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異世界最速の英雄 ~転生5秒で魔王を撃破した最強幼女の冒険物語~ 30~39

30. 違う、僕じゃない

 えっ!? まさか……。

 二人に緊張が走る。

 ムーシュを呼んだのも正体を暴くためだったのだろうか? 蒼はゲルフリックに意識の照準を合わせ、罠があるのではないかとあちこちキョロキョロと見まわす。攻撃してくるようなことがあるなら殺す以外ないのだ。

 ゲルフリックは得意げに話し始める。

「Sランク冒険者さ。王国に十数年ぶりに誕生したブラウンの髪をした小娘……。コイツが今、次々と王国に忍ばせたわが軍の工作員を殺している。【蒼き死神】はコイツに違いない」

「えっ? そ、そのSランク冒険者というのは……」

 ムーシュの鼓動が早鐘のように鳴り響き、蒼はそれを感じながらかすかに震える手でムーシュの腕をつかんだ。

「トールハンマーが炸裂した周辺の田舎に暮らしていたあか抜けない田舎娘。名は『ムース』というらしい」

 ん……?

 蒼は首をひねった。どうもゲルフリックは勘違いをしている?

「『ムーシュ』です!」

 田舎娘だの、名前を間違うだの、散々な言われようにムーシュはついカッとなる。

 蒼はムーシュのバカっぷりに慌ててムーシュの脇腹をつねった。

 顔を歪ませるムーシュに、ゲルフリックはバカにしたように言う。

「バカか? お前の名前じゃない。Sランク冒険者の名前が『ムース』なの! 落ちこぼれのお前がSランク冒険者な訳がねーだろ!」

「そ、そうでした……」

 ムーシュはつねられたところをさすりながら頭を下げる。

 やはり情報が間違って伝わっているらしい。Sランク冒険者が【蒼き死神】だという推測は当たらずとも遠からずだったが、それをムーシュだとは見破られていなかった。

「それでお前を呼び出したのは他でもない、お前、このムースを見なかったか?」

「『見なかったか?』って、私はムーシュですよ?」

 頓珍漢トンチンカンな答えをするムーシュに、蒼は頭にきてまたわき腹をつねる。

『バカ! 【ブラウン髪の娘がルシファーを倒したのを見た】って言うんだよ!』

「バカ! お前のことは聞いてねーよ!」

 ゲルフリックもハモった。

 二人にバカ呼ばわりされて一瞬しょぼくれたムーシュだったが、何かを閃いてポンと手を叩いた。

「そうそう! 居ましたよ居ました! ブラウンの髪の美しい乙女がバッサバッサとルシファー様たちをあっという間になぎ倒していったんです!」

「美しい……?」

 ゲルフリックはけげんそうにくびを傾げる。

「それで、私が『やめてくださいぃ』ってみんなをかばったんです」

「お前が……?」

「そうしたら、『お前、いい度胸だな。その度胸に免じてお前だけは生かしておいてやろう。魔王城のアホどもにがこの世界を統一するのだと伝えておけ! ハッハッハ』って笑ってました」

「嘘くせぇな……。お前のことだ『奴隷になりますから命ばかりはお助けをぉぉぉ』って泣いて土下座したんじゃねーの?」

 ついクスッと笑ってしまう蒼。

 ムーシュは真っ赤になって口を尖らせた。

「まあいい。ブラウンの髪の女が【蒼き死神】なのは間違いなさそうだな」

 ゲルフリックは満足げにうなずいた。

 本物を目の前にして偽情報に踊らされるなど、やはり魔王の器には足りないようである。

『コイツが魔王で良かった……』

 蒼はホッと胸をなでおろした。

「用が終わったならムーシュは帰りますよ」

 ムーシュは仏頂面ぶっちょうづらでくるりときびすを返す。

「待て待て待て! これからが本題だ」

 ゲルフリックは咳ばらいをしながらムーシュに向けて手を伸ばした。

「まだ何か……?」

 ムーシュはけげんそうに振り返る。

 ゲルフリックはムーシュの豊満な胸を見つめながら、「いや、そのー。なんだ」と言いよどむ。

 ムーシュはさりげなく蒼の抱き方を変えて胸が見えないようにする。

「なんですか? 早く言ってください」

「今、【蒼き死神】と暴れ龍の対応で忙しいが、落ち着いたら……そのぉ……」

 目を泳がせるゲルフリック。

「落ち着いたら?」

「お前、俺の側室になれ」

 ゲルフリックは顔を赤らめながらムーシュを見つめた。

「は、はぁ!? な、なんで私が!?」

「な、何でだっていいだろ! ぺーぺーのお前が魔王の側室なんて大出世じゃないか! 何が不満なんだ?」

「胸ね……。あなたこの胸を揉みたいだけなんだわ」

 ムーシュはゲルフリックをギロッとにらんだ。

「な、何を言うんだ! ともかく、これは魔王命令だ! 魔王の命令を拒否したら死刑だからな!」

 ゲルフリックはバン! とこぶしで机を叩きつけるとムーシュを指さし、叫んだ。

 ムーシュは驚きのあまり息をのみ、後ずさる。女になることを拒んだだけで殺される、そんな理不尽は魔界でもそうはない。

「し、死刑!? ほ、本気なの……?」

「お前だけじゃない、お前の親族、全員死刑にしてやろう! どうだ? それでもまだ拒むか? くっくっく……」

 ゲルフリックの目は闇に燃え、嗜虐しぎゃく的な笑みをゆっくりとその顔に広げた。彼の舌がゆっくりと唇を這い、その動きは、獲物を前にした肉食獣のように欲望が滲み出ていた。

「くぅぅぅ……。卑怯者!」

 ムーシュは涙を浮かべ、声を震わせながらののしった。

「クハハハ。卑怯者の頂点がこの魔王だからな! 誉め言葉だよ! はは……」

 その時、ゲルフリックの身体がいきなり紫色の光に包まれる。

「えっ!?」

 それはゾッとするほどに熟知している、【即死】​の光。ゲルフリックは力尽きるようにガックリと魔王の重厚な椅子に身を沈め、静かに消失していく。

『ぬ、主様! ありがとうございますぅ』

 ムーシュはキュッと蒼を抱きしめた。

『ち、違う僕じゃない……』

 え……?

 ムーシュは慌てて蒼を見たが、蒼は唇を震わせながら顔が青白く凍りつき、転がり落ちる魔石をただ茫然ぼうぜんと見つめていた。

31. 覚悟の【即死】

「じゃ、誰が……?」

 その時、いきなりドアが開き、バタバタと親衛隊の男たちが乱入してきた。

「ああっ! 魔王様……」「や、やられてしまった……」「おい、解析班急げ!」

 親衛隊の男たちはムーシュたちのことを気にも留めず、魔石や、周囲に設置してあった魔道具の調査を始めた。

「北北東およそ二百キロです!」「まさか赫焔王かくえんおう?」「多分そうではないかと……」「くぅ……、マズい……」

 聞き耳を立てていると、どうやらゲルフリックを殺した【即死】スキルは暴れ龍赫焔王かくえんおうが放ったものらしい。

『まさか僕以外にも【即死】スキル持ちがいたなんて……』

 蒼は冷汗を垂らした。【即死】スキルの恐ろしさは蒼が一番よく知っている。今この瞬間にも『地上の者全員Deathデス』と唱えられて滅亡させられてもおかしくないのだ。

『ど、どうしよう、パパが……』

 ムーシュは涙目になって蒼を見つめる。

 赫焔王かくえんおうが【即死】スキル持ちであれば、誰も暴れ龍を止められない。ムーシュの父親含め全員殺されるだろう。

 蒼は何も言えず、うつむくしかなかった。

 うぇぇぇん……。

 ムーシュは軽く手を顔に押し当て、その瞳からは静かに涙がぽつりぽつりとこぼれ落ちていった。

『だ、大丈夫、何とかなるって。とりあえず情報を集めよう。赫焔王かくえんおうの場所と状態、パパの配属先とか……』

 蒼はムーシュの背中をさすりながら元気づけるように言う。

 ムーシュは涙をぬぐいながらうなずき、ヨロヨロと歩き出した。

       ◇

 知り合いの情報部員から話を聞き出した二人は、ムーシュの部屋で作戦を練る。

 自分のせいで赫焔王かくえんおうを解き放ってしまった蒼は責任を感じ、暗い顔で首をひねる。しかし、なかなかいい案は思い浮かばなかった。

「主様の【即死】で殺せないんですか?」

 ムーシュはそんな蒼の暗い顔を心配そうにのぞき込む。

「【即死】は効くかもしれないし、効かないかもしれない。もし効かなくて自分が撃ったことを赫焔王かくえんおうに知られたら僕は終わりだよ?」

 蒼は深く憂いを帯びた眼差しでムーシュの真紅の瞳を見つめた。【即死】スキル持ちのドラゴンが、同じスキルで簡単にその命を絶たれる光景は、どうしてもイメージできないのだ。

「でも、こうしている間にもパパは……」

 感情が口から溢れ出そうなムーシュは、唇をぎゅっと結んで、そっと視線を下げた。

 蒼は重い息を吐き出す。パパを戦地から連れ戻したところで、それは単なる敵前逃亡に過ぎず、厳しい罰が下されるだけだろう。そんなことをしても、赫焔王かくえんおうが恐怖を振りまき、大陸が次第に血塗られた地獄と化していくのは止められない。

 先代魔王がどのような秘術で​【即死】​を持つ赫焔王かくえんおうを封印したのか、その詳細は歴史の闇に消えてしまっている。魔王軍が慌てふためいてるところを見ると、その強力な技は現代の魔王軍には使いこなせない、もしくは失われてしまったのだろう。

「仕方ない、【即死】を撃ってみるよ」

 蒼の内部で静かながらも揺るぎない覚悟が湧きあがり、ムーシュを抱きしめるようにその震える肩に手を添えた。

「え……?」

「でも、ここじゃダメだ。撃った場所は分かるみたいだから少し離れてやろう」

 ムーシュは涙を手のひらで拭いながらそっとうなずいた。

         ◇

 食事を手短に済ませた後、魔王城の発着場を背に雄大な空へと元気一杯に翼を広げ、二人は飛び立った。

 午後の日差しが岩山を金色に染め上げる中、南へと舵を取り、軽快に飛んでいく。やがて魔王城は、遥か彼方の霞む地平線に溶け、視界から静かに消え去った。

「じゃあそろそろ撃つぞ」

 蒼の声は微かな震えを含み、その顔には抑えきれない緊張が浮かんでいる。

 ムーシュはキュッと蒼を抱きしめ、こわばる心に寄り添った。

 大陸を火の海にする暴れ龍赫焔王かくえんおう。【即死】が効くなら一瞬で終わりだが、効かなかったときどう立ち回ったらいいか? いろいろ考えてみても逃げの一手以外ない。今はただ南へと飛び続けることしか考えられなかった。

 蒼は深く、力強く息を吸い込む。その瞳には決意が宿り、直後、彼女のかわいい声が響き渡った。

赫焔王かくえんおう死ぬDeathデス!」

 不気味に静かな時間が流れる。効いたならレベルアップの音が鳴るはずだった。

「ど、どうですか……?」

 ムーシュは心配そうに聞いてくる。

 しかし、いくら待てども何の変化も起こらなかった。

 蒼はギリッと歯を鳴らすと、後悔で焼けるような胸をこらえるようにムーシュの腕をギュッとつかんだ。

「全速離脱! 南へ逃げよう!」

「わ、分っかりましたー!」

 ムーシュは羽を紫に輝かせると一気に速度を上げ、南へと急いだ。

天声の羅針盤ホーリーコンパス発動!」

 蒼は焦りを隠せず、ムーシュの腕をパシパシと叩く。

「アイアイサー!」

 ムーシュは目をつぶり、ブツブツと呪文を唱える。

 さすがに数百キロも離れているのだからすぐに現れる訳はないと思うが、何が起こるか分からない。何しろ相手は史上最悪の暴れ龍なのだ。

「うーん、今のところ特に何の反応もないですねぇ……」

「うん、まぁ、そうだろうな。距離もあるし、これだけ速く飛んでるんだし……」

「えっ!?」

 突如、ムーシュの驚愕の叫びが空気を震わせた。

「な、何だ?」

「なんか上に反応が……?」

 直後、いきなり快晴の大空を飛んでいた二人は日陰に入った。

 へっ!?

 慌てて見上げた蒼が見つけたのは天空を闇に変える巨大な翼。大型旅客機をも凌ぐ漆黒の巨体が、圧倒的な威圧感をもって空を支配していた。

32. 絶望と希望が交錯する隙間

「ま、まさか……」

 蒼の顔色は一瞬にして青白くなり、その目には底知れない恐怖が宿った。

「うわぁ! 近づいてきますよぉ!」

「全速旋回! 全力で逃げろ!」

 蒼は震える声で必死に叫んだ。

 急いで鑑定をかけてみる。

ーーーーーーーーーーーーーー
Lv.999 赫焔王 千二百五十五歳
種族 :ドラゴン
スキル:?????
称号 :?????
特記事項:?????
ーーーーーーーーーーーーーー

 絶望が蒼を打ちのめす。

 敵のレベルは極限に達し、そのスキルの中身も鑑定できなかった。勝利の糸口さえ感じることのできない、絶望的な敵の出現に目の前が真っ暗になる。

 くぅぅぅ……。

 とても逃げ切れるとは思えないが、諦めたら瞬殺されてしまう。

「ムーシュ! 急降下だ! 森の中に逃げ込め!」

「うひぃぃぃぃ!」

 ムーシュは翼を畳み、一気に鬱蒼うっそうとした巨木の原始林へと突っ込んでいく。

 直前で翼を大きく打つと地面すれすれをかすめ、巧みに枝を避けながら森の中をすっ飛んで行くムーシュ。

「行っけーー!」

「くーーっ! ムーシュ、全力でっす!」

 ムーシュはかつてないほど翼を紫に燦然さんぜんと輝かせ、迫りくる樹木を見事にかわしながら宙を駆け抜けていった。

 その時だった、後ろから腹に響くような重低音が森全体を震わせながら響きわたる。

 な、なんだ……?

 蒼が恐る恐る後ろを見ると、荒れ狂う黒い影が木々を吹き飛ばしながら圧倒的な力でねじ伏せるように急接近してくる。

 マ、マジかよ……。

 直後、ギュオォォォォ! という地を揺るがす咆哮が咆哮ほうこうが二人を貫く。

 うひぃぃぃ! うはぁ!

 二人は恐怖で死んだように青ざめる。迫る赫焔王かくえんおうの重圧に、二人の胸は押しつぶされそうだった。

「ムーシュ! もっと速くぅ!!」

「くぅぅぅ、限界なんですぅぅぅ!!」

「追いつかれちゃうよぉ!」

「くひぃぃぃ!」

 ムーシュは顔を真っ赤にして、その小さな翼で力一杯飛んで行く。

 するといきなりパァッと森が開けた。

 へっ?

 見ると緑色の小さな魔物たちが騒ぎながらムーシュたちを指さしている。

 どうやらゴブリンの村に入ってしまったようだ。

「ごめんなさーい! 通りまーす!」

 ゴブリンたちは怒り、騒ぎ、中には弓を構えて狙ってくる者もいる。

 ギャッギャッギャ! ギャー!

 直後、ズン! という衝撃音とともに赫焔王かくえんおうが飛び込んできた。

 ゴブリンたちはその圧倒的な巨体の出現に言葉を失い、凍りつく。

 赫焔王かくえんおうは地を揺るがす重低音の咆哮で恐怖を振りまきながら、わき目も振らずムーシュたちを追った。

 ゴブリンたちの建てた小屋やツリーハウスは、まるで紙で作ったジオラマみたいに赫焔王かくえんおうの羽ばたきが生み出す凄まじい突風に吹き飛ばされ、高く宙を舞っていく。

 グギャァァァァ! グギャッ!

 ゴブリンたちも吹き飛ばされ、逃げ惑った。

 こうして一瞬でゴブリンの村は壊滅。一体何が起こったのか分からぬままゴブリンたちは、森を吹き飛ばしながらすっ飛んでいく赫焔王かくえんおうを呆然と眺めていた。

「右だ! 右に行け! 岩山がある!」

 このままでは追いつかれてしまうと焦る蒼は、木々の間からチラッと見えた岩山の断崖に進路を変えさせる。

「ぬ、主様……、もうムーシュはダメかもしれません……」

 ムーシュの体に宿る魔力が揺らぎ、徐々に速度がおちてくる。

「頼むよ、もうムーシュだけが頼りなんだよぉ」

「ム、ムーシュは頑張り……ます……」

 ムーシュは内なる力に再度火をつけると、軽やかに木々の間を舞い抜け、進路を岩山に取った。

 直後、ゴオォォォという地響きを伴う激しい噴射音とともに、後ろ側の森が閃光となって爆ぜ、轟炎に包まれる。

 あわわわわ! うっひゃぁ……。

 木々は一瞬で黒焦げとなり、激しい熱線がムーシュたちにも襲い掛かる。

 あちちちち! うひぃ!

 一瞬でも曲がるのが遅かったら今頃黒焦げである。ムーシュはおしりに火がついたように必死に羽ばたいた。

 やがて森を抜け、目の前には険しい岩山が立ちはだかる。山頂には花崗岩かこうがんでできたようなグレーの巨大な岩の塔が何本か屹立きつりつしその間には隙間が空いていた。

「よし、ムーシュあの間をすり抜けろ!」

「えっ!? あんな隙間通れるんですか?」

「行ける! できる! ムーシュはスマート!」

「ム、ムーシュはスマート!! うおぉぉぉ!」

 ムーシュの顔には疲労が深く刻まれていたが、魂からの叫びと共に残り僅かな力を引き絞り、絶望と希望が交錯する隙間へと飛び込んでいった。

33. 無理難題の奇跡

 翼を直前で閉じ、放物線を描きながら岩の隙間を抜けていく二人。

 くぅぅぅ……。 うひぃ……。

 二人とも目をギュッと閉じて無事の通過を祈った。

 果たして、二人の前にぶわっと荒れ地の景色が広がった。大きな岩がゴロゴロしていて隠れるところがたくさんありそうである。

「よし! 今のうちに隠れるぞ!」

「アイアイサー!」

 ムーシュは手近な岩の影へと降りていく。

 次の瞬間、世界が揺れた――――。

 ズンッ! と、とんでもない衝撃音が後方から二人を貫く。

 同時に爆発したように花崗岩かこうがんが吹き飛んでくる。

 うわぁぁ! ひぃぃぃ!

 なんと、赫焔王かくえんおうは岩山を吹き飛ばして直進してきたのだった。

「マジかよぉ!」

 無慈悲に降り注ぐ花崗岩は、ムーシュを次々と打ちえる。

 うぎゃっ!

 彼女の翼は破れ、大きな岩の上に墜落し、もんどりうった。

 ギュオォォォォ!

 大地が赫焔王かくえんおうの凄まじい咆哮によって震え、その恐ろしい響きはあらゆる生命いのちに恐怖を振りまく。

 大きな岩の上でムーシュは苦し気に荒い息を吐き、そんなムーシュをかばうように蒼は歯を食いしばって赫焔王かくえんおうに対峙した。

 しかし、近づいてくるその巨体は空を覆いつくし、絶望が形を成したかのような恐ろしい影を落とす。金色の光をほんのりと纏う漆黒の鱗に覆われた巨躯には、神聖ささえ感じられ、もはやどんな攻撃も通じそうにない。そのうえ、どう猛な光り輝く牙が、蒼の戦意を儚くも粉砕した。

 夕焼けが荒れ野を染める中、赫焔王かくえんおうは獲物を追い詰めたことに満足げに悠然とその巨翼を羽ばたかせ、巨大な真紅の瞳で何かを探る。

 蒼は何か言わねばと思うものの、どんな言葉も無力に思え、ただ静かに身を震わせながら、その場に立ちすくんでいた。

 赫焔王かくえんおうは地響きをたてながら降り立つと、その巨大な瞳をギロリと蒼に向けた。

「我を殺そうとした馬鹿者はお前か……? まさかこんな幼子おさなごだったとはな……。【即死】持ち同士では効果は消える。そんなことも教わらんかったのか?」

 予想通り【即死】には隠された発動条件があったのだ。蒼はうかつに攻撃したことを後悔し、顔をしかめた。だが、この時、何か重要なことを忘れているような感覚が蒼の脳裏をかすめた。

「女神の縁者同士仲良くできたらよかったかも知れんが、我を殺そうとしたお前は放置できん。恨むなよ?」

 赫焔王かくえんおうはグルルルルと重々しい喉音を轟かせると大きく息を吸い、カパッと巨大な口を開ける。鋭い牙の並ぶ向こうには危うくも美しい灼熱の煌きが現れた。

 あわわわわわ……。

 逃げなければと蒼が心で叫んでも、その圧倒的な威圧感に身体がこわばって言うことを聞かない。

「主様、危ない!」

 ムーシュは最後の力を振り絞り、ふるえる手で蒼の身体をガッとつかむと横に飛んだ。

 ゴォォォォ!

 プラズマジェットの赤紫色の煌きがドラゴンの口から炸裂し、辺りは一瞬で灼熱地獄へと化す。直撃からは逃れたものの、爆発的なエネルギーは二人を容赦なく吹き飛ばし、クルクルと宙を舞いながら、巨石たちの隙間へと墜ちていくのだった。

 灼熱のドラゴンブレスを撃ち終わった赫焔王かくえんおうは、溶けて赤く発光する荒れ野を見ながら手ごたえのなさに首をひねる。

「ぬぅ? 逃れたか……? どこだ……?」

 キョロキョロと辺りを探す赫焔王かくえんおう

『痛ててて……。大丈夫か?』

 蒼の声に応え、ムーシュは蒼の身を守るために受けた無数の傷に顔をしかめながらも、深く、静かにうなずいた。

『もはやこれまで……だな。ごめんな』

 万策尽き果てた蒼はガックリとうなだれる。

『何言ってるんですか! 主様、主様は世界一強いんです! あいつをやっつけてください!』

 涙をポロポロとこぼしながら、傷だらけのムーシュは発破をかけてきた。

『いやいやいやいや、あいつの方が圧倒的に強いんだよ? 僕には【即死】しかないのにそれが効かなきゃ勝てっこないよ』

『なんで効かないんですか?』

『聞いてなかったのか? あいつも【即死】持ちで、【即死】持ち同士なら効かないの!』

『ならあいつの【即死】を無くしちゃえばいいじゃないですか!』

 勢いに任せ、無理難題を吹っ掛けてくるムーシュ。

『おいおい、無理言うなよ。どうやってスキルを消せるんだよ……』

『知りませんよ! なんか方法があるんじゃないんですか?』

『馬鹿言うなよ、スキルを消すなんて……。あれ……?』

 この時、蒼の頭に何かがひらめいた。

『も、もしかして……』

 蒼は急いでマジックバッグを漁る。

 その時、大地を揺るがす重低音の声が響いた。

「見つけたぞ! 小童こわっぱがぁ!」

 赫焔王かくえんおうは二人の隠れる巨石に痛烈な蹴りを食らわせ、巨石は砕け散る。

 ぐはぁ! きゃぁっ!

「我から逃げられるとでも思っとるのか? 出てこい!」

 赫焔王かくえんおうは隙間で小さく丸まっている二人を見つけ、勝ち誇ったように吠えた。

 ふんっ!

 蒼は鼻を鳴らすと赫焔王かくえんおうをにらみつけ、ニヤリと笑う。

「ほう、まだ諦めとらんのか。その意気やよし。じゃが……」

 赫焔王かくえんおうは蒼たちを粉砕しようと太いシッポをブンと振り上げる。

 蒼はその隙に赫焔王かくえんおうの脇を抜け、ピョンピョンと跳び上がって小高い巨石の上に立つ。そして、マジックバッグからスクロールを一つ取り出すと、赫焔王かくえんおうを見下ろした。

34. 不思議なパーティー

「なんじゃ、ちょこまかと……」

 赫焔王かくえんおうは不愉快そうに蒼を見上げた。

 蒼は腰に手を当て、その愛らしい手でビシッと赫焔王かくえんおうを指さす。その碧い瞳には揺るぎない自信が宿っていた。

「これからお前を殺す。嫌なら僕の奴隷になれ」

 あまりに予想外の言葉に思わず笑ってしまう赫焔王かくえんおう

「ハッハッハ! 頭でもおかしくなったか? お前のどこに我を殺せる力があるんじゃ? ん?」

 蒼はスクロールのひもを外すと、無言で赫焔王かくえんおうに突き出し、見せつけた。

「なんじゃ? 最下級のスクロールじゃないか。そんなのでこの我と勝負する気か? ハッハッハ」

「このスクロールは一秒間スキルを無効化するんだよ? それでも笑っていられるかな?」

 蒼はドヤ顔で言い放った。

「たった一秒のスキル無効化? それが何だと……。……。ま、まさか……」

 赫焔王かくえんおうは蒼の狙いに気がつき、落ち着きなく目を泳がせる。

「これを破いて【即死】をかけるだけで僕の勝ち……。おい、動くなよ? 少しでも動いたら……」

 蒼は碧眼をキラリと光らせ、スクロールを少し破いてみせる。

「ちょ、ちょっと。ちょっと待ってくれ!」

 赫焔王かくえんおうはさっきまでの威勢はどこへやら、慌てて手を蒼の方に伸ばす。

「動くなって言ってんだろ!」

 蒼はさらに少し破いた。

「くぅぅぅぅ……」

 赫焔王かくえんおうは頭を抱え必死に対策を考える。

「今すぐ返事をしろ! すぐに返事しないなら破るからね?」

 蒼は無慈悲に言い放つ。今まで散々ひどい目に遭わされてきたのだ。こんなところで譲歩する意味もない。

 赫焔王かくえんおうは必死に活路を見出そうとするが、どんな攻撃もスクロールを破る速度には追い付かない。

「くぅぅぅ……。まさかこんな小童に……」

 予想外の窮地に忌々しそうに蒼をにらみつけた。

「本当はこんなことせずにさっさと殺すのが正解なんだろうけど、無駄な殺生は避けたいんだよね。君にも何か都合があるだろうし?」

 赫焔王かくえんおうはガチガチと牙を鳴らし、鼻息荒く叫ぶ。

「我を奴隷にしてどうするつもりじゃ? お主のペットになるくらいならいっそ殺せ!」

「ペットなんて要らないよ。この悪魔みたいに一緒に楽しく暮らせたらいいなってだけ」

 おっかなびっくりヨロヨロと飛んできたムーシュを指さす蒼。

「楽しく暮らすじゃと? 馬鹿言うな! 我は不本意ながら呪いに侵されて、殺し続けなければ死んでしまうんじゃ」

 蒼は赫焔王かくえんおうの蛮行の目的が謎だったが、暴れ龍にもそんな理不尽な理由があったと知り、少し同情する。

「その呪いってやつは女神の解呪の拳銃で解けるのか?」

「へっ!? お主【神霊の月桂銃セント・ローレルガン】を持っとるのか!?」

「王国の宝物庫にあった月桂樹模様の銀の銃だけど効くの?」

「効くも何もずっと探しとったんじゃ! なんと王国にあったのか、騙されとった……」

 赫焔王かくえんおうはうんざりした様子でうなだれた。

「効くならお前に使ってやろう。どうだ、奴隷になるか?」

 赫焔王かくえんおうは少し考え、大きく息をつくとうなずいた。

「その小さな身体で良くやっとるよお主は。降参じゃ」

 赫焔王かくえんおうはそう言うとボン! と爆発を起こした。

 うわっ! な、何!?

 爆煙が緩やかに風に舞い上がっていくと、そこには金髪おかっぱの少女が立っていた。彼女は近未来を思わせるシルバーのジャケットをまといながら、悪戯っぽくほほ笑んでいる。

「え……?」「はぁ……?」

 二人は唖然とする。変身した人型の赫焔王かくえんおうは、千歳を超えているというが、見た目はただの女子中学生なのだ。確かに真紅の瞳の色は赫焔王かくえんおうのそれと同じではあったが、きゃしゃな体にはあの超絶な威圧感はみじんもなかったのだ。

「ま、まさかお前が赫焔王かくえんおう?」

「いかにもわれが千二百五十五歳のドラゴン赫焔王かくえんおうレヴィアじゃ。レヴィアと呼ぶがよいぞ」

 レヴィアは腕を組み、ドヤ顔で蒼を見るが、そのあどけない仕草はどこかコミカルで、蒼は思わず口元が緩んでしまう。

 ムーシュはけげんそうな顔をしながらレヴィアのところまで飛んだ。

「じゃあ、奴隷の契約をしましょう。私はムーシュ、主様の一番奴隷ですからね?」

 レヴィアの手を取り、その甲に六芒星の傷を刻むムーシュ。

「なんじゃ? 我を二番奴隷と呼ぶのか?」

 レヴィアは不満そうに口をとがらせる。

「一番も二番もないよ、仲良くやる仲間なんだからさ」

 蒼はそう言いながらピョンとレヴィアのところまで降りると、指先の血をレヴィアの六芒星に擦り付けた。

 直後、二人はほのかな黄金色の輝きに包まれ、無事、レヴィアは蒼の奴隷となる。

主殿ぬしどのよろしく頼むぞ」

 レヴィアはニカッと笑って右手を差し出し、蒼もモミジのような手でそれに応えた。

 こうして、幼女をあるじとするドラゴン女子中学生と小悪魔の不思議なパーティーが誕生したのだった。

35. 女神の秘密

 夕日が鮮やかに赤く空を染め上げながら、穏やかに地平線へと姿を消し、夕闇が静かにこの世界を彩り始める。

 夕暮れの空が繊細なグラデーションで彩られる中、レヴィアは真紅の瞳でその絶景を見つめながら、自らの長い苦闘の日々をポツリポツリと語った。

 元々、女神の眷属としてこの地上に創造されたレヴィアはこの世界の管理を手伝い、魔物、魔人、魔法を生み出すなど、この世界に活気をもたらす仕事をしていた。

 それから千年もの間、大陸は魔王を中心とする世界と人間が支配する世界で二分され、お互いに切磋琢磨を繰り返しながら徐々に文化文明が栄えていくことになる。しかし、王国も魔王軍も旧態依然とした利権構造がはびこり、徐々に活気が落ち、文化文明の進歩が止まってしまう。

 これを問題視した女神はエンジニアの若い男【サイノン】を管理者として派遣した。サイノンは神殿に新しい魔法を提供したり、王族に働きかけて若者の重用を促進したり精力的に活動を行っていく。しかし、効果が出たのは最初だけ、その後はどんな施策を施しても神殿はのらりくらりと言うことを聞かず、王族は裏切り、むしろ活気は落ちる一方だった。

 サイノンの絶望は深く、しばらく失踪してしまうこととなる。そして数十年前、いきなりレヴィアの前に現れたのだった。

        ◇

 月夜のきれいな晩のこと、火山の火口付近に作られた洞窟内の拠点で、レヴィアはまどろんでいた。洞窟内と言っても広く掘りあげ、大理石でできた大広間は壮麗で居心地のよい空間となっている。ソファで大あくびをするレヴィアがそろそろ寝ようかと思っていると、ズン! という重い衝撃音とともに地面が揺れた。

「な、何じゃあ!?」

 レヴィアが慌てて立ち上がると、いきなり広間の扉を蹴破って誰かが入ってくる。

「やぁレヴィア、久しぶりだな」

 サイノンだった。サイノンは白シャツにグレーのジャケットを羽織ってさっぱりとした顔で手を振りながら近づいてくる。

「なんじゃお主! 随分乱暴じゃな……。今までどこ行っとったんじゃ!」

 レヴィアは真紅の瞳を光らせ、冷たい稲妻を走らせるかのようににらんだ。

「ゴメンゴメン。俺さぁ、新しい世界を作ることにしたんだ」

 悪びれもせず、サイノンはにこやかにとんでもない事を言い出す。

「は? この世界も上手くいっとらんのに新しい世界じゃと? そもそもそんなことは女神様の仕事、お主の権限を外れとるぞ」

「それだよ。女神が設計したからこの世界はイケてないんだ。俺が正解という奴を見せてやるよ。でだ、レヴィアも手伝ってくれないか?」

 サイノンは怪しい詐欺師のように両手を前に開き、薄気味悪い微笑を浮かべた。

「……。それは女神様の許可を得てるのか?」

「なぜ許可を取る必要があるんだ? この宇宙は成功した者の勝ちだろ? 一緒に出し抜いてやろうぜ」

 サイノンの口から零れる女神への冒涜に、怒りが沸々と湧き上がってくるレヴィア。自分たち生み出し、守り続けてくれていた聖なる女神への冒涜は許しがたいものがある。

「話しにならん。お主は研修生からやり直せ!」

「ほう? せっかくのこの俺様の提案を断るのかい?」

「お主は優秀かもしれん。じゃが、優秀なだけじゃ。成果は優秀さが紡げるようなものではないぞ?」

 レヴィアはいさめるが、サイノンは軽蔑の表情を浮かべながら、肩をすくめ首を振る。

「お説教ならこれを見てからにしてほしいね」

 そう言いながらサイノンはパチンと指を鳴らした。

 刹那、サイノンの後ろ側の空間が斜めにスパッと切り裂かれる。

 へっ!?

 レヴィアが目を白黒させていると、広間はズズズズ……と断層のようにずれていき、やがて崩落していく。そして、眩しい太陽が突如として広間を満たし、鮮やかな青空、茂り盛った森、そして遠くに輝く海が視界に飛び込んできた。月明かりに照らされた火山の洞窟は、今、明るく、力強い自然の美しさの中に浮かんでいた。

「き、貴様……、何をやった……?」

 その信じがたい事態に、レヴィアは額に冷汗をにじませサイノンをにらむ。

「言っただろ? これが俺の新しい世界だよ」

 サイノンは自慢げにほほ笑むとゆったり両手を広げた。

「あ、ありえんぞ……。お主どこにこんなの作ったんじゃ!?」

「ははっ、世界の裏側だよ。女神たちもこれは見つけられまい」

 レヴィアはがく然とする。世界に裏などない。あるとすればサイノンが怪しい技術を使って強引に作り上げたということになるが、それは宇宙を揺るがす一大事だった。

「う、裏側……。表の世界のリソースを偽装して勝手に流用してるって……ことか?」

「そう。まぁバグ技だね。もし、ここの存在に感づいても入ってくることもできないし、入って来れても力は発現できない。くふふふ……まさに完璧な計画だろ?」

 自画自賛するサイノンはほくそえんで、邪悪に心を躍らせる。

 レヴィアはそんな自己陶酔するサイノンに悪寒を覚え、ブルっと震えた。

「こ、こんなことしたって無駄じゃぞ! なんだかんだ言ってもリソースの根源は女神様が押さえておられる。そこを絞ればここも終わりじゃ!」

「そう、そこだよ! レヴィア君! 君は女神とは何か考えたことはあるかね? ん?」

 レヴィアはいきなりの根源的な質問に虚を突かれた。

「め、女神様が何か……って? え、えーと……、多くの世界を創られた創造神……じゃろ?」

「カーーッ! 分かってない。女神がポンッ! と、どこからか生まれ出て世界を作っただなんて確率的にはありえんだろ?」

「どういう……ことじゃ?」

 レヴィアは今まで考えたこともなかった女神の存在についての話に、驚きと混乱を抱え込む。

「女神よりさらに上位の神が必ずいるって事さ!」

 サイノンは自慢げに言い放つ。彼の瞳に閃く不動の確信は、レヴィアを深い混乱へと陥れていった。

36. 電子浮岩城

「神の神じゃと? まぁ……、いてもおかしくないが……しかしそれがどういう……」

 レヴィアは冷汗を浮かべながら必死にサイノンの意図を考えるが、あまりにも奇想天外な発想についていけない。

「察しの悪い奴だな! 要は上位の神に『女神よりコイツの方が使える』と、思ってもらえたらリソースは俺に振り向けられるようになるのさ」

「いやいや、そんな荒唐無稽な……」

 とんでもない話にレヴィアはその言葉を打ち棄て、頭を振った。

「実はそういう可能性につながる証拠を俺はつかんでいるんだよ。この世界もその証拠の応用さ」

「上位の神の証拠? まさか……」

「まぁ、これを見ろよ」

 サイノンが空中を指し示すと、ヴゥンという不気味な電子音が響き渡り、空は突如として、異次元の歪みを抱く。

「な、なんじゃ!?」

 いきなり太陽の光が覆い隠される。漆黒のモノリスが、現れたのだ――――。

 その存在は一キロ以上もの高さを誇り、側面のかどの所にいくつも入った神秘的なスリットからは、幽玄の青白い光が噴き出している。それは、窓がほとんどない漆黒の超高層ビルが夜空に浮かんでいるかのような、不思議で荘厳な光景だった。

「こ、この面妖な物は一体……」

 その異形の巨大構造物に圧倒され、レヴィアは後ずさりする。

「これこそ、我が居城【電子ビットストーン浮岩城フォートレス】だよ。どうだい、美しいと思わんかね?」

「美しい? こんな禍々まがまがしい物作ってどうするつもりじゃ!?」

「どうするって? この俺が新しい宇宙のスタンダード、新たな神になるんだよ」

 熱に浮かされたようにサイノンは狂気と混ざり合った恍惚とした表情で、両手を高く掲げた。

「く、狂ってる……」

 首を振るレヴィアの顔には、拭い去ることのできない不安が冷汗となって流れた。

「なんだ? レヴィア。俺のこの世界を見てもまだそんなこと言ってるのか?」

「お主……、神になってどうしたいんじゃ?」

「どうしたい? 変なことを聞くんだな。自分が世界になる、それこそが全ての存在の最終到達点だろ? 神になり、俺は完成するんだよ! はっはっは!」

 サイノンの狂気は渦を巻き、彼の瞳にはもはや理性の光は宿らない。

「そんなの勝手にやってろ! わしらを巻き込むな!」

 サイノンは、ピクッと頬を引き攣らせ、レヴィアに対して暗く、不気味な視線を向けた。

「……。残念だよレヴィア。君なら理解してくれると思ったんだがな……」

 パチンと指を鳴らすサイノン。電子ビットストーン浮岩城フォートレスの表面にまるで水面に落ちた水滴のように虹色の波紋がブワッと広がっていく。

 直後、電子ビットストーン浮岩城フォートレス全体がまばゆい閃光を発し、ヴォンというけたたましい電子音が天地に響き渡った。

 うわっ!

 思わず耳をふさぐレヴィアだったが、直後に現れた直径数キロはあろうという巨大な暗黒の球に圧倒される。宇宙の暗黒を思わせる禍々しい球は不気味に宙に浮かび、その邪悪な存在感にレヴィアの鼓動は早鐘を打った。

「さぁ、君へのプレゼントだ!」

 嬉しそうに両腕を広げるサイノン。

 直後、黒い球はパチンとはじけ、中から見覚えのある火山が現れる。

「あ、あれは……。まさか……」

 火山は静かに重力に引かれ落ちていった。やがて、大森林へと墜落するとすさまじい轟音を立てながら割れ、崩落していく。もう千年もの永きにわたり、レヴィアの心の拠り所であったその雄大なる山が、あたかもオモチャのように崩れ去っていく……。

 レヴィアの震える唇は無言の叫びを紡ぎ、身体は凍りつく。

「レヴィア君、君の拠点を丸ごと持ってきてやったぞ! 壊れちまったけどな! はっはっはーー!」

「貴様ぁ!」

 レヴィアは腹にぐっと力を込め、ドラゴンへの変身を試みた……が。

「あ、あれ……? ど、どうしたんじゃ……?」

 何度やってもレヴィアは少女のまま、本来の姿に戻ることができず、絶望の淵で真っ青になって動けなくなる。

「クハハハ! この世界は俺の世界。君は全ての特殊能力は無効にさせてもらったよ。ここでは君はただの人間。非力な小娘だ」

「な、な、な、なんてことをするんじゃ……」

 鼓動が早鐘を打つ中、レヴィアは次々とスキルを起動しようとしてみるものの、全て片鱗すらも現われることはなかった。

 くぅぅぅ……。

 ドラゴンの姿、スキルはこれらはレヴィアにとって揺るぎない存在の象徴であり、自己のアイデンティティそのもの。その全てを喪うことは、高く大空を舞う鳥が突如、羽をもがれると同じである。

 自らの存在意義が霧散してしまったレヴィアは絶望の中、静かに膝を折った。

「おいおい、君には暴れまわってもらう予定だからこんなところでくたばってもらっちゃ困るよ。くふふふ……」

 サイノンは嗜虐しぎゃく的な笑みを浮かべながら静かに浮かび上がると、ツーっと空を飛び、電子ビットストーン浮岩城フォートレスのスリットのところにすぅっと吸い込まれて行った。

 レヴィアは忌々しそうにそんなサイノンの姿をにらみ、これから始まる地獄の予感にギリッと奥歯を鳴らした。

 ヴォン!

 電子ビットストーン浮岩城フォートレスの漆黒の表面に青い波紋がいくつか広がり、こちらへ向けて動き始める。

「おいおい……、もう止めろよぉ……」

 レヴィアはサイノンの容赦ない追い込みにウンザリして首を振る。

 宙に浮いたレヴィアの広間は周りの溶岩ごと丸く切り抜かれており、大きさで言ったら数十メートルくらいしかない。

 電子ビットストーン浮岩城フォートレスは一キロを超える巨体である。逃げることもできない無力のレヴィアには、絶望しか見えず、不気味に迫る影に心を凍りつかせていた。

 ぐんぐんと迫ってくる電子ビットストーン浮岩城フォートレス。もはや衝突は不可避だった。

37. 心臓を貫け

 レヴィアは必死に広間の隅まで逃げながら叫ぶ。

「このバカやろがぁぁぁ!」

 今まさに衝突するその瞬間だった――――。

 電子ビットストーン浮岩城フォートレスのツルっとした漆黒の壁面はまるで液体のように広間を飲みこんでいく。そして、しぶきのように飛び散った漆黒の液体は、くっつきあってイソギンチャクの無数の触手のごとく広間に絡みついた。そして、シュオォォォという音とともに熱気を帯び、消化し始める。

 へっ!?

 どんどんと飲み込まれ溶かされていく広間……。もう逃げる場所はなかった。

 レヴィアは大きく息を吸うと下に広がる大森林を見下ろした。無力となった自分では落ちたら助かるまい。しかし、あんな漆黒の触手につかまり、サイノンに好き放題にされるくらいなら死んでやる。

 レヴィアは目をつぶるとそのまま大空に踏み出した。ドラゴンの矜持きょうじを貫くため、レヴィアは死を選んだのだ。

 真っ逆さまに落ちていくレヴィア。こんな最期になるとは思わなかったが、一つの時代を築いてきた彼女の心は、不思議なほどに穏やかだった。長い年月の疲れが、この落下と共に解き放たれるかのような感覚に身を任せる……。

 その時、空気が震えた。

 電子ビットストーン浮岩城フォートレスはその秘めたる力を解放し、漆黒のトゲを放つ。それは瞬時に空気を切り裂きながら、レヴィアの胸を残酷にも貫いた――――。

 グホッ!

 血しぶきが舞い上がり、その瞬間、すべてが凍りついたような静けさが辺りを包む。

 いきなりの攻撃にレヴィアは一体何が起こったかもわからなかった。ただ、胸の奥深くに爆発する灼熱の痛みで意識は徐々に侵食され、炎の海に飲み込まれていくように消えていった。

「勝手に死なれちゃ困るよ、レヴィア君。くくくく……」

 串刺しになり、手足をだらんと下ろすレヴィアを見ながら、サイノンは嗜虐的な笑みを浮かべる。

 はっはっは!

 電子ビットストーン浮岩城フォートレスのコントロールルームにはしばらく、サイノンの笑い声が響いていた。

       ◇

 サイノンの冷酷な手に落ちたレヴィアは恐ろしい呪いを背負わされた。時間が経つごとに、彼女の頭の中には耐えがたいほどの「殺せ! 殺せ!」という狂気の声が響き渡る。犠牲者が増えれば増えるほど、その声は沈黙し、レヴィアに一時の安息を与える。しかし、その安らぎは一時的なもので、いずれ再び声は甦り、彼女を更なる混沌へと誘っていた。

 レヴィアに手を焼いた先代魔王は、呪いを解いて攻撃をやめさせようと奔走したが、解呪はできず、結局、強引に封印という形で極北の氷の山、凍翼山とうよくざんに眠らせたのだった。

 本来女神側がフォローすべき話ではあったが、レヴィアは連絡手段を奪われ、サイノンはレヴィアを騙って偽の報告を繰り返していたので気づくのが遅れてしまっていた。

       ◇

 レヴィアがかつての悲劇を静かに語り終えると、彼女の言葉は重い沈黙に取って代わった。その過去の重さに押し潰されそうになりながら、静かにうつむくレヴィア。

「大変だったね。でも僕が解決してあげるから大丈夫……」

 蒼の温もりがレヴィアの震えを静めるように、彼女の美しい金髪をやさしくなでた。

 蒼が東の空を見上げると、昇ってきた月は血のような赤から清らかな青へと移り変わっていく。

 やがて澄み通った空は神秘的な月明かりで満ちた。その光の中で、神霊の月桂銃セント・ローレルガンが煌煌と目覚めるように輝きを増していく……。

 拳銃からは黄金に輝く微粒子が立ちのぼり、ふわふわと宙を舞う。幻獣の彫り物も明るく輝きだし、いよいよその時がやってきた。

 蒼は大きく息をつき、うなずくと、レヴィアの背中をやさしくトントンと叩いた。

「ではレヴィアこっち向いて」

「あぁ、いよいよ救われるんじゃな……」

 レヴィアは、輝くルビーのような瞳に涙をため、蒼を見つめながら微笑みを浮かべた。

 蒼はゆっくりとうなずくと、拳銃をそっと持ち上げ、ヨシッと小さくつぶやく。

「ロック解除! はい、息を止めてーー!」

 蒼は引き金に可愛い指をかけ、レヴィアの心臓に狙いを定める。

「なるべく痛くないようにな……」

 レヴィアは注射を受ける子供のように顔を歪ませてそっぽを向いた。

「はい、痛くないですよーー!」

 パン! という衝撃音が荒れ野に響き、刹那、レヴィアが黄金の光に包まれる。それは蒼の時にはなかった展開だった。

 蒼とムーシュはハラハラしながら揺れ動くレヴィアを固唾を飲んで見守る。

 レヴィアは神聖な光に包まれ、恍惚な表情を浮かべている……。

 だが、光が収まってきた時だった。

 ぐはぁ!

 直後、レヴィアは苦しそうに叫び、地面に崩れ落ちた。

「ああっ!」「レ、レヴィアぁぁぁ!」

 地に伏したレヴィアは、苦悶の表情で胸を押さえ、もう一方の手は空虚に向かってもがく。

「ど、どうしたんだ!?」

 駆け寄り、頭を抱き上げる蒼。

「せっ……せ……」

 レヴィアは真紅の瞳を見開き、輝かせながら何かを言おうとする。

「な、何だって!?」

 一生懸命に聞こうとする蒼。

「成功じゃーー!」

 レヴィアは絶叫しながら蒼に抱き着くと立ち上がり、ポーンと空高く蒼を放り投げた。

 月夜に高々と宙を舞う蒼。

 は……?

 蒼は空中で不満を顔に刻む。

「もう! 心配したのよ?」

 ムーシュはプリプリと怒りながらレヴィアの背中をパシッと叩いた。

「悪かった、あまりに嬉しかったもんでな!」

 レヴィアは胴上げのように何度か蒼を夜空に放り、そしてキュッと抱きしめるとプニプニのほっぺたに頬ずりをする。長きにわたる呪縛から解放されたその顔には、涙が静かに輝いていた。

38. 宇宙最強の目論見

 一行はレヴィアの空間跳躍で王都のレストランに来た――――。

「それじゃ、カンパーイ!」

 蒼は子供椅子から身を乗り出し、ミルクのコップを掲げた。

「カンパーイ!」「カンパーイ! 飲むぞーー!」

 歓喜に包まれたレヴィアは、ゴクゴクとジョッキのエールを飲み干し、その芳醇な余韻に酔いしれながら満足げにため息をついた。

「くーーっ! こんなジョッキじゃダメじゃ! おい、おネェちゃーん!」

 レヴィアはウェイトレスを呼ぶとエールの樽を丸ごとオーダーした。

「いや、あの、そんなに飲んだら……」

 蒼は恐る恐る言ったが、レヴィアは耳も貸さず、飢えた獣と化して骨付き肉に鋭い牙を剥き、無我夢中で食らいついた。その真紅の瞳はギラリと光り、甘辛いタレのたっぷりついた肉を骨ごとかみ砕く。

 ボリッボリッという恐ろしげな咀嚼そしゃく音が響き、周りの客がチラチラと視線を向ける。

「あー、美味い! こんなうまい食事は久しぶりじゃ! おい! おネェちゃん! 樽はまだか!」

 無邪気に暴走するレヴィアに蒼とムーシュは黙って顔を見合わせ、やれやれという感じで肩をすくめた。

        ◇

 三杯目の樽を傾けながら、絶好調に乗ってきたレヴィアは小声で蒼に切り出す。

「明日、サイノンを倒しに行くぞ」

「えっ!? 倒せるの?」

「おうよ! 一応準備は進めておったからな。それに倒せねばまた呪いをかけられる。先手必勝! 今度こそとっちめてやるんじゃ!」

「そ、そうなんだね。でもなんだか神々の戦いみたいでピンとこないなぁ……」

「何言っとるんじゃ! これはお主の呪いにも関わる話じゃぞ?」

 えっ!?

 蒼はいきなりの核心に迫る話に驚き、思わずこぼしたミルクがポタポタとテーブルにしたたった。

「お主の呪いは青い髪の天使にかけられたと言っとったな? 彼女は大天使、シアン様じゃ」

「それは、有名な……方?」

「そりゃぁ……宇宙最強じゃからな……」

 レヴィアは深い溜息とともに、思い出したくない過去を背負うかのように顔を伏せる。そこには何か言い知れぬ因縁を感じ取れた。

「で、そのシアン様の呪いがどうしてサイノンと関係が?」

 蒼は全く関係ない話がどう結びつくのかさっぱり分からなかった。

『馬鹿ッ! 声が大きいわ!』

 レヴィアは急いで辺りを見回すと、テレパシーで伝えてくる。

『シアン様や女神様としてはサイノンは目の上のたんこぶ。なんとしても倒したいはずじゃ』

『え? そんなの自分たちで倒せばいいんじゃないの?』

『馬鹿じゃな、サイノンだってそんなのは分かり切っとるから、シアン様たちが動こうとすると察知して空間を畳んで逃げてしまうんじゃ。だからただの人間を秘かにけしかけとるんじゃよ』

『非力な僕らなら大丈夫だってこと?』

『まぁ、なめられたもんじゃな。じゃが、おかげで油断した奴を討ち取れる。さすればシアン様の目的も達成ということで晴れてお主も卒業じゃ』

『え……? なんで……?』

『察しが悪いのう。シアン様がお主をこの世界に送り込んだのはサイノンを倒させるためじゃ』

『は? じゃあなに、今まで僕がやってきたことってシアン様の筋書き通りって事? いやいやいや、そんな馬鹿なこと……』

 レヴィアとの壮絶な戦いを制したことまで天使の筋書き通りだなんて、蒼としてはとても認められない話だった。

『そうですよね? シアン様?』

 レヴィアはムーシュの方を向いてジト目で聞く。

『は? ムーシュになんでそんなこと聞くの……?』

 蒼はレヴィアの突然の行動に微かな不快感を覚えながら首を傾げた。ところが、キョトンとしたムーシュの目の色が赤から碧へと変わっていく。

 え……?

 一体何が起こったのか分からず、凍りつく蒼をしり目にムーシュはニヤッと笑った。

『ほーん、レヴィア、さすがだね。くふふふ……』

 なんと、ムーシュが聞きなれない話し方で話し始めるではないか。

『ム、ムーシュ! お前、悪魔じゃなかったのか!?』

 驚愕に襲われ、蒼は思わず身をよじらせた。

『いや、ムーシュちゃんはムーシュちゃん、ちゃんとした小悪魔だよ? ただ、僕がたまーにちょっとだけ心の声としてムーシュちゃんに働きかけてるってだけ。くふふふ』

 天使の好き勝手な振る舞いに、蒼は閉口した。自分に呪いをかけ、仲間に潜んで一体この天使は何がやりたいのだろうか?

『ムーシュから出ていってください! 大切な仲間なんです!』

『ん? 君の即死スキルでなぜこの子だけ死ななかったか、分かって言ってる?』

『え……? ま、まさか……』

 蒼はルシファーの軍隊に即死魔法を放った時のことを思い出し、キュッと口を結んだ。

『この子が生きてるのは僕が守ったから。僕は命の恩人だゾ?』

 シアンは鋭い碧い瞳で蒼を見据えると、レヴィアのエールの樽に手を伸ばし、琥珀色の液体を一気にあおった。

39. 異世界への門

 シアンが美味しそうにエールをゴクゴクと飲む様子に蒼は苛立ちを隠せず、不機嫌な視線を向けた。

『そ、それは感謝しますけど……、サイノンを殺したいなら勝手にやってください! 僕らを巻き込まないで』

 シアンは樽を高く持ち上げ、一気に飲み干すと、幸せそうにゲフッと酒臭い息を吐く。

『うーん、できたらそうしてるんだよね。でも、レヴィアの言うようにサイノンは用心深くてねぇ……。もう主様に頼るしかないんですぅ』

 ムーシュをまねて両手を合わせ、碧い目をキラキラと輝かせるシアン。

『なにが【主様】ですか! ここまでやればもう十分でしょ? 後はレヴィアが突入してサイノン倒して終わり。呪いも早く解いてください』

『ブーーーッ!』

 シアンは茶目っ気たっぷりに腕を振るって交差させ「×」を作った。

『ゴールはサイノンを倒すこと。君も手伝ってサイノン倒したらちゃんと解呪してあげるゾ!』

 シアンは人差し指を軽やかに振り上げ、碧い瞳で悪戯っぽくウインクした。

『は? サイノンとの戦闘に僕なんか何の役にも立たないじゃないですか』

『んー、それがそうとも言えないんだなぁ。くふふふ。あ、そろそろ行かないとバレちゃう。まったねぇ!』

『あっ、ちょっと待っ……』

 蒼が手を伸ばすとムーシュの目はまた真紅の輝きへ戻ってきてしまった。言いたい放題言うだけ言って、シアンはまた消えてしまったのだ。

 くぅぅぅ……。

 大天使の陰謀に強引に巻き込まれてしまった自分とムーシュ。レヴィアがサイノンを倒して終わりの話ではあるが、割り切れない思いでギリッと可愛い乳歯を鳴らした。

「あれ? 主様、どうしたんですかぁ?」

 ムーシュは真っ赤な顔で、トロンとした目をして蒼に抱き着いてくる。そして、酒臭い息を吐きながら幸せそうに頬ずりをした。

「お、おい、お前……」

 いろいろな感情が渦巻く中、蒼はムーシュを引きはがす。

「あーん、主様のイケズぅ……」

 そう言うとムーシュはそのまま突っ伏して、酔いつぶれてしまった。
 

        ◇

 翌朝、かつてはレヴィアの拠点だった火山跡にやってきた一行。サイノンにえぐられた後はまるでカルデラ湖のように大きな湖となっている。

「よーしお前ら準備はいいか?」

 黒いボディスーツでビシッと決めたレヴィアは、蒼とムーシュに気合を入れる。

「なんだか二日酔いなんですよねぇ……ふぁーあ」

 ムーシュは冴えない顔をして大あくびをする。シアンが勝手に飲んだ影響が残っているようだ。蒼はことごとく自分勝手なシアンにムッとする。

 蒼も昨晩は遅くまで眠れず寝不足気味である。世界をひっくり返そうとするサイノンを倒すことはまさにこの世界を救うこと、救世主になることだ。だが、実態はシアンに強引に巻き込まれて操られているだけ、それがどうしても引っ掛かる。

 なぜ、自分なのか? 自分はこれでいいのか? 次々と湧いてくる疑問がグルグルと蒼の中に渦巻いていた。

 それに、超常的な力を操るサイノン相手に自分を派遣するシアンの目論見もよく分からない。即死スキルが効かないであろうサイノン相手なら自分など足手まとい以外の何者でもない。

「なんじゃ、お主ら気合いが足らんぞ!」

 レヴィアは黒くゴツゴツしている溶岩をバシバシと叩きながら吠えるが、そもそも二人は何しに行くのかわからないのだ。

「あー、僕らは何したらいいのかな?」

 蒼は恐る恐る聞いてみる。

「そんなの我に聞くな! 自分で考えんかい!」

 レヴィアもシアンの考えは分からないようだった。

 蒼は深いため息をつく。

「分かった、分かった。それじゃ出発進行! サイノンを倒すぞ、おー! ……。ふぁーあ……」

       ◇

 レヴィアは溶岩の隙間にできた狭い洞窟を降りていく。大人の男なら到底通れないような狭くゴツゴツした隙間を泥だらけになりながら降りていく。

「レヴィア、こんなところに世界の裏なんてあるの?」

 つかえてるムーシュの大きなお尻を、蒼は真っ赤になりながら押し込む。

「ガタガタ言うな! もうちっとじゃ」

 隙間に引っかかって脱げたブーツを、腕を伸ばして拾いながらレヴィアが答える。

 さらにしばらく進み、溶岩が熱くなってきたころ広い空間に出た。

「そろそろええじゃろ」

 レヴィアはそう言うと空間操作系のスキルで溶岩の壁をゴリゴリっと削り取り、墓石のような黒いつるりとした面を出す。そして、指先でそっとなぞり始めた。

「な、何してるの?」

 蒼が不思議そうに聞く。

「うるさい! 静かにせんかい!」

 レヴィアは怒鳴り、また神妙な面持ちでそっと岩をなでていく。

 蒼はムーシュと顔を見合わせ、首を傾げた。

 しばらくあちこち岩をなでていたレヴィアだったが、何かを見つけたようで真紅の瞳をキラっと輝かせる。

「ヨシヨシ、こんなセキュリティじゃごまかせんぞ! ウッシッシ……」

 直後、ヴォンという低い電子音が空気を震わせ、岩はかすかな青色の輝きを放つ。それは不穏に揺らめく異世界への門のようで、見る者の心に名状し難い不安を抱かせた。

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