スマホ少女は空を舞う~AI独裁を打ち砕くお気楽少女の叛逆記~ 5~9
5. 知るは力
太陽が地平線に近づき、空は神秘的な赤に染まっていく。排気ガスのない廃墟と化した東京の夕陽は、まるで異世界のような鮮やかな赤で瑛士を圧倒し、彼はその光景にしばし見とれ、そして大きく息をつくと少し恨めしそうににらんだ。
少し離れた廃ビルに二人は今晩の居場所を確保する。瑛士は長い経験の中で、ビルの壊れ具合から居心地の良さを見抜けるまでになっていた。
焚火をおこそうと、瑛士が壁を引っぺがして持ってきた材木を積み上げていると、食料調達に出ていったシアンが戻ってきた。
「コンビニの奥に缶詰めがあったよー」
シアンはドヤ顔で戦利品をきしむテーブルの上に並べていく。
「おぉ、すごい! これでしばらくは暮らせそうだ!」
瑛士は思わずパチパチと拍手しながら歓喜の声を上げた。一日中逃げ続けてもうお腹ペコペコだったのだ。
「今、火をおこすからね……。あれ……?」
瑛士はライターをカチッカチッと鳴らしてみるものの、火がつかない。
「おっかしいなぁ……」
ライターの部品をいぶかしそうに眺めていると、シアンが材木にスマホを向けて嬉しそうに言った。
「ハイ、チーズ!」
へ?
パシャー!
シャッター音が響き渡った直後、材木から激しい閃光が噴き出し、一気に炎がぼわっと燃え上がる。
「うわっ! あちちちち!!」
瑛士はたまらず飛びのいた。
「ほら着いた。きゃははは!」
メラメラと炎を噴き上げる材木に瑛士は唖然とする。ただのスマホでなぜ火がおこせるのだろうか?
「ちょっとそのスマホ貸して!」
髪の毛が少しチリチリになった瑛士はムッとしてスマホをひったくった。
画面を見れば普通のスマホそのままである。試しにその辺の写真を撮ってみるが普通に写真が撮れるだけで何も起こらない。
「ただのスマホだよ?」
シアンは嬉しそうに笑う。
納得いかない瑛士はスマホをシアンに向ける。
「イェーイ!」
シアンは嬉しそうに指をハートマークにして、ニコッと可愛く顔を作る。
パシャー!
撮ってはみたが、焚火に照らされる可愛い女の子のいい雰囲気の写真が撮れただけだった。なぜ自分だと写真が撮れるだけなのか納得がいかない瑛士は、首をかしげて考え込む。しかし、いくら考えてもカメラはカメラ、火など着くわけがないのだ。
「なんで……僕だと何も出ないの?」
瑛士は口をとがらせて聞いた。
「瑛士はこの世界のことを分かってないからだよ」
シアンはドヤ顔で人さし指を振る。
「は? 分かってたら僕でも何かできるって事?」
「そりゃそうだよ。『知るは力』だからねっ」
「えっ! じゃあ教えてよ」
瑛士は身をずいっと乗り出した。知るだけでミサイルを撃ち落とせるならぜひ知っておきたかったのだ。
「そんなの自分で気がつかなきゃ意味ないよ。きゃははは!」
シアンは嬉しそうに笑う。
「えーっ、いいじゃん教えてよぉ」
「そんなことはいいから。ほら、食べるよ! 早い者勝ちだからね」
シアンはパカッと桃の缶詰を開けると細い指先で桃をつまみ上げ、うまそうにパクリとかぶりついた。
「おほぉ……美味いぃ」
噛むたびに甘い汁が口の脇を伝ってポトポトと床に滴っていく。
「けち……」
瑛士はムッとしながら、揺らめく焚火に浮かび上がるシアンの幸せそうな姿をしばらく見つめていた。
「食べないの? 美味しいよ? 早い者勝ちだからね」
シアンは碧い瞳で悪戯っぽい笑みを浮かべ、二つ目の缶に手を出した。
「うほっ! これはすっごく美味ぁ~い」
見るとシアンはコンビーフを丸かじりしている。
「え……? あっ! に、肉!」
瑛士は思わず二度見してしまった。
AIに支配されるようになって食肉は一切廃止されてしまい、今や肉は手に入らない貴重品だったのだ。
「おほぉ! さいこー!」
ホクホク顔のシアンは美味そうにコンビーフを貪っていく。
「ちょ、ちょっと待って! 僕のは?」
瑛士は慌てて並べられた缶詰をチェックしていくが、もう肉は無かった。
「ぐわぁぁ! ぼ、僕にも肉ぅ!」
瑛士は急いでシアンの腕を握ったが、シアンは最後のひとかけらを口に含んでニヤッと笑っている。
くぅ……。
「はい、アーン!」
シアンはふざけて口をとがらせ、口移しのポーズを見せるが、さすがにそんなことはできない。
「肉ぅ……」
瑛士はがっくりと肩を落とした。
「食べたいと強く思ってればまた食べられるって! くふふふ」
シアンは嬉しそうに瑛士の肩をポンポンと叩く。
瑛士はそんなシアンをジト目でにらんだが、いくらにらんでも肉は手に入らないのだった。
6. 高さ三キロの塔
瑛士はサバ缶を食べ終わると焚火でお湯を沸かし、丁寧にお茶を入れた。
「はい、紅茶だよ。今じゃもう手に入らない貴重品。大切に飲んでね」
「おーぅ。それはそれは貴重なものを……。ありがとっ」
シアンは嬉しそうに受け取ると、目を閉じて深く香りを吸い込んだ。彼女の顔は幸せな微笑みで輝き、周囲の空気すら明るく感じられる。
瑛士には、その笑顔が荒涼とした瓦礫の海に浮かぶ一筋の光のように思え、心が温められていくのを感じる。この無邪気な少女は、もはや人類の希望であり、灰色の世界に色を添える天使のようにも思えた。
ただ、紅茶はこれで底をついた。次に飲めるのはいつになるか分からない。
「AIには嗜好品は理解できないからね。まるでドラッグと同じ扱いさ。配給されないから紅茶やコーヒーはもう普通の人には飲めないよ」
首を振りながらため息をつく瑛士。
「作るのは禁止されてないんでしょ?」
「趣味で自分の楽しむ分を作る人は居るけどね。流通なんかしないよ」
瑛士は肩をすくめる。
AIの支配する社会では衣食住は無料で提供され、人々はもう働く必要がなくなった。しかし、生きていくのに必要なもの以外は配給されないし、自分の住むエリアから外に出るのは禁止されている。さらに厳しい検閲でAI政府に対する批判は厳しく取り締まられ、愚痴一つでも逮捕されてしまう。それは息の詰まる世界で、まるで監獄のようだった。
瑛士は父親と共にレジスタンスに入ってそんなAIによる支配を打破しようと頑張ってきたが、AIの方が軍事力も情報収集力も圧倒的で、いまや風前の灯火となってしまっている。
「何とかAIを倒さなければ人類は終わりだよ……」
瑛士は紅茶をすすり、忌々し気に遠くの方で小さく光るタワーをにらんだ。
「あれ、何なの?」
「えっ!? 知らないの? あれが東京湾の真ん中に立てられたクォンタムタワー、AI政府の本拠地だよ」
断面が雪の結晶を模した複雑な六角形のタワーは高さ三キロという驚異の数字を誇り、数百メートルおきに大きくひさしのようにはみ出す雪の結晶のフロアがアクセントを刻んでいる。
「へぇ、なんか綺麗だね」
シアンは青白くライトアップされた巨大な塔を眺めてその煌びやかさに惹かれる。
しかし、その能天気な反応が瑛士の地雷を踏んでしまった。
瑛士はバン! と、台を叩くといら立ちを隠さずに叫ぶ。
「綺麗とか止めてよ! 奴は僕のパパも仲間も殺した敵だ! あれは倒すべき悪魔の塔なんだよ!」
シアンはピクッとほほを動かすと目をつぶり、嫌な静寂が部屋を包んだ――――。
パチッと焚火が爆ぜる音が響く。
瑛士はハッと我に返る。何の悪意もないシアンを怒鳴ってしまったことに自己嫌悪に陥ってうつむくと、ギリッと奥歯を嚙んだ。
シアンはすっと立ち上がり、何をするのかと思ったら瑛士に近づき、おもむろに瑛士の頭を胸に抱いた。
いきなりふくよかなふくらみに抱かれて瑛士は言葉を失ってしまう。
「えっ!? お、おい……」
「ゴメン、ゴメン、僕が倒してあげるからね……」
シアンはそう言いながら優しく瑛士の頭をなでた。
勝手に自分の事情で癇癪を起してしまったというのに、この娘はとがめることもせず、温かく包み込んでくれる。瑛士はその人間としての格の違いに自分が恥ずかしくなる。
「……。あ、ありがとう。シアンのせいじゃないのに、ゴメン……」
瑛士は柔らかなふくらみの感触に真っ赤になりながら頑張って言葉を紡いだ。
シアンは優しくうなずくと、しばらくキュッと瑛士の頭を強く抱きしめる。
父親を殺され、仲間を殺され、もはや後が無くなった少年の絶望を、シアンはその体温で溶かしてあげようとするかのように優しく包んだ。
瑛士はその温かさにほだされ、ポロポロと涙をこぼす。
ネオレジオンのみんなは父親含めて強くて優秀だった。AIから世界を取り返すため、電子機器や情報機器、武器のエキスパートたちが知恵を寄せ合い、想像を超える作戦でAIを出し抜き、その最先端兵器を奪取。荒廃した立ち入り禁止区域にアジトを構築し、不屈の精神で数年間もの間、抵抗の狼煙を上げ続けた。
しかし、二十四時間淡々と掃討作戦を実行し続けるAIに徐々に圧され、いまや散り散りとなって実質壊滅状態に追い込まれてしまっている。その中に現れた最後の希望がシアンのスマホだった。
こんな女の子のお情けに頼るしかない現実に瑛士は情けなくなるものの、もう心も身体もボロボロな自分にはどうすることもできなかった。
7. 壊れかけのベッド
「さて、倒してみますか!」
シアンは優しく手を緩め、エイジの顔をのぞきこみながら、希望に満ち溢れたまばゆい笑顔を見せた。
「た、倒すって……クォンタムタワーを!?」
予想外の言葉に瑛士は驚きで心臓が跳ねあがる。
「君のパパさんの仇を取ってあげよーう」
シアンは嬉しそうに、地平線にキラキラ輝くクォンタムタワー目がけ、銃の形にした指を向けると、撃つ真似をした。
「ほ、本当……?」
もし本当であればとんでもない事である。瑛士はシアンの腕をガシッと握りしめた。
「まかしときって!」
シアンはそう言うとスマホを取り出して、クォンタムタワーをカメラでとらえた。
高さ三キロメートルという人間では到底建てられない驚異の建造物、クォンタムタワー。その青白くライトアップされた姿が望遠最大にしたスマホ画面の中で揺れて映っている。
「うーん、ちょっと遠すぎかなぁ……」
シアンは首をかしげ、手振れしないようにコンクリートの瓦礫の上にスマホを置いて、手をうまく使って画面を安定させた。
「ほ、本当に倒せる……の?」
瑛士はその様子を固唾を飲んで見守りながら、心臓の鼓動が高鳴るのを抑えられなかった。
人類をまるで家畜のように都合よく飼いならし、反抗したレジスタンスを次々と殺してきた悪の総本山、クォンタムタワー。その冷たい青白い壁には、無数の犠牲者の叫びが染み付いている。それをこんなスマホカメラでうち倒すというのだ。もし、本当にできるのだとしたら……、それは新たな人類の歴史の始まりとなるだろう。
「こんなもんかな? ヨシ! じゃぁいっくぞー!」
シアンは瑛士の方をチラッと見て、自信ありげな様子でウインクする。
「本当に大丈夫?」
「大丈夫だってぇ! それ、ポチっとなっと」
シアンはおどけながらシャッターボタンを押した。
刹那、スマホが黄金色の閃光を放ち、辺りに光の微粒子をぶわっと振りまいた。瑛士はその神々しい光に魅せられ、思わず息をのむ。
パパの仇、人類の希望、今までの長いレジスタンス活動での全ての熱い想いがグルグルと瑛士の心に渦巻いた。
いよいよ人類史に残る決定的瞬間がやってくる。
瑛士の手はブルブルと震えた。
最後にスマホが激しい激光を放つ――――。
パ!
スマホがシャッター音を響かせようとしたその時だった。
ぷすっ……。
なんだか気の抜けたような音がして、画面が真っ暗になり、赤い空っぽの乾電池マークが点滅した。
「ああっ!」「ありゃりゃ……」
瑛士は口をポカンと開けたまま、しばらく言葉にならず頭を抱える。
悲願達成目前にして、はかなくも野望は潰えてしまった。
「電池がへたっちゃってるね。しっかりしてよ! もぅ……」
シアンは口をとがらせながらスマホを指でパチンとはじく。
くぅ……。
ブンとこぶしを振り下ろし、瑛士は行き場を失った想いを発散させる。
バッテリーは100%にまで充電しておいたのに電池切れということは、このスマホでは無理ということである。
瑛士は期待が大きかっただけにガックリと落胆し、へなへなとしゃがみ込んでしまった。
◇
廃ビルの中を探検すると、三階に小さな宿直室を見つけた。狭いながらもベッドもあり、また、幸運にも未使用の毛布が布団袋の中で使えるまま残っている。
「僕はもう寝るよ。ふぁ~ぁ……」
シアンはそう言いながらベッドに飛び込んだ。
「あ、じゃあ僕は床で……」
瑛士は床のホコリを掃おうとすると、シアンは瑛士の腕をギュッとつかんでベッドに引き込んだ。
「うわぁ!」
焦る瑛士にシアンは嬉しそうに耳元でささやく。
「薄い毛布しかないんだから、暖め合わなきゃ……」
「えっ! で、でも……」
瑛士は真っ赤になって目をグルグルとさせてしまう。女性に免疫のない瑛士にとって可愛い女の子と一緒に寝るなんて、とても想像できなかったのだ。
「なに? 瑛士はもしかして僕を襲うつもり?」
シアンは小悪魔の笑みを浮かべながら瑛士を上目づかいで見て、その赤いほほを軽くつねった。
「お、襲うわけない……」
瑛士が憤慨しながら答えていると、シアンはその唇を人差し指で押さえた。
「なら、問題なし! おやすみぃ!」
シアンは毛布をバサッと整えると寝る体制に入り、三秒もすると寝息をたてはじめる。
「え……? ちょ、ちょっと……」
瑛士は困惑した。自分と同じ毛布の中で可愛い女の子が無防備に寝ているのだ。一瞬これは誘っているのかも? と思ってしまったが、彼女の幸せそうな寝息と安らかな表情を見るとそんな風でもない。
ふぅ……。
瑛士は大きく息をつくと自分も毛布を整えて横たわり、薄暗い天井を眺めた。
ギシギシときしむ壊れかけのベッド、雨漏りで不思議な模様を描く天井、もう十数年忘れ去られた廃ビルの中で人類の希望が生まれかかったり、青春の一ページが更新されたり目まぐるしかった一日が終わっていく。
瑛士はとても疲れてはいたが、この激動の一日をどう捉えたらいいのか落ち着かず、なかなか寝付けなかった。
8. ママ……
思えばこんなベッドで寝るのも久しぶりだった。アジトをサイボストル達に襲撃されてからというもの、ネオレジオンのみんなとは離れ離れとなってしまい、逃避行の隙に瓦礫の隙間で仮眠をとるような暮らしを続けてきていた。
一体これからどうなってしまうのだろうか? 確かにシアンのスマホは凄いが、スマホ一つだけで世界を支配しているAIを打ち倒せるイメージもわかなかった。底のない不安がむくむくと湧き上がってきて瑛士は耐えられず毛布に潜る。
ふわりと漂ってくる華やかで優しいシアンの匂い……。瑛士はダメだと思いながらもそっとシアンの二の腕に顔をうずめた。
温かくてフワフワとしたマシュマロのような感触に、瑛士は今まで感じたことの無い癒しを感じる。思えば物心つく前に母親をAIの核攻撃で失ってしまった瑛士には母に抱かれた記憶がないのだ。きっと普通の子供はこんな温かく優しい腕に抱かれて育っていくのだろう。なるほど、これが自分に欠けていたものなのだ。ポッカリと胸に開いていた穴にシアンの温かさが流れ込んでくる。
ポロリとエイジの目から涙がこぼれた。
全てを奪ったAIに対する怒りが渦巻いているが、AIを倒してもパパもママも帰ってこない。永遠に失われた温かさ。そのどうしようもない現実に瑛士は耐えきれなくなる。
ママ……。
ついそう口から漏れてしまった言葉に悲しみは加速してしまう。
うっ……うっ……。
瑛士は肩を揺らしながら泣いた。クソッたれのAIも、ネオレジオンに協力してくれない市民も、逃げることしかできない自分の無力さもすべて嫌になってオイオイと泣いてしまう。
しばらく部屋には瑛士の嗚咽が静かに響いていた。
やがて泣き疲れ果てた瑛士は静かに眠りへと落ちていく……。
シアンは薄目を開け、そんな瑛士を温かく見守ると毛布をそっと整え、優しく髪をなでた。
◇
翌朝、二人はガヤガヤとした人の気配に目を覚ました。
「えっ? こんなところに人が?」
瑛士は目をこすりながら窓の外をそっと見て思わず声を失った。まだ冷たい空気の中、瓦礫を乗り越えながら何十人ものむさい男たちが電磁警棒を振り回して何かを探している。彼らは黒い革ベストなどに身を包み、二の腕には不気味なタトゥーを彫り込んでいた。警棒の先端からは、不規則に青白い電気が弾けている。
「おい、この辺でいいのか?」「地図ではここみたいっすよ」
どうやら瑛士たちを探しているようだったが、どうみても平和的な訪問ではなかった。
「おい! 瑛士! いるんだろ? 出てこい!」
顔にまでタトゥーを入れたリーダーらしき男が叫ぶ声が、瓦礫だらけの朝の街に響き渡る。
「ふぁーあ……、何なの? 殺しちゃう?」
シアンは伸びをして大あくびをしながら物騒なことを言ってくる。
「いやいや、僕らは人間のために戦っているんだ。人間殺しちゃ意味がない……」
瑛士は頭を抱えた。自分が命を賭けて守ろうとしている人たちに襲われる。それは自分の信念の根底に関わる一大事だった。
市民がレジスタンス活動を全然支援してくれない事についてはいつも不思議に思っていた。自由を奪われ、まるで動物園の動物みたいな暮らしを強要されているのにそれに対して怒りを感じないというのが瑛士には理解ができない。人間にとって自由とは一番大切なものではなかったのか?
レジスタンスに協力したのがバレたら苛烈なペナルティがあるせいだと思ってきたが、押し寄せてきた半グレたちの様子を見たらそれでは説明がつかなかった。
「瑛士! 返事しないならこの辺全部火をつけるぞ!」
リーダーはドスの効いた声で叫ぶ。
瑛士は大きく息をつくと意を決して窓から顔を出した。
「瑛士は僕だ! 何の用?」
リーダーは廃ビルを見上げ、獲物を見つけたかのような狡猾な笑みを見せる。
「悪いがお前を捕まえるとAI政府から酒と肉がふるまわれるんだ。今晩の宴のために観念してもらおう。隣のおねぇちゃんは俺らで可愛がってやるから安心しろ」
仲間の男たちはゲラゲラと下卑た笑いを上げる。
「僕らはAI政府を倒し、人類を解放するレジスタンスだ。酒も肉も僕らが勝てば普通に手に入るように……」
「バーカ、何がレジスタンスだ! 俺らは働かなくていい今の世界を気に入ってんだよ! 余計なことすんな!」
「『働かなくていい』ってのは仕事を奪われただけで……」
「あー、うるさい! お前は俺らの酒になり、おねぇちゃんは俺らを喜ばせてればいいんだよ! 突入!」
リーダーはそう叫ぶと男たちを廃ビルに突入させた。
玄関のバリケードを次々と破壊し始める音があたりに響き渡る。
くっ……。
瑛士が逃げ出そうと思った時だった。
「おっと、地下道はもうふさいであるぜぇ。ガハハハ!」
瑛士はハッとした。いざとなれば非常階段から地下に抜ける通路から逃げればいいやと思っていたのだが、なんとすでに手を回しているということだった。これもAIからの指示なのだろう。
まさに万事休す。AIではなく人間たちの手によって倒されてしまうかもしれない無慈悲な現実に、瑛士はギリッと奥歯を鳴らした。
9. 馬鹿だから人間
「もういいよ。ぶっ殺しちゃおうよ。ふぁーあ……」
シアンはつまらなそうに、あくびをしながら言った。
「いや……、ダメだ……。人を一人でも殺したらそれはAIと大差なくなっちゃう……」
瑛士は頭を抱えて考え込む。この瞬間にもバリケードは壊され続けているのだ。何とか活路を見出さなくてはならない。ならないが……いいアイディアが浮かばない。
そもそも『働きたくない』からAIの味方をして、人類の希望を摘み取ろうとする半グレたちの発想そのものに、瑛士は気力が削がれてしまっていた。それは瑛士の努力を根底から揺るがす発想である。一体なぜそんなことを……。
うぅぅぅ……。
シアンはそんな瑛士を見てふぅと大きく息をつくと、瑛士の手を取って目をじっと見つめる。
「逃げるよ? 僕に着いてきて」
シアンは瑛士の手を引っ張って階段を上り始めた。
「え? この上には何もないって……」
瑛士は逃げ場のない上階に行こうとするシアンに眉をひそめながらも、力なく引っ張られて行った。
◇
屋上に出た二人。下の方からはバリケードが突破されたような歓声が響いてくる。もう猶予はない。
「お、おい、どうするんだよぉ」
瑛士は青い顔をして頭を抱えた。
「こうするんだよ!」
シアンは朝の清々しい青空に向かってスマホカメラを向ける。
パシャー!
シャッター音が響き渡ると、まるで熱気球のような数十メートルはあろうかという青白い光を纏うこぶしが浮き上がった。その姿は、神話に登場する天を支える巨人のこぶしのような風格を感じさせる。
スマホはそのままこぶしにくっついたまま上空へと舞い上がり、シアンもふわっと浮き上がる。
えっ!?
驚く瑛士にシアンは手招きをしながら、
「早く僕につかまって! 大空へ散歩だゾ! きゃははは!」
と、楽しそうに笑った。
『僕につかまって』と言われても、ワンピースをまとった少女のどこにつかまれというのだろうか?
しかし、そうこうしている間にもどんどんシアンは浮かび上がって行ってしまう。
「し、失礼!」
瑛士は真っ赤になりながらシアンの腰のところに飛びつくと、シアンはグンと上昇速度を上げた。
二人はそのまま朝のさわやかな大空へと舞い上がっていく。
「うわぁぁぁ」
下を見るとどんどんと街が小さくなっていく。今、自分を支えているのはシアンの腰のくびれだけなのだ。手を滑らせたら一巻の終わり……。
いい匂いのする、柔らかく弾力のあるシアンの身体だったが、今の瑛士には感じる余裕もなく、あまりの恐怖に目をギュッとつぶってガタガタと震えた。
「しょうがないなぁ」
シアンはそう言うと、手をのばして瑛士のズボンのベルトをガシッとつかみ、もの凄い力で引き上げた。
「おぉぉぉ……」
引き上げてもらった瑛士は慌ててシアンの首に手を回して、おぶさる形で何とか落ち着いた。抱っこしてもらうようになるのはさすがに気が引けたのだ。
「これでもう大丈夫。ほら下を見てごらん」
シアンは下を見てニヤッと笑った。
下では、屋上に突入したものの逃げられてしまった間抜けな男たちが、警棒を振り回して怒っている。
「ズルいぞー! 降りてこい、てめぇ!」
リーダーはブチ切れているが、ザマァ見ろとしか言いようがない。
「おつかれさーん!」
瑛士は皮肉たっぷりに声をかけた。
「チクショー! 酒を返せゴラァ!」
リーダーは地団太を踏み、喚くが、瑛士はその間抜けっぷりに思わず笑ってしまう。
「人間って本当にバカよね」
シアンはウンザリしたように首を振る。
AIに飼いならされ、操られ、うまくいかないと喚き散らす。確かにその醜さは筆舌に尽くしがたい。彼らの姿はまさに肉屋を応援する豚、愚の骨頂である。
だが、瑛士は単にその馬鹿さ加減を嗤う気にはならなかった。
瑛士はふぅとため息をつくとボソッとつぶやく。
「そうだね。でも、馬鹿だから人間なんだってパパは良く言ってたよ……」
「馬鹿だから人間?」
シアンは何を言っているのか分からずに首を傾げた。
「理屈だけ、合理的活動だけならもうAIでいいじゃないかってことだよ」
合理性だけなら人間はAIに勝てないのだ。感情を持たず、常に最適な行動で成果をもぎ取っていくAIに対して、人間は喜怒哀楽の中で不合理な選択を繰り返す。それは確かに愚かな行為と言えるだろう。でも、合理性を追求した人生に何の意味があるのか? と言えば、そんな人生は無味乾燥でつまらない。つまり、バカで不合理な行動の中にこそ人間の価値、存在意義は生まれるのだ。
「へぇ……、パパさんは深いことを言うねぇ」
シアンは神妙な顔でゆっくりとうなずく。
「そう、パパは凄かったんだ……」
瑛士は遠くに小さく見える富士山を眺めながら、キュッと口を結び、深いため息をついた。
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