アラフォーだって輝ける! 美しき不死チート女剣士の無双冒険譚 ~仲良しトリオと呪われた祝福~6~10
6. 陰膳のグラス
へ……?
ソリスはただポカンとその情景を眺めていた。
二人が潰されたことを理解できない、いや、認めたくなかったのだ。
二十数年間苦楽を共にしてきた二人が、あっさりと目の前でこの世界から消えてしまうなんて、到底認めるわけにはいかない。
赤鬼は満足そうにいやらしい笑みを浮かべながら振り返り、ソリスに向けて歩いてくる。その棍棒からは生々しい血の赤い色が滴っていた。
後ろには倒れて動かなくなっている二人。向いてはいけない方向に手足が伸びているさまにソリスは真っ青になる。
あぁぁぁぁ……。
絶望の中、必死に何とか自分を制そうと必死に奥歯をかみしめるソリス。
ケガで気絶しているだけであればまだ復活できる! その一縷の望みに全てを賭け、赤鬼に向けてダッシュするソリス。
ニヤニヤしながら棍棒を振りかぶる赤鬼。
ソリスは左右に軽くステップを踏み、振り下ろされてくる棍棒をギリギリのところでかわすと、そのまま床に転がってキラキラと輝いている帰還石を思いっきり踏み抜いた。
パリン……。
軽い破砕音が部屋に響いた直後、ブワッとソリス達三人の身体が黄金色の輝きに包まれる。
直後、ふっと景色が変わった――――。
よ、よしっ……。
そこは見慣れたダンジョン入り口だった。
足元に横たわるフィリアとイヴィットは白目をむき、口から泡を吹いている。
マズいマズいマズいマズい……。
ソリスはポーションを取り出すと二人の口に注いでみるが、痙攣するばかりで飲んでくれない。
「くぅ……、誰か……、誰かヒールを!!」
ソリスは辺りを見回しながら叫んだ。
そこに通りがかる冒険者パーティ。
「お願いします! いくらでも払いますから今すぐにヒールを!! 友達が死んじゃうんです!!」
ソリスは青いローブをまとった女僧侶に駆け寄ると頭を下げ、必死に頼む。
女僧侶はメンバーの顔を見回し、うなずくと二人の元へと走った。
しかし、二人の様子を見た女僧侶はギョッとして後ずさり、申し訳なさそうに首を振る。
「そんな! かけがえのない友達なんですぅぅ!!」
泣いてすがるソリス。
しかし、女僧侶は大きくため息をつくと、毅然と言った。
「もう、お二人はここにはおられません。残念ながら蘇生は私には唱えられないのです」
両手を組み、二人に祈りをささげる女僧侶。
い、いやぁぁぁぁ!
ソリスは絶叫して、地面に崩れ落ちた。
かけがえのない友をあっという間に失ってしまった。二十数年間、苦楽を共にし、まるで自分の一部のようにまでなっていた友人が、二人ともただの肉塊へと化してしまった。自分がバカな提案に乗ったから、自分が前衛としてふがいないから二人を失ってしまったのだ。
ソリスはまだ温かい二人の骸を抱きしめ、その身を血に染めつつ、止まらない涙をただポタポタとこぼし続けた。
◇
参列者もまばらな葬儀を終え、しばらく死んだように眠り続けていたソリス。
ようやく起き出して、カーテンを開ければ穏やかな春の日差しが差し込んでくる。
三人で一緒に暮らしていた、にぎやかだったシェアハウス。今では静まり返り、見るもの全てが涙を誘ってしまう。
時間をかけてゆっくりと顔を洗い、久しぶりにコーヒーを入れたソリスだったが、間違えていつも通り三杯入れてしまい、ガックリとうなだれた。もう飲む人のいないコーヒー。一体これからどうやって生きて行けばいいのだろう?
コーヒーカップの水面には、げっそりとやつれた中年女性のうつろな目が映っている。
そう……よね……。
ソリスは静かにうなずいた。
見回せば、彼らが使っていた服も毛布も食器も、棚に並べられた小さな人形たちも今では持ち主を失い、色あせてしまっている。
ソリスは頬をパンパンと張ると、それらをどんどんと大きな袋へと突っ込み、ゴミ捨て場へと持っていった。何往復しただろうか? 袋に詰めるたびに思い出が一つ一つ湧き上がる。激しい胸の痛みに耐えながら、思い出の詰まった袋を引きずるようにしてゴミ捨て場に運ぶ。
大家には退去を申し出て、ソリスは自分の持ち物すら全部捨てていった。そう、明日、赤鬼に仇討ちに行くと決めたのだ。確かに赤鬼は強いが、棍棒がデカい分大きく振り回した時に隙ができる。ここを突けば勝機はあると踏んだのだ。勝算の薄い賭けではあるが、このままでは終われない。フィリアとイヴィットの無念は晴らさねばならなかった。
昔お祝いにもらったティーカップなど、換金できそうな物は中古屋へ持ち込んで小銭に変えていく。
帰りに魔道具屋へ行ったソリスは、全財産をはたいて増強ポーションを買いあさった。もう全てを明日の一戦に賭けるのだ。出し惜しみして死んだら意味はない。
夕暮れ時、家具も何もなくなったがらんどうの狭いシェアハウスでソリスは大の字になって床に寝そべった。
十数年の時を共にしてきたこのシェアハウスともお別れである。明日、弔い合戦をやる。その決意を再確認すると、グッと右手を伸ばし、薄暗い天井に浮かぶ見慣れた不思議な木目模様に向けた。
最後の晩餐――――。
ソリスは少しオシャレなレストランに入ると、無理を言って三人の席を用意してもらい、陰膳には少しだけ料理を乗せてもらった。
「明日、仇を取るよ……」
涙が頬を伝い落ちる中、ソリスはリンゴ酒のグラスを優しく陰膳のグラスと静かにチン、チンと触れ合わせる。
その夜はフィリアと初めて会った時のこと、イヴィットと取っ組み合いのけんかをした時のこと、三人で飲みすぎて潰れて盛大に怒られた時のことを一つ一つ丁寧に思い出しながら、それぞれの陰膳に声をかけていった。
7. 強者の愉悦
簡易宿に泊まった翌朝、まだ朝もやのけぶる中をソリスは大剣を背負い、晴れやかな気持ちで石畳の道を歩き出した。
いよいよ生死をかけた弔い合戦へと赴くのだ。
もう二度と見れないかもしれない景色、そう思うと古びた街並みも、壊れかけて軋む看板も、パン屋が元気よく開店の準備をするさまもすべて愛おしく見えた。
立派な浮彫の施された堅牢な城門をくぐると、ソリスは振り返る。
城門の向こうに見える愛しい街並み――――。
「長い間ありがとう……。仇を討って戻ってくるわ……」
ソリスは深々と頭を下げた。嫌な事も楽しいこともいっぱい詰まったこの街。一旦すべてを捨てて、この一戦に賭けるのだ。
ソリスは不思議とさっぱりとした気分で別れを告げると、決意のこもった目で前を向き、グッとこぶしを握った。
◇
その後何度も殺されながら、予想外のチート級ギフトで地下十階のボスに勝ってしまったソリス――――。
その理不尽な展開に、床にペタンと座り込んだソリスは仲間を想い、泣き崩れる。
涙はとうとう枯れ果て、ソリスは泣きはらした目でぼんやりと壁に並ぶ魔法のランプを見つめた。ランプは静かにゆらゆらと揺れ、その光が彼女の頬を優しく照らす。
例え勝てても厳しい人生だったはずなのに、予想外の展開で明るい未来が開けてしまったのだ。死なないで強くなれるのであれば自分は世界一の剣士になってしまう。それはいわゆる【勇者】という奴ではないだろうか? ひっそりと生きてきた中年女が今さら勇者だとは、なんとも笑えないジョークだ。ソリスは渋い顔で首を振った。
国王に讃えられ、街を行く華やかなパレードでみんなの歓声を浴びる。少し想像してみただけで、鳥肌が立ってしまう。日陰でひっそりと自分ならではの幸せの世界を満喫する。それがソリスにとって最善であり、今さら華やかな場所など気疲ればかりして何も楽しくなさそうに見えた。
ただ……。三婆トリオと呼んでた連中だけはどうにも許すわけにはいかなかった。冒険者稼業というのは自らの命を天秤にかけながら、自分なりの戦略をもって臨むもの。自分と違う道を選んだものを嗤うとは傲慢で許しがたい。あいつらだけはぎゃふんと言わせねば、死んでいった仲間に申し訳が立たないのだ。
華年絆姫の名を歴史に残さねばならない。ソリスはグッとこぶしを握った。
このダンジョンの最深踏破記録は地下三十九階。Aランクパーティでも地下四十階のボスは倒せていないのだ。で、あれば五十階のボスをぶっ倒して、華年絆姫の成果として記録させるのだ。ギルドのロビーに燦然と輝く金のプレートに華年絆姫の名前を刻む……。そう、それこそが散っていった仲間に対する餞になるのではないだろうか?
そこまでやったらすぐに旅に出て、どこかののんびりとした田舎でゆったりと老後のスローライフを楽しむのだ。
ヨシッ!
ソリスはピョンと跳び上がると、大剣を高く掲げた。
「フィリア、イヴィット、我々華年絆姫は最強パーティとして歴史に名を刻むぞ!」
ソリスは目をつぶり、新しい決意と共に二人の冥福を祈った。
◇
地下十一階、ソリスは軽い足取りでダンジョンの奥へと乗り込んでいく――――。
早速出てくる屈強なリザードマンの群れ。十数頭はいるだろうか? 薄暗がりの中に赤く煌めく目がずらっと並んでいる。リザードマンは爬虫類タイプの怪力なファイターであり、以前なら三人がかりでも苦戦しただろう強敵だった。
しかし、ソリスは速度を緩めることなく、むしろ加速しながら大剣を下段に構え、肩から突っ込んでいく。
うぉぉぉぉぉ!
リザードマンたちはいきなり現れたソロの女剣士にニヤリと笑うと、チロチロっと赤い舌を出しながら剣を構えた。
一匹目のリザードマンが、迫ってくるソリスに鋭く剣を振り下ろす。
ウキョーー!!
ギラリと光った刀身が目にも止まらぬ速度でソリスを捉える――――直前、ソリスはすっと横に身体をずらし、そのままリザードマンの胴を一文字斬りで真っ二つに切り裂いた。
血しぶきが飛び散る中、ソリスは二匹目を目指す。
あっさりと突破されたことに浮足立った二匹目は対応が遅れる。ソリスはその隙を逃さず、そのまま袈裟斬りで瞬殺した。
キョキョキョ!! キョーー!!
三匹目と四匹目が同時に突っ込んできて剣を振るったが、ソリスは直前でピョンと跳び上がって頭上を飛び越えた。
うひょぉ!
羽根が生えたかのように高く跳躍した瞬間、ソリスの顔に無邪気な笑みが広がる。レベル55の驚異的な身体能力は、まるで異次元からの贈り物のように強烈だった。
レベル55は、若い子ならレベル50に相当し、ランクで言えばBランク。街に千人近くいる冒険者でもBランクは十人もいない精鋭クラスなのだ。
ソリスは着地するや否や、しゃがんだまま軸足を中心に一回転しながら二匹を撫で斬りに切って棄てる。
せいやーーっ!!
絶好調のソリスはギラリと目を輝かせ、残りのリザードマンたちを見上げた。
キョキョキョー!!
パニックに陥ったリザードマンたちは、混乱の中で逃走を試みる。だがソリスは、風のような速さで追いすがり、その大剣で容赦なく彼らを斬り倒していった――――。
やがて静寂に包まれる洞窟。こうしてあっという間に、洞窟には無数のリザードマンの骸があふれたのだった。
リザードマンの死体はゆっくりと消えていき、後には緑色に輝く魔石がパラパラと転がっていく。
「ふぅ……。十一階って大したことないのね?」
ソリスは血だらけになった大剣をビュッと振って血を払い、床に散らばった魔石を眺める。
かつて生活のための暗く危険な作業場でしかなかったダンジョンが、今、彼女の目には、魅力的な宝の山として映っていた。
「ダンジョンってこんなに楽しかったかしら? くふふふ……」
ソリスはかつてない強者の愉悦に身を委ね、恍惚の表情を浮かべながら両腕を大きく広げた。
8. 黄金の飛沫
その後も十二階、十三階と次々に快進撃を続けるソリス――――。
ソロで赤鬼に勝ったソリスには、出てくる一般モンスターなどもはや雑魚に過ぎなかった。怪しい魔法を使ってくるスケルトンも毒を放ってくるデカい大蛇も、軽快なフットワークで翻弄させながら一刀両断にしていった。
「弱い、弱ーい! 華年絆姫のお通りよ! はっはーーい!」
大剣をクルクルと振り回し、その圧倒的な強さに心地よい高揚感を覚えながら、ダンジョンに笑い声を響かせた。
どんどんと快調に階を進んでいくソリス。何しろたとえ死んでも強くなるだけなのだ。慎重になる意味がない。
上機嫌に地下十五階まで降りてきた時のことだった――――。
キャァァァ! ひぃぃぃ!
遠くから微かに若い女の悲鳴が聞こえてくる。
えっ……、この声は……?
ソリスは眉をしかめたが、放っておくわけにもいかない。薄暗い洞窟の中を、声のした方へと駆けて行った。
◇
しばらく行くと、大きな広間があった。悲鳴はその奥から聞こえてきているようだ。
中をのぞきこむと、金色に光り輝く鬼が、広間の奥に幻精姫遊の三人組を追い込んでいた。
「も、もうダメーー!」「もうちょっと頑張りなさいよ!!」
女僧侶が必死にみんなをシールドで守っている中で、リーダーが倒れている弓士の手当てをしているようだった。
ソリスは「ざまぁ!」と笑ったが、このまま放っておくのも寝覚めが悪い。大きく息をつくと、叫んだ。
「おい! 助けてやろうか?!」
リーダーはソリスの方を向くとハッとして、バツが悪そうに顔をしかめる。
「お、お願いしますぅぅ!」
女僧侶が叫んだが、リーダーはうつむいたままだった。
「しょうがないわねぇ。オイ! こっちだ!!」
ソリスはタタッと駆け、ものすごい速度で鬼に迫る。
グガァァァァ!
鬼が憤激に満ちた表情で後ろを振り向き、ソリスに向かって巨大な棍棒を力強く振りかぶった。
ヘイヘーイ!
軽く左右にステップを踏みながら、挑発するソリス。
この金色の鬼はユニーク種であり、一般の鬼より強く、十階のボス赤鬼と同じくらいの強さのようだった。強い分、良いアイテムをドロップしてくれるので、強い冒険者であれば美味しい敵と言える。
グァッ!
雷のような速さで打ち下ろされる棍棒。猛烈な風きり音が部屋に響き渡る。
ソリスは待ってましたとばかりにギリギリで棍棒をかわすと、壁に向かってひと飛びし、そのまま三角飛びで鬼の頭上まで一気に迫った。
グォ?
その軽業師のような素早い身のこなしに鬼は翻弄され、一瞬ソリスを見失う。
どっせい!
激しい気迫のこもった大剣の一撃が鬼の脳天に炸裂。一刀両断に斬り裂いた。
階を降りてくる間にもレベルアップをしていたソリスにとって、このレベルのモンスターであればもう敵ではなかったのだ。
グォォォォ……。
断末魔の叫びが広間に響き渡る中、ソリスはニヤッと笑いながら幻精姫遊の面々に振り返る。
「す、凄い……。あ、ありがとうございます……」
その鮮やかな討伐劇に女僧侶は圧倒され、頭を下げた。
しかし、リーダーはそっぽを向いたまま目を合わそうともしない。
「これは貸しだからね? もう二度とくだらないウザ絡みはするなよ?」
ソリスは厳しい視線を投げかけながら言い放つ。
しかし、リーダーは仏頂面で、
「た、頼んでない……」
と、ボソッと言った。
「は?」
ソリスは眉をひそめる。いくらなんでもそれはないだろう。
「助けてくれだなんて私は言ってないんだけど?」
リーダーは金髪を手で流しながら、ふてぶてしい顔をして言い放つ。
ソリスの頭の中でブチっと何かが切れた。
「ガキが……」
大剣をリーダーに向け振りかぶると、ソリスはそのまま一気に突っ込んだ。
ひっ!?
リーダーは慌てて剣を構え、さばこうとした。しかし、ソリスは目にも止まらぬ速さでその剣目がけ、一文字に大剣を振り切った。
キィィン!
リーダーの剣は弾かれ、クルクルと回りながらキラキラとランプの光を反射し、広間の壁に突き刺さる。
ひっ!?
驚くリーダーの首に素早く大剣を当てたソリスは、ドスの効いた声を響かせた。
「お前ら殺すなんか朝飯前……。今、殺してやろうか? ダンジョンなら証拠も残らないんだけど?」
ひ、ひぃぃぃ!
リーダーは縮み上がって震えるばかりだった。
「冒険者同士は助け合うもんだろ!? 今度舐めた真似してみろ? 街に居ようがどこに居ようが確実に息の根……止めてやる……」
ソリスは怒火に燃える瞳でリーダーを射抜く。
「ゴ、ゴメンなさいぃぃぃ。ゆ、許してぇぇ……」
リーダーはその圧倒的な迫力に打ちのめされ、緊張と恐怖で下を漏らした。
ジョボジョボと嫌な音が広間に響きわたる。
「うわっ! きったない……」
ソリスは顔をゆがめ、飛沫を避けるように飛びのいた。
うわぁぁぁん!
ペタリと座り込み、まるで小さな子供のように泣き叫ぶリーダー。
あーあ……。
ソリスは渋い顔で首を振り、重いため息をつくと女僧侶に聞いた。
「お前ら無事に帰れそうか?」
「だ、大丈夫です。ポーションはまだあるので……」
「そうか。気をつけて帰りな」
ソリスは手を上げ、去ろうとする。
「あっ! ど、どこまで……行くんですか?」
女僧侶は声を上げた。ソロで十五階を余裕で踏破していくソリスに興味津々なのだ。
「五十……かな?」
「へっ!? ご、五十……?」
女僧侶は思わず声が裏返ってしまった。四十階ですらクリアした者がいないのに、五十などまさに狂気の沙汰だった。しかし、先ほどの鬼を余裕で一刀両断した異常な強さを見せつけられると、それがあながち虚勢とも言い切れない凄みを感じてしまう。
「そう。五十階が踏破されたら華年絆姫の成果だって周りに伝えてやってくれよな」
ソリスはニヤッと笑うと颯爽と広間を後にした。
「す、すごい……」「素敵……」
女僧侶と女弓士は、たった一人で壮大な目標に挑むソリスの熱い魂に圧倒され、その凛々しい後ろ姿に見惚れていた。
9. 獄焔轟焦
「アッチーーッ! マジかよ……」
地下二十階のボス部屋の扉を開けたソリスは、暗い部屋から噴き出してくる熱気にウンザリして顔を歪めた。
広間の周りの壁に掲げられた魔法のランプがポツポツと灯り始め、部屋の真ん中に展開された巨大魔法陣から大きな壺がせり上がってくる。
「なるほど、あそこから出てくるのね……」
ソリスはじっと壺を見据えながら息を整えると、大剣をしっかりと握り直し、静かなる獣のように瞬発力を秘めて待ち構えた。
刹那、壺からボウッっと轟炎が立ち上り、高い天井を焦がす。
「アチチチ……。お出ましね……」
大剣を立て、刺すような熱線から顔を守りながら炎を見上げる。真紅に揺れる炎はやがて竜巻のように渦を巻き、ソリスに向かって鎌首をもたげた。直後、炎の渦の先から青い二つの目が鋭く光を放ち、咆哮を放つ。それは轟炎大蛇だった。
炎そのものが魔物とは実にやりにくい。魔法生物の厄介さにソリスは顔をゆがめる。
攻略した者の話では、ひたすら水魔法を撃って倒したということらしいが、大剣振るうしか攻撃手段のないソリスには参考にならない話だった。
天井近くから見下ろす轟炎大蛇は時折ぶわっと身体を分裂させて炎の渦を床近くまで噴きおろす。ソリスはそのたびに素早くステップを踏みながら距離を取った。
頭に大剣を届かそうとすると跳び上がるしかないが――――、あまりいい策とは思えない。さりとて、壺に近づこうものならあっという間に焼き殺されそうである。
くっ……。
止めどなく湧いてくる汗をぬぐいながら、ソリスは攻めあぐね、ただ、間合いを取りながら様子を見るしかできない。
轟炎大蛇はチョロチョロと炎の舌を揺らしながらじっとソリスをにらみ、クワッ! と威嚇してきた。
逃げ続けていても熱で体力を奪われるばかりである。
「ええい! ままよ!」
ソリスは覚悟を決めると助走をつけ一気に跳び上がった。その抜群の跳躍力で瞬時に轟炎大蛇の頭に迫るソリス。
「せいやーー!」
大剣を思い切り振り降ろす――――。
刹那、激光が部屋全体を覆いつくした。
うぎゃぁぁぁ!!
全身から炎を吹きながら床に墜落し、ゴロゴロと地面をのたうち回るソリス。
轟炎大蛇が口から放った凄まじい熱線、獄焔轟焦が炸裂したのだ。
ぐあぁぁぁ……。
絶叫を上げながら崩れていくソリスはやがて動かなくなる。
炎が収まると、そこには人であった黒焦げのモノが転がるばかりだった――――。
『レベルアップしました!』
黄金の輝きに包まれる黒焦げの炭。そして輝きの中から全快してやる気満々のソリスが飛び出してきた。
「やってくれるじゃん! もうその手は喰わないよ!」
ソリスは壺に向かって駆け出した。跳び上がる攻撃が難しい以上、壺を攻撃するしかないのだ。
獄焔轟焦の照準を定めさせないように、ソリスは軽快に左右にステップを踏みながら一気に壺を目指す。
翻弄される轟炎大蛇だったが、一転、ぶわっと身体を分裂させて炎の渦を床近くでしならせ、鞭のようにして一気にフロアを薙ぎ払った。
「マジ!? うぎゃぁぁぁ!」
逃げようとしたソリスだったが、フロア全体をなめるようにして襲い掛かってくる炎の鞭には逃げ場がない。
またも轟火に包まれ、ソリスは激痛の中息絶えていく――――。
『レベルアップしました!』
黄金の輝きの中から怒りに燃えるソリスが飛び出してきた。壺まであと数歩、一気に行こうと思った瞬間、視界が炎に染まった。
「ぐがぁぁぁぁ! クソがぁぁぁ!!」
轟炎大蛇もバカじゃない。復活の瞬間を狙って獄焔轟焦を放ったのだ。
壺のそばに倒れて燃え上がるソリス。しかし、チートは止まらない。
『レベルアップしました!』
今度は意識が戻ると同時に横っ飛びに跳んで、獄焔轟焦をかわすと、大剣を握り、渾身の力を込めて壺へと振り下ろす。
カーン!
鬼すら一刀両断にする渾身の一撃も、壺には通用しなかった。
大剣は弾かれ、ソリスの手はその衝撃にしびれてしまう。
くぅぅぅ……。
刹那、再度の獄焔轟焦がソリスを火だるまにした。
しかし、ソリスには壺を攻撃する以外道はない。
ひたすら壺を叩き、殺され、の熾烈な応酬が繰り返される。
『レベルアップしました!』
うぎゃぁぁぁ!
『レベルアップしました!』
ぐぁぁぁぁぁ!
『レベルアップしました!』
ひぎぃぃぃぃ!
もう、どのくらいレベルアップしたか分からない応酬の後、ついにその時が訪れる――――。
「こなくそ!!」
馬鹿の一つ覚えのように渾身の一撃を叩きこむソリス。
パーン!!
ついに壺は耐えきれず、盛大な破砕音を響かせながら大剣の刃の前に砕かれた。
ギュワァァァァ!!
轟炎大蛇は苦悶のうずきに身を捩る。その断末魔の悲鳴が空を裂き、徐々に輝きを失っていく炎は遂に白い煙と化し、消え失せていく――――。
後には真紅の光を湛えた魔石が床にコツンと落ち、激闘の終わりを告げた。
「や、やった……のか……?」
殺され続け、頭が上手く働いてくれないソリスはフラフラっとよろけるとそのまま床にペタリと座り込む。
そのまま床に倒れ込み、大の字になったソリスは朦朧としながら天井を見上げた。
そこには黒い煤が多量にこびりつき、不気味な模様を浮かび上がらせている。すべてソリスの身体が燃えた煤なのだ。
「へぇ? ははっ……」
ソリスは自分の死の証拠がベットリとこびりついた天井に苦笑し、乾いた笑いを響かせた。
10. 悪魔のささやき
ソリスはふらふらと歩きながらボス部屋を出た。そこには巨大な水晶柱が青く幻想的な光を放ちながらゆっくりと回っている。転移魔法が施されたポータルだった。
「今日は一旦帰ろう……。さすがに死にすぎたわ……」
ソリスは疲れ切った様子で大剣を背中の鞘にしまうと、よろよろとポータルへと歩み寄る。彼女の手が青白い光を放つクリスタルに触れた刹那、空間が歪み、次の瞬間、ダンジョンの入口に並ぶポータル群の前に転送された。
ヴゥン……。
「え!?」「ま、まさか……」「これは……?」
ソリスの登場に、ポータル前に集まっていた人たちはざわめいた。たくさんの冒険者たちが、誰が出てくるのかと待ち受けていたのだ。
轟炎大蛇が倒されたことにより、しばらく地下二十階の扉は開かなくなる。それは二十階の入り口へのポータルの輝きが消えることにより分かるようになっていた。冒険者たちは誰かが二十階を突破したことを知り、それが一体どのパーティなのか興味津々に、それぞれ予想を言いながら待ちわびていたのだ。
轟炎大蛇のレベルは推定70である。これを倒すとしたらAランクなら三人パーティ、Bランクなら六人パーティが必要なのだ。それなのにうだつの上がらないアラフォーの女剣士が一人で現れた。ソロで倒したとしたらもはやSランク冒険者ということになってしまうが、それはどう考えてもあり得ないことだったのだ。
どよめく人たちに、ソリスはニヤリと笑うと轟炎大蛇の真紅に輝く巨大な魔石を掲げた。
これかしら?
一瞬の静けさの後、大歓声が巻き起こる。
「おぉ!」「す、凄いぞ!」「うわぁ!」
みんなの熱狂に誇らしげに叫ぶソリス。
「轟炎大蛇は華年絆姫が討ち取った! 明日は三十階ボスの首を獲る!!」
おぉぉぉぉ!
皆、盛大な拍手でソリスの健闘をたたえ、また壮大な決意にエールを送った。
多くの冒険者にとって二十階は鬼門だった。二十階を超えさえすれば美味しい階が続くのだが、超えられるものなど一握りでしかなかった。だからみんないつかは二十階を超えてやると思いながら日々ダンジョンで戦い、鍛えているのだ。
それに、このアラフォーパーティは先日死者を二人も出して壊滅したはずだった。それなのに、遺志を継いでソロで二十階の難敵に勝ったのだ。それがどれだけ困難で辛いことかは冒険者であれば誰でも痛いほど分かってしまう。
金髪の女僧侶はタッタッタと駆け寄ると、涙ぐみながらソリスの手を取る。
「お、おめでとう……。神の祝福のあらんことを……」
この女僧侶は先日二人を看取った若い女の子だった。彼女は二人を助けられなかったことが気がかりだったのだが、それを乗り越えて大躍進をしているソリスを心から祝福する。
「ありがとう……」
ソリスはその気持ちが嬉しくて女僧侶にぎゅっとハグをした。自然とあふれ出る涙を拭うこともなく、ソリスは失った二人の友を静かに偲ぶ。
冒険者たちはソリスの痛みに心を寄せ、沈黙のうちに敬意を表して次々と黙とうしていく。
うっ、うっ、うっ……。
しばらくの間、ただソリスの嗚咽だけが響いていた。
◇
ソリスが街の冒険者ギルドに戻ってくると、予想外の盛大な拍手で迎えられた。
「ソリスさん、おめでとうございます!」
若く可愛い受付嬢がニコニコしながら駆け寄って祝福してくれる。ソリスは恥ずかしそうに頭をかきながら頭を下げた。こんなことはいまだかつて一度もなかったのだ。
「おめでとう!」「よかったな!」「すごいぞー!」
みんな拍手でソリスの偉業を祝福する。
ソリスはそっと目頭を押さえると、こぶしをグッと突き上げた。
「よーし! 今日は私のおごりよ! みんな飲んで!」
うぉぉぉぉぉ! やったー!
ギルドは大歓声に包まれる。
ギルド併設のバーのおばちゃんは、ニヤッと笑うとソリスにサムアップして見せて、ジョッキに次々とビールを注ぎ始めた。
冒険者たちは次々とおばちゃんの前に列を作り、入れていくそばからジョッキを奪っていく。
「御馳走になりまーす!」「いただきまーす!」
ソリスもジョッキを受け取ると上機嫌に高く掲げた。
「いいよいいよ! じゃんじゃん飲んで! 華年絆姫のおごりよ! カンパーイ!」
「華年絆姫にカンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」
その日は夜遅くまでにぎやかに盛り上がった。
『安全第一』を徹底してきたソリスは、今まで奢られることはあっても奢るようなことは一切なかったのだ。初めて恩返しできたような気がして、にぎやかに盛り上がる若者たちを目を細めて眺めていた。
「君たちも飲んで……」
ソリスはテーブルに二人分の陰膳を据える――――。
喪われた二人を想い、寂しそうに微笑みながら二人のジョッキにコツン、コツンとジョッキを合わせた。
◇
翌朝、まだ酒の残る頭でソリスはダンジョンへと赴いた。
ギルドからは事情聴取をしたいと言われていたのだが、自分はこれから五十階を目指すのだ。説明はその時に一気にやってしまいたいので、無理言って来週に延期してもらった。
ポータルで地下二十階の出口まで飛んで、地下二十一階からスタートする。
美味しいエリアと言われるだけあって二十階台はモンスターの強さに比べて出てくるアイテムや魔石は高価な物になる。
ソリスは軽快に飛ばしながらたくさんの魔石を回収し、昼前にはついに地下三十階に到達した。
ここのボスを倒せば実質歴代最高記録に並ぶことになる。華年絆姫の名がギルドの銘板に刻まれるのだ。
しかし……。
入り口の巨大な扉の前でソリスは足が止まった。
過去のボス戦がそうであったように、ここでも何度も殺されるのだろう。ソリスはその胸をえぐる見通しにブルっと身を震わせると、思わず胸を押さえ、うつむいた。
「今……、行かなくても……、よくない?」
二十階台を周回するだけで一生お金には困らないし、それなりに評価もされるだろう。ここで切り上げたって誰にも文句など言われない。
今まで切り詰めた暮らしをしてきたから身なりもショボいし、安い物しか食べてこなかった。この辺りでいったん休憩を入れて少し華やかなコーディネートで、美味しい物ももっと色々食べてゆっくりしてもいいのではないだろうか? 今、倒す必要などないのでは?
ソリスのなかで悪魔のささやきがこだまして、思わずゴクリと唾をのんだ。
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