へと昇っていくかのようだった。柔らかなオレンジ色の光が暗闇を温かく照らし、ソリスの心を静かに包み込む。

「フィリア……、イヴィット……」

 ソリスは手を合わせ、その幻想的な風景を見つめていた。知らぬ間に涙がほほを伝っていく。

 このメッセージが二人に届いて欲しい、そして、必ず生き返らせてみせると、遠く小さくなっていくランタンにグッとこぶしを握った。

「おねぇちゃん……」

 セリオンが心配そうにソリスの腕にピタッと身を寄せた。

 ソリスは優しく微笑むとギュッとセリオンを抱きしめる。行き詰っていた自分の心を温かくほぐしてくれたこの可愛い少年に、心からの感謝を込めた。

「ありがとう……セリオン……」

 そして、二人を生き返らせるための試練に挑むことを決意するソリス。

 しかし――――。

 それは、この愛しい少年との別れを意味した。

 女神の耳に届くような目覚ましい活躍を、女神がアッと驚くような鮮烈な成果を叩きださねばならない。そしてそれはこの素晴らしいお花畑では到底無理である。この愛しいスローライフからの卒業、それが不可欠だった。

 断腸の思いで決意を固めるソリス――――。

 ギュッと力強く抱きしめるソリスに、セリオンは違和感を感じた。

「お、おねぇちゃん? ど、どうした……の?」

 ソリスは返す言葉が思いつかず、ただ静かにセリオンの体温を感じていた。

『今晩、出て行こう』

 決意の揺るがぬうちに行動しなくてはならない。この温かい天国にいたらきっとダメになってしまう。ソリスはセリオンのサラサラとした金髪をやさしくなでながら、ただ静かにセリオンを抱きしめていた。

     ◇

 その晩、ソリスが暖炉前で荷物を整理していると、セリオンが毛布を持ってやってきた。

「おねぇちゃん……、一緒に寝よ?」

 か細い声で上目遣いで頼んでくる姿に、つい胸が痛んでしまうソリス。

「え? い、いいわよ。ど、どうしたの?」

 ソリスはソファの足置きやクッションを工夫して、二人が寝られる広さを確保した。

 何も言わずポスっとソファに身を沈めたセリオンは、毛布をかぶると隙間からソリスの様子をじっとうかがっている。

 二人で寝るのは初めてだった。きっとソリスが出ていくことを察知したのだろう。

 ソリスは大きく息をつき、苦笑いしてうなずくとランプを消し、セリオンの隣に横になる。

 ギュッと抱き着いてくるセリオン――――。

「甘えん坊さんね……」

 サラサラとした金髪をソリスは優しくなでた。

「行っちゃダメ……」

 セリオンはボソッとつぶやく。

「何を言っているの、ここは最高のところ……。あなたとずっと一緒に居たいのよ?」

 セリオンはギュッとソリスに抱き着き、顔をうずめた。

 嘘は言っていない。いないが、ソリスは胸がキュッと苦しくなり固く口を結ぶ。

 ずっとずっとここに居たい。でも、それは仲間を生き返らせてからだ。ここは天国すぎて決心が揺らいでしまう。

 ソリスはギュッとセリオンを抱きしめ、そのプニプニとした可愛いほっぺたに頬ずりをした。

34. 置手紙

 夜も更け、セリオンからスースーと寝息が聞こえてきた頃、ソリスはそっと毛布から身体をすべり出した。

 小さく揺れる暖炉の炎でセリオンの可愛い顔が浮かび上がり、しばらくじっと見入るソリス――――。

 この数カ月、セリオンのおかげで夢のような暮らしができた。釣りに狩りに冒険に美味しい食事、それはまさに天国だった。

 でも、そろそろ卒業しなくてはならない。女神に自分らしい生き方を見せつけて仲間を生き返らせてもらうのだ。全て終わったら三人でまたここで暮らせるようにセリオンに頼みに来ようと思う。その時は……、正直にアラフォーのおばさんで来よう。落胆されてしまうのは仕方ないが、それでもセリオンは自分を捨てないと思う、多分……。いや……さすがに無理かな? でも、もう嘘はつけない。ソリスは覚悟を決めた目でジッとセリオンを見つめると、最後にほほに軽くキスをして裏口からそっと家を抜け出した。

『ちょっと旅に出ます。必ず帰ってくるから待っててね。ありがとう。親愛なるセリオンへ』

 テーブルには置手紙をしたためておいた。

         ◇

 満月が高く上がる中、ソリスは近くの街リバーバンクスへと急ぐ。途中、翠蛟仙アクィネルに解呪してもらおうかとも思ったが、さすがに深夜にいきなり訪れて頼むのは無理がある。それに、困難の多い少女の姿で生きざまを見せた方が、女神にアピールできそうであり、あえてこのまま街を目指すことにした。

 数カ月暮らしたおかげで、何となく南の方向に街がありそうなのは分かっている。ソリスは月夜の森の中を魔法のランプを片手に獣道を行く。途中、沢を渡り、崖を降り、道なき道をかき分け、空が明るくなるころ、ようやく道に出た。

「はぁ……、なんて山奥なの。セリオンはどうやって街を往復していたのかしら……?」

 レベル125の脚力をもってしても厄介だった山行に、ソリスは首を傾げた。

 街道を進んでいくと、やがて川沿いにそびえ立つ立派な城壁が見えてきた。リバーバンクスだ。ソリスは初めて訪れる街に心を躍らせ、久々に感じる文明の息吹に胸が高鳴った。

 日の出前だというのに城門には多くの荷馬車が行列を作っている。かなり貿易が発展している街なのだろう。

 城門では衛士えいしが入城者のチェックを行っていて、ソリスはちょっと緊張した。持っているギルドカードの年齢は三十九なのだ。こんなのは使えない。ソリスはドキドキしながら自分の番を待つ。

 しかし、九歳の女の子に警戒心を抱くはずもなく、衛士はあごをしゃくって「さっさと通れ」とうんざりした様子で指示し、次の人の書類に目を通し始めた。

 胸をなでおろしたソリスは、急いで立派な石造りの巨大な城門をくぐっていく。

 そして現れるリバーバンクスの活気あふれる街並み。多くの人が元気に行きかい、馬車がひっきりなしに走っている。真っ直ぐに街の中心部まで続く石畳の大通りの両側には、三角屋根の大きな木造の建物が並び、その屋根から向かいの屋根まで道の上にロープが渡してあり、そこから垂れさがる赤い三角旗が風に揺れて、街の活気を一層引き立てている。

 遠くに見える遠くに見える高い尖塔は、教会だろうか? 豪奢な彫刻が施され、この街のシンボルとして堂々と威厳を放っていた。

「ほわぁ……、見事ねぇ……」

 数カ月間、山奥で暮らしてきたソリスはそのエネルギッシュな街に圧倒されてしまう。

 と、その時、いきなりドン! と後ろから男にこずかれる。

「おい、なんでこんな所でつっ立ってんだよ!! 邪魔邪魔!」

 転んでしまいそうになるのを何とかこらえたソリスはムッとして、男を探したが、すでに人混みの中へと消えていってしまっていた。

「な、なんて奴なの!」

 憤慨ふんがいするソリスだったが、次々とやってくる人混みに揉まれ、慌てて小路に逃げ出した。

「もうすっかり田舎者だわ……」

 ずっと四十年近く街の暮らしをしてきたというのに、もうすっかり街での暮らし方を忘れてしまったらしい。ソリスはふぅとため息をつき、目の前にあったカフェにトボトボと入っていった。

 天井の高い、広々とした窓から差し込む陽光が、歴史を感じさせるカフェの内部を照らしていた。店内の家具は深みのあるブラウン色で統一されており、レンガの壁が優雅さと温かみを融合させている。

 壁の黒板には手書きのメニューが書かれており、ソリスは何を頼もうかとしばし悩んだ。

「あら、お嬢ちゃん、どうしたの?」

 カウンターの中から気さくなおばちゃんが声をかけてくる。

「あー、ハムサンドとホットコーヒーを一つ……」

 ソリスはトコトコとカウンターまで行くと背伸びして銀貨を置いた。

「コーヒー……? 飲めるの?」

 おばちゃんは怪訝けげんそうにソリスの顔をのぞきこむ。確かに九歳の子供が頼む物ではなかったかもしれない。しかし、セリオンのところにはなかったので飲みたかったのだ。

「だ、大丈夫です。薄めでお願いします」

「あらそう? じゃあ少し待っててね」

 おばちゃんはニッコリとうなずき、コッペパンを切り開くとオーブンに放り込んだ。

 ソリスは朝日の差し込む窓際の席に座り、外を眺める。

 仕事に向かう多くの人達が足早に石畳の道を歩いていく。みんな眠そうに、でも食べていくために自分を押し殺し、暗い顔でひたすらに足を進めていた。

 スローライフをしていた身からすればひどく滑稽こっけいに見えたが、思えば数か月前まで、自分もこうやって仲間と一緒にダンジョンへと歩いていたのだ。今ではもう遠い昔の話のようでうまく思い出せなくなっている。

 ソリスはふぅとため息をつくと目を閉じ、静かに首を振った。

「おまたせ~」

 おばちゃんがハムサンドとコーヒーを持ってきて、丁寧にテーブルに並べる。

「あっ! ありがとうございます。美味しそう!」

 お腹がペコペコだったソリスはすぐにかぶりついた。

 こんがりとトーストされたパンにハムと野菜が芳醇なハーモニーを奏でる。そして追いかけてくるチーズの旨味――――。

「あれ……?」

 頼んでいないチーズが入っていたので、ソリスは驚いておばちゃんを見上げた。

「オマケだよ! お嬢ちゃん、親御さんは?」

 おばちゃんはニッコリと笑う。

「え……? あっ! 親は……居ないんです……」

 ソリスは一瞬何を聞かれたのかピンとこなかった。親のことなんて最後に聞かれたのは二十年以上も前のことであり、アラフォーにもなった今では親なんてもうどうでも良くなっている。

 孤児院の院長によると、自分は早朝に孤児院の前にバスケットに入れられて捨てられていたそうなので、顔どころかどんな親なのかもわからないのだ。子供の頃は親を恨んだりもしたが、今となっては、親にもいろんな事情がある人がいるので気持ちは分からないでもない。産んでくれただけ、殺さずにいてくれただけでも感謝はしたいと思うくらいだった。

35. 音速の少女

「そ、そうなのかい……ゴメンね。変なこと聞いちゃったね」

「いや、全然いいんです」

 ソリスはコーヒーを少しすすって口の中を潤す。子供になって初めてのコーヒーは驚くほど苦く、つい眉をひそめてしまう。

「この辺もね、人さらいが多いのよ。特にお嬢ちゃんのような可愛い子はすぐに目を付けられるから気を付けて」

 おばちゃんは眉をひそめ、心配そうに忠告する。

「大丈夫です。一回さらわれたので嫌というほどわかってます」

 ソリスは渋い顔をしながら肩をすくめ、自嘲気味に返した。

「さ、攫われたって……大丈夫だったのかい?」

 目を見開いて驚くおばちゃん。一般に攫われたらマフィアの裏ルートへと流され、商品として厳格に管理されるのだ。子供が自力で逃げ出すなど聞いたことがない。

「むさいオッサンをポーンと吹っ飛ばして、ダッシュで逃げちゃいました。ふふっ」

 茶目っ気のある笑顔でおばちゃんを見上げるソリス。

「ふ、吹っ飛ばした……って?」

「こうやったんです」

 ソリスは素早く腕を前に突き出し、レベル125のパワーで音速を超えた腕からはドン! と衝撃音が店内に響き渡った。

 ほわぁ……。

 まるで魔法のような技におばちゃんは目を丸くして言葉を失う。

 店内の客たちは一体何があったのかと、怪訝そうな顔をして二人を見ながらザワついている。

 少しやりすぎてしまったとソリスは苦笑すると

「次からは捕まらないようにします!」

 と、おばちゃんにニッコリと微笑みかけた。

「そ、そうだよ……捕まらない……ようにね……」

 おばちゃんはキツネにつままれたような表情で、カウンターへと戻っていった。

      ◇

 ソリスはハムチーズサンドを堪能すると、コーヒーをすすりながら青い空にぽっかりと浮かぶ雲を見上げた。この雲はお花畑からも見えているに違いない。

 今頃セリオンは自分の置手紙を読んでいる頃だろうか?

「ごめんね……。泣いて……ないかな……?」

 ソリスは酷いことをしてしまったと、自然と湧き上がってくる涙をそっと拭いた。

 本音を言えば今すぐにでも戻りたい。あのお花畑はまさに天国だった。しかし、自分には仲間を生き返らせるという使命がある。それを果たすまでは帰れないのだ。

「必ず……、帰るから……。待ってて……」

 ソリスは静かに白い雲に語りかける。

 ゆったりと流れる雲を見つめながら、ソリスは夢のようだったこの数か月を思い起こしていた。そして、その宝石のように輝く思い出の数々を胸にそっとしまい、大きく息をついたソリスは、聖約のためにまずは戦いの世界に戻ることから始めようと決めたのだった。

      ◇

 おばちゃんに教えられた石畳の道をしばらく歩き、ギルドにやってきたソリス――――。

 大きな木造三階建ての三角屋根の建物は、かなり古い時代の様式で歴史の重みを感じさせ、まるで魔法の力で存在し続けているかのようだった。ソリスは壁面に浮かぶ黒と白の木骨構造を見上げ、その時を超えた美しさを見入っていた。

 その時、いきなりドアがドカッと乱暴に開かれ、筋骨隆々とした髭面ひげづらの大男が飛び出してきた。

 うわぁ!

 ぶつかりそうになって思わず飛び退くソリス。

「ガキがこんなところで何やってんだ! 邪魔邪魔!」

 大男は不機嫌そうにソリスをにらむと、乱暴な足音を響かせながら建物の裏手へと去って行った。

「な、何よアレ!」

 ソリスはムッとしながら男の姿を目で追った。これから新しい挑戦をしようというのに気分が台無しである。

 もうっ!

 ソリスはプリプリとしながらギルドの中へと足を進める。

 中は吹き抜けの広い空間になっており、たばこの煙が充満していた。壁には楯や旗が飾られ、天井からはタペストリーも垂らされていたが、みんないぶされて黄色くなってしまっている。どうしても冒険者たちは酒とたばこに依存しがちなので、ギルドはどこもこんな雰囲気である。

 ソリスは久しぶりにいだすえた臭いに顔をしかめた。

 奥のカウンターでは真面目そうな若い受付嬢が書類とにらめっこしている。青いベストと白いシャツが彼女の洗練された雰囲気を引き立てていた。ソリスは近づいて声をかけてみる。

「あのぉ、すみません……」

 受付嬢は頑張って背伸びしているソリスを見下ろし、ニコッと笑みを浮かべた。

「あら、可愛いお嬢ちゃん! どうしたの?」

 明らかに年下な女の子に『お嬢ちゃん』呼ばわりされるのは抵抗があったが、この外見では仕方ない。ソリスはぐっと反発したい気持ちを飲み込み、事務的に用件を告げた。

「冒険者になりたいので、登録をお願いしたいのですが……」

「ぼ、冒険者!? あなたが……?」

 受付嬢は眉をひそめ、首をかしげる。

「確か年齢制限はないですよね?」

「いや、そうですけど……。お嬢ちゃん、冒険者というのは危険なお仕事で……」

「冒険者については良く知っています。テストに合格すればいいんですよね?」

 ソリスはニッコリと笑って小首をかしげる。

 受付嬢は横を向き、眉をひそめながらしばらく何かを考えると、「ちょっと待っててね」と、いい残して奥へと入っていった。

 こんな九歳の小娘が冒険者のテストを受けたいなどというのは、前代未聞なのは良く分かる。自分が受付嬢ならさとして止めさせるだろう。とはいえ、『困難の中で輝く姿を見せる』という女神との約束を果たすには、情報が得られ、戦闘も許される冒険者になっていた方がいろいろと都合が良さそうだったのだ。

36. 鮮烈なデビュー

「おう! なんだ、さっきのガキじゃねーか! こんなところで何やってんだ?」

 さっきの髭面の大男が不機嫌そうに声をかけてくる。

 ソリスは大きく息をつくと、男を見上げた。

「冒険者になるんです、私」

「は? 冒険者? お前が? できる訳ねーだろ! 冒険者なめんなよ!」

 ソリスはウンザリしながら男をにらみ、

「あなたでもできるくらいなんだから大丈夫よ」

 と、挑発する。冒険者たるものなめられたら負けなのだ。

「え……? なんて言った……お前……?」

 男は目を血走らせ、ソリスに向けてすごんだ。

「子供にちょっかい出してくる、大して強くもないオッサンでもできるんだから、私でもできるって言ったのよ」

 ソリスは凄む男を鼻で嗤い、キッと鋭い視線でにらみ返す。

 男は激怒した。小娘に馬鹿にされたとあっては沽券こけんにかかわるのだ。

「な、なんだと……。おもしれぇ……。俺がテストしてやる。ギッタンギッタンにしてグッチャングッチャンにしてやる!」

 男はギュッと握ったこぶしをソリスの前にグッと出した。パンパンに膨らんだ二の腕には血管が浮かんでいる。

 その騒ぎに奥から飛び出してきた受付嬢は焦った。

「バルガスさん! 勝手に進めないでください。あなたはBランクなんですからテストには不向き……」

「Bランク、いいじゃないですか。倒したらAランクですよね?」

 ソリスは嬉しそうに微笑む。どうせテストしてもらうなら高ランクでないと困るのだ。

 えっ……?

 受付嬢は目が点のようになって固まる。華奢きゃしゃな少女がBランク冒険者に挑む、その絶望的なまでの状況に喜ぶ意味が分からなかったのだ。

「はっはっは! 面白れぇ。どこまでその減らず口が叩けるか見ものだな……。来い!」

 バルガスはそう言ってアゴで裏の中庭を指し、ズシンズシンと床を揺らしながら歩いていく。

「ふふっ、久しぶりの戦闘は血が騒ぐわ」

 ソリスは嬉しそうにチョコチョコと男に着いていった。

「おぉっ! これは面白れぇ。みんな! 見ものだぞ!」「えっ! 何々?」「賭けだ! 賭けをやるぞ! ヒャッホゥ!」

 それを見ていたロビーの冒険者たちも、はしゃいでゾロゾロと着いていく。

「えっ! ちょ、ちょっと……。あぁ、どうしよう……」

 受付嬢は頭を抱えて宙を仰いだ。

       ◇

 中庭は広く、小ぶりの運動場のようになっており、弓の的や案山子かかしなども無造作に置いてあった。

 やじ馬たちは周りを取り囲むようににぎやかに騒いでいる。

「お嬢ちゃんに賭ける奴~!?」「バーカ、そんな奴いるかよ!」
「賭けたら総取りだよー!?」「じゃあ、俺が嬢ちゃんに銅貨一枚!」「そんな小銭ふざけんな!」

 ゲラゲラと下品な笑いが広場に響く。

 皮鎧姿のバルガスは、広場の真ん中ですらりと剣を抜くと、ザスッ! と剣を地面に突き立て、吠えた。

「クソガキは俺がしつけてやる!」

 しかし、ソリスは武器など持っていない。

「ちょっと待ってね……」

 ソリスは脇にある物置小屋の中を物色する。かび臭い匂いの中、木刀や弓矢、棍棒などが並んでいる奥の道具箱にメリケンサックがあるのを見つけ、ニヤッと笑った。

「早くしろよ! 武器もねぇくせにつっかかってきやがって、どうしようもねーな!」

 鼻で嗤うバルガス。

「おまたせー」

 ソリスはチョコチョコと広場に出てくると、青いワンピースのすそをたくし上げ、キュッと結ぶ。そして、メリケンサックを掲げて嬉しそうにバルガスに見せた。

「な、何だそれは……?」

 バルガスは怪訝そうな目でメリケンサックを眺める。

「あなたは私のこぶしに倒れるのよ」

 ソリスはニヤッと笑うと、メリケンサックを手にはめた。そして筋鬼猿王バッフガイバブーンのように、こぶしを軽く握ると左腕を前に出し、ファイティングポーズをとる。

「は? お、お前、拳闘士……か?」

 こぶし一つでBランクの自分に向かってくる九歳の少女に、バルガスはうろたえる。丸腰の少女を斬り殺したとあってはさすがに寝覚めが悪い。

「本職は剣士よ。でも、剣だと殺しちゃいそうだし、ハンデあげるわ」

 ソリスはニヤッと笑い、クイックイッと指先で『かかってこい』と合図を出した。

 バルガスはギリッと奥歯を鳴らすと剣を高く振りかぶる。

「死ぬのはお前なんだよ! ガキが!!」

 バルガスは一気に地面を蹴ると、目にも止まらぬ速さでソリスに迫る。さすがにBランク、その速度は圧倒的だった。刹那、上段から繰り出される鋭い剣筋。ギラリと鈍い光を放ちながら一直線に刀身はソリスへと放たれた――――。

 キャァァァ!

 受付嬢の悲鳴の中、澄んだ金属音が響きわたる。

 キィィィィン!

 粉々になった剣の破片が、キラキラと太陽の光に煌めきながらあたりに飛び散っていく。

 へ……? は……? え……?

 バルガスもやじ馬たちも一体何が起こったのか分からなかった。ソリスはレベル125の驚異的な視力でバルガスの剣筋を見切り、筋鬼猿王バッフガイバブーンゆずりのカウンター技で剣を粉砕したのだった。

「これで決まりよ!」

 次の瞬間、音速を超えたソリスのこぶしが衝撃波を放ちながら、バルガスの胸を撃ち抜く――――。

 ズンッ!

 鈍い音が中庭に響き、バルガスは目を真ん丸に見開き動かなくなった。

 一瞬の静けさの後、ドサッとバルガスは地面に崩れ落ちる。

 お、おぉぉぉぉ……。

 どよめくやじ馬たち。

 ふふっ。

 ソリスは満面の笑みを浮かべ、大空に向かって拳を突き上げる。

『女神様、ここから私の輝く生きざまが始まります! 見ててくださいよぉ!!』

 まぶしい太陽を見上げながら、ソリスは決意のガッツポーズを見せた。

37. 破滅の足音

 おぉぉぉ!! すごい! うわぁぁぁ! 賭けとけば良かったぁ!!

 大歓声が中庭を埋め尽くす。

 ソリスは拍手で迎えてくれるやじ馬たちに微笑みかけながら、受付嬢に歩み寄る。

「これで、Aランク……ですよね? ふふっ」

「えっ……。そ、そうなる……かしら……?」

 受付嬢は鳩が豆鉄砲を食ったように目を白黒させながら、どう対応したらいいのか困惑してしまう。テストでBランク冒険者相手に勝った新人など聞いたことが無かったのだ。

「おい! ヒーラーだ! ヒーラー呼んで来い!」

 バルガスに駆け寄ったやじ馬が、ピクリとも動かない様子に慌てて声を上げる。

「あれ……、手加減って難しいのね……」

 ソリスは額を手で押さえて思わず宙を仰いだ。

        ◇

 ギルドの応接室に通されたソリスは、ギルドカード作りの手続きを進めていた。最初のランクは最高でもCランクということなので、ソリスもCランク冒険者からのスタートとなる。それでも以前はDランクだったので、ソリスは納得して書類に必要事項を埋めていった。

「それにしても幼いのにすごいのね……将来どうなっちゃうのかしら?」

 受付嬢はため息をつきながらソリスの筆先を見つめていた。九歳の少女がBランク剣士をこぶしで打ち倒したというのは前代未聞の偉業である。今からこの強さなら将来どんな英雄に育つのか想像もつかなかったのだ。

「まぁ、いろいろ事情があるんです……」

 チートで強くなっていることはあまりほこれることではない、と考えるソリスはあまり語りたくなかったのだ。

「もう少し早く来ていたら子龍討伐隊に加えてもらえたのに、残念だわ」

「龍の……討伐隊……ですか?」

 ソリスは顔を上げ、小首をかしげた。龍というのは伝説上の生き物であり、それこそ国造りの神話に登場するような、実在するかもわからない聖なる幻獣である。その辺の魔物とは意味が違う。それを討伐というのはどういうことか、ソリスにはピンとこなかった。

「なんでも、王家の威信を高めるため、子龍を狩ってはく製にして王宮に飾るらしいんです。それで、王都から騎士団、Sランク冒険者がしばらくリバーバンクスに逗留とうりゅうしていたの。近くの街からもAランク以上の冒険者は駆り出されて同行するみたい」

「一大国家事業……ってことですか? 龍なんて狩っちゃって大丈夫なんですか? 聖なる幻獣ですよね?」

「さぁ……。でも国王陛下が決められたことなので、私たちには従うしかないのよね……」

「それは確かに……。ふぅ……」

 絶対王制の敷かれているこの国では王様は絶対だった。王命に逆らうものは国家反逆罪として無条件に即時死刑なのだ。誰も逆らえない。

「今朝、出発したからそろそろ戦っている頃かしらね。子龍は山奥にあるお花畑に住んでるらしいわよ?」

 ドクンとソリスの心臓が跳ねた――――。

 『山奥にあるお花畑』、ソリスには思い当たる場所が一か所しかない。

「も、もしかして……北の山の方の……?」

 真っ青になったソリスの手はカタカタと震えてしまう。

「え、えぇ。あの辺は結界が張られているようで、なかなか場所がつかめなかったそうなんだけど、昨晩ランタンがたくさん飛んだので位置が特定できたとか何とか……」

 ソリスはガバっと立ち上がると、助走をつけ、そのまま二階の窓から一気に飛び出した。

 慌てる周りの人など目もくれず、ものすごい速度で一直線に北の山を目指すソリス。

「マズいマズいマズい! セリオーーン!!」

 ソリスは混乱してグチャグチャになってしまった思考を正す暇もなく、北の山へと全力で駆けた。

 お花畑に暮らす子龍、それはどう考えてもセリオンのことだろう。子龍が翠蛟仙アクィネルのように人化して少年の姿をしていたとすれば、全ての違和感の辻褄つじつまが合ってしまうのだ。あんなところで一人で暮らしていたのも、薪が力任せでバキバキなのも、街へ行った時にすぐ帰ってくるのも、精霊王が恐れるのも龍なら全て説明がつく。

 あの優しくてかわいいセリオンが、王国の総力を挙げた討伐隊のターゲットになっている。それはとてつもなく破滅的な事に思えて、ソリスの目には自然と涙があふれてくる。

「ダメ……、止めてよぉ……。な、なんなのよぉ……」

 ソリスは涙をポロポロとこぼしながら、レベル125の人類最速の駆け足で一気に街道を突っ走っていった。

       ◇

 森の中で草藪を飛び越え、木々の間をすり抜け、疾走しているとズン! という爆発音が響き渡った。

「えっ!? な、何なの……?」

 こんな森の奥で、いまだかつて聞いたことの無い恐ろしい爆発。ソリスは心臓を締め付けてくる予感にほほを引きつらせながら、さらに木々の間を加速し、カッ飛んでいった。

「間に合ってぇぇぇぇ! セリオーン!!」

       ◇

 森を抜けると広いお花畑は戦場と化していた――――。

 二人が暮らしていた三角屋根の家は跡形もなく吹き飛ばされ、ブスブスと煙が上がっている。

 あぁぁぁ……。

 ソリスはブルブルと震え、信じられない光景に目を見開いた。

 昨晩までセリオンと仲良く暮らしていた愛しの我が家が、黒焦げの瓦礫がれきになってしまっている。そんなことが許されるのだろうか?

 見れば、百人は超えるであろう討伐隊たちの精鋭たちが、花畑の中で象くらいの大きさの青い小さな龍を取り囲み、執拗な攻撃を重ねていた。

「あ、あれが……セリオン……? くっ!」

 碧い美しい鱗に覆われた体にはあちこちにもりが突き刺さり、血が流れ、ズタズタに裂けた大きな翼は折れてしまっている。黄金に輝く鎖でぐるぐる巻きにされ、苦しそうにもがく子龍は大きな口を開け、辺りに火を吐き、何とか抵抗を続けているが既に大勢は決し、もはやその命も風前の灯火だった。

38. 子龍の碧い瞳

 ソリスは花々の上を飛ぶようにダッシュした。

 近づけば、その龍の優しい瞳は碧く、セリオンと同じ輝きを放っているのが見える。

「セ、セリオン! うわぁぁぁぁ!」

 ソリスは叫びながら討伐隊の囲む輪を一気に飛び越えると、今まさにセリオンに斬りかかろうとしている剣士に体当たりをかました――――。

「止めろぉぉぉ!」

 ぐはぁぁぁ!

 派手に吹っ飛んでいく剣士。

 ソリスは肩で息をしながら討伐隊を見回す。豪奢な装備や武器で固めた剣士、弓士、魔導士、僧侶、それに重厚な兵器、それは戦争をやるための王国の精鋭を集めた一個小隊の規模だった。

「お前ら何をしている! 龍は神聖なる幻獣、人が手を出していい相手じゃないぞ!!」

 ソリスは声を張り上げる。

 いきなりすっ飛んできた、ただものではない少女の乱入に討伐隊はざわつき、攻撃の手が止んだ。

「セリオーン!」

 ソリスはポロポロと涙をこぼしながら、血まみれの子龍に駆け寄る。

「お、おねぇちゃん……。に、逃げて……」

 セリオンは息も絶え絶えに答えると、力なくまぶたをおろし、ガックリと地面に崩れ落ちた。

「あぁっ! セリオン!」

 慌ててポーションを取り出して、飲ませようとするソリスだったが――――。

 パーン!

 剣が一筋、ポーションのガラス容器を砕き飛ばした。

「おい! 小娘! せっかく倒した獲物に何すんだよ!」

 それは先ほどソリスが体当たりした剣士だった。よく見ればその顔に見覚えがある。以前、邪険にしてきた若きAランク剣士のブレイドハートだ。

 ソリスはギリッと奥歯を鳴らす。

「何って、静かに暮らしている龍を、勝手に襲ってるあんたらから龍を守るのよ!」

「ふん! 弱い奴が狩られる。それがこの世界のルールだ。弱い龍が悪い。文句あるか?」

 ブレイドハートは青く輝く剣をソリスに突きつけ、鼻で嗤う。

「じゃあ、私があんたより強ければあんたが悪いのね?」

 ソリスは指先で刀身をつまみ、にらみつけた。

「はっ! 小娘が調子に乗りやがって! ……、あ、あれ……?」

 ブレイドハートは剣を振りかぶろうとしたが、ソリスに掴まれた刀身がビクとも動かないのだ。

「な、何をした? こ、コイツめ……」

 必死に剣を奪い返そうと渾身の力を込めて剣を引っ張った瞬間、逆にソリスは刀身をグッと押しこんだ。

「うわぁぁぁ!」

 ブレイドハートはもんどりうって転がっていく。

 Aランク剣士を子供のようにあしらう少女に討伐隊はどよめいた。

「これでわかったでしょ? あんたたちは弱い。龍を治療し、即刻退却しなさい!」

 ソリスは討伐隊を見回しながら叫ぶ。

 しかし、恥をかかされたブレイドハートは、怒りで我を忘れて突っ込んでくる。

「小娘ぇぇぇぇ! 死ねぃ!!」

 怒りに顔をゆがめたブレイブハートは剣を振りかぶると一気にソリスに迫った。Aランク剣士のすさまじい剣気で剣は青く輝き、目にも止まらぬ速度でソリスに放たれた――――。

 小僧が!

 ソリスはガシッとその剣を両手で受け止めると、そのままねじって奪い取る。Aランクとは所詮レベル60台なのだ。125のソリスにはそれは止まって見える。

 へ……?

 唖然とするブレイドハートに素早く一歩踏み込むソリス。

 こんのクソガキがぁぁぁぁ!

 往年の恨みも込め、一気にこぶしで胸を斜め上へ撃ち抜いた。

 ふぐぅぅぅぅ!

 ブレイブハートは宙をくるくると回ると、そのまま花畑に墜落し、転がっていった。

 おぉぉぉ……。こ、これは……。

 Aランク剣士を子供のようにあしらったソリスに討伐隊は動揺が隠せない。

 すると、黒地に金をあしらった豪奢なプレートメイルに身を包んだ大男が、ソリスに歩み寄りながら重い声を響かせた。

「おい! 小娘! 龍の討伐は国王陛下のご命令による王国の威信をかけた事業である! 邪魔立てするのであれば国家反逆罪、即刻死刑だ。この意味が分かるか?」

 巨大な幅広の剣を背負い、手には紋章入りの豪華な盾を握っている。紋章をよく見れば王家のものだ。近衛騎士団の団長だろうか? 

 銀髪の彼の顔には威厳と力強さが漂い、その立ち姿はまさに不動の要塞の如く見えた。ランクで言えばSランク。【若化】の呪いさえなければソリスの敵ではなかったが、今は華奢な九歳の少女である。容易に勝てる相手ではなさそうだ。

 しかし、このままではセリオンが死んでしまう。何とか戦意をくじき、帯同している僧侶にセリオンを治療させねばならない。

 しかし――――。

『できるのか……、そんなこと……』

 その限りなく無理筋なプランに、ソリスは冷汗を浮かべた。

「し、静かに暮らしている龍を殺すなんて、ありえないことよ! 例え国王陛下のご命令とあっても従えないわ!」

 ソリスはブレイドハートの落とした青い剣を拾い上げると、騎士団長に向けて構えた。

「なら、国家反逆罪だな……」

 騎士団長は黄金に輝く巨大な大剣をゆっくりと背中から引き抜くと、高く空に向けて掲げる。その瞳には嗜虐的ないやらしい光が浮かんでいた。

39. 血の叫び

「総員戦闘態勢! 目標金髪少女!」

 騎士団長は大剣をソリスに向けてビシッと下ろした。

「ちょ、ちょっと! あんたたち! 見たでしょ? 私は強いのよ? 手加減なんてできないわ、殺しちゃうわよ? 止めなさい!!」

 ソリスは焦って討伐隊の面々を見ながら叫ぶ。

「馬鹿が! 王国の戦士たちは退かぬ! あるのは成功か死か、それだけだ」

「何言ってんのよ! 死んだら終わりなのよ? 国は何もやってくれないわ」

「ふんっ! 小娘こそ分かっとらん。国王陛下の命令は絶対。たとえ死ぬとて、無様に生きながらえる人生よりマシだ!!」

「死んだら終わりって言ってんのよぉ!! そもそも静かに暮らしている龍を殺すことに大義も何もないわ!!」

 ソリスは声をからし、必死に叫ぶ。

 しかし、騎士団長は鼻で嗤うばかりだった。

 人殺しなんかしたくない。何とか死者を出さずに撤退させたかった。しかし、手加減などしていたら自分もセリオンも殺されてしまう。

「くぅぅぅぅ……。馬鹿どもめ……」

 ソリスは剣をギュッと握りしめ、冷汗をタラリと流した。

「バリスタ! 前へ!」

 騎士団長が合図をすると、後ろからクジラに撃つような巨大な石弓クロスボウの装置がゴロゴロと引き出され、ソリスに照準を絞った。装填された長大なもりは金色に輝き、何らかの魔法がかけられているようだった。最高級の防御力を誇るドラゴンの鱗をつきぬくほどの攻撃力は、この魔法のおかげに違いない。

「止めなさい! 殺すわよ!!」

 ソリスは絶叫した。

 さっきあれほど武威を見せたというのに、それでもなお攻撃を止めない。その馬鹿さ加減にギリッと奥歯を鳴らした。

 卑怯にもバリスタはセリオンにも当たるように狙いをつけている。もりをかわすのは簡単だが、かわしたらセリオンに当たるようにしているのだ。剣ではじいたとしても銛は長大で、軌道を大きく変えられる自信がなかった。

「安全装置解除!」「安全装置解除! 発射準備完了!」

 射手がてきぱきと仕事をこなしていく。

「止めろって言ってんでしょ! まずあんたから殺すわよ!」

 射手を指さしながら、もはや泣き声で絶叫するソリス。

 しかし、騎士団長はニヤリと無慈悲な笑みを浮かべると叫んだ。

「ファイヤー!!」
 
 ドシュッ!

 長大な銛が黄金の輝きを放ちながら一直線にソリスに迫る。

 くっ!

 避けてはダメ、弾くのもダメであれば受け止めるしかない。

 ソリスは剣を放り投げ、全神経を銛の軌道に集中させた。

 果たして銛の柄をガシッと握りしめたソリス。まばゆい閃光が銛から放たれ、後ずさりしながら必死に力を込めて銛を何とか止めていく。

 くぅぅぅぅ……。

 その直後――――。

 ザスッ!

 ソリスの首に衝撃が走った。

 え……?

 なんと、卑怯にも騎士団長が銛に合わせてとびかかり、一気にソリスの首をねたのだ。

 首から伝わる激しい熱を感じながらクルクルと舞う風景。そして、目の前の景色が漆黒に染まっていく――――。

 おぉぉぉぉ!

 奇襲成功に沸く討伐隊。

「成敗!」

 騎士団長はニヤリと笑いながら大剣をビュッっと振り、刀身についたソリスの血を払った。

「さすが団長!」「しびれましたよ!」「頼りになります!!」

 いきなり現れた謎の少女を鮮やかに討ち取った騎士団長に、一同はホッとし、偉業の達成を喜んだのだった……が。

『レベルアップしました!』

 黄金に光り輝いたソリスの遺体は次の瞬間、一回り小さな少女となって騎士団長へと跳びかかる。

 へっ!?

 すっかり油断していた騎士団長は回避が遅れた――――。

 ゴスッ!

 重く鋭いレベル126のパンチが騎士団長の顔面を撃ち抜いた。

 ゴフッ……。

 一発で意識を持っていかれた騎士団長はそのまま崩れ落ちていくが、ソリスはそれを許さない。

 うおぉぉぉりゃぁぁぁ!

 下から腹部を斜め上に撃ち抜き、プレートメイルを凹ませながら騎士団長の身体を宙に浮かせると、再度顔面にパンチを叩きこんだ。グシャッと嫌な音が響き渡る――――。

 あぁぁぁ……。 ひぃぃぃぃ!

 その一瞬の惨劇に討伐隊は震えあがる。討ち取ったはずの少女に騎士団長が瞬殺されてしまった。それは信じられない光景だった。

 ソリスは手をブンと振り、こぶしについた返り血を振り払うと、無表情のまま、騎士の黄金の大剣を拾い上げる。

 殺す……。

 ギラギラと不気味な光をたたえた瞳で、討伐隊をぐるりと見渡すソリス。

「殺していいのは、殺される覚悟を持った者だけだ!!」

 八歳の少女は吠えた。

 討伐隊の面々はその迫力に気おされ、冷汗を浮かべながらじりじりと後ずさりする。それぞれ王国のトップクラスの実力者ではあったが、少女の人間離れした攻撃力にはとてもかないそうになかったのだ。

「覚悟しろ!!」

 ソリスは全身で叫ぶと、自分の身の丈もある大剣を下段に構え、渾身の力を込め地面を蹴った。

 ドン!

 衝撃音と共に音速に達したソリスは、まるで弾丸のように花畑を飛ぶように疾走する。

 うわぁぁぁ! キャァァァ!

 一斉に逃げ出し、阿鼻叫喚となる討伐隊。

 殺したはずの謎の最強少女が生き返り、騎士団長は倒された。それは考えうる限り最悪の展開だったのだ。

 ソリスはもはや手加減をやめた。殺さねば殺されるのだ。

 うぉぉぉぉぉ!

 花畑にソリスの血の叫びが響き渡った。

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