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スマホ少女は空を舞う~AI独裁を打ち砕くお気楽少女の叛逆記~ 10~19

10. 濡れたワンピース

 風に流されながらふわふわと廃墟となった東京上空を飛んでいく二人――――。

 今から十数年前のあの日、自衛隊と戦闘になったAIのロボットたちは、躊躇することなくハッキングで奪い取った核ミサイルを使った。市ヶ谷にある防衛省上空で炸裂した核弾頭は一瞬で東京二十三区を焼き払い、数百万人が焼け死んだ。これで日本はAIの手に落ちたのだ。

 アメリカや中国がどうなったかは知らない。人の移動が制限され、情報統制の厳しい社会となった今では、たとえ同じ日本でも北海道や九州がどうなっているかすら分からないのだ。外国の情報などどうやったって知りようがない。ただ、米軍が救出に来ないことを見ても日本と同様にAIの手に堕ちているというのは想像に難くない。

 瑛士はどこまでも続く瓦礫の地平を眺めながら肩を落とす。この東京のどこかで炎の中に消えていった自分の母親を思いながら、心を引き裂かれるようなため息をこぼした。

「あっ!」

 シアンが嫌な声をあげる。瑛士は眉をひそめてシアンの視線の先を見た。

「バッテリーがもう残り少ないよ、どうしよう?」

 確かにバッテリーのインジケーターが黄色に点滅している。

「じゃあその辺降ろしてよ」

 瑛士が上を向くと、光に覆われた巨大な熱気球のような半透明のこぶしも確かに最初の頃に比べて元気がない感じがする。

「それが、これ、元々こういう使い方するもんじゃないから、ゆっくり降りるとかできないのよね。きゃははは!」

 シアンは何がおかしいのか笑っている。瑛士はその能天気さにムッとして聞いた。

「じゃあ何? いきなり落ちるしかないっての?」

 瑛士は渋い顔をしながら下を見た。高さは三十メートル以上あるだろうか? こんなところから落ちたら即死である。

 スマホの電池は10%を切ったら減りが早い。いつ落ちてもおかしくない状態だった。

「もうすぐ川だから、そこに飛び込めばセーフ!」

 シアンはそう言って近づいてきた隅田川を指さした。

 ナチュラルに川に飛び込めというまるで鬼軍曹のようなシアンに瑛士はめまいを感じる。

「くぅ、マジかよぉ……」

 一難去ってまた一難。いつまでも終わらない試練の連続に瑛士の神経は参ってしまいそうだった。

 どんどん下がっていく電池残量、近づいてくる隅田川――――。

「ほら、覚悟はいい? いいタイミングで跳び込んでよ?」

 シアンは嬉しそうに声をかけてくる。

「いや、絶対なんか高度下げる方法あるでしょ? わざと言ってない?」

 瑛士はゴネる。隅田川の深さがどのくらいあるか知らないが、こんな高さから落ちたら無事ではすむまい。

「あったかもしれないけど忘れちゃったんだよねぇ。きゃははは!」

 シアンは楽しそうに笑う。

 命のかかった緊急事態で笑うのは本当にやめて欲しい。瑛士はギリッと奥歯を鳴らす。

「思い出してよ! 今すぐ!」

「ウーン、えーと……」

「頼むよ、命にかかわる事なんだからさ」

 絶対に飛び込みたくない瑛士は必死になって頼み込む。

「あっ! そう言えば確か……」

 シアンが思い出した時だった。

 ポン!

 スマホが真っ暗になって真っ赤な空乾電池マークが点滅した。

 消え去るこぶし、真っ逆さまに堕ちていく二人――――。

 うぎゃぁぁぁぁ! きゃははは!

 ボシュン!

 盛大な水柱が二つ、隅田川に立ち上ったのだった。

      ◇

 へっくしょい!

 瑛士は川べりで震えながら盛大なくしゃみを放った。

 シアンもずぶ濡れになって岸壁を這いあがり、ニコニコしながら瑛士のそばまでやってくる。

「あー、楽しかった!」

「なんも楽しくないから!」

 瑛士はこぶしを握って力説した。

 すると、シアンはブルブルっとまるで犬みたいに濡れた髪からしずくを振り飛ばす。

 うわぁ!

 しずくをもろにかぶった瑛士はこぶしをブンブンと振りながら怒鳴る。

「ちょっとやめてよ! 死ぬところだったんだぞ!」

「大げさなんだからぁ、無事なんでしょ? きゃははは!」

 シアンは屈託のない笑顔でのびやかに笑う。

 瑛士はギリッと奥歯を鳴らしながらジト目でシアンをにらんだ。

「で、これからどうするの?」

「上から見てたらね、あっちに良さげな倉庫があったから行ってみようよ」

 シアンはそう言うとすたすたと歩きだした。

「何があるかなぁ? くふふふ……」

 楽しそうに歩くシアンの後ろ姿を見て瑛士はハッとする。濡れたワンピースがぴったりとその豊かなヒップのラインを浮かび上がらせていたのだ。

 瑛士はその美しさに言葉を失い、顔を赤らめながら視線を逸らし、彼女の後を追った。

11. 魅惑のハートマーク

 二人の前に広がるのは、核爆発の猛威をなんとか耐え抜いた荒廃した倉庫。虚ろな窓枠が失われた時を物語っている。屋根が残っているから雨にやられてないものもあるだろう。早速二人は割れた窓から忍び込む。

「おーい、なんかいいものあったー?」

 瑛士は段ボールを一つずつチェックしながらシアンに声をかける。

 手分けして使えそうな物を探しているが、マスクやおむつなどの日用品が多く、なかなか使えそうなものが見つからないのだ。

「ジャーン!」

 シアンは楽しそうに黒いビキニ姿で豊満な胸を強調しながら現れた。お尻からはハートマークのついたシッポを生やしている。パーティー用のサキュバス変身コスプレ衣装を見つけたらしい。

 つるりとした白い肌に可愛いおへそがのぞき、そのあまりに似合っているコスプレに瑛士は真っ赤になってしまう。

「ちょ、ちょっと! まじめにやってよ!」

「ふふーん、似合う? ねぇ似合う?」

 シアンは瑛士をからかうようにくるっと回ると、前かがみになって胸を強調し、ウインクを飛ばした。

 瑛士はうつむき、大きく息を吸うと気持ちを落ち着ける。

「似合う、似合うから……。そういうの見せないで!」

 そう言いながらも、ぴょこぴょこ揺れるシアンのシッポのハートマークを目で追ってしまう瑛士だった。

       ◇

 シアンが見つけてくれた洋服の段ボールを漁る瑛士。

 幸いかび臭くはあったが普通の服もたくさんあり、何とか濡れた服を着替えることができた。

「ジャーン!」
 
 デニムのオーバーオール姿で現れたシアンは、Vサインを横にして嬉しそうに笑顔を輝かせた。

 キャップをかぶって白いシャツからすっと伸びる白い腕、とても似合っている。ただ……、先ほどのサキュバス姿の方が圧倒的にインパクトはあった。

「あぁ、お似合いだね……」

 瑛士は気のない返事で応える。

 サキュバスへの未練を察知したようにシアンはジト目でエイジを射抜くと、

「エッチな方が好みなのね! スケベ小僧め!」

 と、エイジのおでこをパチンと指ではじいた。

「いてっ! そ、そんなことないって。お似合いだよ」

「フン! いいからスマホ探して」

 シアンは不機嫌そうに口をとがらせる。

「え!? あのスマホ無くしちゃったの?」

「無くしたんじゃなくて水没で壊れちゃったの!」

「マ、マジ!? 早く言ってよぉ!」

 瑛士は目を丸くして青くなる。

 唯一にして最強の兵器スマホカメラが無いということは、今、AIに襲われたら死亡確定である。瑛士は慌てて棚の荷物を次々と掘り起こしていった。

 玲司はスマホを持っていない。レジスタンスは電波で居場所がバレるのを嫌ってスマホは持ち歩かないのだ。特殊な通信機で連絡を取り合っているが、それにはカメラなど付いていない。

 しばらく二人は段ボール箱を次々とひっくり返し続けていった。

      ◇

 結局見つかったのは旧式の中古のスマホが一台。電池はとっくにイカレてて充電すらできない。

「これじゃ敵を壊せないゾ? どうすんの?」

 シアンはどこからか掘り出してきたピコピコハンマーを振り上げると、不機嫌そうに瑛士のお尻をピコピコ叩いた。

「ちょ、ちょっと止めて! ほら、何とか電源はいったから!」

 瑛士は充電ケーブルを繋げた状態で何度か試行錯誤しているうちに電源ボタンが入るようになったのを見せた。

「えー、本当……?」

 シアンは眉を寄せてスマホ画面をのぞきこむ。

「モバイルバッテリーを繋げっぱなしなら何とか動きそうだよ? ほら」

 瑛士は試しにカメラアプリを起動してみる。しかし、旧式スマホのカメラはズームも効かず相当にショボかった。

「えぇ……? これで塔を倒すって? 本気?」

 シアンは呆れて鼻で笑う。

「ダ、ダメなの?」 

「うーん、ダメってことはないんだけど、塔に相当近づかなきゃだゾ?」

「そ、相当って……?」

「もうすぐそばって事! きゃははは! スリル満点!」

 シアンは楽しそうに笑った。

「すぐそばまで近づくって……塔は海の真ん中なんだけど……」

 瑛士は降りかかる理不尽な試練に頭を抱えた。あと一歩だったゴールが手をすり抜けどんどん遠ざかっていく。

 ちくしょう……。

 瑛士はブンとこぶしを振ると深いため息をつき、がっくりと肩を落とした。

       ◇

 クォンタムタワーのそばまで近づくには、帆船をモチーフにした巨大な換気塔『風の塔』に行くしかない。晴れた日には風の塔は、クォンタムタワーのそばに寄り添うようにポッカリと浮かんで見える。

 陸路で行くためには多摩川を超えて川崎に入り、東京湾を途中までトンネルで横断するアクアラインを行く以外ない。二人は瓦礫で埋まった国道十五号線跡を歩きながら一路川崎を目指した。

「アクアラインなんか入れるのかなぁ……」

 瑛士はそのミッションの難易度の高さについ弱音を漏らす。

「何とかなるでしょ! それに……、悩んでる暇なんてないよ? きゃははは!」

 シアンはスマホカメラを起動すると、キラリと碧眼を輝かせ、瓦礫の山目がけてシャッターを切った。

12. 闇は踊る

 パシャー! というシャッター音が瓦礫の山に響き渡る。

 刹那、ズン! という腹に響く爆裂音が瓦礫を吹き飛ばし、金属の断片が飛び散る。同時にサイボストルの冷たく、無機質な頭部が、カン! カン! と瓦礫に弾かれ、不気味に転がり落ちていった。

 どうやら瓦礫の間にサイボストルが潜んでいたらしい。

「待ち伏せか! 知恵をつけてやがる」

 慌てて後退し、瓦礫の隙間に隠れる瑛士。しかし、待ち伏せは大部隊だった。次々と数十台を数えるサイボストルたちが飛び出し、瓦礫を吹き飛ばす勢いで激しい銃撃を加えてくる。

 国道十五号線はいきなり銃弾の飛び交う激戦地と化した。

「上等じゃん! きゃははは!」

 シアンは、さっと瓦礫の裏に隠れるとスマホのカメラ部分だけを瓦礫の先に出し、画面で様子を確認する。

「お馬鹿さーん!」

 ターゲットを見定めながらシャッターを押し、一匹ずつ始末していくシアン。

 パンパンという乾いた銃声が響く中、パシャー! パシャー! というシャッター音と共にサイボストルが破壊される衝撃音が次々と地面を揺らした。

 突如、ヴーンという不気味な音が銃弾飛び交う激戦地に響く。

「な、何だ!?」

 瑛士は瓦礫の隙間から辺りを伺うと、ドローンが次々と浮上していくのが見えた。それは潜んでいた百台ほどのドローンが一斉に浮上した音だったのだ。

「シアン! ドローンだ、ドローンが来た!」

「ちっ! この忙しい時に!」

 シアンは恨めしそうに爆弾をぶら下げながら近づいてくるドローンをにらんだ。

「仕方ない……。電池が持ちますように……」

 シアンはスマホ画面に不思議な動きで指先を這わせていく……。

 ブワッと黄金色の輝きを纏うスマホ。

 何をやろうとしているか分からなかったが、ここでモバイルバッテリーが電池切れになったら一巻の終わりである。

「電池持てよ~! 頼むよ~!」

 瑛士は冷や汗を流しながら手を組んで必死にスマホに祈りをささげた。

 祈りが通じたのか、シアンはニヤッと笑うとスマホを空に向ける。

「ポチっとな!」

 シャッター音が辺りに響き渡る。

 パシャー!

 刹那、スマホから暗黒が噴き出し、辺りが一気に暗闇に沈む――――。

 ちょ、ちょっとそれ何……?

 瑛士はその闇の踊る禍々しい様子に圧倒される。それは黒煙が噴き出したようなありふれた現象ではなく、まるで光を喰らう巨大な影が解き放たれたかのようだった。その動きは野性的で、あっという間に周囲の光を奪い去るさまはどう猛な魔物のようにさえ見えた。

 瞬く間に辺りを飲み込んでいく暗闇。すぐに世界から一切の光が消え去った。あんなに輝いていた太陽もどこかへ消えてしまい、もはや目には何も映らない。

 な、なんだよぉ!

 瑛士は真っ暗闇の洞窟に落とされたような、どっちが上かもわからない状態で混乱の極みに陥った。

 その漆黒の世界の中で、パリパリと乾いた放電音があちこちから響いてくる。

 直後、ドン! ド、ドン! と、まるで打ち上げ花火のような炸裂音が辺りに響き渡った。

 どうやら敵が破壊されているらしい。瑛士はその物理法則を無視した意味不明な攻撃に唖然とした。なぜ光が無くなってしまったのか? その中で一体何が起こっているのか? 全く何も分からない世界に瑛士はブルっと身震いをして、自らの無力さにため息をついた。

 やがて、光が戻ってくる――――。

 まるで夜が明けたように、太陽の光がまた世界を照らし始めた。

「ふふーん、僕の勝ちだゾ!」

 シアンは瓦礫から顔を出すと満足げに胸を張る。

 瑛士もそっと顔を出してみた。見ればサイボストルたちもみんなひっくり返って、ピクピクと足を痙攣させたまま黒い煙を上げている。

 す、すごい……。

 あの大規模襲撃を謎なスマホの攻撃一発で乗り切ったシアンに、瑛士は感嘆の息を漏らした。倉庫で拾ったただの中古スマホが世界から光を奪い、敵を一掃したのだ。

 理屈は全く分からないが、この少女さえいてくれたらクォンタムタワーを倒すのは夢ではない。

 瑛士はシアンに駆け寄ると手を取り、興奮気味に言った。

「行こう! 風の塔へ! 僕らで悪を滅ぼすんだ」

「ふふっ、やる気になった?」

 シアンは茶目っ気のある笑顔を見せる。

「おう! 気持ちで負けちゃダメだよね。あいつを倒すぞ!」

 瑛士は廃ビルの上に頭をのぞかせる純白の塔をビシッと指さし、決意を込めてにらんだ。

「よーし、倒すぞ! おー!」

 雲一つない青空にむけてシアンは楽しそうに、白いすらっとした腕を突き上げた。

         ◇

 川崎目指して国道十五号線をひたすら南下する二人――――。

「ねぇ……、シアン?」

 ピョコピョコと瓦礫を避けて跳びながら、楽しそうに隣を歩くシアンに、瑛士は意を決して声をかける。

「んーー? お腹すいたの? はい」

 シアンはポケットから小さな黒い板みたいなものを出して瑛士に手渡し、自分も口にくわえた。

 瑛士はいぶかしげにその板を眺める。

「昆布だよ。美味しいよ」

 そう言うとシアンは歯を立てて昆布をかみちぎった。

「いや、そうじゃなくてさ……。僕もスマホで戦いたいんだ。どうしたらその『世界のこと』とやらを分かるようになるのかなって」

「ふふーん、知りたい?」

 シアンはいたずらっ子の笑みを浮かべ、碧い目をキラっと光らせる。

「そ、そりゃあ……。僕も強くなりたいんだよね……」

 瑛士はうつむきながら頬を赤らめて頑張って答えた。

「うーん、だったら深呼吸だな!」

 シアンはパチッとウインクして人差し指を振る。

 はぁ?

 瑛士は困惑した。深呼吸したらなぜスマホが兵器になるのか全く意味が分からない。しかし、シアンは自信を持ってニコニコと瑛士を見つめている。そこには、冗談でからかっているようなニュアンスは無く、それが瑛士を一層戸惑わせた。

13. 迷彩ノイズ

「は? 深呼吸……って、息をするって……こと?」

 瑛士は首をかしげながら聞いた。

「そうだよ? 人間はどうでもいい事ばかり考えているから本質が分かんないんだ」

 シアンは肩をすくめて首を振る。

「いや、でも……。大きく息をするだけで何が変わるの?」

「ほら、そういうところ。ダメーっ! 深呼吸が全てを解決してくれるよ。きゃははは!」

 シアンは楽しそうに笑うと、国道に崩れ落ちている廃ビルの瓦礫の上をピョンピョンと跳びながら登っていった。

 瑛士はどういうことか分からなかったが試しに深呼吸を繰り返してみる。だが、それだけで何かが変わりそうな感じは全くなく、キツネにつままれたように首をかしげた。

       ◇

「あちゃー。ヤバいヤバい!」

 シアンは慌てて瓦礫の山を駆け下りてくる。

 どうしたの?

 珍しく慌てているシアンを不思議そうに眺めていると、シアンはそのまま瑛士にタックルしてきた。

 うわぁ!

 地面に組み伏せられる瑛士。

 柔らかい肌を押し付けられて気が動転するエイジだったが、次の瞬間、耳をつんざく爆音とともに地面が激しく揺れ、身体が一瞬浮きあがった。

 おわぁっ!

 辺りは爆煙に覆われ、何も見えない。

「戦車がこっち狙ってたんだよ」

 シアンが耳元で説明する。

「せ、戦車!? なんでそんなものが?」

「サイボストルとかドローンじゃ効果ないって気づいちゃったんだろうね」

「はぁ……。機甲部隊をひっぱりだしちゃったってこと? 参ったなぁ……」

 ズン!

 再度、激しく地面が揺れ、隣の瓦礫の山が吹き飛んだ。

 ぐはぁ! きゃははは!

 バラバラと降り注ぐ破片に瑛士は頭を抱えながら耐える。

「笑ってる場合じゃないって! マズいよ、殺されちゃうよぉ」

 瑛士は泣きそうになりながら叫んだ。かつて自衛隊の主力であった10式戦車の戦車砲の破壊力はすさまじい。120ミリ滑腔砲は瓦礫の山など吹き飛ばしていく。

「でもここから戦車叩くのにはこのスマホじゃ無理なんだよね」

 シアンは中古のスマホを見ながら残念そうな顔をする。

「じゃあ逃げよう!」

「でも、この辺り、ドローンのカメラとかがあちこちで僕らを監視してるからなぁ……」

「下手に逃げようとしたらいい標的になっちゃうって事?」

 瑛士は青ざめる。

 戦車砲の射程は三キロメートル。ちょっとやそっと走ったくらいでは射程から逃げることはできない。

「うーん……」

 シアンが悩んでいると再度爆発が起こり、瓦礫が降り注いだ。

 うひゃぁ!

「仕方ない、こうしよう」

 シアンは跳び起きると、爆煙の漂う中、瑛士を引っ張りおこして瑛士にスマホを向けた。

 パシャー!

 すると、スマホからキラキラと煌めく光の微粒子が噴き出して瑛士の周りに取り巻いた。

「えっ? これは……何?」

「いいから、いいから。さぁ逃げるよぉ!」

 シアンは楽しそうに瑛士の腕を引っ張って駆け出していく。

「えっ? このまま出ていったら狙い撃ちされるって!」

 瑛士は焦ったが、シアンは気にせずに軽快に横の小径を駆けていった。

「大丈夫にしておいたから! きゃははは!」

 笑いながらピョンピョンと瓦礫を跳び越えていくシアン。

 瑛士は訳が分からなかったが、キラキラとした光の微粒子を身体の周囲にまといながらシアンの後を追いかけていった。

 後ろを見ると、自分たちの元いたところに攻撃が続いている。どうやらAIは二人が逃げたことに気がついていないようだった。

「あれ……? 逃げた事分かって……ないの?」

「くふふふ。AIはお馬鹿さんだからその迷彩ノイズを身にまとっていると瑛士のことが見えなくなるんだゾ」

 シアンはいたずらっ子の笑みを浮かべて、不思議なことを言いだした。

「は? AIはこのキラキラしたものの中は見えない?」

「見えないねぇ。くふふふ……」

「ホントに? そんなことってあるの?」

「だって実際気づいてないでしょ? お馬鹿さんだから。きゃははは!」

 シアンは楽しそうに駆けていった。

 AIの画像認識システムは特定のノイズに弱いというのは聞いたことがあった。人間にはノイズがあっても何かは見えるのだが、AIには特殊パターンのノイズがあるだけで認識が全くできなくなってしまうらしい。

 だが、その説明だと自分は見えなくなっているのかもしれないが、シアンは丸見えなのではないだろうか? 瑛士は首をかしげながらシアンの後を追った。

14. 深い海のような目

 大回りしながら川崎を目指す二人だったが、瓦礫を超えていくのは時間がかかる。やがて、どこまでも続く壮大な瓦礫の大地に太陽が沈んでいく。

 二人は適当な廃ビルを選んで今晩の宿にする。

 瑛士が焚火をおこしていると、昨日と同じようにシアンが缶詰を見つけて戻ってきた。

「うっしっしー。ほら見て! ジャーン!」

 シアンはドヤ顔で牛肉の大和煮の缶詰を見せびらかす。

「おぉっ! に、肉っ! やったぁ!」

 瑛士はガッツポーズをしながら宙を仰いだ。久しぶりの肉、それは辛いレジスタンス生活のオアシスだった。

「ヨーシ! じゃぁ食卓の準備をするぞー!」

 シアンはウキウキでテーブルの上を片付け、綺麗に拭きあげた。

 ズン!

 突如爆発音が鳴り響き、地震のように地面が揺れると壊れかけた天井からパラパラと破片が降り注いだ。

 おいおい……。

 瑛士は渋い顔をして窓の外をにらんだ。

「戦車が僕らを探してるのさ。お馬鹿さーん!」

 どうやら二人を見失ったAIが、可能性のありそうなところを戦車砲で吹き飛ばしているということらしい。

 ズン! ズーン!

 さらに続く砲撃が廃ビルを揺らす。どうやら戦車は何両も居るようだった。

「ねぇ……、ちょっとマズくない?」

 瑛士は不安そうな顔をしてシアンに聞く。戦車砲なんて撃ち込まれたらひとたまりもないのだ。

「大丈夫だよぉ。こんなところまで来ないって。それより早く食べよ!」

 シアンは気にすることなくパカッと牛肉の缶詰を開けた。

「おほぉ! うーまそう……」

 キラキラと碧眼をきらめかせるシアン。

 ズン! ズン! ズン!

 執拗な砲撃は続き、パラパラと破片が天井から降ってくる。

「こんな中で食べるの? 戦車はたおせないんだっけ?」

 心臓に悪い地響きの連続に、すっかり瑛士は元気を失ってシアンに聞いた。

「そのスマホじゃ無理だね。戦車は馬鹿みたいに硬いんだよ」

 シアンはテーブルに無造作に置かれたスマホをアゴで指すと肩をすくめる。

「こんな中で寝るのかぁ……」

 瑛士はがっくりと肩を落とす。

「こんなの寝たら気にならないって。それより肉食べないの? 全部もらっちゃうよ? くふふふ……」

 シアンは皿の上にゴロゴロと肉の塊を出すと、持ち上げて瑛士に見せながら、嬉しそうにペロリと唇をなめた。

「食べる、食べるけどさぁ……」

 と、その時だった。ひときわ強い地響きが廃ビルを襲った。

 テーブルがガタガタと揺れ、天井のパネルが外れて落ちてくる。

 うわっ! きゃぁっ!

 パネルは肉の皿を直撃し、肉は皿ごと床に落ちてバラバラと土ぼこりの上を転がった。

「に、肉が……」「あわわわわ……」

 シアンは真っ青になってブルブルと身体を震わせる。

 今日のメインディッシュが床に転がっている。それはあってはならないことだった。

「に、に、に……肉ぅ……」

 シアンの綺麗な碧眼の瞳孔は大きく開かれ、伸ばした手が行き場なくただ震えている。

 そのあまりのショック状態に瑛士は心配になった。

「だ、大丈夫……? 肉はまた見つければい……」

 シアンがバン! とテーブルを激しく叩き、瑛士は息を呑む。

 ガタっと立ち上がると、シアンは碧眼の奥に怒りの炎を燃え上がらせながら階段の方へ歩き出す。

 その今まで見たことのないような怒ったシアンに瑛士はかける言葉も見つからない。

「ちょっとトイレ……」

 シアンは尋常じゃない様子でタッタッタと階段を上っていった。

「え? トイレはこの階にもある……よ?」

 瑛士は声をかけたが返事はない。なぜ上の階に行ったのかよく分からず、瑛士は首を傾げた。

 女の子には男には言えない秘密があるのかもしれない。ふぅとため息をつくと、瑛士は桃の缶詰を開け、その甘くジューシーな果実にかぶりついた。

 と、その時、窓の向こうで激しい閃光が煌めく。そのあまりに激しい光に瑛士は腕で顔を覆った。

 うわっ! なんなんだよぉ!

 恐る恐る目を開けると、戦車のいたあたりに天を焦がす轟炎が上がっている。

 へっ!?

 直後、激しい衝撃波が廃ビルを襲う。

 うわぁぁぁ!

 天井パネルが次々と降り注ぎ、瑛士は逃げ惑った。

 な、なんだってんだよ!

 窓のむこうにはいくつも巨大な灼熱のキノコ雲が上がり、パンパンとさらに小さな爆発が周辺で起こっていた。

 戦車砲であんな大爆発は起こせない。となると、戦車以外の爆撃が炸裂したとしか考えられないが、一体何が起こったのだろうか?

 瑛士は真っ青になってその地獄のような光景に見入っていた。

「あー、すっきりした!」

 カツカツと軽快な足取りでシアンが階段を下りてくる。

「い、今の爆発大丈夫だった?」

 瑛士は慌てて声をかける。

「全ぜーん大丈夫! ザマァ見ろって感じだよね。きゃははは!」

 シアンは嬉しそうに笑った。

「ザマァ見ろって……、戦車がやられたって事? 一体誰が?」

「さぁね? でもこれで今晩はゆっくり眠れそう。くふふふ……」

 シアンの口元に浮かんだのは、邪悪な笑み。その碧い瞳には、何かを成し遂げた達成感の輝きが見て取れた。

「もしかして……、何か……やった?」

 瑛士は疑いの目でシアンを見る。戦車を吹き飛ばせるほどの攻撃力をもう日本の人たちは持っていない。それを実現できる人はもうシアンしかいないのだ。

「えっ? 何にもヤッテマセーン!」

 シアンはキョトンとした顔で腕でバッテンを作って見せる。

 瑛士はシアンの深い海のような目を鋭くにらんだ。絶対何かやったに違いないのだ。

 しかし、シアンはその視線を楽しそうに受け止め、上目遣いで瑛士を見つめ返すと、いたずらっぽく舌をペロリと出して、ゆっくりと唇をなめた。

15. 飛び方のコツ

 その晩、瑛士はなかなか寝付けなかった。

 会議室にいすを並べ、その上にごろりと横になって薄暗い天井をじっとにらみながらシアンのことを考えていた。そもそもスマホで攻撃ができるのも謎だったが、戦車たちを一瞬で吹き飛ばした圧倒的な破壊力はもはや異次元のレベルで、言葉にできない。

 ふぅと大きくため息をつくと、近くでスカースカーと幸せそうな寝息を立てて爆睡しているシアンをじっと見つめた。

 月明かりの中、白く透き通った美しい肌、綺麗にカールする長いまつげ、そしてぷっくりとしたまるで果物のような唇。こんな美しい少女が恐るべき謎の力を発揮している。しかし、彼女が一体どこから来て、なぜ自分についてきてくれるのかは、よく分からない。ただ一つ彼女から語られることは『壊すのだぁい好き』という破壊衝動だけ。

 瑛士は思わず首を振って顔を両手で覆った。

 レジスタンス活動はもはや風前の灯火、今は彼女の気まぐれに期待するしかない状況にまで追い込まれている。

 ギリギリのがけっぷちに現れた天使のようなシアン、それはまるで奇跡のように思えた。どんなに謎でも今は彼女の力に頼る以外ない。明日、風の塔まで行って憎きクォンタムタワーを打ち倒すのだ。人間を支配する象徴であるあの巨塔を打ち倒せばまた新たな世界が開けるに違いない。

 だが、いつまでも彼女の善意に頼り続けるわけにもいかなかった。何とかして自分もスマホで敵を倒せるようになっておきたい。シアンは深呼吸をするだけで使えるようになると言っていたがあれは一体どういうことなのだろうか?

 瑛士はもう一度深呼吸をやってみようと思いつく。

 すぅー……ふぅーー……。
 すぅー……ふぅーー……。

 薄暗い天井を見ながらゆっくりと深呼吸を繰り返す瑛士。

 しかし、いくらやっても何も変わらない。

 それはそうだ。呼吸法を変えたぐらいでは何も変わる訳がないのだ。

 諦めたその時だった――――。

 すぅっと急に落ちていく感覚に襲われた。

 えっ……?

 瑛士はポワポワとした気分になり、感覚が異常に鋭敏になっていることに気づいた。見えないはずのシアンの可愛い寝顔も外を歩く猫のしぐさもなぜかわかってしまう。

 こ、これは……?

 気がつくと身体がフワフワと宙に浮いている。

 え……?

 身体はそのまま天井を突き抜け、月夜の空へと浮き上がった。

 何が起こったのかと、瑛士はあたふたと周囲を見渡す。足元には月夜に照らされた瓦礫だらけの死の大地が広がり、その向こうの東京湾には巨大なクォンタムタワーが輝いていた。

 おぉぉぉぉ……。

 その巨大な塔は、闇を切り裂くような青白い光を放ち、全人類にその圧倒的な存在感を示していた。まるで天空から地上を見下ろす神々のように、その姿は威厳に満ち、人々に畏敬の念を呼び起こさせている。

 瑛士にとってこの塔は最愛の両親を奪った邪悪な力の象徴でもあった。彼の心の中で、この塔への憎しみは日々増すばかりだったが、同時に何もできない無力な自分を呪わざるを得ない忌々しい存在なのだ。

 だが、なぜか今、瑛士の目には巨塔はショボいただの建物に映る。それこそ本気を出せば簡単に打ち倒せるような気すらしてくるのだった。

 なるほど、シアンがひねり出してる力もこれと同じ原理に違いない。

 ぶっ倒してやるよ!

 瑛士はタワーに向かって飛ぼうとした……が、どうにも思い通りに飛んでくれない。

 そ、そっちじゃないって!

 まるで風に流されるように関係ない方向へとフワフワと飛んで行ってしまう。

 そうじゃなくって、こっちだよ!

 瑛士は思いっきり身体をひねった。

 その瞬間、ふわっと体が浮いた感触があり、直後、激しい衝撃が体を襲った。

 ぐはぁ!

 気がつくと瑛士は床に転がっていた。

 え……、あれ……?

 瑛士はゆっくりと身体を起こした。そこは寝ていた会議室で、すでに外は明るくなっている。どうやら寝ぼけて椅子から落ちてしまったようだった。

「何落ちてんの? きゃははは!」

 とっくに起きて缶詰を食べていたシアンは瑛士を指さして笑った。

 ゆ、夢だったか……。

 瑛士は頭をボリボリと掻いて深いため息をついた。

「タワー倒すんでしょ? 早く食べて!」

 シアンはそう言いながら焚火で沸かしたお茶を瑛士のカップに注いだ。

「そ、そうだね。ありがとう」

 瑛士はカップを受け取ってお茶をすすった。

「着替えてくるから見ちゃダメよ?」

 シアンは上目づかいで碧い瞳を輝かせ、席を立つ。

 瑛士は軽くうなずいた。

 去り際、シアンはいたずらっ子の笑みを浮かべながら耳元でささやく。

「飛び方にはコツがあるんだよ」

 へ……?

 寝ぼけまなこの瑛士は何を言われたのかすぐに理解できず、ポカンとして、軽快な足取りでドアの向こうに去り行くシアンをボーっと見つめていた。

16. 夢と現実の境界

 朝食を食べ終わると、二人は一路川崎を目指した。

「行っくよ~♪ 行っくよ~♪ 倒しに行っくよ~♪」

 シアンは拾った長い棒を振り回し、瓦礫をカンカン叩きながら調子っぱずれな歌を歌い、楽しそうに歩いていく。

 瑛士は物思いにふけりながらそんなシアンの後をついていった。

 一帯を覆う瓦礫の山に朝日が差し込み、まるで壊れた世界の美術館のように見える。陰影は現代アートを思わせ、周囲の静寂は心に沁みる。時折カラスの悲痛な鳴き声だけが、この荒れ果てた世界に生命の証を唱えていた。

 昨日あんなにしつこかったAIからの攻撃は全く無く、それはきっと戦車を吹き飛ばしたからに違いないが、シアンがどうやったのかまでは全く分からない。あの時、スマホはテーブルに置きっぱなしだったのだ。

 それに今朝、シアンがささやいた言葉が心に引っ掛かっている。彼女は夢の内容を知っているようなことを言ったのだ。他人の夢を覗ける……、そんなことってあるのだろうか? シアンの言葉は、夢と現実の境界を揺るがせる。

 シアンは『知るは力』と言った。この世界のことを知ればスマホで敵を叩けるし、もしかしたら夢も覗けるのかもしれない。

 それに……、朝からあの夢のリアルな手触りが何かをささやいている。そのささやきはこの世界の裂け目から届くかのように感じ、それはまるでこの世界の真実のパズルの一ピースを見つけたような手ごたえだった。あの先はシアンの世界とつながっている……、そう考えるとつじつまが合いそうな気がしてくる。

 何度かシアンから話を聞き出そうとしたが、何を聞いても上手くはぐらかされてしまっていた。自分で気づけということなのだろう。

 しかし、深呼吸したらこの世界のことが分かるなんて実に荒唐無稽な話をどう整理したらいいのだろうか? 楽しそうに前を歩くシアンの後ろ姿を見ながら瑛士は頭を悩ませる。

 そうこうしているうちに巨大な塀が見えてきた。多摩川の東京側には鋼鉄製の巨大な塀が設置され、川崎との行き来を断絶している。

 塀のそばまでやってくると瑛士はその巨大な塀を見上げた。レジスタンス活動をしていた時は誰かが縄梯子なわばしごをかけてそれを超えていたが、今はそんなのは持っていない。

「さて、ぶち破りますか!」

 シアンは嬉しそうに棒でカンカンと分厚い鋼鉄の塀を叩いた。

「えっ!? そんな棒で破れるの?」

「まぁ、見てて!」

 シアンは木の棒を槍で突く時のように持つと、そのままゆっくりと鋼板に突き立てた。

 ふぅ……、はぁぁぁぁ!

 シアンが気合を込めるとシアンの身体がブワッと黄金色の光を纏い始めた。

 ぬぉぉぉぉ!

 さらに気合を込めていくと木の棒の先が輝きを放ち始め、徐々に鋼板にめり込んでいく。

 う、嘘……。

 なぜ木の棒が鉄に刺さるのか? 瑛士はキツネにつままれたようにその不可思議な棒の動きに目を奪われる。

 うぉぉりゃぁぁぁ!

 シアンは青い目をギラリと光らせるとギリッと奥歯を鳴らし、鋼鉄フェンスにめり込んだ棒を今度は上の方に持ち上げる。

 徐々に上の方へと動いていく木の棒。

 穴は広がり、向こうの景色が覗いている。理屈は分からないが確かにこれなら向こうへ行けそうである。

「おぉっ! すごい!」

 瑛士はその手品みたいな奇跡にワクワクが止まらなくなった。いよいよ川崎に行ける。その先は風の塔だ。

 だが、次の瞬間――――。

 バキッ!

 派手な音を立てて木の棒が真っ二つに折れ、破片がパラパラと飛び散っていった。

「おわぁ! 」「ありゃりゃ……」

 やはりその辺で拾った棒では駄目だったようだ。きっと古いホウキの柄などで、耐久性はもうなかったのだろう。

「慣れないことはしちゃダメだなー」

 シアンは口をとがらせるとスマホを取り出し、つまらなそうに塀に向け、無造作にシャッターを切った。

 パシャー!

 すると、鋼板が円形に徐々に赤く輝き始める。それはまるで赤ペンキで大きな日の丸を描いたようにすら見えた。

「えっ!? こ、これは……?」

 そのいきなりの展開に瑛士は焦って後ずさる。

「ほらっ、逃げるよ! きゃははは!」

 シアンは楽しそうに笑いながら瑛士のうでを握って駆け出した。

 直後、鋼板は激しい閃光を放ちながら大爆発を起こす。ズン! という衝撃で地面は揺れ動き、溶けた鋼鉄の液体があたりに降り注いだ。

「うひぃ!」「きゃははは!」

 鮮やかに輝く小さな飛沫が瑛士にも襲いかかり、服にあちこち穴を開け、焦がしていく。そのめちゃくちゃなやり方に瑛士は泣きべそをかきながら頭を抱え、必死に駆けた。

17. AI最高

「うわっち! 熱っちっちー!」

 瑛士は溶鉄舞い散る灼熱地獄から必死に逃げ惑う。

「ほら、避けて避けて! きゃははは!」

 なぜかシアンは被弾せずに駆けながら楽しそうに笑った。

 何とか安全なところまで来た瑛士は、はぁはぁと肩で息をしながらシアンをギロリとにらむ。

「危ないことやるなら事前に言ってよ!」

「ゴメンゴメン、瑛士のこと忘れてた」

 シアンは申し訳なさそうに頭をかくと、ペロッと舌を出した。

「わ、忘れてたって……もぅ!」

 瑛士は怒り心頭だったが、シアンの言葉の意味が分かると一気に心が冷えてしまった。要はシアン一人なら何の危険もないってことなのだろう。自分が足手まといでしかないというふがいなさに瑛士はがっくりと肩を落とした。

「おい! なんだこれは!」「危険じゃないのか!?」「どうすんだこれ?」

 塀に開いた丸い大穴の向こうからざわざわと人の声がする。

 瑛士はシアンと顔を見合わせ、そっと様子を伺いに穴の方に近づいて行った。

         ◇

 穴の向こうを覗くと、雑草が生い茂る先に大師橋の巨大な真っ白い塔がそびえ、何本もの太いケーブルが橋を支えていた。そして、その橋の真ん中あたりに数十人の自警団らしき人達がいる。みんな青い防刃ベストとベレー帽姿で、電磁警棒を持ちながらこちらをうかがっていた。

 あらかじめ来ることが分かっていたような節があり、AIの指示をうかがわせる。どうやら歓迎されていないようだ。

 リーダーらしきアラサーの男性を先頭にぞろぞろと彼らはやってくる。

「我々は自警団だ。レジスタンスを川崎に受け入れるわけにはいかない。お引き取り願おう!」

 威圧的な声が多摩川に響く。

「いや、川崎に行きたいんじゃないんです。クォンタムタワーを倒しに風の塔に行きたいだけなんです」

 瑛士は困惑した顔で訴える。東京湾アクアラインに行くには川崎を通る以外ない。ここで引き返すわけにはいかなかった。

「クォンタムタワーを……倒す?」

 あまりに荒唐無稽な話にリーダーは首を傾げ、中年オヤジたちはゲラゲラと下品な嗤いを浴びせてくる。

「タワーが倒れるわけがない! こんな危険分子排除すべきです!」

 リーダーの傍らに立つ若い女性が興奮しながら瑛士を指さし、ひときわ高い声で叫んだ。

「いやいやいや、さっきこの塀を吹っ飛ばしたの見たでしょ? 僕らにはその力があります」

 瑛士は溶けて穴の開いた鋼鉄塀を指さした。

「なるほどAI政府ドミニオンが手を焼いている理由はその辺りにありそうだな……。しかし、『はいそうですか』と、ここで通してしまったら我々がAI政府ドミニオンにペナルティを課されてしまうんだよ」

 リーダーは肩をすくめて首を振る。

AI政府ドミニオンは僕らが倒します! だからペナルティにはなりません!」

 瑛士は力説する。そもそも市民のみんなの自由のために戦っているのだ。足止めされる理由がない。

「あのさぁ、AI倒されたら僕ら困るんだけど?」

 後ろの自警団メンバーの中年男が不満をぶつけてくる。

「こ、困るって……、人類が自由を勝ち取ることは僕らの悲願じゃないですか!」

 あまりにも予想外の反応に瑛士はたじろいだ。

「はぁ~ぁ。お前は子供だから分かんないかもしれんけど、AI政府ドミニオンができる前は仕事しなきゃ食っていけなかったんだよ? わかる? 朝から晩まで嫌な上司にこき使われて、ミスったら怒鳴られて頭下げて……冗談じゃないよ。AI最高じゃないか!」

「そうだそうだ! 理想論ばっかり言うんじゃねーよ!」「子供はすっこんでろ!」

 ヤジの大合唱に瑛士は圧倒されてしまう。

「えぇっ……ちょっと……えぇっ?」

 後ずさる瑛士をシアンは支えると、美しい顔を歪めながらつまらなそうにスマホカメラを構えた。

「あー、面倒くさっ。みんなぶっ殺しちゃうよ」

 自警団に向けたスマホがヴゥンと不気味な電子音を放ち、黄金色の光を帯びていく。

「ま、待って! 人を殺すなんてダメだよ」

 瑛士は慌てて手でスマホをさえぎった。

「ほぅ、スマホで俺たちを殺すって? こりゃ面白れぇ!」「やってみろゴラァ!」「ぎゃははは!」

 中年オヤジたちのゲラゲラと下卑た笑いが響いた。

 このスマホが世界最強の兵器なのだが、そんなことどう説明しても理解されない。

 好戦的なシアンと中年オヤジたちの間に挟まれ、瑛士は胃がキリキリと痛んだ。

18. アバターオヤジ

 瑛士はギリッと奥歯をきしませると声を張り上げた。

「いいですか? AIに支配されるってことは動物園の動物になったってことですよ? 全ての自由を奪われ、餌だけ与えられる。そんな生き方でいいんですか!?」

「はっ! AIが来る前は俺たちゃ社畜だった。強制労働の歯車だったんだよ! 寝てても餌が出るようになっただけマシになったんだ!」「そうだそうだ!」「理想じゃ飯は食えねぇんだよ!」

 男たちは吐き捨てるように喚く。

 瑛士は言葉を失った。動物園の動物でも以前よりマシだという男たちの想定外の言葉に返す言葉が見つからなかったのだ。

 瑛士はAI以前の社会のことを知らない。だが、就活の過酷さやブラック企業のエピソードは聞いたことがあった。会社に入るために何度も人格を否定されたり、やっと入っても朝から晩までこき使われてうつ病で動けなくなることがあったらしい。それを考えたら確かに今の働かなくても生きていける状態は理想なのかもしれないが……。

 だが……。

 瑛士はうつむき、グルグルと頭を渦巻く言語化できない違和感を必死に追った。

 衣食住が無償で提供されれば人間は尊厳を捨ててもいいのだろうか?

 働かなくても暮らしていける、ただそれだけのために行きたいところへも行けず、知りたいことも知れず、ただ、産まれた場所で何も知らずに死んでいく人生でいいのだろうか? それが人間と言えるのだろうか?

「お子ちゃまは東京に帰りな!」「お前らには廃墟がお似合いだ!」「ガハハハ、ちげぇねぇ!」

 中年オヤジたちが勝ち誇ったように煽ってくる。

 カ・エ・レ! カ・エ・レ! カ・エ・レ!

 残りの自警団たちも中年オヤジに合わせて帰れコールをかけてくる。

 自分たちが命懸けで守ろうとしてきたはずの市民に拒否される。それは瑛士にとって自分の人生を否定されるような許しがたい事態だった。

 瑛士はキッと眼光鋭くオヤジたちをにらむと叫んだ。

「あなたたちは子供に『動物園の動物が最高だから動物として暮らせ』って言うんですか? 『お前たちはどうせ社畜でこき使われるんだから動物の方がマシだ』って育てるんですか? 違うでしょ!?」

 その迫力に自警団たちは静まり返る。

 嗤っていた中年オヤジたちは瑛士の血の叫びに返す言葉を失い、血走った目でにらむ。無限の可能性のある子どもの芽を摘む言説の旗色が悪いことは明らかだった。

 顔を真っ赤にした中年オヤジたちは、罵声を浴びせながら瑛士たちめがけて駆け出す。

「うるせーんだよ!」「理想論じゃ飯は食えねぇんだ!」「クソガキが!」

 正論の通らない世の中にイラつく思いを拳に込め、瑛士に狙いを定めたのだった。

「はいチーズ!」

 そんな様子をニコニコと楽しそうに見ていたシアンは、嬉しそうにスマホカメラのシャッターを切る。

 パシャー!

 シャッター音と共に青いレーザー光線が次々とカメラから射出され、中年オヤジたちの額に不思議な模様を描いていった。

「ぐっ……」「ごほっ……」「がっ……」

 レーザーを浴びた中年オヤジたちの脚が止まり、その場にボーっと立ち尽くす。

「えっ!? こ、これは……?」

 慌てて逃げようとしていた瑛士はその光景に呆然とした。あんなに怒りに燃えていた男たちはまるで魂を抜かれてしまったように、焦点の合わない目をしてぽかんと口を開けている。

 すると、シアンのスマホから蚊の鳴くような声が聞こえてきた。

「ぐわぁ!」「な、なんだこれはぁ!」「だ、出せー!!」

 不思議に思ってスマホをのぞきこんで瑛士は息を飲んだ。そこには中年オヤジたちのミニチュアのアバターがうごめいて、スマホ画面を内側から叩きながら喚いていたのだ。

「こうやってスマホに入れちゃえばかわいいのにね。きゃははは!」

 シアンは嬉しそうに笑うが、瑛士にはとても笑えるような話には見えなかった。

 スクリーンに閉じ込められた中年の男たちの目は恐怖に満ち、デジタルの牢獄から逃れようともがいている。その姿は滑稽を通り越して、見る者の背筋を凍らせるような恐ろしさを秘めていた。

「ダメだよ! 出してあげてよ!」

 瑛士はシアンの腕をギュッと握った。どんなに嫌な奴でも人権を蹂躙するようなことがあればそれはAIと同じになってしまう。

「コイツら攻撃してきたんだよ? 自業自得じゃないの?」

 シアンはムッとしながら瑛士をにらんだ。

「それでも帰してあげて!」

 スマホの中でアバターたちは手を合わせて涙を流している。

 シアンはため息をつくと、口をとがらせながらスマホを思いっきりブンと振り回した。

 すると、ぼーっとして動かなくなっていた男たちの身体が急に生き生きと動き出す。

「おおぉぉ!」「も、戻った!」「な、何なんだよコイツらはぁ!」

 中年オヤジたちは生還の喜びもそこそこに、慌てて泣きそうな顔で逃げ出していった。

 自警団の人たちは何が起こったのかよく分からず、逃げていく男たちを目で追い、お互い顔を見合わせながら首をかしげる。

 スマホカメラで魂を吸い取ってスマホに閉じ込める。それはもはやファンタジーのおとぎ話のような事態であり、瑛士はそれをどう理解したらいいか困惑した。ある種の催眠術なのかもしれないが、その機序は到底現代科学では解明できそうにない。

「瑛士もスマホに入る? キミのアバターならもっと可愛くなりそう。くふふふ……」

 ドヤ顔のシアンは楽しそうに戸惑っている瑛士を見つめる。

 瑛士は深くため息をつき、目をつぶって首を振った。

19. 飼われた象

 リーダーが何やら手を複雑に動かしながら近づいてきた。

「ここで議論しても仕方ない。我々にはAI政府ドミニオンの指示に従う以外ないんだ。君たちには君たちの計画があるのだろうが、それに我々を巻き込まないで欲しい」

 誠実そうなリーダーは、にこやかに笑顔を浮かべながらジッと瑛士を見つめる。

「な、何言ってんですか! AI政府ドミニオンならこれからぶっ潰すって言ってるじゃな……」

 瑛士が必死に叫んでいると、シアンが瑛士の手を強く引いた。

「瑛士、撤退するゾ!」

 シアンは楽しそうに大きな声を張り上げる。

「ちょ、ちょっと待ってよ! クォンタムタワーを倒すんだろ?」

 瑛士は手を引かれながらシアンに食って掛かる。

 リーダーはシアンと目を合わせ、お互いにこやかに微笑むとうなずいた。

「理解に感謝する。よし! 自警団も撤収するぞ!」

 自警団メンバーは一様にホッとしたため息をつくと、ざわざわとそれぞれの想いを近くの者と話しながら引き上げていく。

 シアンも振り返ることなく瓦礫の荒れ地へと瑛士を引っ張っていった。

「えっ!? ちょ、ちょっとシアン! 諦めちゃダメだよ。説得しなきゃ!」

 瑛士は淡々と来た道を戻っていくシアンに向かって叫ぶ。すると、シアンは振り返ってニコッと笑い、瑛士の耳元でささやいた。

「説得は成功! 瑛士の演説が効いたんだゾ」

 シアンはチュッと軽く瑛士のほっぺたにキスをすると、嬉しそうにパチッとウインクをした。

「え……? 成功だって? どこが……?」

 瑛士はキツネにつままれたような表情で、ポカンとしながらシアンのキスの跡をそっとなでた。

        ◇

 三時間後、二人はまた大師橋のところへ戻ってきた――――。

「あのリーダーは手話で『三時間後に橋の下に来い』って言ってたんだよね?」

 瑛士はフェンスの穴のところまで来ると、穴をふさいでるベニヤ板を半信半疑で押してみる。すると、下の方は固定されておらず、簡単に通り抜けられそうだった。

「ほら、ウェルカムって感じじゃない?」

 シアンはドヤ顔で瑛士の背中をパンパンと叩く。

「まぁ、リーダーにも事情はあるんだろうね……」

 瑛士はベニヤを押して辺りをうかがうと、そっと抜け出して多摩川の土手を降り、橋の下へと駆けていった。

        ◇

「やぁ、君たち、すまなかったね」

 橋の下ではリーダーと若い女性が待っていた。リーダーは手を上げてにこやかだったが、女性は警戒感を隠しもせず、険しい目で二人をにらんでいる。

「立場上仕方ないのは理解しています。それで……アクアラインへは行かせてもらえますか?」

 完全には歓迎されていない状況に、瑛士は恐る恐る切り出した。

 すると隣の女性が食って掛かってくる。青いベレー帽をオシャレに斜めにかぶり、少し日に焼けた張りのある健康的な肌に若さあふれる勢いの良さを感じる。

「塔を倒すだなんて夢物語もいい加減にしなさいよ。あれ、太さは三百メートルもあるのよ? 厳重な警備もあるし、たった二人でどういうつもりなの?」

「副長! そういうのは止めなさい!」

 リーダーは慌てて副長を諫めるが、シアンは嬉しそうに話し始めた。

「子象にね、鎖付きの足環をつけて育てるんだよ。そうすると、大人になって鎖を壊せるようになっても逃げだそうとしなくなるのよ。なぜだかわかる?」

「えっ……? いきなり何を聞いてくるのよ!」

「いいから、なぜ?」

 シアンは碧い瞳をキラリと輝かせながら、楽しそうに副長の顔をのぞきこむ。

「し、知らないわよ!」

 副長は訳の分からない質問にうろたえながら目をそらし、叫んだ。

「子供の頃に必死に逃げ出そうとして無理だった経験を、いやというほど叩き込まれちゃったからなんだよね。もう逃げられるようになっても試しもしないんだ」

「……。何が……言いたいの?」

 副長はムッとした表情でシアンをにらみつけた。

「AIには勝てないって叩き込まれちゃった人は、勝てるようになっても勝ちに行かないんだよね、きゃははは!」

 シアンは副長を挑発するように楽しそうに笑った。

 副長はギリッと奥歯をかみしめ、すさまじい表情でシアンをにらみつける。

「あんた達武器も何も持ってないじゃない! そんなんで塔倒すなんて何の説得力もないわ!」

「武器ならあるよ、ほら」

 シアンは中古のスマホを見せつけ、楽しそうに揺らした。

「いい加減にしなさいよ! 一体どこの世界にスマホで塔を倒すバカがいるのよ!」

「はぁ~あ。だから君は『飼われた象』なんだよ」

 シアンは肩をすくめ、これ見よがしにため息をついた。

 副長はピクッピクッと頬を痙攣けいれんさせ、ものすごい形相でシアンをにらむ。

「本当に塔を倒せるのね? だったら証明しなさいよ!」

 副長はシアンをビシッと指さすと、頭から湯気を立てながら怒鳴った。

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