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アラフォーだって輝ける! 美しき不死チート女剣士の無双冒険譚 ~仲良しトリオと呪われた祝福~20~29

20. 自制

「ど……、どなた?」

 男の子は不安そうに眉をひそめる。

「あっ、ごめんなさい! 怪しいものではないです。山賊に追われて迷い込んでしまいました。良ければ食べ物と軒先を貸していただきたく……」

 男の子は不思議そうに首をかしげ、目を凝らしてソリスを見た。

「山賊に……?」

 男の子は周りを見回し、小さな女の子一人だと分かるとニコッと笑い、うなずいた。

「いいよ! ようこそ。さぁ、入って!」

「あ、ありがとうございます!」

 何とか野宿せずに済みそうになったソリスはホッと胸をなでおろし、深々と頭を下げた。

         ◇

「おじゃましまーす……」

 恐る恐る部屋に入ると広いリビングには暖炉の灯がともり、その前にはゆったりとしたソファーが置いてあった。

「うわぁ……、素敵……」

 ソリスは目をキラキラ輝かせながら両手を組んだ。ずっと森の中を歩き疲れた先にたどり着いた暖炉はまるでオアシスだった。

「ソファーにでも座ってて。今、お茶入れるから……」

「あ、ありがとうございます」

 ソリスは暖炉の炎に両手をかざして暖を取り、大きく息をついた。

「はい、どうぞ……」

 少年はニコッと笑うとティーカップをローテーブルに置いた。少年は青いリボンをワンポイントにした、白と青の柔らかな布が複雑に重なり合う、見たこともないデザインのシャツを羽織り、動くたびにサラサラと布が揺れ動いた。下は青い短パンで細い足がニョキっとのぞいている。

「あっ、ありがとう……。私はソリスって言います。あの……おうちの方は?」

 ソリスは辺りを見回した。

「ははっ、ここは僕一人しか住んでいないよ。僕はセリオン。はい、クッキーもあるよ」

 セリオンは落ち着いた物腰で、クッキーの入ったバスケットをソリスに勧めた。

「ひ、一人……。そ、そうなんだ」

 ソリスはその奇妙な話を怪訝けげんに思いながらクッキーを一つつまむ。

「お客さんが来ることなんてほとんどないから、ロクなおもてなしができないけど、ゆっくりしてって」

 セリオンはニコッとかわいらしい笑顔を見せた。

「おもてなしなんてそんな、クッキー最高に美味しいです!」

「ふふっ、良かった。それ、僕が焼いたんです」

 セリオンはほほをポッと赤く染めると照れながらうつむいた。

 その様子にソリスはキュンと胸の奥で何かが弾けるのを感じる。人里離れたこんな森の中で一人クッキーを焼いている可愛い少年。その尊さにどうにかなってしまいそうだった。

 ゲフンゲフン!

 ソリスは変な高鳴りをする自分の胸に咳ばらいをし、雑念を払うとお茶を口に含む。華やかなルビー色をしたお茶は香り高く、爽やかな酸味と共に鼻腔を抜けていった。

 その後、セリオンの手料理のうさぎのオーブン焼きを食べ、暖炉の炎を眺めながら二人はいろいろな話で盛り上がった。兎を狩った時のこと、付け合わせの野菜の育て方、そして、身の上話――――。

 話を総合すると、セリオンは先祖代々続くこの地を守って暮らしているらしい。裏の畑で野菜を作り、山で狩りをし、薬草を摘んで月に一度くらい街へ行って生活に必要なものを買っているということだった。

 両親はどこにいるのか聞いてみたが、それははぐらかされてしまった。きっと人に言えない事情があるのだろう。ソリス自身もアラフォーのおばさんだということを打ち明けられておらず、人のことは言えなかった。

 夜も更け、満月が高く上がるころ、二人は眠りにつく。ソリスはソファーに寝転がって毛布をかける。十歳の小さな身体ではソファーでもう十分だったのだ。

「おやすみ」「また明日……」

 暖炉の炎を眺めるまぶたがすぐに落ちてきて、ソリスの激動の一日は幕を下ろした。

        ◇

 カチャカチャ……。

 翌朝、ソリスが物音で目が覚めると、さわやかな朝日の中、セリオンが朝食の準備をしていた。

「あ、起こしちゃったかな? ごめんね」

 セリオンはお茶を注ぎながら申し訳なさそうに謝る。布の折り重なった不思議なシャツが朝の光にキラキラと輝いていた。

「あ、いやいや。私も手伝う!」

 ソリスは慌てて寝癖を押さえながら起き上がる。

「大丈夫だよ。もう出来上がったから」

 セリオンは眩しい笑顔でニッコリと笑う。

「じゅ、準備してくるねっ!」

 ソリスはポッと頬を赤らめ、バタバタと洗面所の方へ駆けていった。

       ◇

 セリオンは一人だと寂しいということだったので、ソリスはしばらく逗留とうりゅうすることにした。昨日は『すぐにでも王都に行って解呪せねば』と焦っていたが、よく考えたらそんなに急ぐ話ではないのだ。もちろんフィリアとイヴィットのことを忘れた訳ではないが、少しここで休んでも怒られるような話でもないだろう。

「今日は魚釣りにね、行こうと思うんだ」

 セリオンはパンをかじりながらチラッとソリスを見た。

「魚釣り!? 私やったことないの。連れてって!」

 ソリスは目を輝かせる。

「ふふっ。いっぱい釣って今晩のおかずにしよう! 楽しみになってきたよ!」

 セリオンはパアッと明るい笑顔でソリスを見た。

 ソリスはその眩しい笑顔についクラクラとなってしまい、思わず額を手で押さえる。アラフォーのおばさんが少年の尊さにメロメロだなどという現実は、決して認められなかったのだ。

 あくまでも自分は十歳の少女、過ちはあってはならない、と何度も言い聞かせる始末だった。

21. 翠蛟仙

 セリオンはウキウキとしながら、物置から釣竿を二本取り出してくると肩に担いだ。

「じゃぁ、しゅっぱーつ!」

 セリオンは輝く笑顔でソリスの手を取り、お花畑の中を歩き出す。ナチュラルに手をつながれて一瞬焦ったソリスだったが、

「しゅっぱーつ!」

 と、ソリスも嬉しそうに真似をして、つないだ手を振り、歩き出した。

 二人はお互いの顔を見つめあい、ニッコリと笑って同じ歩幅で歩いていく。

「お日さま ぽっかぽか~♪ 手つなぐ ぼくときみ~♪」

 上機嫌にセリオンが歌い出す。ちょっと調子っぱずれだが、のびやかな歌声にはワクワクとした楽しさがたくさん詰まっていた。

「え? 何の歌なの?」

「今、思いついたまま歌ってるんだよ。一緒に歌お?」

 セリオンは小首をかしげてソリスの顔をのぞきこむ。その可愛らしさにソリスはクラクラしてしまう。

「いいよ! お日さま ぽっかぽか~♪ 手つなぐ ぼくときみ~♪」「ぼくときみ~♪」

「お花畑 乗り越えて~♪ 湖まで ぴょんぴょんぴょん~♪」「ぴょんぴょんぴょん~♪ きゃははは!」

 温かい春の日差がさんさんと降り注ぐ花畑を、二人は即興の歌を歌いながら楽しく進んでいく。

 孤児院を出てから不本意に冒険者をやり、命のやり取りをしながらギリギリの暮らしをしてきたソリスにとって、こんな楽しい時間は生まれて初めてだった。もちろん、フィリアやイヴィットとの時間も楽しかったが、それは大人の楽しさなのだ。こんな童心に帰って伸び伸びとした楽しさに触れるなんてことは全く記憶になかった。

『あぁ、人生ってこんなに楽しいものだったのね!』

 ソリスは心の底から湧き上がる喜びに身を任せ、セリオンとの笑顔が交わされるその瞬間を心から楽しんだ。
 
 辛く厳しい時間の連続で凍り付き、ささくれだったソリスの心はこうしてゆっくりと溶かされていくのだった。

     ◇

 しばらく森を歩いた時だった。いきなりパアッと視界が開け、息を呑むほどの美しい湖が目の前に広がった――――。

「うわぁ。素敵……」

 湖の水面は太陽の光を受けてキラキラと輝き、その光が雲の影に映え、まるで夢の中のような景色である。周囲を濃い緑の森が囲み、静かで美しい自然の劇場となっていた。

「綺麗でしょ? 僕のお気に入りの場所なんだ」

 セリオンは自慢げに胸を張る。

「うん! とっても綺麗で……なんだか空気も清々しく美味しいわ」

 ソリスは両手を空に伸ばし、大きく息を吸った。

「ふふっ、良かった。それじゃ、今晩のおかずを釣ろう」

 セリオンはそう言うと靴を脱ぎ、湖に入って岩をひっくり返した。

 ソリスが不思議に思っていると、セリオンは何かを捕まえている様子である。

「何……してるの……?」

 ソリスがのぞきこむと、セリオンが何かを顔の前に突き出した。

「釣り餌だよ! 川虫」

 つままれた細長い虫はうねうねと身体をねじらせ、逃げようともがいている。

 キャァァァ!!

 ソリスはその不気味な動きに耐えられず、黄色い悲鳴を上げ、逃げだしてしまう。

「おりょ?」

 セリオンは何が起こったのか分からず、首をかしげて木の裏に隠れるソリスを見ていた。

       ◇

「虫が苦手だったんだね。ごめんね」

 セリオンはソリスの仕掛けに、代わりに川虫をつけてあげる。

「ご、ごめんなさい……。わたし、虫がダメなの……」

 アラフォーにもなって虫がダメとは情けないと思いつつ、ソリスは少女の姿で目をギュッとつぶって震えていた。

「いいよ、誰にも苦手はあるからね。はい、できたよ」

 セリオンは少し深くなっているポイントに仕掛けを投げると、竿をソリスに渡した。

「あ、ありがとう。わたし……釣りは初めてなの。これは待ってればいいの?」

「うん、魚が食いつくと浮きがね、ギューって沈むから、そうしたら引き上げるだけだよ」

「わ、分かったわ……」

 ソリスは胸に手を当て、何度か大きく息をつくと、水面でゆらゆらと揺れている黄色く長細い浮きを見つめた。

 湖面を渡るさわやかな風にあおられて浮きは揺らめき、湖面に同心円の波紋を描く。波紋は陽の光をキラキラと反射して水面に美しいアートを描いていく。

 ピリリ、ピーチュリ……。

 森の奥から小鳥のさえずりが響いてきた。

 見上げれば青空に白い雲がぽっかりと浮かんでいる。

「はぁ……、なんだか癒されるわ……」

 大きく息をつくソリス。

 仲間を殺され、自分も何度も殺されながら、最後にはこんな少女になってしまって街を逃げ出した最近の波乱に満ちた日々が、ソリスにははるかなる異世界の幻のように感じられてしまう。

 二十数年間、あくせくダンジョンで魔物を狩っていた日々は一体なんだったんだろう? ソリスは首をひねってしまう。こうやって毎日魚釣りして暮らせばよかったんじゃないだろうか? 命懸けで魔物と戦うストレスフルな毎日に意味なんてあったのだろうか?

 ソリスは今までの人生に自信が持てなくなってきてため息をつき、うなだれて足元で揺れる水面を見つめた。

「引いてる! 引いてるよ!」

 セリオンの声で慌てて顔を上げるソリス。

 黄色い浮きはすでに水中に引き込まれ、荒れる水面がキラキラと光っている。

 うわぁ!

 慌てて竿を立てるソリス。

 グングンと強烈な引きが竿をしならせた。見れば水面下でキラリとうろこを輝かせながら大きな魚が暴れている。

「おぉ、これはオーロラトラウト! 脂がのって美味しい魚だよ! 頑張って!」

 セリオンはニコニコしながらこぶしをギュッと握り、応援する。

「お、美味しいの!? ゆ、夕飯は豪華に行くわよぉ!」

 美味しいと聞いて俄然がぜんやる気になったソリスは、絶対逃がすまいと全神経をオーロラトラウトに集中させた――――。

 その時だった、沖の方から水面下をボウッと青く輝く何かがたくさんやってきて、暴れるオーロラトラウトを包んだ。

 え……?

 直後、プツン! と糸は切れ、オーロラトラウトは逃げて行ってしまった。

 あ……。

 いきなりやってきたあっけない終焉しゅうえんに、ソリスは呆然と立ち尽くす。

「な、何……あれ……?」

翠蛟仙アクィネルの奴ぅ……」

 セリオンはプクッとほおを膨らますと、少し沖の岩にピョンと跳びうつり、パァンと水面を力いっぱい叩いた。

 ヴゥン……。

 不思議な音がしてきらめく蒼い光が同心円状に、水中を沖の方まで広がっていく――――。

翠蛟仙アクィネル! 出てこい!」

 プンプンと怒りながらセリオンはこぶしを突き上げ、叫ぶ。

 ソリスはその見たこともない不思議な技に驚き、セリオンがまだ語っていない秘密の一端に触れた気がして、思わず息を呑んだ。

22. 最強の人質

 突如、青空がき曇り、不気味な黒い雲が空を包んでいく。

「な、何なの……?」

 その異様な事態にソリスは寒気を感じ、恐怖に引かれるように後ずさった。

 直後、ピシャーン! という激しい稲妻が湖面に突き刺さり、水柱が天を穿うがつように立ちのぼる――――。

 キャァァァ!

 思わず頭を抱えしゃがみ込んでしまうソリス。

 湖面にはもうもうとした水煙があがっている。

 セリオンは動じず、プリプリしながら水煙に向かって指をさした。

「ちゃんと説明してよね!」

 くふふふ……。

 若い女性の笑う不気味な声が、水煙の中から響いてくる。

 え……?

 ソリスが声の方を向くと、ぼうっと水煙の中で鋭い二つの黄金の光が輝いていた。

「な、何……あれ……?」

 水煙が徐々に晴れると、神秘的な半透明の乙女が姿を現す。彼女の肌はすりガラスのように美しく、内から漏れる青い光に照らされて幻想的に輝いている。その眼は黄金色に輝き、彼女の下半身は水面下に隠れていたが、長く大蛇のように見えた。これがセリオンの呼び出した翠蛟仙アクィネルらしい。

「あら、セリオンどうしたの? うふふふ……」

 翠蛟仙アクィネルは挑発するように楽しそうに笑った。

「どうしたじゃないよ! オーロラトラウトを精霊たちが奪っていったんだ。返してよ!」

 セリオンはブンブンとこぶしを振りながら怒りをぶつける。

「ふぅん……、そんなの知らないって……言ったら?」

 翠蛟仙アクィネルは挑戦的な鋭い視線でセリオンを貫く。

「僕らの大切な夕飯……、返さないって言うなら……怒るよ?」

 セリオンはクリっとした可愛い目でにらみつけた。

「おぉ、怖い怖い!」

 翠蛟仙アクィネルはブルっと身体を震わせると、バシャッと水中に潜ってしまう。

「あっ! ちょっと待って! 返してよ!」

 セリオンは身を隠した翠蛟仙アクィネルにムッとして、水面をパシパシと叩いた。

 ソリスはこんな可愛い少年の何が怖いのか分からず、首をひねった。もしかすると……、彼の背後には恐ろしい秘密を持つ両親がいるのかも……? そんな思いが頭をよぎり、ソリスは急に不安に駆られて眉をひそめた。

 直後、青い光がスーっと水面下をソリスの方に一直線に迫ってくる。

 え……?

 バシャァ! と水しぶきを上げながら翠蛟仙アクィネルはソリスに襲い掛かったのだ。

 うわぁ!

 ボーっとしていたソリスは対応が遅れてしまう。

「つーかまえた!」

 翠蛟仙アクィネルはソリスを羽交い絞めにすると、いやらしい笑みを浮かべながらセリオンを見た。

「こーんな可愛い人間の女の子、どうしたの? えさなの? くふふふ……」

「な、何するんだ! おねぇちゃんを離せ!」

 セリオンは焦った。まさかソリスを狙ってくるとは思わなかったのだ。

「ふぅん……。この娘があなたの弱点みたいね? いいもの見つけちゃった。くふふふ……」

「止めろよ!」

 顔を真っ赤にして叫んだセリオンは、ソリスの方に駆け寄ろうとした。

「動くな!! この娘がどうなってもいいのかい? ヒヒヒヒ……」

 翠蛟仙アクィネルはニヤけながら、蛇のような舌をチョロチョロと動かした。

「卑怯だぞ!」

「あー、お話のところ申し訳ないんだけど……」

 ソリスは翠蛟仙アクィネルに腕をガシッと握ると、レベル124の異常な力で一気にひねりあげた。

「うわっ! 痛い! 痛い! 止めてぇ!」

 翠蛟仙アクィネルはたまらず悲鳴を上げる。

「お、おねぇちゃん……」

 セリオンはソリスの怪力に思わず目が点になる。

「人質は相手を見て取らなきゃ」

 ソリスは翠蛟仙アクィネルにドヤ顔で言った。

 くぅぅぅ……、こんの小娘がぁぁぁ。

 翠蛟仙アクィネルは水中に入っていた自分のシッポを使って、ビシャっと水をソリスにぶっかけた。

 うわっ!

 思わず手を離してしまうソリス。

「喰らえ!」

 翠蛟仙アクィネルはその隙を逃さず、大蛇となっている下半身でソリスをグルグル巻きに縛り上げた。

「絞め殺してやる!」

 渾身の力を込め、翠蛟仙アクィネルはソリスを締め付ける。

 しかし――――。

「あら? 私と力比べ? ふふふっ」

 ソリスは笑みを浮かべると、ふん! と、全身に力を込め、大蛇の締め付けに対抗していく。

 ぬおぉぉぉぉぉ!

 ギギッギギッギ……。

 徐々に開かれていく締め付けの輪。

「痛い! な、なんて怪力なの!? 痛い、痛いって!」

 たまらず湖に飛び込んで逃げだした翠蛟仙アクィネルは、盛大に水しぶきを上げた。

 だが、ソリスはガシッと握ったシッポを離さない。

「どこに行こうというのかしら? ぬぉぉぉりゃぁぁぁ!」

 シッポを持って思いっきり引っ張り上げるソリス。

 水中を逃げようともがいていた翠蛟仙アクィネルだったが、ソリスの怪力には敵わない。湖から引っこ抜かれると、そのまま背後の巨木に叩きつけられた。

「ぐはぁ! こ、この小娘がぁぁぁ!」

 翠蛟仙アクィネルは目を激しく真紅に輝かせ、両腕を内側から青く激しく光らせ始める。

「させないわ!」

 ヤバい予感がしたソリスは、そのまま翠蛟仙アクィネルをグルングルンとシッポをもってジャイアントスイングのように振り回した。

「ぬわぁ! や、止めろぉ!!」

 翠蛟仙アクィネルは激しい遠心力で頭に体液が上り、うまく身動きが取れない。

 ソリスは回転の勢いを使って一度翠蛟仙アクィネルの頭を空高くもち上げると、そのまま湖面に叩き落した。

 ソイヤー!

 ゴフゥ!

 盛大な水しぶきが上がり、翠蛟仙アクィネルは泡に包まれながら水中へ沈んでいく。

「これでどうよ?」

 ソリスはふぅふぅと荒い息をつきながらドヤ顔で水中をのぞきこむ。翠蛟仙アクィネルはその衝撃に気を失ったようで水の底でピクリとも動かない。

「あれ? やりすぎた……かしら……?」

 ソリスは不安になってきてそーっと身体を引き上げ、翠蛟仙アクィネルを草むらの上に雑に転がす。

 よーいしょっと!

 翠蛟仙アクィネルはその霞むような美しい身体を無力にさらけ出し、まるで水揚げされたマグロのように無防備にのびていた。

23. 説明できない幸せ

「おねぇちゃん、大丈夫!?」

 セリオンが駆けてくる。

「私は全然大丈夫。それより蛇女が……マズいかも?」

 ソリスは、ピクリとも動かなくなってしまった、そのすりガラスのような幻想的なつくりの身体を不安げに見つめた。

「このくらい大丈夫だよ。彼女は水の精霊王、水系の精霊の女王なんだ」

「へっ!? 精霊王!? これが?」

 ソリスは目を丸くする。精霊王と言えばこの世界の精霊の頂点に立つ魔法生物である。彼女の声が響くとき、精霊の大群が動き、時には天災さえ引き起こすという。確かに身体は神秘的で独特の質感を持ち、ただものではない造形をしているが、世界の頂点の一つと言われるとなんとも微妙な感じがした。

「随分前にね『この湖が気に入ったから住まわせてくれ』っていうから『いいよ』って言ったんだよ。でも、段々我が物顔でふるまうようになって困ってたんだ」

 セリオンはのびている翠蛟仙アクィネルほほをパンパンと叩く。

「おーい、起きろー」

 しかし白目をむいてしまっている翠蛟仙アクィネルは反応がない。

「精霊王怒らしちゃったかも……。マズいかな……?」

 ソリスは恐る恐る翠蛟仙アクィネルの顔をのぞきこむ。

「ははっ、大丈夫だよ。たまには痛い目に遭わせておかないと図に乗ってくるからね」

「そ、そういうもん……なの……?」

 ソリスが心配そうに様子を見ていると、翠蛟仙アクィネルの目がうっすらと開いた。

「気がついた? 悪さするからだよ? いつも言ってるでしょ?」

 セリオンは子供をたしなめるように声をかける。

 翠蛟仙アクィネルはソリスの方を向くとビクッと身体を震わせ、セリオンの陰に隠れるように逃げた。

「ははっ! おねぇちゃんはいい人だから悪さしなきゃ怖くないよ」

 セリオンは陽気に笑った。

「ちょっとやりすぎちゃったかしら? ごめんなさいね」

 ソリスは苦笑しながら頭を下げる。

「あなた……、何なの? ただの人間じゃない……、女神の眷属けんぞくの臭いがするわ」

 翠蛟仙アクィネルは不安げにセリオンに隠れながら、ソリスをにらんだ。さすが精霊王である、ソリスの秘密に気がついたようだった。

「え? おねぇちゃん女神様の知り合い?」

 セリオンはキョトンとしながらソリスに聞いた。

「ち、違うわよ! ただちょっとギフト持ちな……だけ……」

 ソリスは両手を振りながら慌てて否定する。呪いのかかった不吉なギフトのことはあまり口外したくなかったのだ。

「ふぅん、ギフトねぇ……」

 翠蛟仙アクィネルはけげんそうな目でソリスをにらむ。

「そ、それよりお魚を返してよ! 今晩のディナーにするはずだったんだから」

 ソリスは翠蛟仙アクィネルをにらみ返す。

「ふぅ……。ちょっとからかっただけなのに、あんた達大人げないわね! いいわよ。後で持っていってあげる」

 翠蛟仙アクィネルは口をとがらせ、ジト目でソリスを見た。

「やったぁ! これで今晩はごちそうだね」

 満面に笑みを浮かべて、ピョンと跳び上がるセリオン。

「うわぁい! ごちそう!」

 ソリスも楽しみになってセリオンと微笑みあった。

「その代わり! 美味しく料理しなさいよ……?」

 翠蛟仙アクィネルは不機嫌そうにそう言い放つと、両手をバッと空に伸ばした。

 何をするのかと思ったら、翠蛟仙アクィネルは身体の内側から鋭い青い光を放ちはじめる。

 うわぁ!

 いきなりの輝きに焦るソリス。

 翠蛟仙アクィネルの体は徐々に薄れていき、青く輝く丸い発光体になるとそのまま湖の方へとすぅーっと飛んで……、最後には消えていった。

「いっちゃった……」

 精霊王の不思議な変身に見とれていたソリスは、消えて行った方をじっと見つめる――――。

 やはり精霊王とはかなりの術者なのだ。勝てたのはたまたま肉弾戦になったからだけに違いない。途中繰り出そうとしていた、腕を光らせる不思議な技を放たれていたら、何歳も若返らせられてしまっていたかもしれない。ソリスはブルっと身体を震わせた。

 その後、釣りを再開したものの、小さなふなが何匹か釣れただけだった。やはりあのオーロラトラウトはビギナーズラックの大ヒットだったらしい。

       ◇

 お昼になり、二人は湖畔の岩に腰かけてランチバスケットを取り出す。

「はい、パンですよー。ちょっと焼きすぎちゃったけど……」

 セリオンは少し恥ずかしそうに、表面が少し焦げてしまった丸くて大きなパンをソリスに渡した。

「ありがとう! もうお腹ペコペコなのっ!」

 ソリスはニコニコしながら受け取った。

「はい、チーズだよ!」

 セリオンはナイフで削ったチーズをソリスのパンの上に乗せる。

「うわぁ! 美味しそう……。いただきまーす!」

 満面の笑みで一気にパクリと行くソリス。

 香ばしいパンの香りに芳醇なチーズの濃厚な旨味が追いかけてきて、ソリスの脳髄を揺らした。

 うほぉ……。

 恍惚とした表情で宙を仰ぐソリス。

 それは今まで食べたどんなランチより美味しかったのだ。

「はい、お茶ね」

 セリオンは甲斐甲斐しく石で作ったかまどで沸かしていたお湯で、お茶を入れたのだ。

「何から何までごめんね、ありがとう!」

 ソリスは手を合わせ、カップを受け取ると、立ちのぼるかぐわしいハーブの香りを深く吸い込む。甘酸っぱいバラ系の香りが鼻腔をくすぐり、ソリスは思わずうっとりとため息をついた。

「いやいや、おねぇちゃんがいてくれて僕も嬉しいんだ。やっぱり食事はね、一人だと美味しくないんだよ」

 セリオンはニッコリと笑う。

「そうよね……」

 ソリスは仲間が亡くなってからの食事を思い出し、深いため息をつくと、その味気無い記憶に首を振った。

 見上げれば青空にゆったりと白い雲が流れていく――――。

 亡くなった仲間が今の自分を見たらどう思うだろう? 少女になって可愛い男の子と一緒に魚釣りにピクニック。とても説明できない。

『ソリス殿! ズルいでゴザルよ!』『ダメ……ズルい……』

 二人の声が聞こえてきそうである。

 でも、自分でもなぜこんなことになっているのか説明できない。まるで運命に導かれたかのように今、天国のように美しい湖畔で最高のランチを頬張っているのだ。

『ごめんね、忘れた訳じゃないよ』

 ぽっかりと浮かんだおいしそうな雲に向けて、ソリスは切ない想いを送り、寂しげな笑みを浮かべた。

24. 聖なる毒キノコ

 その後、しばらく釣りを続けたものの、浮きはピクリとも動かなくなってしまった。

「今日はもうダメだね」

 大物を釣れなかったセリオンは、ガックリしながら首を振った。

「そろそろ帰る?」

「そうだね。お家にお魚が届くのを待つかな……」

 セリオンは大きくため息をつくと、浮きを引き上げ、帰り支度を始めた。

「本当に持ってきてくれるかな?」

「一応あれでも精霊王だからね。約束は守るでしょ。もし、守らなかったらおねぇちゃんがパンチ! してあげて」

 セリオンは無邪気にパンチのジェスチャーをしながら笑う。

「い、いや、暴力はちょっと……」

 ソリスはマズいところを見られちゃったと、顔を赤くしながらうつむいた。

「そう? なんだかすごく戦いなれてて僕ビックリしちゃった」

「そ、そんなことないんだけどね。あははは……」

 ソリスは冷汗をかきながら頭をかいた。

      ◇

 話をしながら森の中を歩いていく二人。途中、セリオンは精霊王翠蛟仙アクィネルがやったイタズラの話や、今までに釣り上げた大物の話をしてくれて、とても盛り上がった。

「こんなのどかなところにも、いろいろ面白いことがあるのね」

「そうなんだよ。毎日いろんなことが起こるんだ。でも、おねぇちゃんがいてくれた方がもっともっと楽しくなるね」

 セリオンはまぶしい笑顔でソリスを見る。

「そ、そう? 良かった……」

 ソリスはその笑顔の輝きにドキッとしてしまう。いまだかつてここまで誰かに受け入れられたことがあっただろうか? もちろん仲間たちとは心を許し合ってはいたものの、それでも分別ある大人の距離感はあったと思う。セリオンの屈託のない無垢なる受容はあまりにストレートすぎて、アラフォーのソリスには眩しすぎる。

 ソリスは思わず顔を背け、ギュッと目をつぶってしまう。

 しかし――――。

 もし、自分がアラフォーのおばさんだと知ったら、セリオンはどう思うのだろう?

 ソリスはふとそう思うと、ドクンと心臓がはねた。

 パン屋のおばさんも孤児院の同期も、知り合いのアラフォーの女性はみんな成人した子供がいるのだ。セリオンからしたらアラフォーのおばさんなど『おねぇちゃんの母親』である。こんな気さくに心を開く対象などではないはずだった。

「ダメ……、ダメよ……」

 ソリスは真っ青になり、思わず首を振った。

 この無垢な笑顔を失うなんて考えられない。命懸けの苦労の果てにたどり着いた、まるでオアシスのようなこの心温まるスローライフを、絶対に失うわけにはいかない。

 ソリスは悪い汗のにじむ額を手でぬぐい、キュッと口を結んだ。

      ◇

 しばらく森を縫いながら進む獣道を歩いていくと、足元に何か赤いものがあるのに気がついた。

「あれ? これは……何?」

 立ち止まり、しゃがみ込むソリス。

「あっ! タマゴタケだ! これ、美味しいんだよ!」

 セリオンは碧い目をキラキラと輝かせた。

「えっ? 見た目は毒々しいけど……」

「大丈夫! 掘ってみて。崩れやすいからそっとね」

 う、うん……。

 ソリスは恐る恐る落ち葉をかき分け、根元を掘ってみる。

 なるほど、根元には卵のような白いツボがあり、それを割って生えてきているようだった。

 へぇ……。

 掘り上げたタマゴタケをじっくりと見れば、真っ赤なのは傘の上だけで、裏や軸は薄黄色になっている。確かに美味しそうに見えた。

 ふと見まわすと、他にも何本も生えているのに気がつく。

「あっ! まだまだたくさんあるわ!」

「本当だ! ディナーが豪華になるぞ!」

 二人はいきなり現れた大自然の恵みに、嬉々としてキノコ狩りに興じた――――。

 バスケットいっぱいに獲れたタマゴタケ。二人は満足そうににんまりとほほ笑む。

「こんなにたくさん、食べきれないわね」

「うん、残りは街へ売りに行こう。結構高値で売れるんだよ」

「本当!? お金も稼げちゃうなんてラッキーだわ!」

「おねぇちゃんが来て、運が向いてきたみたい。ありがとう」

 ニッコリと笑うセリオン。

「そ、そう? よ、良かった……」

 ソリスは恥ずかしくなってキノコの山に目を落とし、落ち葉などを取り除く。

 すると、そのうちの一つの傘に白いイボイボがついているのに気がついた。

「あれ? このキノコ、イボが付いてるわ……?」

 ソリスは不思議そうにそれをつまみ上げる。

「あっ! ダメダメ! それはベニテングダケ。毒キノコだよ」

 セリオンは慌てて叫んだ。

「えっ!? 毒キノコ……? 危なかったわ……」

 胸をなでおろすソリス。

「食べた人は『女神様と交信できた』とか言ってるけど、危険なキノコだよ!」

「め、女神様と!?」

 ソリスの心臓がドクンと高鳴った。自分の秘密も仲間の蘇生も今、女神様に全てがつながっているのだ。 

「いやいや、単なる幻覚だよ。毒で女神様呼べる訳ないもん」

 セリオンは眉をひそめ、首を振った。

「げ、幻覚……なのね……」

「塩漬けにすると毒は抜けるので持って帰ろう。毒さえ抜けば美味しいよ!」

「毒を……抜く……」

 ソリスはその白いイボイボをまじまじと見つめながら、秘められた不思議な力に魅入られていた。

25. 無言の陶酔

 お花畑へと戻ってきた二人は、家の裏にある家庭菜園でトマトとズッキーニ、ハーブを収穫して家へと戻る――――。

「ふはぁ、疲れたねぇ……」

 セリオンがドアを開けた時だった。

「遅いじゃない、あんた達!」

 ダイニングテーブルに座っていた若い女性が、不機嫌そうな声を出す。その手にはワイングラスを持ち、酔っぱらっているようだった。

 へ?

 ソリスは焦る。二人が帰ってくることを知っている人物、一体誰だろうか?

 見れば銀色に輝く美しい髪に透き通るような白い肌、瞳は氷のように澄んだ青色で、冷たく神秘的な輝きを放っていた。

「勝手に上がらないでっていつも言ってるでしょ! もう! ワインまで飲んで!」

 セリオンはプリプリと怒る。

「あれを見てもそんなこと言えるかしら?」

 女性はニヤッと笑うとキッチンを指さした。

 え……?

 そこには虹色に輝く大きな鮭が横たわっていた。

「おぉぉぉぉ! こ、これはまさか……ミスティックサーモン……?」

 セリオンは駆け寄って、その美しく輝く魚体を眺めまわし、ほれぼれする。

「うちの子たちに無理言って一番いい奴を探してもらったのよ。幻の魚よ、どう?」

「いやぁ、最高だよ! ありがとう! 早速調理しよう」

 セリオンは嬉々としてエプロンをかけ、ウロコ取りにとりかかる。

「あのぉ……、もしかして……」

 ソリスは恐る恐る女性に声をかける。

「何よ? 私が分かんないの?」

 女性はその碧い瞳でソリスをにらみ、ワインを一口含んだ。

「せ、精霊王さん……ですよね?」

「そうよ? あんたに痛めつけられたところ、まだ痛いんですケド?」

 翠蛟仙アクィネルはジト目で不満をこぼす。

「ご、ごめんなさい……。人間にもなれるんですね」

「本体だと食事できないんでね。美味しいもの食べるなら人にならないと」

 翠蛟仙アクィネルはニヤッと笑い、美味そうにまたワイングラスを傾けた。

「おねぇちゃん! ちょっと手伝ってくれる?」

 キッチンでセリオンが呼んでいる。巨大な魚をさばくのは小さな身体ではなかなか簡単ではないようだ。

「ハーイ、今すぐ!」

 ソリスは慌てて駆けて行った。

      ◇

「ハイ! 出来上がり!」

 セリオンは巨大な楕円だえん鍋をオーブンから取り出すと、少しヨロヨロと危なっかしく運んでテーブルの上にドン! と、置いた。

「どれどれ? 美味しくできたか?」

 翠蛟仙アクィネルはペロッと唇を舌で舐めながらふたを開ける。ぼうっと湯気が上がり、ハーブの香りがふわっと広がっていく。ミスティックサーモンは表面に焦げ目がつき、野菜とハーブのエキスの中で煮込まれている。アクアパッツァを作ったのだ。

「おー、美味そうだ! 上手上手!」

 翠蛟仙アクィネルは待ちきれずに、まだフツフツと煮汁が沸き上がっている中、フォークでひとかけら身を取るとパクリとほお張った。

「ズルーい! ちゃんと取り分けようよ!」

 セリオンはプクッとほおを膨らませる。

「おほぉ! これはまた……」

 恍惚とした表情で至福の時を満喫する翠蛟仙アクィネル

「じゃあ、私が……」

 ソリスが大きなスプーンとフォークで取り分けていく。身をゴソッと取ると、オレンジ色の鮮やかな切り口からはジュワッと芳醇ほうじゅんなエキスが湧きだしてくる。脂ののった最高級のミスティックサーモンの身は旨味の塊だった。

「こ、これは美味しそうね……」

 ソリスも思わず、ゴクリとのどを鳴らしてしまう。

 一緒に煮ていた野菜とタマゴタケも添え、豪華なディナーが出来上がった。

「では、待ちきれないのでカンパーイ!」

 セリオンがリンゴ酒のグラスを二人に差し向けた。

「カンパーイ!」「カンパーイ!」

 チン! チン! とグラスの澄んだ音が部屋に響く。

「どれどれ……」「いい香りだわ……」

 みんなまずはミスティックサーモンにフォークを入れた。

 ジューシーな身がホロホロとほぐれ、口に入れた瞬間その濃厚な旨味が口いっぱいに広がる。

「うはぁ……」「ほわぁ……」「はぁぁ……」

 脳髄を駆け巡る至福の快感に圧倒され、全員がただ無言で陶酔する。本当に美味しいものを食べた時、人は言葉を失ってしまうのだ。

 しばらくの間、みんなミスティックサーモンの魅力に取りかれ、ただフォークを動かしながら、至高の美味しさを堪能することに没頭していた。一緒に入れたタマゴタケもいい出汁を出して、期せずして奇跡のマリアージュになっていたのだ。

 あっという間に食べ終わってしまった三人――――。

「いやぁ、これはすごいよ……」

 セリオンは恍惚とした表情でリンゴ酒をちびりと飲んだ。

「こんなに美味しいならまた探させないとね。ふふふっ」

「今まで生きてきた中で一番美味しい一皿だったわ……」

 ソリスは宙を見上げながらつぶやいた。

「今までって十年くらい? ふふふっ」

 セリオンは無邪気に聞いてくる。

「えっ!? あっ……まぁ……そうね……」

 ソリスは余計なことを言ってしまったと思わず苦笑いした。三十九年だなんて口が裂けても言えないのだ。

 翠蛟仙アクィネルはジト目で何か言いたそうだったが、口はつぐんだままだった。

26. 炙り出された矛盾

 まるで漫才のような翠蛟仙アクィネルとセリオンの話で盛り上がった後、セリオンがトイレに中座した――――。

 翠蛟仙アクィネルはこの機を逃さず、ソリスに鋭い視線を投げかける。

「あなた、何者なの?」

「な、何者って、ただの人間ですよ! 人間!」

 ソリスは冷汗をかきながらティーカップをとり、一口お茶を含んだ。

「嘘言いなさい。ここはあなたのような人間の子供が来れるようなところじゃないのよ?」

「人間じゃなかったら何だって言うんです?」

 ソリスは逆に鋭い視線を翠蛟仙アクィネルに向けた。

「さっきも言ったじゃない、女神様の眷属けんぞく。一体何を言われてここに来たのかしら?」

 翠蛟仙アクィネルは探るような上目づかいでソリスの瞳をのぞきこむ。

「残念ながら外れです。逆に教えて欲しいの。女神様は何でもできるお方なの?」

「ははっ! そりゃぁこの世界も、私もあなたも、女神様に作られてるんだから何でもできるんじゃないの?」

 肩をすくめる翠蛟仙アクィネル

「死んだ人を生き返らせたり……も?」

 恐る恐る聞いてみる。

「そりゃぁできるでしょうよ。でも、それって女神様に何のメリットがあるのかしら?」

「メ、メリット……?」

「女神様はお忙しいお方。生き返らせてくださーい、はーい! なんてことになる訳ないじゃない」

「そ、そうよね……」

 ソリスは鋭いツッコミにたじろいだ。確かに蘇生なんて気軽にやってくれるわけはないのだ。

 でも……。それでも女神様に頼まずにはおれない。

「どう……やったら会えるんですか?」

「ははっ! そんなの私の方が知りたいわよ!」

 翠蛟仙アクィネルは鼻で嗤うとワイングラスをグッとあおった。

「精霊王でも会えないんですね……」

「自分は地方のしがない中間管理職。社長に会える機会なんてそうそうある訳ないわ」

 自嘲気味に肩をすくめる翠蛟仙アクィネル

「そ、そうなのね……」

「ん……?」

 翠蛟仙アクィネルは急に身を乗り出すと、じっとソリスの瞳をみつめた。

「な、なんですか?」

「あなた……、呪われてるの?」

「えっ!?」

「ふぅん、呪い持ち……ね。あなたもずいぶん苦労してるのね」

 翠蛟仙アクィネルはニヤッと笑うと静かに首を振る。

「そ、そうよ! 苦労の連続……よ……」

 ソリスは口をとがらせ、ふぅと重いため息をついた。

「解呪……してあげようか?」

 翠蛟仙アクィネルは得意げに微笑みながらソリスの顔をのぞきこむ。

「えっ!? で、できるんですか! ぜ、ぜひ!!」

 ソリスはいきなり降ってわいたチャンスに、思わず身を乗り出した。司教ですら解けなかった呪い。それがまさかこんなディナーの席で叶うだなんて夢のようである。

「これでも精霊王なのよ? このレベルの呪いなら余裕よ」

 ドヤ顔でソリスを見下ろす翠蛟仙アクィネル

「すごい! さすが! ぜひぜひお願いします!!」

「じゃあ、手を出して」

 翠蛟仙アクィネルはソリスに手のひらを差し出す。

「は、はい……」

 ソリスが恐る恐る出した手を翠蛟仙アクィネルはガシッと握ると、何かをぶつぶつとつぶやき始めた。

 ヴゥン……。

 突如、黄金の魔法陣がソリスの顔の前に展開され、中で六芒星がクルクルと回りだす。翠蛟仙アクィネルはその魔法陣の中に浮かんでは消えていく幾何学模様を眺めながら、眉をひそめた――――。

「あー、これね……。年齢操作系……厄介な呪いねぇ……」

「か、解除できそうですか?」

 ソリスは心配そうな顔で身を乗り出す。

「うん、ここをこうすれば終わり……」

 翠蛟仙アクィネルは魔法陣の中でクルクルと回る正四角形をツンツンとつつく。

「よ、良かったぁ!」

 ソリスはパアッと明るい笑顔を見せた。

「でも……。解呪したら呪われた時に戻るってことよ? いいのね?」

 翠蛟仙アクィネルは真顔で聞いてくる。

「何言うんですか! 戻ってくれた方が……、えっ……、ちょっ、ちょっと待って……」

 ソリスはここで重大な事に気がついた。解呪するとアラフォーに戻ってしまう。それは当たり前の話ではあったが、今ここでアラフォーになってしまったらセリオンに見られてしまう。

「ダメ……ダメよ……」

 ソリスは混乱し、青い顔でうつむいた。

「どっちなのよ!」

 翠蛟仙アクィネルは不機嫌そうにソリスをにらむ。

「そ、その解呪というのは一週間だけ有効とかならないんですか?」

「はぁっ! あんた呪いをなんだと思ってるの? はい、止め止め!」

 翠蛟仙アクィネルは呆れたように首をかしげ、手で魔法陣を払い、消し去った。

 あ、あぁ……。

 思わず手で顔を覆うソリス。

 翠蛟仙アクィネルはしょげかえるソリスをジト目でにらみ、大きく息をつくと、ワイングラスを傾ける。

「まぁ、よく考えな」

「は、はい……。くぅ……」

 解呪を求めて旅にまで出たのに、今では解呪されたくなくなってしまったことにソリスは混乱してしまう。

 セリオンにだけは見られたくない……。そう思ってしまうソリスだったが、ではいつ解呪してもらうのだろうか?

「ど、どうしよう……」

 頭を抱えるソリス。

「ま、いいわ。また機会があったらね。チャオ!」

 翠蛟仙アクィネルはそう言うとボン! と煙に包まれ、やがて青い輝く球になってしまった。

「あっ! ま、待って!」

 ソリスは慌てて引き留めようとしたが、青い球は窓からスーッと空高く飛んで行ってしまう。

 あぁ……。

 ソリスは遠く消えていく青い球に手を伸ばし、そしてふぅとため息をつく。せっかく見つけた解呪への糸口を、みすみす失ってしまったことに後悔の念が押し寄せる。

 華年絆姫プリムローズの名誉のため以外にも、若返りの呪いにはどんな副作用があるかもわからないし、今後強敵と戦う際にも死ねないデメリットを抱えてしまう。だから解呪は絶対しなければならなかった。しかし、それは今ではないと思ってしまうのだ。

 くぅぅぅぅ……。

 ソリスはその矛盾した思いに心がかき乱される。

「あぁ、どうしたら……」

 ソリスはしょぼくれた顔をしてテーブルにゴン! と額をおろし、深いため息をついた。

 ただ、女神様ならフィリアとイヴィットを生き返らせることができることを知れたことは、収穫と言えるだろう。どうやって実現するのか見当もつかないが、それでも可能性がゼロではないことにソリスはずいぶん救われた気分になった。

「フィリア……、イヴィット……、待ってて……」

 ソリスは顔を上げると窓の外に高く登った満月を見つめ、口をキュッと結んだ。

27. イジられる喜び

 その晩、ソリスはなかなか寝付けなかった。身体は疲れていたが、二人を生き返らせられるかもしれないという話が脳裏をちらついて、気持ちが高ぶってしまうのだ。

「あぁ女神様……」

 窓の向こうの傾き始めた満月をじっと見つめ、ソリスは物思いにふける。女神様になんとかして直談判したい。自分の想いを全てぶつけ、頼み込んでなんとか許可をもぎ取りたい……。ソリスはギュッとこぶしを握る。

 ただ、女神様に会う方法も分からなければ、説得できるポイントもよく分からない。想いをぶつけるといっても、そもそも全知全能の女神様にとって、自分の想いなどどんな意味があるのかすら分からないのだ。

 はぁ……。

 ソリスは頭を抱え、毛布に潜り込む。

「どうやったら会えるか……」

 いろいろと考えてみたが、今自分が知っている女神様に会う方法は毒キノコだけだった。ベニテングダケ、あの白いイボイボの付いた真っ赤で立派なキノコ。あれで女神様に会った人がいるというのなら試さざるを得ない。

 セリオンは『幻覚』だと言っていたのだが、本当に会えてしまう可能性がゼロだと言っているわけじゃない。そのわずかな可能性を狙う……、本当に? 

 毒キノコを食べるというのはほぼ自殺行為である。死ななくても毒で苦しくなって七転八倒することは避けられない。それでも……、やる?

 くぅぅぅぅ……。

 しばらく毛布の中で震えていたソリスだったが、キュッと口を結ぶと覚悟を決め、ガバっと起き上がる。

 苦しくても可能性がほぼ無くても、ソリスにはもう毒キノコしかなかったのだ。

 ソリスは抜き足差し足、そーっとキッチンへと行くと下の戸棚を開ける。夕方にセリオンがビンに塩漬けにして、ここにしまっていたのをちゃんとチェックしておいたのだ。

 そっと取り出したベニテングダケ――――。

 これだ……。

 ソリスはフォークに刺してそーっと取り出した。その魔性の毒キノコは月明かりに照らされ、鮮やかに赤く輝いて見えた。

 ソリスは指先で赤い傘をひとかけらちぎり、じっと見つめる。

 下手をしたら死んでしまうかもしれない毒キノコ。これを今から食べる。女神様に会えるかもしれないわずかな可能性にかけるのだ……。

 ソリスは目をギュッとつぶって口に放り込む。

 瞬間広がる爆発的な旨味――――。

 うほっ!?

 ソリスは毒キノコだから苦いのではないか、と思っていたがそんなことはない。ディナーで食べたタマゴタケも美味かったが、ベニテングダケはそれどころではない圧倒的な旨味を持っていたのだ。

 その旨味に魅せられて何度か噛み、ゴクンと飲み込んだソリス――――。

 美味しかった……。

 自分が死ぬかもしれない毒キノコを食べて、美味しかったとは全く意味の分からない話である。逆に毒がある食べ物は美味しいのかもしれない。

 ソリスは静かにソファに戻ると毛布にくるまった。

 もう少しで毒が効いてくる。死ぬのか女神様に会えるのか分からないが、今、自分の中で毒がうごめいていることを想像するだけで、居ても立っても居られない気持ちになる。ソリスは何度も寝返りを繰り返した。

 しかし……。

 小一時間待っても何も起こらない。単に眼が冴えて眠れなくなるだけに感じられていた。

「効かないじゃない!」

 ソリスはまたキッチンへ行くと、今度は丸々一本を貪り食った。

「美味い! 美味いわ! うひゃひゃひゃひゃ!」

 完全にイってしまった目で、ソリスは口いっぱいにベニテングダケを頬張って楽しそうに笑った。

       ◇

 暖炉に薪をくべながら炎を見つめるソリス。なぜだか湧き上がってくる笑いを止められず、クスクス笑っていると足音が聞こえてきた――――。

「ん? 誰……?」

 振り返ると、そこには黒髪ショートカットの女性が丸眼鏡をクイッと上げている。

「ソリス殿~、ズルいでゴザルよ~」

「そう……、ズルい……」

 見ればイヴィットも口をとがらせている。

「えっ!? あ、あなたたち生き返ったの!?」

 ソリスはバッと立ち上がると二人に駆け寄った。

「『生き返る』って……。イヴィット殿~、あたしら死んだことになってるでゴザルよ~」

 フィリアは肩をすくめ、イヴィットの方を向く。

「殺さないで……」

 イヴィットはジト目でソリスを見た。

「あ、そ、そうだったっけね……?」

 ソリスはどうにも頭がぼんやりして、何が何だかよく分からない。

「それより! 何でゴザルかコレは!」

 フィリアはソリスの頬を両手で包むとムニムニと揉んだ。

「カーッ! このプニプニの手触り! 一人だけ若返ってズルいでゴザルよ~!」

「ズルい……」

「い、いやこれは呪いなんだってば!」

 ソリスはフィリアの手を振り払う。

「そんな呪いなら自分も欲しいでゴザルよ!」「あたしも……欲しい……」

「もう! 人の気も知らないで!」

 ソリスはプクッと頬を膨らませた。

「それにここは何? セリオンは可愛いし、天国でゴザルか?」

 フィリアは部屋を見回し、肩をすくめる。

「可愛い男の子……、ズルい……」

 イヴィットもソリスをつつく。

「いやっ! これは……そのぉ……」

 ここでの暮らしをつつかれると痛い。一人だけこんな夢のようなスローライフを満喫していることに良心が痛んでいたのは確かだった。

 ソリスはもじもじとしてうつむく。でも、久しぶりに仲間たちにイジられることが嬉しかった。気心知れた仲間たちとの和やかな交流。それはずっとソリスが求めていたものだったのだ。ソリスは心がほっとして、温かな気持ちが胸に広がっていくのを感じていた。

28. 人生の分水嶺

「セリオンちゃんには手を出しちゃダメでゴザルよ?」

 クイッと丸眼鏡を上げると、ジト目でソリスを見るフィリア。

「だっ! 出さないわよ! な、何言ってんの!!」

 ソリスは真っ赤になって怒る。

「嘘、嘘、冗談でゴザルよ。ソリス殿は辛い中よく頑張ったでゴザルな……」

 フィリアはそう言うとそっと近づき、ソリスに優しくハグをした。

 えっ……?

 ソリスはその甘く懐かしい香りに包まれて思わず涙が込み上げる。思えば華年絆姫プリムローズのために無理をして、こんなになってしまったことをいたわられたのは初めてだった。一人で何とか解決するのだとずっと頑張ってきたが、心は悲鳴を上げていたのだ。

「そ、そうよ! 必死に頑張ったんだからぁ!!」

 思わずギュッと抱き返すソリス。

 うっ……うっ……う……。

 ソリスの嗚咽おえつが部屋に響いた。

 イヴィットは優しくソリスの金髪をなでる。

 しばらく暖かい時間が流れた。

 三人の友情を祝うようにパチッ! と、薪が爆ぜる音が響く――――。

 と、その時、ソリスは抱きしめているフィリアの身体が徐々にふんわりと柔らかくなっていくことに気づいた。見れば後ろが透けて見えてしまっている。

「えっ!? フィ、フィリア……?」

「あれ……? やっぱりあたしらは死んでたみたいでゴザルな……」

 フィリアとイヴィットはひどく寂しそうな顔で笑った。

「そ、そんな……」

 ソリスはようやくここで思い出す。そう、自分は二人を生き返らせようと毒キノコを食べたのだった。

「そうだ! 女神様! 女神様に頼んで生き返らせてあげる。どうやったら会えるか知らない?」

 ソリスは真っ青になって叫ぶ。

「そんなのあたしらに聞かないでよ。女神様のことならソリス殿の方が良く知ってるでござろう?」

「は……?」

「ソリス殿は女神様のお気に入りでゴザルよ」
「前代未聞のチートギフト……ズルい……」

 二人はジト目でソリスを見る。

「ちょ、ちょっと待って……、それ、どういう……こと?」

 ソリスは訳が分からず唖然としてしまう。確かにギフトをもらっていたのは自分だけ、でも、会ったことも記憶になかったのだ。

 そうこうしている間にも二人の身体は透けていく。

「そんなこと気にせず、あたしらの分まで……セリオンと仲良く暮らして……」

 無理に作った笑顔でフィリアは微笑み、イヴィットもうなずく。

「いや……、ダメよ……」

 ソリスは二人を抱きしめようとするが、もう触ることもできなくなっていた。

 そして――――。

 二人の姿はすぅっと消えていった。

「ダメッ! 置いて行かないでよぉぉぉ! いやぁぁぁぁ!!」

 ソリスは泣き叫んだ。せっかくまた三人で会えたと思ったのに、自分だけ置いて行かれてしまった。それはソリスの心の奥を残酷にえぐっていく。

「なんでよぉ!! なんで私ばっかり!!」

 ソリスはこぶしをブンブンと振り回し、叫んだ。

「うわぁぁぁん! もう嫌! なんなのよ、これ!? 女神様ぁぁぁぁ!」

 暖炉の前にペタリと座り込み、子供のように泣き叫ぶソリス。

 何度も酷い目に遭わされたソリスの心はもう限界だった。

 うわぁぁぁぁぁ!

 部屋に響き渡る悲痛な号泣。ソリスはこれまで経験したことのない激しい感情の嵐に飲み込まれ、荒れ狂うように泣き叫んでいた――――。

「あらあら、大変な事になってるわねぇ……」

 その時、まるで歌声のような心地よい響きのする若い女性の声が聞こえてくる。

 え……?

 慌てて振り返ると薄暗い部屋の中、黄金の光の羽根を背後で輝かせ、純白のドレスをゆったりと舞わせている美しい女性が、たおやかな笑みで浮いていた。

 そう、それは女神だった。なぜかソリスは一目見てそれが分かってしまう。

 ほわぁ……。

 ソリスはその予期せぬ降臨に圧倒され、聖なる光に照らされる中、ただ打ち震える。

「ソリスよ、聖約はどうなりしや? ん?」

 女神はその美しい琥珀こはく色の瞳をキラリと輝かせ、小首をかしげた。

「せ、聖約に……ございますか?」

「ん? お主、記憶を溶かしておるな……。うぅむ……」

 女神は美しい顔をゆがめると口をキュッと結んだ。

「も、申し訳ございません。ご教示いただけませんか?」

 ソリスは焦って頭を下げる。やはり自分は女神と過去に関係があったのだ。そんな大切なことを忘れてしまうとは自分は何をやっているのだろう? タラリとソリスの頬を冷汗が伝った。

「まぁよい。これはこれで面白いことになりそうじゃからな。ふふっ」

 楽しそうに笑う女神に、ソリスは渋い顔をしながら恐る恐る見上げる。

「お主なりに熱く生き抜いてみよ」

 女神はニッコリと笑う。

「か、かしこまりました!」

「うむ、見ておるぞ」

 女神はそう言うと背中の光の羽を揺らし、目を閉じて立ち去るそぶりを見せる。

「お、お待ちください! 一つお願いがございまして……」

 去ってしまおうとする女神に焦って、ソリスは引き留めた。

「ダメじゃ! どうせ死んだ仲間のことじゃろう?」

 首を振り、そのチェストナットブラウンの髪を柔らかく揺らす女神。その琥珀色の瞳は一切の反論を許さぬ鋭い光を放っていた。

 ソリスはその毅然とした女神の態度に気おされる。確かに死者の蘇生は自然の摂理を乱す禁忌であり、女神には何のメリットもない。しかし、ソリスは引くわけにはいかなかった。

 ここがまさに人生の分水嶺。ソリスはグッと歯を食いしばるとキッと女神を見上げた。

29. 聖約

「そ、そこを何とか! 私は彼らあっての存在なのです!」

「少年と楽しく暮らせばよかろう。過去に囚われるでないぞ」

 女神はたしなめるようにソリスを諭す。

「か、彼らは過去なんかじゃないんです! 自分にとっては未来なんです!」

「ほぅ? 未来とな? 行き詰ったアラフォートリオに未来を見るか?」

 ソリスは女神の辛らつな言葉にギリッと奥歯を鳴らした。確かに行き詰っていたし、未来に不安を抱えていたが、それでもそれが自分たちの生きざまであり、誇りなのだ。どんなに崇高な存在でも、侮辱されることは許しがたかった。

「恐れながら申し上げます。人は困難に立ち向かうからこそ輝くのです。確かに行き詰っていたかもしれませんが、私たちはそこでは終わりません!」

 鋭い視線で女神を見つめるソリス。

「ほう……? 面白い! では、お主の言う困難に輝く生きざまとやらを見せてみよ! その言葉にたがわねば……願い叶えてやろう!」

 女神は琥珀こはく色の瞳をギラリと輝かせると、ぶわっと全身から黄金色のオーラを放ち、光り輝く微粒子が舞い上がった。

「ほ、本当にございますか!?」

 ついに得られた約束。ソリスは目を輝かせ、ぐっと身を乗り出す。

「我はこの百万年、約束を破ったことなどないぞよ」

 女神はゆったりとほほ笑み、優しい目でソリスを見た。

「ありがとうございます! このソリス、必ずや御眼鏡おめがねかなってみせます。」

「うむ、失望させるなよ? ふふっ」

 女神が嬉しそうに微笑んだ直後、黄金色の激しい閃光が部屋を満たし、ソリスは何も見えなくなった。

 うわぁぁぁ!

 ソリスはまばゆい輝きの中意識を失い、ゆっくりと倒れていった――――。

      ◇

「おねぇちゃん! ねぇ、おねぇちゃんってば!」

 気がつくとソファーに横たわっており、セリオンがソリスの手を握って涙をこぼしている。

 え……?

 直後、強烈な頭痛と腹痛に襲われるソリス。

 ぐあぁぁぁ!

 あまりの衝撃に全身がビクンビクンと痙攣けいれんし始め、口からは泡を吹き、白目をむいた。

「死んじゃダメ―!」

 セリオンは慌ててポーションをソリスに飲ませようとしたが、痙攣が酷く、とても飲めるような状態ではない。

「おねぇちゃん! 飲んでよぉ!」

 泣き叫ぶセリオンだったが、全身に回った毒キノコの毒は強烈で、十歳児にはもはや打つ手がなかった。

 せっかく女神様に約束を取り付けたというのに、身体が全く言うことをきかない現実に、パニックに陥るソリス。

 ぐぉぉぉぉ……。

 内臓が燃え上がるような激しい激痛にソリスは七転八倒する。

「おねぇちゃーーん!」

 セリオンはポロポロと涙をこぼしながら叫んだ。

 真っ赤なベニテングダケ、その鮮烈な毒がソリスの命を確実に蝕んでいく。

 ソリスは遠ざかっていく意識の中、ただ、セリオンの手の温かさを感じていた――――。

『レベルアップしました!』

 いきなり黄金の光に包まれるソリス。

 ふわぁと戻ってくる意識の中、ソリスはホッと胸をなでおろす。敵に殺されなくても蘇生はしてくれるようだ。

 目を開けると、セリオンが涙でぐちゃぐちゃな顔をしてソリスを見つめている。

「えっ!? お、おねぇちゃん……?」

「ありがと……」

 何が起こったのか分からず唖然とするセリオンの手を、ソリスはゆっくりと握り返した。

「ゴメンね。でも、もう大丈夫よ」

 ニコッと微笑みながら、ゆっくりと起き上がるソリス。

「もしかして、これが……ギフト……?」

 呆然としているセリオンに、ソリスは苦笑いしてゆっくりとうなずく。

「心配させてゴメン……」

 ソリスは立ち上がり、ハグをしてセリオンのサラサラの金髪をやさしくなでた。

「う、うん……。よ、良かった……」

 セリオンはソリスをギュッと抱きしめ返す。

 ソリスはその温かなセリオンの体温を感じながら、優しい香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

「あれ……? おねぇちゃん小さく……なった?」

 セリオンは怪訝そうな顔でソリスを見つめる。

「えっ!?」

 ソリスは慌ててセリオンを見返した。確かに自分の方がかなり高かった身長差がずいぶんと縮まっている。

「キノコの毒……なのかなぁ?」

 セリオンは心配そうに、ソリスの手のひらを揉みながら見つめる。

「だ、大丈夫! 私、元気だからさ。そうそう、キノコのおかげで女神様に会えたの!」

「えっ! 女神様に!?」

「そう、素敵な方だったわ……」

 ソリスは創造神である女神の神々しさを思い出し、うっとりとする。

「幻覚……じゃなくて?」

 セリオンは眉をひそめた。毒キノコで女神に会えるなんてことは信じがたかったのだ。

「幻覚じゃないわ! その辺に降臨されたのよ!」

 ソリスはパタパタと駆け、女神が浮かんでいたあたりを見回す。すると、床に黄金に輝く微粒子がわずかに輝きを放っているのが見えた。

「ほら! 見て! これが証拠だわ!」

 ソリスは自慢げに床を指さした。

「え~……」

 セリオンは怪訝そうな目で床を見下ろす。すると確かに金粉を振りまいたような輝きがかすかに見受けられた。

「うわっ! ほ、本当だ! こ、これは……」

 セリオンは目を丸くしながらソリスを見つめ、呆然としながら首を振った。

 ソリスは女神との約束である『輝く生きざま』をしっかりと見せていかねばと、ギュッとこぶしを握り、その神聖なる黄金の微粒子を見つめていた。

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