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異世界最速の英雄 ~転生5秒で魔王を撃破した最強幼女の冒険物語~ 10~19

10. 絶望の乾杯

 魔王城のボールルームで宴会が始まった――――。

「シャドウスカル殿! こたびの大魔法は画期的でしたな!」「しかりしかり。魔王軍もこれで安泰ですな!」「おいこら! ワシにもあいさつさせろ!」

 今回の立役者シャドウスカルの周りには人垣ができていた。魔王城をも揺るがす大魔法、これは人間たちに使っても大成果が得られるはず。であれば魔王軍はこの世界を征服できる大いなる最終兵器を得たということなのだ。

 シャドウスカルは、自らの長き魔法研究の果てにたどり着いた究極の攻撃魔法の成功に気を良くし、いつもは邪険にしていたパーティでの社交活動もにこやかに対応していた。(骸骨なので表情は分からないのだが……。)

 そんななか、調子に乗った一人が口を滑らせる。

「次期魔王はシャドウスカル殿で決まりですな!」

 その一言に一瞬、会場に緊張が走った。

 みなチラチラとグリムソウルやアビスクィーンのいるテーブルを見る。

 そして二人が動かないのを見ると、みな我先にヨイショを始めた。

「そ、そうですなそれが妥当かと」「ワシもそう思いますぞ~」「わたくしめは貴殿を支持いたしますぞ!」

 魔王の跡目争いは極めてデリケートな問題だったが、『魔王の仇を討った者』という条件を考えたらシャドウスカルがなるのが妥当なのだろう。

 グリムソウルはギリッと奥歯を鳴らし、アビスクィーンを見る。

「あんな骸骨が魔王……? いいのか?」

 アビスクィーンはつまらなそうな顔で大麻のパイプをくゆらせた。

「あんな奴じゃ務まんないわ。魔王というのは皆のシンボル、心の支えなのよ? まぁ、あんたよりはマシかもだけど?」

「はっ! お前よりは俺の方がマシだろうがよ!」

 グリムソウルはガン! とテーブルを叩き、吠える。

 そんなグリムソウルに一べつを投げながら、アビスクィーンはカン! と灰皿をパイプで叩いた。

「はい! お集まりの皆様、そろそろ開宴したいと思います! それでは、今回の立役者、シャドウスカルさまに乾杯のご発声をお願いいたします!」

 司会の悪魔が声を上げる。

「おぉぉぉぉ!」「いいぞいいぞー!」「シャドウ様ーー!」

 拍手が沸き起こり、観衆は口々にシャドウスカルを讃えた。

 カラカラカラという薄気味悪い骨の音を立てながら、壇上に登ったシャドウスカルは会場を見回し、その頭蓋骨の奥にユラリと青い輝きを揺らめかせる。

「聞け、諸君! 幾万の犠牲を背負いながらも、我々はついに壮絶なる炎の力を解放した。この炎が人間界を焼き払えば、人間どもの絶望が確実に我々の希望となる。その瞬間こそ、魔王軍の悲願達成の時だ!」

 うぉぉぉぉぉ! そうだー! 魔王軍バンザーイ!

 湧き上がる会場。

「その偉大なる一歩を祝し、乾杯の音頭をとらせていただく……」

 シャドウスカルは高々とグラスを掲げ、会場を睥睨へいげいした。

「それでは、カンパ……」

 刹那、シャドウスカルの身体が紫色の輝きに覆われる。

 えっ!? はっ!?

 会場内に緊張が走った。

 直後、シャドウスカルは糸の切れた操り人形のようにガラガラと身体中の骨をばらまきながら崩れ落ちていった。

 パリーン! という甲高いグラスの割れる音が会場に響き渡り、まるで時が止まったかのような静けさが訪れる。

 おわぁぁぁ! うひぃぃぃ! きゃぁぁぁ!

 続いて訪れる大混乱。シャドウスカルが殺された。魔王、ルシファーに続き、シャドウスカルすら殺されてしまったのだ。

 トールハンマーはなぜ効かなかったのか? 広範囲を焼け野原にした恐るべき攻撃ですら敵を殺せなかった。もしかしたら不死身なのではないか? まるで見せしめるかのように絶妙のタイミングで殺したということは、もうその辺から自分たちを見ているのかもしれない。魔王軍の幹部たちは不可解で恐ろしい敵の前に理性を失い、パニックに陥って我先に会場から逃げ出していった。

 グリムソウルは驚愕の表情で言葉を失い、アビスクィーンを見る。

「良かったじゃない、魔王の席が空いたわよ?」

 アビスクィーンはほんのりと笑みを浮かべながらパイプを指でへし折ると、皮肉たっぷりに言った。

 多くの兵士を犠牲にした伝説レベルの攻撃すら効かなかったとなると、打てる手などもうない。もはや魔王軍は命運の綱が切れ落ちる寸前にまで追い詰められた。

       ◇

 ところ変わって、蒼たちのいる湖畔には夕暮れが訪れていた――――。

 ほんのり煙が舞う焼け野原に、紅蓮の夕日が地平線に沈んでいく。あかね色から深紫へのグラデーションを見せる空は、激動の一日に対する静かなエピローグを描いていた。

「三キロ以内の魔獣はDeathデス!」

 蒼はそう唱えるとムーシュの隣に横になり、星々が一つ、また一つとその光を増していくのを静かに見つめていた。

 転生直後に魔王軍と壮絶な戦闘を展開し、悪魔の仲間を得た。こんなド派手な異世界デビューなど聞いたことがない。しかし、これは女神の狙い通りなのだろうか? 交通事故であっさりと死んでしまった自分の魂をこんな形で転生させて、女神にはどんな目的があるのだろうか?

 しかしいくら考えても答えなど思い浮かばない。蒼は首を振り、想像も及ばない神々の世界にため息をついた。と、この時、女神の隣にいた青い髪の美しい天使のことを思い出す。

『最強のチートを下さい!』

 蒼がそう言った時、一瞬彼女はクスッとその美貌に似つかわしくないいたずらっ子の笑みを浮かべたのだ。その表情には何かをたくらんでいるような不穏な空気が感じられた。

 蒼はガバっと起き上がる。アイツだ、アイツに違いない。あの天使が自分にこんなスキルを付与したのだ。

「アイツめ〜」

 蒼はギュッとこぶしを握った。名も知らぬ天使が自分に何かをやらそうとしている。自分の運命を勝手に翻弄する天使に蒼は心底腹が立った。

 しかし、こんなことをして彼女に何の意味があるのだろうか……?

 そう考えるとまた想像の及ばない世界へと入ってしまう。

 天使が何を画策していようと、蒼はこの壮絶な世界で生き抜かなければならない。忌まわしい呪いを破壊し、ムーシュと共に幸福な日々を手に入れるための闘いだ。蒼は決意を込め、キュッと口を結ぶ。

 しかし、どうやって……?

 見渡す限り焼け野原、頼みのムーシュも翼は焼けてしまって飛ぶこともできない。

 即死スキルは最強ではあったが、こんな状況では何の役にも立たなかった。

 蒼はふぅと息をつくとまた横たわり、天空に広がる天の川を見入った。前世では都市の光の海に埋もれ、見ることが叶わなかった美しい星空の芸術。人の気配すらないこの地では天空のキャンバスに美しい光のアートを描いていた。

「みんな……、元気かな?」

 もう二度と見られない日本の家族や友人の顔を蒼は思い出し、ひとしずくの涙が頬を伝った。

11. 作詞作曲ムーシュ

 翌朝、蒼は美味しそうな匂いに包まれ、心地よく目を覚ました。

 寝ぼけまなこをこすりながら起き上がると、エンジ色のワンピース姿のムーシュが鼻歌まじりに何やら肉を焼いている。

「あら、主様、お目覚めですか?」

 天使のような笑顔で、ムーシュは蒼に優しく微笑みかけた。

「あ、あぁ……。もう……、いいのか?」

「もう大丈夫ですよっ! 主様とのきずなでふっかーつ!」

 ムーシュは青空にこぶしを突き上げ、心からの喜びを全身で表した。

「そ、そうか。それは良かった」

 蒼は安堵し、優しい目でうんうんとうなずく。

「ただ……。しばらくは飛べそうにありません……」

 ムーシュは背中を見せて、ほとんど骨だけになってしまった翼をゆらゆらと動かす。

「あぁ……。これは……治るのかな?」

「三か月もあれば飛べると思いますよ? でも、それまでは歩くしかないと……」

 ムーシュは申し訳なさそうにうつむく。

「いやいや、ムーシュがいなかったら死んでたんだ。そのくらいは仕方ないよ」

「主様……」

 ムーシュはとっとっとと蒼に駆け寄ると、抱き上げてすりすりとプニプニほっぺに頬ずりをした。

「なんとお優しい! ありがとうございます!」

 蒼はムーシュの華やかな匂いに包まれ、真っ赤になってもがき、ムーシュを引きはがす。

「分かった。分かったから! なんでいちいち頬ずりするの!?」

「だって主様のほっぺた気持ちいいんですもの」

 ムーシュは恍惚こうこつとした表情を浮かべる。

 蒼は腕を組み、大きく息をついてフンと鼻を鳴らす。若い女の子にすりすりされるのは蒼としても悪い気はしないのだが、少し後ろめたく、刺激が強すぎるのだった。

 また、このとき、ムーシュの腕の力が前回よりかなり強くなっていることに気がついた。

 すかさず鑑定をかけてみると――――。

ーーーーーーーーーーーーーー
Lv.49 ムーシュ 18歳 女性
   :
   :
称号 :強大なる幼女の輝く盾
ーーーーーーーーーーーーーー

 レベルと称号が変わっていた。

 称号は『堕天使の理解者』が消えている。これはルシファーが死んで整理されてしまったのだろう。

 それはともかく、ムーシュは誰を倒したわけでもないのにレベルが凄く上がっている。これは蒼が倒した敵の経験値がムーシュにも分配されているのではないだろうか?

 ムーシュが力をつけることは、厳しい旅路を二人で乗り越える上で希望の光だ。『輝く盾』として、今後もこの幼女の身体を守ってもらわないとならないのだ。

「はい、主様。朝食ですよー」

 ムーシュは嬉しそうにトレーの上にパンと焼いた肉を並べ、その前に蒼を座らせた。

「あれ? 野菜……は?」

「きゃははは! 悪魔は野菜なんて食べませんよぉ」

 子どものような無邪気な笑顔で、ムーシュは笑う。

「いや、僕、人間なんだけど……」

「あら、そうでしたねぇ……」

 ムーシュはキョロキョロと焼け焦げた森の中を見回すと、倒木に走り寄り、何かを取ってくる。

「いい感じに焼けたキノコを見つけましたよ!」

 嬉しそうに立派なキノコを見せるムーシュ。

 蒼は苦虫をかみつぶしたような表情で鑑定をかけてみる。

ーーーーーーーーーーーーーー
ナイトメアスポア
種族 :菌類
性質 :毒キノコ
 食べると昏倒し、悪夢を見ながら死んでいく
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「これ……。毒キノコなんだけど……?」

「あれ? そうなんですか? あたしキノコなんて全然わからなくて。きゃははは!」

 ムーシュの笑い声が響く中、蒼は憂いを帯びたため息をつき、首を振った。

『輝く盾じゃなかったのかよ……』

        ◇

 気乗りしなかったものの、蒼は香ばしい肉の朝食に手を伸ばした。未知の肉が放つ独特の芳醇な香りが鼻腔をくすぐり、一口噛むと口の中にぶわっと濃厚な肉汁がひろがっていく。相当に美味いが……、何の肉かを聞く勇気はわいてこなかった。

 食べ終わると、テントを畳んで移動を開始する。

「街は方向としては南の方だからこっち?」

 蒼は太陽の方角を見ながら焼け野原を指さす。

「多分そうじゃないですか? よく分かんない。きゃははは!」

 ムーシュは無責任に笑う。

 蒼はムッとしたが、怒るだけ無駄そうだったので自分で決めることにした。

「じゃあ、とりあえずこっちに進むぞ!」

「はいはーい。ムーシュにお任せあれ~」

 ムーシュはヒョイっと蒼を抱き上げるとキュッと抱きしめ、まだ焦げ臭さが鼻につく焼け野原へと入っていく。

「おわぁ! ちょっと! 自分で歩くよ!」

「大丈夫ですよ! それに、飛べなくなったのはあたしのせいなので!」

 ムーシュはそう言うとまた蒼のプニプニほっぺに頬ずりをした。

「もう……」

 蒼はポッと赤くなり、ふぅとため息をつく。

「じゃぁ、いっきますよぉ!」

 ムーシュは蒼を抱き抱えたまま焼け野原の森へと飛び込んで行った。倒木をピョンと越え、倒れかけた木を潜り、元気に進んでいく。

「森は続く〜よ〜♪ どこ〜までもぉぉぉ♪」

 ムーシュは楽しそうに調子っぱずれの歌を歌う。

「あー、なんの歌なのそれ?」

「くふふふ、コレはあたしのオリジナル。ムーシュは作詞作曲もできる凄い悪魔なのです! エヘン!」

 自慢げに胸を張るムーシュ。

「あ、そうなんだ……。すごいね……」

 蒼はどこまでも続く焼け野原を眺めながら、前途多難な二人旅を憂えた。

 

 

12. ハムの仇

 ムーシュは焼け野原を軽快な足取りで進み、昼過ぎには生命力に満ちた森へとたどりつく。

「ふぅ、そろそろお昼にしましょう! お腹すいちゃった。きゃははは!」

 ムーシュは倒木に蒼を腰かけさせる。

「おぅ、お疲れちゃん」

 蒼は健気に頑張ったムーシュの腕をトントンと叩き、慰労する。

「ありがとうですー。さーて、何を食べようかなぁ?」

 ムーシュはマジックバッグに手を突っ込んで中を探った。

「お、ハムがありましたよ、主様~!」

 ムーシュは目を輝かせ、まさに王者級のハムを誇らしげに蒼に披露する。

 その時だった。

 バシッ!

 影が目の前を横切り、ハムが消えた。

「うわぁ! うわぁぁぁ! ハムーー! ハムーー!」

 ムーシュは精神が破壊しそうなほどの半狂乱に陥る。

 蒼が見上げると、わしらしき大きな鳥がハムをつかんだまま羽ばたいて飛んでいくのが見えた。

「ありゃぁ……」

「主様! あいつを殺してぇ!」

 ムーシュは蒼の肩をつかんでゆさゆさ揺らしながら、涙目になって必死に訴える。

「いやぁ、殺してもなぁ……」

 蒼は顔をしかめながら首を振った。今さら殺しても、鳥につかまれ、森に落ちていったハムなど食欲がわかない。

「何言ってるんですか! 報復ですよ、報復! ハムの恨みを晴らしてくださいぃぃぃ!」

 ムーシュはものすごい形相で蒼を持ち上げ、ブンブンと揺らす。

「分かった! 分かったって……。しょうがないなぁ……」

 蒼は飛び去って行く鷲に向けて手を伸ばした。

 その刹那、紅蓮の火炎が森の奥から轟音とともに噴き出し、鷲は瞬く間にそのほのおに呑み込まれた。

「はぁっ!?」「ひぃぃぃ!」

 丸焦げになった鷲はそのまま森へと落ちていく。

「あれ……、主様の魔法……ですか?」

 ムーシュは蒼をキュッと抱きしめる。

「んな、訳があるかよ! なんだかとんでもない奴がいるぞ!」

 直後、焦げた鷲をくわえた巨大なトカゲのような生き物が、バサバサっと大きな翼を広げ、森から飛び立っていく。

「ワ、ワイバーン!?」

 ムーシュは驚いたように叫んだ。

 全長三メートルはあろうかという、恐竜に似た面影とコウモリのような巨大な翼を持つワイバーン。その全身が厳つい鱗で覆われた幻想的な生き物が、大空へと翼を広げ羽ばたいていく。

「何? あいつは珍しいの?」

「レアですよ、レア! 普段は山奥に居て森なんかには降りてこないんですよね。やはり昨日の大爆発の影響かも……」

「ふぅん。ハムの仇を討ってもらってよかったじゃないか」

「主様! 何言ってるんですか! 今すぐ殺してください! あいつの魔石は貴重なんですよ?」

「そ、そうなの? じゃあ……ごめん、死んでDeathデス

 刹那、紫色の光をまとったワイバーンは森の中へバサバサと墜落していった。

        ◇

 それから一週間――――。

 二人はちょくちょく襲いかかってくる魔獣たちを倒しながら森の中を進んでいたが、森は終わる気配を一切見せず、疲労は彼らに重くのしかかっていた。

「ねぇ……。さすがに方向間違えてんじゃない?」

 蒼はウンザリとした表情でムーシュの腕をペシペシと叩いた。この先数千キロずっと森が続いている可能性だってあるのだ。もしそうなら、解呪は夢のまた夢。受精卵として死亡する未来しか見えない。まさに死活問題だった。

「大丈夫ですよ! もうすぐ! もうすぐ……だと……思いたいですね……」

 今までお気楽な精神力でへこたれなかったムーシュも、少しずつ疲れの色が現れ始めている。

「参ったなぁ……」

「そろそろお昼にしましょう! お腹減ってるから気持ちが沈むんです!」

「またイノシシの肉だろ? さすがにヤバいから止めようよ」

 数日前にたまたま出てきたイノシシを即死させて解体したのだ。美味しく毎食に登場してきたがさすがにそろそろ厳しいだろう。冷蔵庫もないのに生肉などそんなに持つはずがない。

「いやいや、塩とハーブでつけてあるから大丈夫! だと……思いますよ?」

「あのなぁ、僕は幼女なの! お腹弱いんだからさぁ」

「うーん、じゃ、新しいイノシシ探しましょうよ!」

 ムーシュは嬉しそうに言う。しかし、猟師だってそう簡単に見つけられないイノシシである。素人がそう簡単に見つけられるわけがない。

「探すって……、どうやって?」

「何かないんですか? イノシシが近くにいると髪の毛が立つスキルとか……」

「アホか!」

 蒼はムーシュの腕をペシッと叩く。

「いたーい! 暴力はんたーい!」

 ムーシュは痛がる振りをして蒼をジト目で見る。

 しかし、食糧調達は確かに急務だった。

「ちょっと見てくるよ」

 蒼はムーシュの腕からピョンと跳びおりると巨木の幹まで走り寄り、まるで猿のようにピョンピョンと枝を跳び上がっていった。この一週間、魔獣を倒し続けてさらにレベルが上がっているようで体が軽い。

 あっという間に見晴らしの良いこずえに到達した。そこからは、壮大な森の全景が目に飛び込んでくる。

「おぉ、いい景色だ! ……。えっ……?」

 蒼は見慣れない人工物を見つけ、目を疑った。川に橋が架かっていたのだ。

「Yes!」

 蒼は胸の高鳴りを抑えられずにガッツポーズを決めた。ついに、この異世界で人間の痕跡に遭遇したのだ。初めての文明との接触に、蒼は目頭が熱くなった。

「主様~! 美味しいの見つけましたか~?」

 下からのんきなムーシュの声がする。

「うん! これは相当に美味しいぞ!」

 異世界の人々との接触への期待と緊張で、蒼の心は複雑な旋律を奏でる。

 森を渡る風がそんな蒼の髪を大きくたなびかせていった。

13. 絶望の皆殺し

「よし、ムーシュ! 街へ行くぞ!」

 道まで出てきた蒼はその胸の高鳴りを感じながら、力強く可愛いこぶしを空に突き上げた。

「アイアイサー!」

 ムーシュは茶目っ気たっぷりにおどけた調子で敬礼する。

「あ……。悪魔って街に行って大丈夫なの?」

「え? 悪魔ってバレたらはりつけの火あぶりですよ?」

「ダメじゃん!」

「ふふーん、それでこういうことができるんですよ」

 ムーシュは何か呪文を唱え、ボン! と煙に包まれる。

「ほ~ら、どうです?」

 出てきたムーシュはブラウンの髪を風になびかせ、濃褐色の瞳でくるりと回る。角も無くなって確かに人間に見えなくもない。ただ、翼は出しっぱなしだ。

「人間は飛べないの!」

 蒼はパシパシと治りかけの翼を叩く。

「あちゃー! 失敗、失敗!」

 顔を赤らめながら、ムーシュは悪戯っぽく舌をちらっと出した。

       ◇

 二人はなだらかに下っていく方へ道を歩いていく。

「街に行ったら魔石を換金して魔道具屋に行けばいいんだね?」

 蒼はスキップをしながら上機嫌に聞いた。

「多分そうなりますけど……。あたしもやったことないんで……」

 ムーシュは自信なさげに首をかしげる。

「まぁ、行けば何とかなるよ、きっと!」

 まだ見ぬ異世界の街に期待で胸いっぱいの蒼は、嬉しそうに言った。

 その時だった。いきなり森の奥からガサガサという音とともに、タトゥーだらけのむさくるしい男どもが群れをなして現れた。

 一様に野蛮なひげを揺らし、邪悪な笑顔を携えながら、その手に持つ刃物をちらつかせている。

 面倒なことになったと、蒼はウンザリしながら後ずさる。

「おうおう、ねぇちゃん! 子連れでこんなところで何やってんだ?」

 頭目の男が危険な輝きを持つ眼差しで、にやけながら声をかけてくる。

 ムーシュはすばやく蒼を抱き寄せ、キッと男をにらんだ。

「何だっていいでしょ? どいてください!」

「ほう……、なかなかいい身体をしてるな……。俺の女にしてやろう」

 男はムーシュの身体を舐めまわすように見ながら、いやらしい笑みを浮かべる。

「結構です!」

「まぁ、断ろうが何しようが結果は一緒なんだがな」

 狂気すら感じさせるゲラゲラゲラという男たちの笑い声が森に響き渡る。

 蒼は頭目を鑑定してみた。レベルは百ちょっと、自分なら楽勝だがムーシュには荷が重そうだった。

「主様、ぶっ殺しちゃってください」

 ムーシュは蒼をキュッと抱きしめながら言った。

 しかし、初めて会った人間をいきなり殺すのは抵抗がある。なんとか殺さずにすむ方法を探したかった。

 ピョンとムーシュから跳びおりた蒼は、頭目を指さして叫ぶ。

「僕らは女神に連なる者。邪魔をするなら天罰で全員死ぬ事になるぞ!」

 しかし、可愛い幼女の言葉を真に受ける者はいない。

「はっはっは! ガキはすっこんでろ!」

 頭目は懐からナイフを取り出すと、目にもとまらぬ速さで蒼めがけて放った。

 しかし、レベルが三百近い蒼の目には止まって見える。

 手の甲でナイフをはじき、稲妻のごとく男に向かってダッシュする蒼。

 へ?

 いきなり幼女が突っ込んできたことに男は焦ったが間に合わない。

「どっせい!」

 蒼は全ての力を込めて男に飛び蹴りを放った。金髪が太陽の光に煌めきながら宙を舞う。

 防御も間に合わずまともに食らった男はもんどりうって転がった。

 ぐはぁ!

 ニヤニヤしていた周りの男たちはそのあまりの出来事に唖然として静まり返る。

「こ、このガキ! ぶっ殺してやる!」

 真っ赤になって起き上がった頭目は、ビュンビュンと大きな剣を振り回し、突っ込んでくる。

 だが、レベル差が二百近くもあれば戦闘力の差は圧倒的である。蒼は止まって見える剣を涼しい顔で避けると胸元に潜り込んで金的を思いっきり蹴り上げた。

 悲痛な叫びを上げながら倒れ込む頭目。

「僕らには女神の加護がある。お前らじゃ勝てない。今すぐ立ち去るなら見逃してやる。続けるなら皆殺しだぞ!」

 蒼は碧眼をキラリと光らせながら頭目に言い放った。

「くぅぅぅ……。馬鹿が……。子供に舐められて山賊やってられるかってんだよ! 弓兵! 女を狙え!」

 ガサガサっと音がして脇の木の上に隠れていた弓兵数人が弓を引き絞り、ムーシュを狙う。

 ひぃぃぃ!

 ムーシュは真っ青になって後ずさりする。

「馬鹿野郎! 止めろ! 殺すぞ!」

 蒼は真っ赤になって叫ぶ。いくら蒼でも複数の弓からムーシュを守ることはできない。

「ははー! やれるもんならやってみろ!」

 頭目は勝ち誇った風に言い放つ。

「ブラフじゃないぞ! 殺すぞ! 皆殺しだ!」

 蒼は必死に叫ぶが頭目には響かない。

「撃てーー!」

「馬鹿モンDeathデス!」

 刹那、山賊どもは全員紫の光に包まれた。男たちはバタバタと倒れ、弓兵は次々と木から落ちてきて転がっていく。

 あぁぁぁ……。

 蒼は頭を抱えて地面にうずくまる。

 やってしまった。初めて会った人間を皆殺しにしてしまったのだ。大量殺人犯である。

 くぅぅぅ……。

 正当防衛と言えども、彼らの人生をすべて奪うなんて許されるものなのだろうか?

 高校生だった蒼は深く打ちのめされた。

14. 壮麗なる王都

「きゃははは! ざまぁみろってんですよ!」

 ムーシュはそんな蒼の様子を一顧だにせず楽しそうに笑うと、倒れてる男の懐から財布を取り出して中を覗いた。

「え……? 何やってんの……?」

「何って戦利品を集めてるんですよ。魔物を倒したら魔石をもらい、人間倒したら財布をもらう、この世界の常識ですよ?」

 ムーシュはキョトンとして小首をかしげ、蒼が何を言ってるのか分からないようだった。

「いや、人の命は尊くて……」

「何言ってんですか、人も悪魔も魔物も命は同じですよ。殺さなきゃ殺される。揉めたら殺した方が正義。常識ですよ?」

 ムーシュは鼻でフンと笑うと、倒れている山賊どもの懐から財布を次々と集めていった。

「お、このオッサン金持ちだなー」

 財布から金貨を取り出し、ムーシュはムフフと笑った。

「あ、悪魔だ……」

 蒼は青い顔をして首を振る。

「クフフ……。ムーシュは悪魔ですよぉ」
 
 ムーシュは楽しそうに財布の中身をマジックバッグへと移していった。

     ◇

 山賊たちを簡易に埋葬まいそうしたあと、二人は改めて街を目指す。

 ムーシュは暗い顔をしている蒼を抱きあげ、トントンと背中を叩いた。

「さぁ主様、レッツゴー!」

 楽しそうにこぶしを突き上げるムーシュ。

 予想外のお金も手に入ってしまったし、結果的に言えば山賊は二人のために金を運んできてくれたかのようである。

 蒼はふぅとため息をつくとムーシュの温かな胸にもたれた。蒼は何度も折れそうになる心をこの柔らかな胸に包まれて癒されてきている。知らぬ間に蒼にとってムーシュの存在は大きくなっていたようだった。

       ◇

 しばらく歩いていると馬車が通りがかる。

 街まではまだ距離があるとのことだったので、お金を渡して乗せてもらうことにした。

「なんであんなところ歩いとったんじゃ?」

 御者のおじいさんは手綱を握りながら声をかけてくる。

「森の方で暮らしてたんですが、街に行きたくなって……」

 ムーシュはそれらしき嘘をつく。

「おぉ、そうか。先週火山の大爆発があったから街に逃げようってことかな? 子連れで大変じゃったのう」

「そ、そうなんですよ。うちの子はわがままだし……」

 蒼の頭をなでるムーシュ。

 蒼はムッとして脇をキュッとつねった。

 くっ!

 顔をしかめるムーシュ。

「あー、そんなにひどかったか。ただ、この辺は山賊もおって危ないんじゃぞ?」

「えぇっ!? 山賊!? 恐いですねぇ」

 わざとらしく驚くムーシュ。

「わしらの仲間も次々やられとって商売あがったりじゃよ。今じゃ懸賞もかけられとるが手ごわい奴らでまだ捕まえられんのじゃ」

「け、懸賞!?」

「ボスの腕のタトゥーを役所に持ち込むと金貨五十枚じゃと」

「ご、五十枚!?」

 ムーシュは目を真ん丸に見開いて蒼を見た。

 蒼はしまったという顔で首を振る。

「でもあんな強い山賊、誰が倒せるんじゃろうな? はっはっは」

 おじいさんはあきらめ気味に笑った。

「うちのご主人様なら倒せるかもですね。ねぇ蒼ちゃん?」

 ムーシュは蒼を抱き上げてニヤニヤしながら蒼を見る。

 蒼はジト目でムーシュをにらんだ。

「ほう、その方は強いんかね?」

「そりゃぁもう、魔王よりも強いと思いますね。頼んでおくからこの道はもう安全になりますよ」

「魔王よりも? はっはっは! それは頼もしい」

 おじいさんは楽しげに笑い、蒼は沈んでいた気持ちが少し救われる思いがした。

         ◇

 簡易な宿で軽く休み、翌朝馬車がたどり着いたのは王国の首都、王都だった――――。

 歴史を感じさせる石造りの壮麗な城壁に囲まれた中世ヨーロッパを彷彿とさせる街で、馬車はドラゴンの美麗な彫刻が施された城門へと向かって進む。

 蒼はその巨大な彫刻を見上げ、石造りのドラゴンが動いていることに気がついた。ドラゴンはゆったりと動きながら通過していく馬車たちを睥睨へいげいし、時に炎を軽く吹きだしている。魔法で動いているのだろう。

 おわぁ……。

 蒼はそのドラゴンに釘付けとなり、異世界の深遠な文化の魅力に心底圧倒される。

「主様、人間の街ですよっ!」

 ムーシュもウキウキとしてキュッと蒼を抱きしめた。

 馬蹄ばていの響きと歩道を埋め尽くす人々の声が絶え間なく響き渡る。この地域の首都としての賑わいと活気は圧巻の一言だった。

 下ろしてもらった荷捌にさばき場を後にした二人は、古びた街の中心へと足を進めた。夜明けの露が石畳を濡らし、朝日がそれを温めて微かなもやを上げていた。この異世界の街の美しさに心を奪われる蒼は、好奇心旺盛に各所を眺めながら、荘厳な石造りの建築物の間を進んでいく。

 やがて石組みのアーチがあり、奥が広場となっていた。見ると、人々が集まって何か儀式を上げている。

「朝から何をやっているんだろ?」

 蒼はムーシュに聞いてみる。

「何だか教会の催しみたいですよ?」

 悪魔のムーシュにとって、教会は永遠の敵であった。彼女は不機嫌そうに奥に佇む司祭たちの姿を鋭くにらんだ。

 広場に行くと、脇の方で少年が号泣している。不審に思った蒼はとっとっとと駆け寄ると声をかけてみた。

15. 邪悪なマッチポンプ

 蒼はしゃがみこむと、クリっとした碧眼で少年の顔をのぞきこむ。

「お兄ぃちゃん、どうしたの?」

 少年はチラッと蒼を見ると、ためらいながらもポツリポツリと事情を話してくれた。

 話を総合すると、少年の愛する姉が残忍な連続殺人犯の犠牲者となり、酷い状態の死体が空き地に捨てられていたらしい。

 優しく大好きだった姉との温かい日々が惨劇で断ち切られたことの重さははかり知れず、蒼もムーシュもかける言葉を失ってしまった。

 この儀式は被害者たちの合同慰霊祭らしく、犯人が未だ自由の身でいることを考慮し、参列者への警戒の啓発も行われていた。

 金の刺繍が煌めく純白の高帽を戴いた司祭は、あつまった信者たちに女神の深遠な教えを伝え、周囲の群衆は畏敬の念を抱きながら静かに耳を傾けている。神聖な静寂がその場を包んでいた。

 蒼も手を組み、しばらく司祭の言葉に耳を傾けながら少年の姉のことを思う。

 失われた命は永遠に戻ることはないが、復讐なら蒼のスキルでできてしまう。しかし、蒼には殺すことへの葛藤があった。

 連続殺人犯を殺すか見逃すか……。その間の選択がないことをもどかしく思いながらムーシュを見上げると、察したムーシュがニコッと笑ってうなずいてくれる。

 蒼はその笑顔に後押しされるように覚悟を決め、少年に声をかけた。

かたき……討ってあげようか?」

「えっ……?」

 少年は泣きはらした目を蒼に向ける。

 しばらくどういうことか分かりかねていた少年だったが、静かにうなずいた。

 蒼はうんうんとうなずくと、目を閉じて『少年の姉を殺した殺人犯』という条件を頭に刻む。

 朝の澄み切った青空を見上げた蒼は大きく息をつき、ボソッとスキルを唱えた。

「人でなしDeathデス

 直後、ステージの上で慰霊の言葉をあげていた司祭が紫色の光に包まれ、糸が切れた操り人形のようにバタリと崩れ落ちた。司祭だけでなく、教会のスタッフもバタバタと何人か倒れていく。

 キャーー! 何だ!? 司祭様ぁ!

 大騒ぎになる会場。

 えっ!? はぁっ?

 蒼もムーシュも驚いてお互いの顔を見つめあう。

 直後、倒れた司祭たちの身体が消え、魔石へと変わっていく。なんと、司祭たちは魔人だったのだ。

「ま、魔人だーー!」「どういうことだこれは!?」「衛士だ衛士を呼べーー!」

 街の人たちの心のよりどころとなる、教会の司祭が魔人だったことにみんな大騒ぎとなる。

 騒然とする広場を眺めながら蒼は立ち尽くした。

「ちょっとこれ……、どういうこと?」

 蒼はそのおぞましい仕組みに思わず寒気が走った。魔人たちが教会で権力を持ち、裏では人を殺し、それを利用して教会のイベントにしていたのだ。

 何が起こったのか分からずにキョトンとしている少年の背中を、蒼はポンポンと叩いた。

「犯人はあいつらだったみたいだよ」

「えっ!? 司祭様が……?」

 少年はペタンと座り込み、困惑してどうしたらいいか分からない様子だった。

 ここまで魔人が食い込んでいるとなると、他にも魔人はたくさんいるのかもしれない。王都と言えども決して人間の楽園ではないことに蒼は深くため息をついた。

 広場を後にしながら蒼はムーシュに聞いてみる。

「魔王軍ってこういうこともやってるの?」

「特殊工作部隊の仕事じゃないですかね? 私のような下っ端じゃよく分からないですよ」

 ムーシュは首をかしげながら答える。

「ムーシュもやれと言われたらやるの?」

「お仕事なら逆らえないですよ。逆らったら殺されちゃいますから」

 自嘲気味に肩をすくめるムーシュ。

「酷い世界だな、どうなってやがるんだ……」

 一瞬、魔王軍を地上から消し去ろうとも考えたが、ムーシュのような悪意のない悪魔が犠牲になることは受け入れがたい。蒼はブンとこぶしを振るうと重いため息をついた。

       ◇

 地元の料理の香りに誘われ、小さなレストランで食事を取った後、二人は冒険者たちの集うギルドへ向かった。

 三階建ての壮麗な石の建造物には、冒険者たちの誇りを示すように、古びた剣と盾の看板が立派に飾られている。

 子連れで入ってきたムーシュを見て、むさくるしい冒険者たちでにぎわうギルドのロビーは一瞬静まり返った。

 男どもはジロジロとムーシュを見ると、声をかけてくる。

「おいおい、お嬢ちゃん、来る場所間違ってるよ!」「お兄さんがベッドで話聞いてやろうか?」「お前は下手だからダメだ!」「わっはっは! 違ぇねぇ!」

 ゲラゲラ笑う声が室内に響いた。

 ムーシュはプイっと顔を背け、足早にカウンターの受付嬢のところへ行く。

 エンジ色のピシっとしたジャケットを身にまとった受付嬢は、申し訳なさそうな笑顔でムーシュを迎える。

「ごめんなさいね、騒がしい連中で……。ご用件はなんでしょうか?」

「えーと、魔石をですね、換金したいんです」

 ムーシュはマジックバッグから魔石を一つかみバラっとカウンターの上に出す。

 魔石は色とりどりの輝きを放ちながらカウンターの上に転がった。

 へっ!?

 驚く受付嬢。

 それは魔熊などの上級魔物の魔石で、討伐クラスで言うとAクラス。とても子連れの女の子が倒せるような魔物ではなかった。

 それを見ていた冒険者たちの息をのむようなどよめきが部屋に響き渡る。日ごろゴブリンなどの小物を倒して生活している冒険者たちにとって、魔熊の魔石など目にすることはほとんどなかったのだ。カウンター上にそんな貴重な魔石が無造作に並べられている様は、彼らにとって信じがたい光景だった。

16. いきなりの実技試験

「し、失礼ですが、これはどちらで……?」

 引きつった笑顔で受付嬢は聞いた。

「私が倒したんです」

 ムーシュはなぜか自慢げに貧弱な力こぶを見せつけたが、受付嬢は小首をかしげて困惑し、何も言わず急いで奥へと引っ込んでいってしまった。

「ありゃぁどっかから盗んできたんだな」「さすがに魔熊はねーだろ……」

 ロビーの方から野次馬の声が聞こえてくる。

 ムーシュは口をとがらせ、抱きかかえている蒼を見ながら、テレパシーで聞いた。奴隷関係の間ではテレパシーが使えるのだ。

『主様、どうしましょう?』

 まさかどうやって獲ってきたかまで詳細に報告させられるとは思わなかった蒼は、キュッと口を結び、どう頭をひねった。しかし、『幼女が即死スキルで倒しました』なんて説明をしても騒がれるばかりでロクなことになりそうにない。

『ラッキーで倒せたとしか言いようがないよなぁ……。僕がやったとは絶対言わないように』

『ラッキーで押し通すんですか!? はぁ……』

 ムーシュは蒼をキュッと抱きしめ、ため息をついた。

 奥からアラサーの筋骨隆々としたギルドマスターが出てきて二人をジロリとにらむ。皮鎧を着て頬には大きな傷跡が見え、相当の手練れに見えた。

「魔熊を倒したというのは……君か?」

「そうですよ? 嘘なんてついてませんよ?」

 にこやかに答えるムーシュ。この辺りは悪魔らしい堂々とした受け答えである。

「……。どっちにしろギルドカードを作らねばならない。そのランクテストを兼ねて実技試験をやりたいが……いいかな?」

 疑念に満ちた眼差しで、ギルドマスターはムーシュの顔をじっと見つめた。その視線には、どんな不正も見逃さないという決意がみなぎっており、ムーシュはその迫力にたじろぐ。

『テ、テスト……。困ったなぁ……』

 蒼は渋い顔でうつむいた。明らかに力不足なムーシュではそのままじゃテストは通らない。しかし、今さら引くわけにもいかない。魔石の換金はやらなくてはならないのだ。

『ど、どうしましょう……』

 不安げなムーシュ。

 蒼は一計を案じ、テレパシーでムーシュに『非公開で頼め』と伝える。自分が秘かにサポートしてやらなくてはならないが、やじ馬の見られている中ではやりにくいからだ。

「いいですが、非公開で……お願いできます?」

 ムーシュは少し前かがみで胸を強調しながら、艶っぽい上目遣いでマスターを見る。

「ひ、非公開……? ゲフンゲフン……。いいだろう。ついてきたまえ」

 マスターはつい胸を見てしまったことをごまかすように咳払いした。

      ◇

 案内された先はどこかの屋敷の裏庭だった。確かに庭木と建物に囲まれていて、のぞかれる心配もなさそうである。

「さて、ここでテストしよう。コイツに一太刀でも入れられたら合格って簡単なルールさ」

 そう言いながらギルドマスターはバッグから案山子を出し、組み立てた。

 案山子は虹色のシャボン玉のような膜に覆われており、何らかの魔道具のようだった。

「この案山子はAランクの魔術師ならダメージが通るようになっている。魔熊を倒したならAはあるだろう?」

 マスターはそう言って挑戦的な視線でムーシュを見る。

 蒼は頭を抱えた。こんなテストじゃサポートのしようがない。

『主様~、私攻撃魔法なんて使えないですよぉ』

 ムーシュもお手上げである。

『うーん、お前、目くらましの魔法使えたろ?』

『ピカッと光るだけの奴?』

『そうそう、それ、全力でやってくれ。僕がその隙に小石で案山子をぶち抜くから』

 蒼は親指をはじいて見せた。

『えぇ……、そんなの上手くいくんですか?』

『じゃぁどうすんだよ!』

『うーん……』

「おい、どうした? 降参か?」

 マスターはニヤニヤしながらムーシュの顔をのぞきこんだ。

「あ、やりますやります。こんな案山子瞬殺ですよぉ。クフフフ……」

 ムーシュは蒼をマスターの反対側に下ろす。そして、案山子の方を向いて大きく息をつくと、キッと案山子をにらんだ。

「じゃぁ、Aランクの魔法とやらを……、見せてもらおうか」

 嗤うような笑みを浮かべ、腕組みをしてムーシュを見つめるマスター。

 ムーシュは丁寧に呪文を唱え、目の前に黄金色に輝く大きな魔法陣を浮かび上がらせると魔力を充填じゅうてんしていく。

『全力で行けよ、全力で!』

 蒼は秘かに小石を握り、親指で弾く用意をしてその時を待った。

 レベルだけは百近いムーシュ。注ぎ込む魔力は相当なものがある。魔法陣は輝きを増し、裏庭全体が黄金の輝きで燦然さんぜんと輝いた。

「な、なんだこの魔法は……?」

 マスターは見たこともない『攻撃魔法』にうろたえる。いまだかつてこんな魔力のこもった目くらまし魔法を放とうと思ったものはいなかったのだ。

 その時だった、まるで飛行機のようなゴゴゴゴと空気を震わせる衝撃が上空を通過していく。

「な、なんだ?」「何が飛んでるんだ……?」

 三人はその異様な衝撃に空を見上げた。

 それは翼をつけた人に見える。ムーシュが飛ぶよりももっと高速に、まるで戦闘機のようにしてカッ飛んでいた。

「ま、魔人だ!?」

 マスターが叫ぶ。

 蒼とムーシュは顔を見合わせた。

『主様、司祭殺しちゃったのがマズかったみたいですよ?』

『知らないよそんなのぉ……』

 蒼が鑑定したら上級魔人でレベルは三百を超えていた。下手をしたらこの辺一帯が火の海になりかねない。

『報復に来たって事? しまったなぁ』

 蒼は余計なことをしてしまったと頭を抱えた。

 魔人は急に旋回すると、今度はこっちに向かって突っ込んでくる。魔法陣の輝きを見つけたのだろう。

17. 誤解を呼ぶ業火の咆哮

「く、来るぞ!?」

 マスターは真っ青になる。マスターのレベルは二百弱、とても上級魔人には勝てない。

 魔人は近くまで来ると上空で急停止する。腕を組み、深い闇を宿した目でムーシュをにらみつけると、フンッと不敵な笑みを浮かべた。

「逃げろぉ!」

 マスターは一目散に逃げだす。ヤバい敵に出会った時、瞬時に逃れるセンスは、冒険者として一番大切な生き残りのカギとなっていた。

 魔人は、背中の黒い翼をゆったりと羽ばたかせながらムーシュを指さす。

「お前だろう、司祭を殺したのは? 余計なことをしてくれたな……」

 広場からそう離れていない所で謎の魔法陣をキラキラ輝かせている女。確かに怪しさ満点である。

 ムーシュはニヤッと笑うと声を張り上げた。

「あら? なんで分かったの? 魔王を殺したのも私よ? クフフフ……」

 余計なことまで言って嬉しそうに笑うムーシュに、蒼は真っ青になる。

『バ、バッカ野郎! なんてこと言うんだよぉ!』

「はぁ……? 貴様が……?」

 首をかしげながらじっとムーシュを見つめていた魔人だったが、一瞬ニヤッと笑うとハッと気合を入れ、巨大な真紅の魔法陣を展開した。

「なら俺様は次期魔王だ!」

 一気に充填じゅうてんされた膨大な魔力が辺りパリパリッという乾いた音を響かせる。

『何やってるんですか、早く殺してください! 【目つぶし】いきますよ!』

 ムーシュは蒼に怒鳴ると魔法陣にありったけの魔力を注入した。

 はじけ飛ぶムーシュの魔法陣。

 激しい閃光が放たれ、裏庭は激しい光の洪水に包まれる。

 うはぁ!

 激しい光の洪水の中、蒼は魔人をイメージして魔人に腕を伸ばした。

「消えろDeathデス!」

「こざかしい真似を! 死ねぃ!」

 同時に魔人も究極の炎魔法業火の咆哮ヘルファイアを放つ。 

 相打ちとなる両者――――。

 魔人は紫に輝く微粒子に包まれ、そのまま地面へと真っ逆さまに落ち、放たれた業火の咆哮ヘルファイアは灼熱の閃光を放ちながら一直線にムーシュへと襲い掛かかっていく。

 うひぃ! うわぁ!

 瞬く間に、天を裂くような爆発が轟き、庭木は粉塵となって吹き飛び、建物の外壁と屋根はまるで紙吹雪のように飛び散った。

 王都全体が激しい地響きに揺れ動き、天を衝く巨大なキノコ雲が舞い上がっていく。街の人たちはこの突然の爆発に目を丸くし、街中が騒然とした。

 うわぁぁぁぁ……。

 何とか直撃を逃れたマスターは物陰でガタガタと震えながら頭を抱える。上級魔人から逃げ遅れた若い女はもう跡形もないだろう。魔人がさらなる攻撃をして来たら街は火の海だ。どうにかして魔人に対抗しなければならなかったが、マスターには打つ手はなかった。

 パラパラと破片が降り注ぐ音がしばらく続き、やがて静寂が訪れる――――。

 何の物音もしないことに不審に思ったマスターは恐る恐るそっと様子をのぞく。

 するとそこに見えたのは虹色のシールドに覆われ、抱き合うムーシュと蒼。爆煙の中浮かび上がる二人はまるで神話の時代の宗教画のように神々しく煌めいていた。

 そして、爆心地にはキラキラと紫色に光る大粒の魔石……。

「ま、まさか……。おぉぉぉ……」

 新たな伝説の誕生を目の当たりにしたマスターは、祈りを捧げるように両手を組み、感極まって涙を流した。

 あのクラスの魔人は、防衛隊が総出で戦ったとしても大損害を被るほどの恐ろしい存在。ところが、子を守りながら戦う女の子が、まるで勇者のようにそんな魔人を打ち倒してしまったのだ。

 マスターは街を救ったこの美しき救世主に感激し、走り寄った。

「すごい! すごいよぉぉぉ! 確かにあなた様は偉大なる魔導士、いや大賢者と呼ばせてください!」

 興奮するマスターに、気おされる二人。

「上級魔人相手に一撃! 今でも信じられません。あの眩しい魔法は何て言うのですか!?」

 二人は目を見合わせる。

 どうやらいい加減に勘違いしてくれているようで二人は思わずクスッと笑った。

「それは企業秘密……ですわ。それよりもテストは? 案山子は跡形も無いようですけど?」

 ムーシュは小悪魔の笑みを浮かべ、マスターを見る。

「テスト!? そんなものは合格! Sランクですよ! いや、SSかも知れません……。何はともあれ、十数年ぶりのSランク冒険者の登場です! うはぁ! すごい! 凄いぞぉぉぉ!」

 マスターは興奮し、ゴツゴツとした両手でムーシュの手を取ると、握手しながらブンブンと振り動かした。

『Sはマズいよ。Cくらいにしてもらって!』

 蒼は焦ってムーシュに言う。ごまかし続けるにも限界がある。なるべく目立たないようにしなければならなかったのだ。

「Sはちょっと……Cくらいになりませんか?」

「何を言ってるんですか! あなた様はS! Sなら栄誉だけでなく、国から支援を得られるわけだからお金も貰えるし、最高級の装備も支給があるんですよ?」

「最高級!? それは、解呪の魔道具とかも?」

「そりゃ、宝物庫にはそういうのもあるでしょう」

『やったぁ!』

 蒼は予想外の解呪の手がかりに思わず手を叩いた。

「で、あれば、Sでお願いしますわ」

 ムーシュはニコッと微笑むと、改めてマスターと握手をし、マスターもうんうんと嬉しそうにうなずいた。

 こうしてムーシュはSランク冒険者として国に召し抱えられることとなる。

「我がギルドもこれで花の時代を迎えられる。すごい! 凄いぞぉぉぉ!」

 マスターは筋骨隆々とした両腕をバッと大空に突き上げると、グッと握りしめて何度も力強いガッツポーズを刻んだ。

18. 大魔導士の叡智

 十数年ぶりとなるSランク冒険者の出現に騒然となるギルド。

「上級魔人を一発で吹き飛ばしたんだってさ」「マジかよ!?」「さっきの大爆発も彼女がやったらしいぜ」「やっべぇ……」

 見るからに弱そうな子連れの女の子が、Sランクとして評価されたことは冒険者たちにとって衝撃だった。

 驚愕きょうがくし、固まっている冒険者たちの間を、ムーシュは蒼を抱きながら楽しそうにドヤ顔で歩き、ギルドを後にした。

「きゃははは! 主様、見ました? あいつらの顔? うっふぅ」

 ムーシュは嬉しそうに蒼のプニプニほっぺに頬ずりをする。

「あんまり目立つなよ。お前の実力はDランクなんだぞ! 腕試しなんて来られたら面倒な事になるよ」

 蒼は渋い顔でムーシュの顔を引きはがす。

「そんなときは主様が倒してくれるから大丈夫ですって! くふふふ」

 浮かれたムーシュは笑いが止まらない。ずっと無能扱いされてきたムーシュにとって畏敬のまなざしで見られたことなど生まれて初めてだったのだ。

「倒すって、俺に殺させようとしてるな……。無駄な殺生させんなよ!」

「はーい、気を付けまーす!」

 ムーシュは楽しそうに口先だけ適当に言う。

「もう……」

 蒼はふん! と鼻を鳴らして不満そうにムーシュをにらんだ。

      ◇

 花が咲き乱れる美しい石畳の道を、二人は楽しげな馬鹿話で盛り上がりながら進んでいく。やがて、日陰の中にひっそりとたたずむ、魔力がうっすらと漏れ出している不気味な店が見えてきた。魔道具屋だった。

「ここ!? なんだか凄い店だね……。解呪の魔道具、売ってるかなぁ……」

 蒼は文字ももうかすれている古びた看板を見上げる。マスターの話ならこの店で見たことがあるということだったが……。

「ふふっ、聞いてみましょう!」

 魔石を換金した大金で上機嫌なムーシュは、年季の入ったドアを力任せに開けた。

 ムワッとカビ臭く、エキゾチックな臭いに包まれる。

 ムーシュは顔を歪め、店を見回した。棚一杯に魔法の杖や古代の魔道具が整然と並び、不気味な雰囲気を醸し出している。中でもポリネシアの仮面を彷彿ほうふつとさせる呪いの仮面は、一目で不吉な力を秘めていることが感じ取れた。

「こんにちはぁ……」

 ムーシュが恐る恐る声をかけると、奥のカウンターで白髪交じりの老婆が面倒くさそうに眼鏡をクイッと持ち上げる。

 ムーシュは口をキュッと結び、そろそろと店内を進む。

「あのぉ、解呪の魔道具が欲しいんですけど……」

 老婆は小首をかしげ、いぶかしそうに幼女を抱えたムーシュを見つめる。

「解呪? いろいろあるけどどんな呪いだい?」

「天使にかけられた呪いなんですが……解けます?」

「はぁ? 馬鹿言っちゃいけない。天使が呪いなんてかける訳なかろう」

「え? あ、そういうものなんですか?」

 ムーシュは蒼をチラッと見る。

『間違いなく天使だよ。でも、天使は普通は呪いなんてかけないんだろうな……』

 蒼は天使に翻弄される自分の運命を呪い、深いため息をついた。

「天使がかけるとしたら祝福だよ……、そもそも女神や天使なんて伝説上の存在。あんたそれは騙されてるね」

 老婆は上目遣いでムーシュを見る。

「祝福……ですか。それを解除する魔道具とかはあるんですか?」

「ある訳ないだろ! 天使が連なる女神は創造神。そんな究極の存在がかけた物は人間の作った魔道具なんかじゃ解けはせんよ」

 老婆は肩をすくめて首を振る。

「じゃあ、女神が作った魔道具なら……解ける?」

「はっ! そんな魔道具こんな店で売ってるわけがなかろう」

「うーん、それなら宮殿の宝物庫になら……ある?」

「宝物庫なぁ……もしかしたら初代国王が賜ったものの中にあるかもだが……お前さん、そんなこと知ってどうするんじゃ?」

 老婆はけげんそうな顔でムーシュを見た。

「あ、いや、単純に興味で……。それじゃ魔導書はありますか?」

 ムーシュは話題をそらす。

「そりゃああるが……、最低でも金貨百枚じゃぞ?」

 冷やかしは帰れと言わんばかりの不機嫌な目でムーシュを見る老婆。

「あ、それなら大丈夫ですよ。ほらっ!」

 ムーシュはマジックバッグから金貨をひとつかみ取り出し、得意げに見せる。

「おほぉ!? こりゃ驚いた……。何の魔導書が欲しいんじゃ? ん?」

 老婆は目を輝かせガバっと立ち上がった。

「あー、魔物がどこにいるか分かる物とかありますか?」

 究極の攻撃力を持つ二人にとって、敵に奇襲されることだけがネックだったのだ。

「おぉ! それならちょうどいいのがあるぞえ……」

 老婆は急いで店の裏に入っていくと、真っ白い手袋をはめた手で鍵付きの小箱を持ってきた。それは、美しい木目の古木に銀色の象嵌ぞうがんが施された骨とう品。その細工は一見すると単なる装飾に過ぎないかのようだが、よく目を凝らせば時を経てもなお色褪せない神秘的なルーン文字が静かに輝いて見える。もう何世代も大切に受け継がれていたのだろう。目だった傷もなくいまだに誇り高き気品さえ感じさせる。

「これが天声の羅針盤ホーリーコンパスじゃ。いにしえの大魔導士による力作……。こんな状態の良い物はもう二度と手に入らんぞ。

 老婆は慎重にカギを回し、小箱を開いた――――。

 中から現れたのは古めかしい魔導書。赤味がかった茶色のレザーで縫い合わされた表紙に金の箔押しで描かれるルーン文字は、まるで遠い過去から時を越えて届いた大魔導士の叡智えいちそのものだった。

19. 暴れ龍、赫焔王

「おほぉ……」

 ムーシュは目を真ん丸に開き、そのおごそかな叡智がぎゅっと凝縮された魔導書に見惚れた。

 ニヤッと笑う老婆。

「金貨千枚でどうじゃ?」

「千枚!?」

 千枚というのは日本円にしたら一億円くらい。本物だとしても払えるような金額ではない。

「この魔法は役に立つぞえ?」

「そうは言っても千枚は……」

 ムーシュは蒼の顔をのぞきこんでテレパシーを飛ばす。

『主様、これは探索系では最上位の便利な魔法ですよ。普通は覚えられません』

 本来魔法とは低ランクの魔法を繰り返し使うことによって徐々に上位の魔法が使えるようになっていくものだが、最上位となると賢者でもない限り事実上修得は無理だった。それが魔導書を使えば一気に覚えることができるのだ。

『ほう!? とはいえ千枚はなぁ……』

『いくらまでなら出していいですか?』

『うーん……。五百枚まで?』

 蒼は眉間にしわを寄せながら小首をかしげる。さっき受け取った金貨が約七百枚。どんなに便利な魔道具でも今後のためのお金は残しておかねばならない。

 ムーシュはニコッと笑うと、マジックバッグから金貨をつかんで老婆の前にジャラジャラと積み上げていった。

「いくらなんでも千枚は……。三百がいいところ……では?」

 老婆の顔を挑戦的にのぞきこむムーシュ。

「三百ぅ? それじゃこの話は無かった事に……」

 ため息をつき、老婆は箱のふたを閉め、カギをかける。

「ちょっ、ちょっと待って……」

 ムーシュは大きく息をつき店内を見渡す。

 店内は不思議なヒリヒリとするオーラで溢れており、奇怪な品々が隅々まで積み上げられている。そんな中、リザードマンの革で繊細に作られた杖だけが、まるで芸術品のように美しく飾られていた。魔物も生きた状態で皮を少しいで時間が経てば消えることはなかったのだ。

「ふふっ、じゃあ、これでどう?」

 ムーシュはエメラルドのように深緑に輝く魔石をコトっとテーブルに出した。魔石は机にぶつかった衝撃でパリッとその表面にスパークを走らせる。

「へっ!? こ、この輝き……。ま、まさかこれは……」

 老婆は震える手でそっと魔石をなでる。

 それはルシファーの部下、リザードマンが進化したドラゴニウス・リザードのものだった。

「この世には二つとない逸品よ。金貨千枚以上の価値があると思うわ」

 ドヤ顔で老婆の顔をのぞきこむムーシュ。

「そ、そりゃあそうじゃ。こんな貴重なもの初めて見たぞい……。なぜお前さんがこんなものを?」

「私が倒したのよ」

 ドヤ顔で調子に乗るムーシュ。

『おい! 余計なことは言うなよ!』

 蒼はピシッとムーシュの腕をはたく。

「倒したぁ? あんたが……? どうやって?」

 老婆は疑いの目つきでムーシュの全身をなめるように見た。

「誰でも自由に殺せる力があったら……。おばあさんは誰を殺します?」

 蒼は無言でムーシュの脇腹をつねる。

 つぅ……。

 ムーシュは蒼を抱きかかえなおし、蒼はムッとした顔でムーシュをにらむ。

「誰でも殺せる? あんたそんな夢みたいな力持ってんのかい? はっはっは。こりゃ傑作だ。そうさなぁ、貴族連中みんなぶっ殺してよ。あいつら特権階級で好き放題やりおってからに……」

 老婆は積年の恨みを隠すことなく奥歯をギリッと鳴らした。

「なるほど、貴族ですかぁ」

「あー、それとあいつじゃな。ドラゴン赫焔王かくえんおう。あいつが出てきたら世界は終わってしまう。殺せるならそいつじゃな」

「か、赫焔王かくえんおう?」

「何じゃ、知らんのか? カーッ! これじゃから若いもんは……。わしが若いころに大暴れしたドラゴンでな、それこそ大陸中火の海になりかけとったんじゃ。それを魔王が極北の氷の山、凍翼山とうよくざんに封印したんじゃ」

「あぁ、そう言えば……。うちのおばあちゃんも言ってました。魔王様は偉大だって」

「偉大? まぁ、赫焔王かくえんおうについて言えばそうじゃろうな。魔王が生きている間は安泰じゃからな。カッカッカ!」

「えっ!? 魔王が死んだら……?」

「そりゃ、封印が解けてまた大陸が火の海に沈みかねんよ。まぁ、魔王はそう簡単に死なんから安心しな。カッカッカ!」

 老婆は楽しそうに笑うが、蒼は真っ青になってムーシュを見る。

『もしかして……、ヤバい?』

 ムーシュは眉をひそめ、黙り込んだ。もう何十年も前に魔王が封印した暴れ龍。そんなことなど魔王城の連中はすっかり忘れているに違いない。

『でも、主様がいれば安泰ですよ!』

 知らぬ間に蒼が開けてしまっていた地獄の釜の蓋。果たしてそれがどういう結果になるのか不安を隠しきれずにいる蒼を、ムーシュが温かい胸で優しく包み込んだ。

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